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 ロイアが控えめに理事長室のドアをノックする。
『入れ』
 中から理事長の重苦しい声が聞こえてきた。まるで地獄の調停者のような声である。
「失礼します」
 ロイアを先頭に、俺達は静かに理事長室の中に入った。
「ロイア=リーヴスラシル、並びに以下二名。召喚状の命に従い参上仕りました」
 深々と礼をするロイア。それにワンテンポ遅れ、俺とリームも頭を下げる。
 理事長室はすっかり修理されていた。ほぼ全壊していた窓枠とガラスは綺麗に新しいものに張り直され、粉々に砕け散ったデスクも新調されている。
「来たか……」
 疲れの見える理事長の声。
 確か理事長の年齢は五十代ぐらいのはずだ。しかし、肌つやが悪く、実年齢より十歳ほど上に見える。いかにも心労が祟っている様子である。
 原因はおそらく、ここ最近続いている例の通り魔事件の事であろう。アカデミーでは戦闘のプロを育成している。そのため、その力は治安機構の比ではないのだ。だが、そのアカデミーの中で生徒が次々と襲われているのである。これではアカデミーの面目が立たず、非常に深刻な信用問題なのだ。
「ようやく御出でなすったようだね……ゴホッゴホッ」
 と、その時。誰かがそう咳混じりにつぶやいた。
 ふと見ると、理事長室の奥に備えてある接客用のソファーに、四つの人影があった。
「では理事長、早急に始めていただこうか」
 つぶやいたその男はゆっくりと立ち上がり、こちらに歩み寄ってきた。続いて、後の三人もソファーから立ち上がる。
 それは、痩せ細った背の高い男だった。どこか体の調子が良くないのか顔色が悪く、しきりに咳き込んでいる。顔立ちは男の俺から見ても整ったものに見えたが、顔色と咳のせいかやけに陰気に見える。くせのない長めの髪も、いっそうの陰気さを演出する材料にしかなっていない。とにかく不健康そうな男だ。おそらく魔術学科の生徒だろう。
「あ〜あ、随分と待たされちゃいましたねえ」
「あ〜あ、随分と待たされちゃいましたねえ」
 その男の両サイドに、そっくり同じ顔をした女性が立った。そしてほぼ同時にこれ見よがしに愚痴をこぼす。顔はまるで鏡に映したかのようにそっくりだった。顔立ちだけでなく、背の高さや体格、何から何までそっくり同じである。どうやら双子のようだ。辛うじて違うのは、二人の身に付けているものだ。デザインはかなり似ているが、基調としている色が、片方は青、もう片方は緑となっている。
「ああ? 私らは十時に来いって言われたのよ。今、丁度十時じゃない」
 早速リームが今の二人に噛み付いた。相変わらず、初対面だとかそういうのはおかまいなしだ。とにかく自分が不快と感じたら、即、向かっていくのである。
「十分前行動は学生の基本です」
「十分前行動は社会人の基本です」
 だが、二人はリームを前にしても平然とした表情で、むしろ挑戦的にそう言い放った。途端にリームから怒気が発せられた。これを浴びると、小動物は騒ぎ出し逃げ惑うのだ。
「二人ともやめたまえ。世の中には、こういう人間もいるんだ。たとえこちらが正論を述べようとも、通用しない、もしくは理解出来ない人間もいるのだよ」
 すると、あのひょろ長い男が二人に向かってそう優しく諭す。いや、よくよく注意して聞けば、言葉がやけに嫌味ったらしい。遠回しにバカは相手にするだけ無駄だと言っている。
「はあい」
「はあい」
 二人は素直に男の言葉に従う。リームに向かってああも挑発的な言葉を送るとは。知らぬが仏、とはまさしくこの事なのだろうか。その三人の様子を、少し離れた後方から、もう一人の女性が無言で見ていた。こちらは三人とは逆に何も言わず視線も向けない。おとなしい、というより存在感そのものが希薄である。それは生まれつきのものではなく、あえて意図的にそうしているようである。
 この四人は一体なんなのだろうか? 俺達と同じように召喚状を受けた追試験者だろうか。
「さて、本日お前達三人に来てもらった理由だが……」
 俺達のやりとりの間を見て咳払いをし、理事長は新しいデスクからなにやら書類を取り出した。
「ロイア=リーヴスラシル。追試科目、投擲。80%以上の命中率で合格の所、20投中、命中は16投。ただし、外れたものの内3投は、南校舎2Fと1F、第二十七倉庫にそれぞれ直撃」
 ロイアは追試でもまた、誤射をしてしまったようだ。でも、どうやらギリギリで合格のようだ。
「リーム=タチバナ。追試科目、人体科学。200点満点中、130点。ガイア=サラクェル、200点満点中、132点。共に合格基準点は130点以上だ」
 ホッと安堵の溜息をつく。なんとか合格点を越える事は出来たようだ。なにはともあれ、これで無事に進級できる。
 が、そんな俺の安堵も束の間、理事長は重苦しい溜息をついた。
「はっきり言おう。三人とも、ギリギリの合格だ。追試験でこの得点では先が思いやられる」
 理事長の表情は、俺達を嘲笑うというよりは落胆しているような感じだ。
 それは分かってるのに。わざわざ改めて言わなくても……。
 理事長にそんな事を言い聞かされ、俺は素直に喜べなくなった。
「そこで、お前達にはこの四人の指揮の下、お前達も知っているであろう、例の通り魔事件の調査をしてもらう。補修課題だ」
 この四人の?
 俺は彼らの方へ視線を向けた。年齢は俺達と同じぐらいだろう。少なくとも教師ではない。
「っていうか、こいつら誰?」
 本人を目の前に、恐ろしいほどハキハキとリームは指を差してそう言い放った。まさに礼儀知らずの見本だ。
「人を指差すな」
「人を指差すな」
 そんなリームに、双子が同時に言い返す。そして、片方が舌を、もう片方が歯を出す。
「そういえば挨拶がまだだったようだね」
 と、双子を押さえて長身の男が歩み出る。
「私はヴァルマ=ルグス。魔術学科だ」
「妹のエルフィ=ルグスです。剣術科です」
「妹のシルフィ=ルグスです。剣術科です」
 妹? という事は、この三人は兄妹だったのか。なるほど、道理で攻撃的な口調が似ている訳だ。
「セシア=ウィルセイア、法術学科です」
 最後に、あの無口な彼女がそう淡々と自己紹介する。
「ちょっとぉ、補修課題はまだ分かるけど、なんでこいつらの使いっ走りな訳?」
 リームが苛ただしげに言う。
 気持ちは分からなくもない。教師の手下ならともかく、同じ立場であるはずの生徒の手下になれというのだから。しかし、そうとは思っても、普通は心の内に留めておくものだ。少なくとも本人の目の前で言うものではない。
「フン」
「フン」
 そんなリームの様子を、エルフィとシルフィが鼻で笑う。優越感に満ちた表情だ。
「あ、ムカツク。誰にでも見分けつくように変形させてやる」
 リームは指を鳴らし、ずんずんと二人に歩み寄る。
「バカ、やめろ」
 慌てて俺はリームの腕を両手で押さえる。だが、逆に俺の体の方が引っ張られる。
 すかさずもう反対側の腕をロイアが両手で押さえる。それでようやく、リームの前進が止まった。
「おばか〜」
「まぬけ〜」
 エルフィとシルフィはヴァルマと名乗った男の背中に隠れて、尚も挑発し続ける。
「ええい、離せ! 殴らせろ!」
 突然、理事長がデスクを叩いた。その音でたちまち静かになる。
「説明しよう……」
 理事長の声は更に疲れ果てているように聞こえる。
「ヴァルマ=ルグスは、一回生でありながら、既に本過程は全て修了した優秀生徒だ」
 え……マジですか?
 俺はようやく基礎過程を終えたばかりだ。しかも、追試を受けてギリギリである。
 同じ時間を与えられていながら、俺は基礎過程、彼は本過程を修了というこの差はなんなのだ? また一つ、どこかの宗教にある、人間は皆平等である、という教えへの疑問が積み上がった。
 ちらっと視線を向ける。すると、ヴァルマの勝ち誇った表情が返ってきた。いっそう俺は惨めな気持ちになる。
「じゃあ、このバカ二人は?」
 理事長に向かって何の臆面もなく訊ねるリーム。さすがに理事長の口元に苦味が浮かぶ。
「エルフィ=ルグス、シルフィ=ルグスは剣術科の試験を全てパーフェクトでクリアし、現在は奥伝を修学している。言うまでもなく、優秀生徒だ」
「分かりましたか? そういうコトです」
「体だけ鍛えてるおバカとは違うのです」
 まさにリームは、体しか鍛えていない。体術だけ優れていてもいけないのだ。むしろ、頭脳も要求される。
 悔しそうに唇を噛むリーム。単にケンカが強いだけでは奥伝の修学許可は下りない。
「そして、セシア=ウィルセイアは、法術学科の全過程を修了している、史上稀に見る優秀生徒だ」
 セシアと名乗った彼女は無言で軽く頭を下げる。
 ぜ、全過程……? 通常なら三年かかるのに、それを一年で修了したなんて……。
 ここにいる四人は、つまりアカデミーのエリートという事になる。そのエリートに、俺達のような劣等生が使われる事になっても文句は言えない。
「いいかね? この四人は、期末試験を落とし、追試をギリギリで受かった君達とは格が違うのだよ。ここまで言えば、もはや説明する必要もないだろう」
 なるほど、確かに格が違う。俺なんかとは別世界に生きる人達なのねえ……。
「分かったなら、これで終わりだ。しっかりと調査に力を入れるように。問題を起こせば即除籍処分だ」






 これがヴァルマ達と、そしてセシアとの最初の出会いだった。
 第一印象は、はっきり言ってこの四人は、まるで別世界の人間のように思えた。あまりに自分よりも優れており、自分と同じ人間とはとても思えなかった。
 しかし、打ち解けるまでにはそれほど時間はかからなかった。それは、彼らが自分達と同じ人間だったという事に他ならない。
 もっとも、セシアだけはそうでもなかった。
 セシアは俺の想像よりもずっと複雑な世界で生きているのだ。
 それを理解するまで、まだ多少時間を要する。


TO BE CONTINUED...