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 ハア、ハア、ハア……。
 僕の荒い息が部屋の中に響き渡る。
 喉には灼熱のような渇きがうごめいている。
 その疼痛にも似た疼きを抑えようと、喉元を掻き毟る。幾つもの蚯蚓腫れが尾を引いている。
 昨夜から絶え間なく体を苛むそれを誤魔化すため、無理にでも眠る事を強い続けてきたが、それももはや限界だ。
 少しでも紛らわせようと、僕はベッドから這い出してキッチンの蛇口へ。
コップに注ぐ間も煩わしく、直接蛇口に口をつけ、ひたすら水を貪り飲む。
 しかし、幾ら飲んでも灼熱の渇きは癒されない。
 この渇きが欲しているのは、水ではない。だから、幾ら水を飲もうとも、決して満たされる事はないのだ。
 まさか、今頃になってくるなんて……。
 そういえば、十六歳という年齢は、魔族にとっては完全体を迎える年齢だったっけ……。この発作は、むしろ遅過ぎるぐらいなんだ……。
 僕の血が騒いでいる。
 人間の血を求め、猛り狂っている。
 ヴァンパイアの血が。
 とにかく、何とか鎮めないと……。理性まで飲み込まれてしまったら、また、あんな事になってしまう。
 これ以上繰り返してしまったら、僕はもう、ここには居られなくなってしまう。
 これまでずっと閉鎖的だった世界を飛び出して、もっと広い世界を見るため。
魔術師になって世界中を自由に旅して回るため。
そのために僕は、故郷から出てきたのに……。
やっぱり僕は、人間と一緒に生きる事はできないのかな……?


「号外! 号外!」
 今朝も報道部のヤツが園内のあちこちで新聞を配っている。
「はいよ!」
 突然、そう勢い良く目の前に突き出され、うっかり受け取ってしまう。さすがに向こうも配り慣れている。
 本校舎に向かいながら、その号外に目を走らせる。するとそこには、案の定、思った通りの見出しが印刷されていた。
 なんだ、またか。
 詳しい詳細が書かれていたが、俺はとっくに聞き飽きてしまったので、それ以上の興味は抱かなかった。くしゃくしゃと丸めて、クズカゴの中へ。
 今、アカデミーでは、連続通り魔事件が起こっている。今月に入って、もう五人も襲われているのだ。
 被害者はどれも、夕暮れ時に園内を一人でいた所を襲われている。
 証言によれば、被害者は突然背後から襲い掛かられ、凄まじい力で体を押さえつけられた後、頚動脈に噛みつかれている。そのまま血を吸われ、開放された時にはもう犯人は姿をくらましていたという。血液を大量に失っているため、追跡するにも体がままならなかったようだ。ちなみに余談ではあるが、被害者の身体的特徴に共通点はない。どうやら吸血鬼(・・・)には、老若男女人畜美醜のこだわりはないらしい。
 被害者の証言からすると、犯人は人間だったという。体を押さえつけたのも、確かに人間の腕だったそうだ。
人間の血液を吸う種族は幾つかあるが、人間型の種族は一つしかない。
ヴァンパイアだ。
 ならば犯人はヴァンパイアである、という結論に達するのだが、突然背後から襲い掛かり、姿も見せず逃げ去るなんてあまりにヴァンパイアらしくないやり口だ。ヴァンパイアなら、蔑みの対象である人間に対してもっと堂々と振舞う。しかも、被害者は全員命に別状はなく、ヴァンパイアが人間を傀儡にする時に用いる魅了(チャーム)の呪いもかけられていなかった。通常ヴァンパイアは、吸血した人間は完全に失血死させるか、傀儡として使役するか、そのどちらかしかしない。
 一応、もう一つの犯人説はある。犯人は人間である、という説だ。
 前々回の号外に書いてあったのだが、なんでも“吸血パラフィリア”と呼ばれる症状があり、その症状にかかっている人間は、同じ人間の血を飲む事が至上の喜びなのだそうだ。
 早い話、そういう精神異常者によるサイコな犯罪であるって言いたいのである。エンターテイメントとしては面白いかもしれないが、こっちの方がよっぽど怪しいモンである。
 さて、そんなモノより、俺にはもっと深刻な事がある。
 それは、先月末に行われた期末テストだ。
 実技は滞りなくこなせたのだが。神学、と流体力学の試験結果がボーダーを割ってしまったのである。
 今日、こうして必修科目授業のない日にアカデミーに来ているのは、追試願いの書類を理事長に提出するためである。このアカデミーでは、理事長の承認がなければ追試験は受けられないのだ。もちろん形式的なものではあるだろうが、とにかく追試験が受けられなければ、単位不足で留年が決定する。
 という訳で、崖ッ淵の俺はそんな事に気をかける暇はないのだ。
 そういえば、グラウンドの方が騒がしい。
 確か、格闘技科とかの、いわゆる肉体派学科の追試験は俺達よりも時期が早い。リームもこの間、ペーパー試験の方での追試験願いがどうこうわめいていたっけ。おそらくグラウンドでは、肉体派学科の実技の追試が行われているのだろう。
 アカデミーの建築物の中でも一際大きな本校舎。ここの一階に理事長室がある。普通、こういったエライ人の部屋はもっと上の階にあるものだが、理事長は災害が起きた時に速攻で逃げられるようにと一階に自分の部屋を置いたそうだ。
 さてと……。
 カバンの中から追試験願いの書類を取り出し、廊下を歩きながら記入漏れの最終確認。神学、流体力学、各一枚ずつ。氏名、学籍番号、教科担当者の認印。どれもしっかりとある。
 恐れる事はない。この学園の最高権力者といえ、同じ人間だ。俺は別に悪い事をする訳ではない。正当な理由がある。
 って、そこまで気を張る事もないか……。
 理事長室の重々しい作りのドアをノックし、静かに入室する。
「失礼します」
 理事長室は、さすがに一人で使うには十分過ぎるほどの広さがあった。もっと様々な調度品があると思ったが、それほど華美な装飾品はない。本当に必要な分だけの物が置かれている。
 部屋の奥には大きなデスクが置かれていた。理事長の席だ。しかし、そこに理事長の姿はない。
「あれ? いないのか?」
 どうやら理事長はどこかに行っているようだ。
 やれやれ、困った。この広い学園内を探すのはちょっと骨だ。
「仕方がない。出直そうか」
 と、踵を返したその時。
 ガシャーンッ!!
 突然、ガラスの割れる音が響き渡る。
 なんだ!?
 驚いて振り返った次の瞬間、理事長のデスクが破砕音を立てて吹き飛んだ。
 反射的に飛んできた破片を腕で防ぐ。しかし、頭の中はこんがらかっていて、何が何だか分からない。
 な、何が起きたんだ……? ば、爆弾か!? まさか、例の吸血通り魔!?
 デスクの破片がやみ、ゆっくり腕をのけて目を開く。
デスクの後の窓は粉々に吹っ飛んでいる。目の前にあったはずの理事長のデスクは真っ二つに割れ、そこに刃の焼き付けがなされていない薄ら錆びた模擬槍が突き刺さっていた。見た目には、軽く2、30キロはありそうだ。
これをこんな所まで飛ばしたなんて……。筋肉のバケモノがいたものだ。
「すみません! どなたかいらっしゃいますか!?」
 と、全壊した窓から、ひょっこりと人影が現れる。
 それは、長い金髪を邪魔にならないように後で縛った、運動服姿の物静かな雰囲気の女性だった。
 年齢は俺と同じぐらいだろう。おそらく、俺と同じ一年生に違いない。
「あ! 大丈夫でしたか!? お怪我はありませんでしたか!?」
 彼女はひょいと壊れた窓を飛び越えて中に入ってきた。
「あ、ああ……。これは、君が?」
「はい。申し訳ありません。私、投擲だけはどうしても苦手でして」
 そう朗らかに微苦笑する。
 しかし俺には、彼女がとてもあんな槍をここまで投げ飛ばしたとは思えなかった。


 これが、俺とロイアの最初の対面である。
 ロイアは槍術科の生徒である。この時は、期末テストの実技の追試に向けての練習をしていたのだそうだ。
 大抵の人間は、ロイアの物静かな雰囲気と豪快な振る舞いのギャップに驚く。しかし俺は、いきなりそれを見せ付けられたので、それほど驚く事はなかった。確かにこのギャップに苦しむ事はあるが……。
 しかし、普段は何事も繊細にこなしていく彼女が、どうして時折こうも大味な事をするのだろうか?
 彼女のそんな両極端さを併せ持つ点だけが、未だに不可解である。



TO BE CONTINUED...