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 通り魔事件の捜査を始めてから、二週間が経過し、とうとう試験休みが終わってしまった。
 それでも理事長からは捜査の打ち切りは降りて来ず、仕方なしに授業の合間を縫いながら引き続き調査を続行するという始末だ。
 捜査は相変わらず進展なしというより犯人がすっかりなりを潜めてしまったようで、アカデミーでも噂はすっかり下火になってしまっていた。そのせいか、情報提供を求めた所で有力な手がかりが出るどころか、逆におかしな目で見られる始末。ただでさえ、ザルで水をすくうようなこの調査に嫌気が差していたというのに。これではますますやる気が失せていくというものだ。
 それでも、仕方なしに俺は調査を健気に続けている。リーダーのなんとか結果を出そうと苦悩する顔を見ていると今日こそは何か有力な手がかりを手に入れて来なきゃなあ、と思ってしまう訳で……。
 そんなある日。ようやく俺の元に待望の手紙が届いた。
 調査の中止指令である。




 午前の講義が終わり、昼休みに入る。
 俺は早速、いつもの南食堂へ歩を進める。この第四校舎から一番近いため、そこに向かうのが習慣になっているのだ。外の気温は昨日に比べて一段と低くなっていた。もう、初雪を指折り数えて待つような季節だ。幾らニブルヘイム人とは言えども、この寒さはかなり応える。
 体温が逃げないように、体を強張らせながら早歩きで南食堂に向かう。
 と、
「あ、ガイア」
「あ、サラクェル」
 その時、通りの向こうから例の双子が走りよって来た。この独特の話し掛けられ方も、もう慣れてしまったものである。
「おう、どうかしたか?」
「今夜は暇ですか?」
「っていうか、空けろ」
 にっこりと笑顔で脅迫まがいの発言。
「あのな……まずは用件を言えよ」
「今夜七時に、調査終了ゴクローサン会を兄様が催します」
「だから、関係者は絶対出席しなければなりません」
「ふうん。あ、でも、俺、あんま金ないや」
「お金の事は心配御無用です」
「兄様が経費として理事長からふんだくりましたから」
 ふんだくったって……あの男は。
 おそらく、普通の人間には出来ないような手段でふんだくったのだろう。脅迫されたのか、理詰めで袋小路に追い詰められたのか。少なくとも、理事長が快く支払ったとは到底思えない。
「つまりタダメシって事か? だったら行く」
「は〜い。場所はここねぇ」
 とエルフィがメモを渡す。
「来なかったら死刑だよ」
 さらっと恐ろしい事を言い残して二人は去って行った。一見冗談にも聞こえるのだが、彼女らの性格を知っている人間ならば、これが冗談ではない事が分かるはずである。
 それにしても功労会とは。あの陰険野郎もなかなか粋な計らいをしてくれる。それも奢り。久々にうまいメシが食べれそうだ。
 食堂に入ると、そこは大勢の生徒で溢れ返っていた。
 そういえば、もう試験休みは終わってしまったため、アカデミー内にはまたいつものように大勢の生徒が戻ってきているのだ。
 しゃあねえなあ。
 待つのもバカらしく、俺は購買に行ってパンとスティックサラダと持ち帰り用のスープを買う。
 さて、ロビーの談話コーナーでも使おうか。少なくとも外では食べる気はしない。今にも雪が降ってきそうな気温だ。
 ニブルヘイムの気候は極めて寒い。ここは比較的温かいところとは言っても、寒期に入れば殺人的な寒さに襲われる事になる。
 ひょこひょこと元来た道を戻る。手にしたスープのカップだけが温かく、他は刺すような寒さに包まれている。もう、さっさと戻りたくなってきた。人目が気になるが、一気に走っていってしまおうか?
「あれ?」
 と、その時。ふと、中庭の隅にあるベンチに見覚えのある人影を見つける。
 あれは……あ、セシアじゃん。
 あんなところで何をしているのだろう?
 俺は彼女の元へ近づいていった。
「よう、カーノジョッ。一人?」
「二人に見える?」
 わざとバカっぽい口調で話し掛けたのに、相変わらずドライな態度で軽く流されてしまう。
 これでは、バカを演じているのではなくただのバカだ。
「何か用? 事件調査ならもう終了したけど」
「って言われても。知り合いに声をかけるのに、理由なんかいるか?」
 やれやれ。
 そうやって人を跳ね除けようとする所も相変わらずだ。気温も冷たいが、セシアの態度はその中にいても冷たく感じる。
「ん? ああ、昼メシか」
 セシアの膝の上には、購買部で売っているサンドイッチバケットが乗っている。
「なんでわざわざこんな寒い所で食べる訳?」
「別に。あなたには関係ないわ」
「あら、冷たい」
 しかし、相変わらずセシアは冷たく俺を突き放す。
 いい加減、この妙に明るいテンションはやめるか。なんだか本当に自分がバカみたいに思えてきた。
「あ、そうそう。今夜さ、ヴァルマのオゴリでメシ食えるけど、セシアも来るよな?」
「私が来たって、別に楽しくなんかならないわよ」
「キミも萎える事言うねえ。こういうのは、欠員が出るとシラけるもんなの」
「そう……ま、顔出しぐらいはするわ」
 露骨に気の進まなさそうな表情を浮かべる。
 どうしてこうも人を避けるのだろうか? 天才の考える事は、劣等生の俺には良く分からない。




 約束の七時から十五分ほど遅れて、俺は指定された店にやってきた。
「おいおい……マジでここか?」
 やってきた店があまりに大きかったため、俺は思わずたじろいでしまった。見ただけで、俺のような庶民の田舎者は思わず引いてしまうような高級そうな店だ。すぐさま、エルフィから渡されたメモと店の名前を照らし合わせる。
メモには超竜館と書かれている。そして店の看板には、アカデミーのものと同じような大きさで超竜館の文字。地図と周囲を照らし合わせても間違っていないようだ。
 場違いな雰囲気に恐る恐る入り口に足を進める。
「ん? これは……」
 玄関にある予約立て札の中に、『ヴァルマ=ルグス様御一行:3F春霞の間』の文字があった。
 やはり会場はここで間違いはなかったようだ。
 ホッと安心するのも束の間、こんな店の一室を借り切るのに、一体どれだけの金がかかったのか、という疑問が頭を過ぎる。シルフィは、費用は理事長からふんだくった、と言っていたが……。これは相当の額をふんだくったようだ。
 俺自身、あんまり理事長の肩を持つ趣味はないのだが、こればかりは同情の意を隠せない。
「いらっしゃいませ。ご予約は?」
 店内に入るなり、綺麗な女性店員が出迎えた。
「あ……いや、ヴァルマ=ルグスの方で」
「ルグス様の御一行の方でいらっしゃいますね。失礼ですがお名前は?」
「ガイア=サラクェル」
「はい、確かに承っております。では、御案内いたします」
 彼女に連れられ、三階へ。
 建物のあちこちに、いかにも値の張りそうな調度品が飾られていた。
 こんな店に入ったのは初めてだ。ヴァルマの奢りとは言っても、不安感ばかりが募ってくる。
「こちらです。御用の際はお気軽にお申し付け下さい」
 深々と頭を下げ、静かに彼女は去って行った。
 さて……ここか。
 目の前の大きな扉に手をかけ、中に入る。
「お、ようやく来たな」
 出迎えたのは、普段は青白い顔を僅かに紅潮させたヴァルマだった。
「遅いぞガイア」
「遅いぞサラクェル」
 続いて、酒が入って機嫌の良くなった双子。
「あー、はいはい。ゴメンゴメンな、エルシルフィ」
「人の名前を繋げて呼ぶな」
「人の名前を繋げて呼ぶな」
 と、二人が全く同時に俺のそれぞれの足の甲を踏む。
「痛ェ! なにしやがる!」
 だが二人は、そんな俺など無視してスタスタと背を向けて去って行った。
 まったく……。
 部屋を見渡すと、そこはまるで、小さな結婚式披露宴でも出来そうなほどの広さがあった。そして白いテーブルクロスのかけられたテーブルが幾つか並び、その上にそれぞれ料理やらドリンクやらが揃っている。
「少々遅れましたわね。何かあったのですか?」
 ロイアがソフトドリンクのグラスを俺に差し伸べながら訊ねてくる。
「いや、な。寮長にゴミの分別をちゃんとやれって説教食らっちゃって」
「あら。それは災難でしたわね」
「ホント。それさえなきゃ、もうちょっと早めに来れたんだけどな」
 まったくそうである。こういう事は、よりによって時間的に余裕のない時や遅刻できない時に限って襲い掛かってくるのである。まるで誰かが仕組んでいるとしか思えない。
「それにしても、随分と立派なお店ですわね」
「ああ。俺もさ、最初、メモを読み間違ったのかと思ったよ」
「ヴァルマには感謝しませんと。こんなにおいしい食事を奢っていただいたのですから」
「正確には理事長なんじゃないかな……?」
 そういや、セシアは来ているだろうか?
 部屋を見渡すと、向こうのテーブルの前にグラスを片手に持ったセシアの姿があった。
 一応は言葉通りやってきたようだ。だが、あまりみんなの輪に溶け込もうという雰囲気ではない。
「いいわね〜、気兼ねなく呑めるのって」
「いや、ほどほどにした方が……」
 リームは、テーブルの片っ端から食べては呑み、食べては呑みを繰り返している。まるで稲を食べる害虫のようだ。
 その傍らにはグレイスの姿があった。何やら、リームの暴飲暴食っぷりを不安がっているようだ。
「ほら、グレイスも食べなさいよ。グレイスはね、ちゃんと食べないから男のクセに貧弱なのよ」
「そ、それはそうだけどさ……」
「よう、グレイス。お前も呼ばれたのか?」
「なんていうか……リームに引っ張られて」
 頭をかきながら微苦笑。
 おそらく、いきなり部屋に押しかけ、有無を言わさず引っ張られて来たのだろう。もしかすると、ここに来るまで何のために行くのかすら伝えられなかったかもしれない。リームはあくまで自己中心的な性格なのだから。
「この店は、団体は十五人からとなっているそうでね。それで、十五人で注文したのだが、幾らなんでも十五人分の料理と酒を七人では食べきれないだろう? 残した量が多ければ追加料金も取られるだろうし。リームがグレイスを連れてきてくれて助かったよ」
 ヴァルマがグラス片手に、普段より幾分か緩んだ表情でそう語る。
「食べ切るも何も、なんでわざわざこんな高そうな店にしたんだよ。別にもっと普通の店でもいいのにさ」
「どうせなら豪勢な方がいいだろう?」
「人の金じゃなかったらな……」
 ふんだくられた理事長には悪かったが、さすがに高級店だけあって、料理はどれも旨いものばかりだった。みんなとバカみたいに騒ぐ事もあってか、楽しくて仕方がなかった。
 一時間もする頃、俺は呑めない酒に頭をぐらつかせていた。言うまでもなく、無理に呑まされたのである。
「少し酔いでもさますか……」
 この春霞の間は、ベランダまでもがついていた。そこで夜風にでも当たって頭を冷やす事にしよう。今の季節、この時間帯はかなりの寒さになっているだろうが、体がまるで燃えるように熱くなっているので、しばらくは大丈夫だろう。
「あれ?」
 ベランダに出ると、そこにはセシアの姿があった。
「お前も酔い覚ましか?」
「そんな所かな……」
 彼女も酔っているらしく、微かに微笑んで見せる。普段では絶対に見せない表情だ。
「なあ、ちょっと思ったんだけどさ。お前、なんであんまり人と関わらないようにする訳? 俺にはそう見えるんだけどさ」
「なんとなく……。なんかね、周囲の期待が重くってさ。私も私で応えようとしちゃうから、出来るだけ期待とかかけられないようにしてるの」
「ふうん。出来るヤツも結構苦労してんだなあ」
 俺の悩みといえば、大体は授業やら試験やら、そういった学業に関するものばかりだ。成績に関しては申し分のないセシアには、悩みなんてものはないと思っていたのだけど。成績が良いヤツには良いヤツの悩みがあるのか。
「あなたは悩みとかあるの?」
「ひでえ言われようだな」
 わざとムッとした顔をして見せると、そんな俺にセシアはクスッと笑った。
「今回は色々と面倒ばっかりかけちゃったね。はっきり言って、私の下であれこれするの、嫌だったでしょ?」
「嫌って言うより、なんか無理してるなあ、って印象だったな。もしかしてさ、ああいうの苦手だろ?」
「私だって、何でも出来る訳じゃないもの」
「けど、周囲はそうは見てくれない、って所か?」
「知らない」
 ふん、とそっぽを向く。
 俺は思わず吹き出す。
「なんにせよ、もっと気楽に行こうぜ? ヴァルマなんか見てみろよ。あれは極端だけどさ、もうちょっと神経太くしてもいいんじゃねえ?」
「これが私の生き方なのっ」
 イーッと歯を向き、そしたまたそっぽを向く。
 やれやれ、と肩をすくめ、微苦笑。
「まあ、またいつかこういうバカ騒ぎでもやろうぜ? 無論、今度はちゃんと自分達で払うけどさ」
「もしかして、誘ってくれてる訳?」
「ヤツらのように強要はしないけどね。そっちから誘ってくれるなら嬉しいけどさ、どうもそうはいかないようだし」
 ふーん、と拗ねたように鼻を鳴らすセシア。
 だが、今度はそっぽは向かずに俺の方を向いた。
「ねえ、ガイア。じゃあ明日、一緒にお昼食べる?」
「是非とも。あ、ただし。外で食べるのは寒いから勘弁」






 この時から、俺はセシアと付き合うようになった。とは言っても、まだこの頃はほんの単なる友達だったけど。
 だがそれが、互いが互いにとって掛け替えのない存在にまで発展するとは、この時にはまだ想像もつかなかっただろう。
 今思えば、俺が試験に失敗しなければ、この出会いはなかったと思う。
 これは初めからこうなるように決まっていたのか。
 それとも、単なる偶然の産物だったのか。
 俺はロマンチストではないので、偶然の産物としておこう。
 けれど、切っ掛けはそれほど大事ではない。大切なのは、どういった経過を辿るのか、だ。
 人より紆余曲折は多かったけど、確実に俺達は前に進んでいた。
 だからこそ、今のセシアがあり、そして俺がいる。


TO BE CONTINUED...