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「ねえ、どうしたの? なんか今日のガイア、変よ」
 セシアが気づかってくれるかのような優しい口調で訊ねる。しかし、背中越しのその言葉でも、俺は不安で何も答える事が出来なかった。拒絶される不安と恐怖が、俺の息を詰まらせる。
「私とは目を合わせたくないの? もしかして、嫌いだった?」
「いや、そうじゃないんだ……そうじゃ……」
 違うんだ。
 嫌いだから、目を合わせたくない訳じゃないんだ。そう言い訳出来れば、少しは察してくれたかもしれない。しかし、それにはリスクも伴う。俺の体質までも明かさなければ説明しきれないのだから。
「何か隠してる? 凄く辛そうよ。私で良かったら話して。きっと少しは楽になるから」
 尚も続く、セシアの優しげな声。
 そうだ、俺は辛くて辛くて仕方ないんだ。こんな事実、俺一人じゃあ、もうこれ以上は背負いきれない。だけど、それだけは出来ないんだ。
 頭の中に、俺へ嫌悪の視線を向けるセシアの姿が浮かぶ。そしてその周囲には同じ視線を向ける、リーム、グレイス、ロイア、ヴァルマ、エルフィ、シルフィの姿が次々と―――。
 たまらず俺は頭を振って、その悪夢のような映像を振り捨てる。これはただの想像だ。想像で気を動転させてはいけない。
「何? 躊躇ってる? 大丈夫。私は口の軽い女じゃないわよ」
「……絶対に後悔するから。セシアじゃなくて俺が。やっぱり言わなきゃ良かったって……。それに、セシアもきっと、俺に対する見方が変わるはずだ。絶対に」
 そして、それはセシアだけに限らず、俺の全ての人間関係にまでも及ぶ。これまで作り上げた関係は全て瞬く間に破綻してしまい、二度と取り戻せなくなってしまう。
 俺は、今の関係をこのまま保持していたいのだ。そのためには、この俺の体質は決して表沙汰にしてはならない。それは同時に俺の社会的立場の破滅を意味するのだから。邪眼の持ち主なんて、周囲の人間にとってみれば悪性の腫瘍よりもたちが悪い。
「随分と小さい人間と思われてるのね、私」
 あきれの混じった溜息をつくセシア。だが、それは決して嫌味ではなく、冗談めいた優しげなものだ。そうは頭で分かっていたけど、今の俺にそれを笑うだけの精神的余裕はない。
「そ、そういう訳じゃ……」
 気を損ねてしまっただろうか……?
 けど、俺はそれでも構わないと思った。俺の邪眼の事が知られないならば。邪眼の持ち主だから、という理由で拒絶されるより、俺の人間的な理由で拒絶された方が精神的ダメージは遥かに少ない。それに、人間的な問題は直す事だって出来るのだ。
 背中越しのセシアに、いつしか俺はやけに怯えていた。
 セシアはなんとしても俺の心の奥底に入り込もうとしている。
 入り込んで、その後は一体どうするのだろう?
 その意図が計り知れず、俺はただ恐怖する。言葉は優しげでも、本意が分からなければただの脅迫だ。
「私はガイアの事を何から何まで知ってる訳じゃないけど、少なくともどういう人間なのかは、普通の人よりもずっと理解してるつもりよ? 何を隠しているのか知らないけど、私の中のガイア像はそんなに簡単に揺らぐようなものじゃないわ」
 嘘だ。
 俺の事を理解しているなら、どうして今の俺の苦悩に気づかない?
 あの時に無言で部屋を出て行ってくれれば、俺はどんなに気が楽だっただろうか。俺のとっての頂門の一針が何だか分かってないじゃないか。無理にでも俺の心中を引き出そうとするなんて、それは暴力だ。
「また躊躇ってる。そんなに躊躇うなんて、よほどの事があるのね。でも、私はきっと受け入れられるわ」
「そんなの……単なる言葉の綾だろ……?」
「私の事は信じられない? 確かにさ、知り合って半年にも満たない人間を何から何まで信じろ、っていう事に無理があるのは分かってる。でも今は、私はそれしか他にかけてあげる言葉がないの」
 その言葉はどこまでが本気なのだ?
 努めて冷静にセシアの言葉を反復する。言葉の裏に、何か打算的なものは含まれていないか。陥れようという心理の表れはないだろうか。けど、もしもそれらの要素が見つからなかったら。つまりセシアの言葉が真実なら。それを頑なに拒む俺はただの嫌なヤツでしかない。
「受け入れてどうするんだ……? 何か目的でもあるのか?」
「ないわよ、そんなの。強いて言えば、物事を曖昧なままにして白黒つけないでいると、夜、気になって眠れなくなるの。それが嫌なだけ」
 本当に何もないのだろうか?
 そんな、怨念にも似た疑念がどうしても消えない。
 と。
 俺はふと視線を自分の右手へ落とした。先ほど鏡を叩き割って作った傷の上にセシアの手が重なっている。法術の淡い光が、俺の手を包み込んでいる。あの程度の傷、もうとっくに消えてしまっているはずだ。けれど、光は未だに消えようとはしない。
 俺の何を治そうとしているんだ?
 法術師は、その術の性質上、患者の痛みを文字通りその身で感じる事が出来る。だから、傷が治ったのかどうかはそれで分かるはずだ。
 どうして法術を続けるのだろう?
 それとも、まだ俺のどこかに痛んでいる場所があるのか?
「本当に信じてもいいのか? 俺、頭にくると、意外とすぐに分別がなくなる性格だぞ」
 脅しを含んだその言葉には、何ら誇張はない。
 邪眼の力を考えれば、結果的に起こってしまった事は分別がないのと同じなのだ。
「ええ。信じて」
 そんな俺の威圧的な言葉にも、セシアは何ら変わらぬ優しい口調できっぱりと答える。そのセシアの態度を前に、これ以上疑いをかけるのは躊躇われた。こんなに真剣になっているのに、それを嘘だ嘘だと疑う自分に嫌悪感を催してきたのだ。
 大丈夫……。セシアはああ言ってくれているんだ。
 俺は、拒絶されない。
 そして、これからも何ら変わることはない。
 何も。
 俺は崖から飛び降りるような思いでゆっくりと重い唇を動かした。
「多分、お前の事だから知ってるとは思うんだけど……」
 と、最後の躊躇いが生じ、俺の舌にブレーキをかける。だが、俺は勇気を振り絞ってそれを断ち切った。これ以上足踏みを繰り返したって仕方がないのだから。
「邪眼、って知ってるか?」
「邪眼? 知ってる事は知ってるけど……」
 何の脈絡もない俺の言葉に、セシアの口調に戸惑いの色が表れる。
 これで、勘のいいセシアの事だから、何が言いたいのか気づくだろう。いや、たとえセシアでなくとも気づくはずだ。
 俺が今、何を言わんとしているのかを。
「本当……なの?」
 信じられない、というよりも、恐る恐る腫れ物に触れるかのような問い。
「ああ……」
 十数秒に渡って長く逡巡した後、俺はなんとかその一言だけを喉の奥から搾り出した。



TO BE CONTINUED...