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「ふう……」
「どうかした? なんか溜息ばっかりついてるけど」
 俺の隣に座るセシアがそう訊ねる。
 昼休み。
 俺はいつものようにみんなと昼食を取っていた。だが、今日は先ほどの事で頭がいっぱいで、いまいち食が進まない。
「分かった。イジメられてんでしょ? ガイアってケンカ弱いから」
「お前に比べたらな」
 この間、遂に入学式の時に自分を正座させた教師を倒したリームが、さも機嫌良さそうにそう言う。
 確かにそんなに俺は強い方でもないし、教師を倒すという発想が生まれるほど闘争心を豊富に持ち合わせている訳でもない。第一、俺はリームのようにケンカっ早くない。むしろ、ケンカなどのそういったトラブルに巻き込まれたら、何とか話し合いで済ますか、速攻で逃げるかのどちらかだ。
「もう、茶化さないでよ。それで、どうかしたの?」
「んっと、そのさ、今日、法術学科の校舎に誰か運ばれて行かなかったか?」
「ええ、来たわよ。確か魔術学科の生徒だと思ったけど? かなり酷い怪我で、四回生の治療班が治療にかかったって」
「そいつ、一応は面識があってさ。ほら、あのコンペイトウ」
「あ、知ってる! 頭の可哀相な人でしょ? 前に『君達は美しい』って言われた事あるよ」
「あ、知ってる! 頭の可哀相な人でしょ? 前に『しかし、私は更に美しい』って言われた事あるよ」
 と、エルフィとシルフィが声を揃えて言う。
 あの馬鹿も、時も場合もわきまえず、アホな事を言いくさってるな……。
「まあ、確かに可哀相ではあるけどさ……」
「あら? その人って、ガイアが良く言ってた人じゃない。バカコンペイ、バカコンペイって」
「だったっけ?」
 そんなにしょっちゅう言っていた自覚はない。しかし、無意識の内にそう愚痴っていた可能性はかなり高い。
「なんだ、じゃあ嫌いなんじゃん」
「では、嫌いなのに安否が気がかりなのかね?」
 そのヴァルマの言葉がやけに胸に鋭く突き刺さった。
 いや、そうではないのだ。確かにヤツは虫が好かないし、どうなろうと知ったことではない。けど、これは少々勝手が違う。コンペイトウをあんな目に遭わせたのは、俺が原因なのだ。
「というか、なんというか……」
「別によろしいではありませんか。顔見知りの方の心配をなさる事は」
 それは違う。俺は心配していたのではなく、罪悪感を感じていたのだ。
 コンペイトウがあんな目に遭ったのは俺のせいだ。いや、正確に言えば俺のこの眼のせいだ。俺の眼は、邪眼と呼ばれる特異体質のものだ。
 邪眼には、感情の力だけで相手を呪う事が出来る。感情が強ければ殺す事だって可能だ。あまり思い出したくないが、実際に人一人、殺している。やる事は非常に簡単だ。相手に対して憎しみ等の負の感情を込めた視線を送ればいいのである。たったそれだけだ。無論、誰にもこれが悟られる事などない。
 負の感情が強ければ強いほど、相手にとってより大きい災いが降りかかる。その災いが、時には相手の命すら奪うのである。そんな手軽で強力な力を持ったばかりに、俺は邪眼を制御出来ずに困っている。誰だって、日常のちょっとした事でもカチンとくるものだ。だが、その怒りを表に出す事は滅多にない。何故なら、よほど強い怒りでもない限り、それは理性に抑圧されるからだ。だが、邪眼の力には理性の抑圧は必要ない。たとえ僅かな怒りでも、抱いた時点で邪眼の力は発動する。邪眼の力は理性で抑圧する事が出来ない。邪眼の力を抑圧するには、感情から怒りそのものを取り除かなければいけないのだ。
 いや、もっと現実的な解決方法はある。根本的な原因である邪眼そのものを取り除いてしまえばいいのだ。とは言っても、俺にそんな度胸はないのだが。
「そ、そんなんじゃないって」
 俺には、ロイアの言うような殊勝な心がけはない。
 こんなんでいいのだろうか……?
 本来なら多少は心配するべきなのだろうが、俺には単なる罪悪感だけで、ヤツ自身へのそういった気づかいなんか考えもしていない。幾らそうしようとしても、かえって表面的なものになってしまって無理なのだ。
 こんな時、自分の冷たさが嫌になる。被害者よりも自分の保守について考えてしまうのだ。むしろ、心のどこかでは、被害者は自分の方だと思っているかもしれない。
 そんなにも、自己中心的な人間なのだ……。
 昼休みが終わり、グレイスと共に魔術学科の校舎に戻る。ヴァルマも同じ魔術学科なのだが、ヤツは優等生なので別の校舎なのだ。
 講義の行われる三階へ向かう。
 と、その途中。一階のロビーにある掲示板に、朝来た時は見なかった白い張り紙が増えているのを俺は見つけた。
「ん? これは……」
 見ると、それは午後の講義が急遽休講になった事を知らせるものだった。担当の講師が、急用で講義が出来なくなったらしい。講師はかなり年老いた老魔術師だ。まさかの事態が起きてしまったのだろうか? なにやら気がかりでもある。
「じゃあ、今日はもう終わりだね。どうしよう?」
「んっと、そうだな……」
 ならば、法術学科に言ってヤツの様子を見てくるか……。あんなヤツはどうなろうと知った事ではないが、俺の邪眼のせいで死んだとなっては、それは紛れもなく俺の殺人だ。たとえ誰からもそう咎められなかったとしてもだ。罪とは法律の問題ではなく、現実的に起こした問題によるものだ。
「悪い、急用を思い出した」
「え? 急用って―――」
 俺はそれに答えず、そのままその場から逃げ出すように走り出した。とてもアイツの見舞いに行くなんて、恥ずかしくて言えない。それにグレイスなら、後からあれこれ詮索したり誰彼構わず吹聴して回る心配もない。
 法術学科の校舎は、魔術学科の校舎から歩いて五分ほどの距離だ。中庭には、昼休みほど生徒の姿はない。運動場の方では戦士系の実技訓練が行われている。やや早歩きで来たため、法術学科の校舎には五分もかからず到着した。法術学科は外部からの患者の受け入れも行うため、基本的に誰でも入る事に関しては規制がない。もちろん、関係者以外立ち入り禁止区域はあるが。早い話、医者も育てる病院みたいな所だ。
「さてと……」
 ロビーの案内板を見る限りでは、どこにあのバカが居るのかは分からない。そういえば、集中治療室みたいな重症患者がいる区域にいるのであれば、会う事すら出来ないのだ。とにかく、案内で訊いてみるか。俺はロビー奥の案内口へ歩を進める。
「あら? どうしたの?」
 突然、横から声をかけられる。振り向くと、そこに立っていたのは神学辞書を片手に抱えたセシアだった。
 そういえば、セシアは既に全過程を修了しているのだから、割と自由に研究やら何やらやっているんだったっけ。
「午後も講義があるんじゃなかった?」
「あ、ああ。あったんだけど、休講になっちゃって」
「ふうん。で、どうしたの? あ、お見舞い? だったら大丈夫よ。面会謝絶は解除になったから」
「そ、そんなんじゃないって」
 慌ててそう答える。別に隠す事でもなかったが、そういう風に思われるのがなんとなく嫌だったのだ。
「じゃあ、どうしたの?」
「えっと、いや……あ、そうそう。セシアの顔を見に来た」
「嘘ね」
 ズバッっと言い切られる。
 冗談半分で言ったのは認めるが、何もそんなにあっさりと否定しなくても。ちょっとはそういう可能性もあるのでは? と考えてはくれないのだろうか。
「一体なんなの? お見舞いじゃないなら」
「別に、関係ないだろ……」
 くるっと踵を返し、スタスタと出口へ。
 どうやらタイミングが悪かったようだ。時期を改めて出直す事にしよう。それに、面会謝絶が解除になったという事は、少なくとも最悪の事態にはならなかったという事な訳だし。
「ちょっと待ってよ。何? もしかしてあの事故に関係してたの?」
 セシアが俺の前に回り立ちはだかる。
「違うって。俺はただ遠くから見てただけだ」
「だったら、別にお見舞いぐらいしてけばいいのに。照れ臭いの?」
「知るか、あんなヤツ。どうなろうと知ったこっちゃない」
「じゃあどうしてわざわざここに来た訳?」
「だから、気まぐれだって気まぐれ。じゃあな」
 セシアの横を通り過ぎ、今度こそ法術学科を後にする。校舎を出てから、少しでも早くこの場から離れようと今度は早歩きで歩いて行く。
 さて、勢いであんな事を言ってしまったが、セシアに訝しがられていないだろうか? いや、もう考えても手遅れか。とにかく、もう出直すのもやめておこう。ヤツが生きてりゃあそれで十分だ。後は、この眼が暴走しないように今後気をつけていればそれでいい。
 しかし。
 先ほどのセシアの言葉で、俺は一つ、胸に引っかかる言葉があった。
 じゃあどうしてわざわざここに来た訳?
 そうだ。俺は何をしにここに来たんだったけ?
 あれか? 誰にも知られないように、こっそりお見舞いに来たのか? だから、バレてしまったからああやって嘘をついて逃げ出してきたのか?
 本当にそうか?
 自問すると、すぐに答えは返ってこない。そうだ、お見舞いというのは建前にしか過ぎない。本当は、俺はヤツの生死を確認しに来ただけなのだ。もし無事に生きていれば、その分だけ俺は背負う気負いが少なくなる。つまりは、ヤツのためではなく自分自身が楽になるためだったのだ。
 結局、俺は自分の事しか考えていないのか? そんなもの、仕方がないじゃないか。だって、俺はみんなとは違う。俺は邪眼というハンデキャップを背負っているんだ。人よりも自愛心が強くたって別にいいだろう。邪眼の持ち主は、それだけで人から忌み嫌われる。もし、俺が邪眼の持ち主だとみんなに知られてしまえば、きっと今まで通りに仲良くはいかないはずだ。だから俺はそうならないためにも自らに保守的に努めなくてはいけないのだ。
 今回の事だってそうだ。そもそもアイツが、普段から俺にちょっかいを出さなければ良かったのだ。あの事故は当然の報いだ。
 そうだ、俺が気負う事なんか何一つない。俺は邪眼を抱えているせいで普段から神経を磨り減らしているんだ。こういう時に、まずは自分の保守を考えたっていいじゃないか。
 邪眼を持っていたとしても、俺は人間だ。俺には人間として幸せになる権利がある。それを邪眼のために潰させないようにする権利だってある。だから、今、俺があいつよりも自分の心配をするのは、当然の権利なのだ。
 でも……本当にそれでいいのか?



TO BE CONTINUED...