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 胸がどくどくと高鳴っている。冷たい木枯らしが吹き付けてくるにも拘わらず、手のひらが汗ばんでいる。嫌な汗だ。
 てくてくとアカデミーに向かって歩く。俺のすぐ前ではリームとグレイスが何やら談笑しているが、それに参加する気にはなれない。
 二日前、俺の進級がかかった追試験が行われた。一応、滞りなく試験は終了し、回答状況はそれなりと思う。何問か全く見当もつかないような問題はあったが、全体から考えればほんの僅かだ。それに、半分よりちょっと大目の点数を取れればいいのだ。どんなに悪くとも、そこは超えたはずだ。
 そう自分に言い聞かせていた俺の元に、昨夜、理事長からの召喚状が届いたのである。本日の十時。理事長室まで出頭せよ。試験結果を通達する。つまり、理事長が直々に追試の結果を言い渡すのである。たかがいち生徒ごときの追試の結果を理事長が言い渡すなんて。そう考えると、追試の結果以外の別な何かも言い渡されそうで、不安で不安で仕方がないのだ。
「うう……胃が痛ェ」
 文面だけでは結果の是非がはっきりせず、俺はすっかり参っていた。精神的に限界に近く、昨夜から水しか口に出来ない状況だ。食べ物を見てもさっぱり食欲が湧いて来ないし、空っぽの胃がキリキリ叫び声を上げている。
「ガイア、どうかした? 元気ないねえ」
 ひょい、とこちらを振り返りながらリームが訊ねる。
 こいつも、俺と同じく召喚状を貰っている。ペーパーテストを見事に落として追試を食らったのだ。だが、俺とは正反対に色艶のいい顔をしている。昨夜も食うだけ食ってたっぷり寝た、という感じだ。
「だってさ……、もし、落第だったら……」
「大丈夫だって。なんとかなるっしょ」
 と、同じ崖っ淵に立っているとは思えないほど、リームは気楽に言い放つ。
「お前のその余裕はどこから出るんだよ……」
 その神経の太さが羨ましい。さめざめと溜息をつく。
「多分、何も考えてないだけだよ」
 グレイスが笑いながらそう答える。
 ちなみにこいつは追試対象者ではない。今日は単に、アカデミーの開放書庫に借りた本を返しに行くだけである。心配視されていた実技も、危なげながらスレスレで合格したのだ。
 誰かこの不安を共有できるヤツが欲しいとつくづく願う。単に考えてないだけのヤツや追試対象外のヤツのなぐさめなんか聞いたって気休めにもならない。
「ああん? バカにしてるな」
「ち、違うよ。リームは物事をいつでも前向きに考えてる、って意味で言っただけで―――」
「だめ。明らかに悪意があった。しめる」
「うわっ、ちょっと!?」
 リームが両手を上げて襲い掛かる。すぐさま慌てて走り出すグレイス。山奥でうっかり熊に出会ってしまうと、人はあんな風に逃げるのだろう。
「あら、ガイア。おはようございます」
 と、丁度通りの角からロイアが現れた。
「よう。お前も不幸の手紙を貰ったのか」
 ロイアも俺やリームと同じ追試対象者だ。
 槍術科のロイアは実技の投擲を落としている。昇華により腕力は十分なのだが、肝心のコントロールが少々人並を下回っているのだ。それが災いし、運悪く投げた槍が理事長室を直撃して半壊させてしまった事もある。
「ええ。どうして理事長もこんな意地の悪い事をなさるのかしら」
「性格だ、性格。ああいう意地の悪い人間なんだよ」
「そういえば、ガイアは少々やつれたようですね」
「まあね……」
 食事もろくに取れず、ベッドに入ってもほとんど眠れない。たまに眠れても、落第する夢ばかり見る。そんな生活を半月も過ごせば、誰だってやつれるに決まっている。
 ロイアの様子と言えば、まったくあの時と変わりがない。色は白いが、それは生まれ持ったものの健康的な色だ。俺は色白と言うより青白いと言った方が当てはまる。こいつもまた、随分と神経が太いようだ。いや、俺が細過ぎるのだろうか。
「うらっ。掴まえた」
「いだだだだ! 苦しい!」
 リームがグレイスの頭を両腕でがっちりロックする。そのままぎりぎりと締め始める。ふと俺は、くるみ割り人形を思い浮かべた。
「ん? 誰、その人」
 と、リームがグレイスを捕獲したままそう訊ねる。そういえば、二人はロイアとは初対面だった。
「初めまして。私、ロイア=リーヴスラシルと申します」
 深々と頭を下げるロイア。俺がやると不自然でかえって慇懃無礼になるのだが、ロイアがすると実に自然で嫌味がない。物腰の柔らかさと上品さを感じさせる。
「私、リーム=タチバナ。で、これがグレイス=ハプスブルグ」
 ぐいっと腕でロックしたままグレイスの顔を見せる。グレイスはなんとか腕から逃れようとしているが、到底腕力でかなう相手ではない。
「あれ? もしかして、理事長室を半壊させた人? 報道部の新聞で読んだんだけど」
「まあ……もううわさになっているのですね。恥ずかしいですわ……」
 あれだけの事件を報道部が放っておくはずがないだろう。そろそろ連続通り魔の方も飽きられてきている。
「じゃあ、ロイアって強いんだ? だったら」
 グレイスを離し、何やら嬉しそうな表情を浮かべる。
 リームはやたら強い人間と戦いたがるのだ。なんでも、互いに切磋して更に強くなり気分もすっきりしていい事づくめだから、という考えなのだそうだ。そんなものは自分中心の理屈で、必ずしもというより十中八九、相手方はそんなリームに迷惑しているのだ。一日も早く改めて欲しいものである。
「あのな、んな事より自分の進級を心配しろ」
「でも、もうテストは終わってるじゃん」
「確かにそうだけどさ……」
「あーヤダヤダ。じめじめしてさあ。コイツったらねえ、ここんトコ、ずっとこの調子なのよ」
「ですが、人の気質というものは十人十色ですから」
 と、ニッコリ微笑むロイア。
 それは、フォローでしょうか……?






 アカデミーは試験も終わった事もあり、生徒の数がやけに少ない。テスト休暇中は、大抵は友達とどこかに遊びに行ったりするものなのだろう。ま、友達のいない私には関係のない事だけど。
 今日は、突然理事長に呼び出されたのでアカデミーに向かっている。召喚状には、早急に取り掛かってもらいたい事がある、と書かれていた。それが何かは大体想像はつく。今、学園内で騒がれているあれについてだろう。随分と厄介なお鉢が回ってきたものだ。
 せっかくのテスト休暇なんだけどなあ……。
 どうせ暇だし、別にいいかな。法術書もあらかた読み尽くしたし。他にやる事と言ったら、法術のキャパシティを増やす訓練ぐらいだ。
 法術科の授業再開まではもう少し日がある事だし。それまで、丁度いい時間潰しになるでしょう。


TO BE CONTINUED...