BACK

 その日は入学式だけで、それ以上の拘束時間はなかった。
 生徒達はそれぞれ校舎内や敷地を見学に散って行った。俺もどうせ予定はないので、自分に関係のある教室や食堂なんかの場所を確認しておこう。
 第一ホールを出ようとしたその時、廊下の隅でリームの姿を発見した。
 リームは正座をさせられていた。その前には、中年の教師が立っている。大方、入学式に遅刻してきた事で説教されているのだろう。
 まあ、かばいだてする義理はあっても肝心の理由がないので、俺は放っておいた。
 外に出ると、あちらこちらでチラシを手に持った人達が群れをなしていた。どうやら、同好会、研究会の勧誘のようだ。
 特に何かをやろうとは思っていなかったのでさして興味はわかなかったのだが、向こうも新入生獲得に必死になっているためか、五分ほどで押し付けられたチラシが持ちきれなくなった。それで、急いで群衆の中を俺は駆け抜けた。それからクズカゴの中へ人目を見計らって投棄。
 しっかし、広いところだよな……。
 不知火の総面積は、おそらく故郷の村の半分ほどはありそうだ。とにかくだだっ広いのである。
 一周するだけでもかなりの時間がかかりそうだ。五、六階建ての建物を全て巡っていたら、一日じゃ到底足りない。
 俺はまたもあの地図を頼りに、新入生の基本科目の授業が行われる第四校舎の位置を確認した後、学生食堂で昼食を取って帰る事にした。
 と、その時。
 寮の自分の部屋に戻ろうとしたその帰り道、中庭をふらふらと足を引き摺るようにして歩く人影を見つける。
 リームだ。
「ん? おう、リーム。どうかしたか?」
「冗談じゃないわ……。今までずっと正座させられてたのよ……説教つきで」
 という事は、かれこれ四時間近くしていたというのか。この場合、耐えたリームよりも、四時間も説教し続けるだけの言葉のレパートリーを持っていた教師の方を称賛するべきなのだろう。
「お前にしてはやけにおとなしいな。何も手とか出さなかったのか? もしくは足とか」
「出したわよ。でも、向こうの方が全然強いでやんの。あったまくるわ……」
 なるほど、だから遅刻如きで四時間もさせられたのか。そりゃあ教師に手ェ出せばなあ。正座なんて寛大なモンだ。
「決めた。あんにゃろう、まず最初の血祭り候補」
「返り討ちだって」
「だから、ちゃんと授業受けて強くなってからするの」
 リームはここのアカデミーに入ったのは失敗だった、とか言っていたが、そのセリフは、こんな下克上精神旺盛な人間の入学を許可してしまったアカデミー側のものではないだろうか? 既にその教師は、初日早々こんなに手のかかる生徒が入学してきたのを嘆いているかもしれない。
「ああ、腹減った。ガイア、奢れ」
「ヤダ」
 で、ここで上段回し蹴りっと。
 さっと体をかがめると、案の定、俺の頭上をリームの足が鋭くかすめていった。
「まったく。一人前ならともかく、お前の満腹なんて何人分だよ」
「一人前で満足できる人間が居たらお目にかかりたいわ。若者はハングリーなの」
「周囲を見ろ。人がいるな? この人達のほぼ九割が、多くともニ人前で満足できるぞ」
「またまた。冗談ばっかり」
 リームの食は人並以上に太い。大体、俺の三、四倍は軽くたいらげるだろう。その割に体の線はごく標準的である。どういう体内構造になっているのだろうか? きっと、胃袋が三つくらいあるのだろう。
 ふと、
「ん? なんだ?」
 向こうの通りを、無数のチラシを抱えたヤツが歩いている。よたよたと何やら頼りなげだ。
「おい、見ろよ。あれ。なんとまあ、律儀に全部受け取ってよ。捨てりゃあいいのに」
「ホント。とっぽいヤツね、ガイア以上に」
「余計なお世話だ」


 翌日。俺は予定表に書かれていた通り、第四校舎のDクラスに向かった。今日はここでオリエンテーションだかがある。
 魔術科の生徒は、初年度はクラス単位に固定した授業が行われるのだ。二年目からは各自、必修科目以外の授業を自由に選べるようになっている。
 オリエンテーションとは言っても、今後の大まかな予定が連絡された後、お約束の自己紹介だけだ。まあ、特に変わったことでもないが面倒でもあるので、適当に流してしまおう。
 しかし、俺みたいな田舎者はあんまりいなさそうだ。出身地はうまく飛ばしておこう。なんだか笑われそうだし。
 さて、今は何人目だろうか?
 ふと周囲に視線をやる。
 ん?
 その時、たまたま俺の隣の席に座っていたヤツが視界に入った。
 何故かそいつは、顔を真っ青にして震えていた。額からも汗がふつふつと浮き出している。
「おい、どっか具合でも悪いのか?」
 俺はそう話し掛ける。
 そいつはギクッと体を震わせると、恐る恐るこちらを振り向く。
「い、いや、その、緊張しちゃって……」
 真っ青な顔でそいつはそう答えた。
 ぱっと見では男か女か判別に迷いそうな顔立ちだ。いわゆる女顔というヤツだろう。声はまぎれもなく男のものだったが、やけに頼りなげだった。
 ん? そういえば、こいつ。昨日、チラシを山のように抱えていたとっぽいヤツじゃなかったっけ?
「自己紹介でか? ま、そんなもんは適当にやればいいさ」
『趣味はナンパでーす!』
 と、調子のいい声がした後、クラスに爆笑の渦がこだまする。
「聞いたか? あんなもんだ」
 あまりに馬鹿らしい趣味に苦笑しつつ、俺はそう肩をすぼめた。
「う、うん……」
「あ、俺はガイア=サラクェルだ。お前は?」
「グ、グレイス=ハプスブルグ。よろしく……」


 ハプスブルグも俺と同じように地方の出身者だった。しかし、どこぞの由緒ある家系の出身らしく、どこか世間知らず的というか、俗世にうとい部分があった。要するにお坊ちゃんで温室育ち、ということだ。
 とは言っても、こいつ自身に嫌味な所は少しもなく、知らない俗語を使われると首をかしげたりするあたりは好感を持てた。大方、これまで箱入り娘のように育てられたのだろう。俗世間の事にはやけにうとい。まあ、俺も田舎から出てきたおのぼりさんであるから、都会の世情などほとんど知らない、という点では一緒だ。
 お互い、この見た事もないような都会に出てきて、色々と不慣れな事が多々あった。
 だからだろうか。
 不思議と共感し、俺達はすぐに親しい仲になった。



TO BE CONTINUED...