BACK

「コンペイトウのヤツの事、憶えてるだろ? あれも、俺のせいなんだ……」
 実習中の事を思い出す。
 大して努力もしてない嫌味なヤツが、自分よりも遥かに実力が上。その理不尽としか思えない事実が、俺を暗鬼の念に駆った。結果、コンペイトウのヤツは隣の列の生徒が放った魔術に偶然被弾して法術学科のベッドに向かう事になった。誰も気づいていないが、あれは俺の邪眼のせいだ。俺がかけた邪眼の呪いのせいであんな目に遭ったのだ。
「でも、思い込みって事もあるんじゃないの? たまたま虫の好かない人間が不幸な事故にあって、それで自分が邪眼の持ち主だって思い込んじゃったり」
「違う! 俺は既に、実際に人一人殺しているんだ! 突然口から内臓を吐いたんだぞ!? 普通、そんな死に方なんかするものか! 大体にして、さっきだって見ただろう! 頭が急に燃え出すなんて、何でもない人間に出来ると思うか?」
「ご、ごめんなさい……。私、そういうつもりで言ったんじゃ……」
「あ、いや、その、悪い……。大声出したりして……」
 気まずい沈黙が訪れる。
 まったく、俺は何をやっているんだ……? 俺は、そんなにもセシアに自分が邪眼の持ち主であると知られたいのか? 今の所は反論せずに、自分が邪眼の持ち主だと勘違いしている、とセシアに思わせるべきだったのだ。
「だからとにかくさ、俺の邪眼は本物なんだ……。だから、さっきはあんな事を言ってしまったんだ……。あんなに感情が逆立っている時にセシアに視線なんか向けたら、確実にセシアに良くない事が起きるから……」
 邪眼の恐ろしい所は、一時の感情だけで、それも誰彼も区別なく襲い掛かる、という点だ。
 何より辛いのは、自分の親しい人、近しい人がその餌食になってしまう事だ。俺が唯一邪眼で殺してしまった人も、俺に近しい人だった。そして、親しい人がその死を何よりも悲しんだ。
 もう、あんな思いをしたくはないのだ。無関係な人間が傷つく所だって見たくはないのに、親しい人間が傷つくなんて耐えられるはずがない。そんな思いをするぐらいならば、一生誰とも関わらず一人で生きるか、自ら自分の眼を潰してしまった方が遥かにマシだ。
「だから、あんな事をしてたの?」
 あんな事。
 俺が自分の右目に果物ナイフを突き立てようとしていた事を言っているのだ。セシアの口調は非難めいている。俺が愚かな行動をしていた、と言わんばかりに。
 所詮は他人事か。
 どこか落胆した気持ちで俺は思った。邪眼を持つ者の辛さは、本人にしか分からない。蚊帳の外にいる人間には、同情は出来ても、それ以上はない。他に出来るのは、希望的観測による無責任なアドバイスだけだ。
 受け入れる、と言ったセシアも、やはり蚊帳の外の人間か……。
「ガイア、私ね、最近ちょっと気がついた事があるんだ」
「気がついた?」
「私ってね、今でも法術学科では孤立してるの。だから、一日の内で人と話す機会がまずないの。するとね、どんどん感情が薄れてっちゃうんだ。誰とも話さないから、あまり感情に起伏がなくなっちゃうの。それで、いつしか自分は、何の面白味もない人間なんだなあ、って思うようになって」
 何を急に言い出すんだろう……?
 そんな事は知った事じゃない。他人の悩みなんて、聞いてる余裕なんかないのだから。
「でもね、昼休みとかにみんなと居るようになってから、これまでのつまらない自分がまるで嘘のように、凄く自然に笑える事に気がついたの。人ってね、みんなといるために感情があると思うの。一人でいるなら、笑う事も泣く事も必要ないでしょ?」
「で、何なんだよ……」
「さっき、目にナイフを構えてたのは、やっぱり罪悪感?」
「そんな所かな……。とにかくさ、これから解放されたかったから。たとえ視力を失っても、それよりずっと楽だからな」
「でも私は、ガイアにそうなって欲しくないわ。だって、世の中には見たくても見れない人だっているのよ?」
「極論だろ。それは」
「今までの自分を甘んじて受けるのは簡単だけど、それって辛い事から目を背ける事と同じでしょ? 背け続けてると、最終的には人間関係を全て断つという結論に辿り着いちゃうわ。それって、人間らしい生き方とは言えないでしょ? だから私は、立ち向かって欲しいわ。邪眼に負けたりしないで」
「言うのは簡単だな。他人事だからな」
 一体、何を邪眼に勝つというのだ?
 邪眼に力を使わせない、という事か? ならば、感情を無くしてしまえばいい。そう、セシアの言う事の本末転倒だ。
「今度はそう来るの。じゃあ、いいわ」
 と、その時。
 今まで背中合わせに座っていたセシアがおもむろに立ち上がり、そのまま俺の正面にやってきて膝をついた。
 な、なんだ急に!?
 俺は慌ててセシアを見ないように視線を下げる。
「ガイア、こっち見て。他人事じゃないって証明するから」
「何を言っているんだ?」
 俺が邪眼の持ち主だって忘れたのか?
 先ほどよりは落ち着いてきたが、まだ決して穏やかな状態ではないのだ。
「私の事、蚊帳の外の人間って思ってるでしょ? だからこうして、私がガイアの邪眼を受け入れて、一緒に立ち向かう事を証明するの」
「やめろ、そういう事は……。俺は人を傷つけるのはもう嫌なんだ」
「なら、怒らなければいいでしょ?」
「それが出来れば、初めから苦労はしないんだ。もうかなり苛立ってきた。頼むからやめてくれ」
「落ち着いて。出来るわ」
「無理だ……」
「無理じゃない」
 セシアの手が俺の頭を無理に上げさせようとする。だが、咄嗟にその手を押さえた。
「どうしてそこまでするんだよ……」
「私は無責任な事は言わない主義なの。ガイアが邪眼に苦しむなら、私が支えてあげる」
「は……? バカ言ってろよ。お前、絶対に死ぬぞ?」
「大丈夫。私、ガイアが邪眼の力を克服出来るって信じてるし」
「随分遠回しな脅迫に聞こえるな……」
「それに、法術師にはそういった呪いの類は効かないの。ほら、だから顔上げて」
 本当なのだろうか……?
 顔を上げさせるための嘘じゃないのか? けど、セシアのような優秀な法術師だったら、有り得なくもないが……。
「私がガイアを信用してるのに、ガイアは私を信用しないの?」
「また脅迫か……」
 痛い一言だ。
 思わず苦笑する。
 気がつくと、あれだけ波立っていた感情が驚くほど穏やかになっていた。
 そんな精神的余裕を取り戻すと、急に今までの言葉への価値観がガラリと変わった。まるで他人行儀の無責任な言葉としか思えなかったのに、今は素直にそれを受け入れられる気がした。
 意を決して、俺はゆっくり顔を上げる。気持ちはやはり穏やかだ。
 向かった視線の先にはセシアの顔があった。真っ向から合う視線。けど、俺はどんな顔をしたらいいのか分からず、ぎくしゃくとした表情を浮かべてしまう。よほど変な顔をしていたらしく、セシアは俺の顔を見て微笑んだ。
「あのさ……どうしてここまでするんだ? 俺の事が、邪眼が怖いと思わないか?」
「別に。それに、たとえ怖くても同じ事を言ってたと思うわ。ガイアの存在に、私、大分支えられたもの。これまでの自分が、今じゃオブジェに思えるわ。だから普通、今度は私の番って思うでしょ? まあ、色んな意味で身の危険を感じることはあるけどね」
 と、意地悪げに微笑む。
 俺が? セシアを支えていた?
 俺には身に覚えのない事だ。
 けど、セシアの言葉が俺は自然に信じられた。
 思い返せば、セシアは俺が邪眼の持ち主だと聞いても、驚きはしたものの、少しも恐れたり軽蔑したりしなかった。確かに言葉通り、俺を受け入れてくれたのだ。
 拒絶されない安心感から、これまでずっと自分の中で張り詰めていたものが一気に氷解していった。
 不思議と気持ちが休まっていった。普段なら、誰かといる時は決して気持ちが休まった事はない。何故ならば、いつ俺の邪眼の事が露見してしまうのか分からないからだ。自分以外の誰かに邪眼の事を気負いしなくて済むなんて、これだけの安らぎはないだろう。
「なあ、セシア」
「何?」
「シャワー、先に浴びてくれば。もっと親しくなろう」
 直後。
 派手に俺の頬を張る音が部屋に響いた。
「私、もう帰るからね。上着借りてくわよ。私の、もう着れなくなったから」
 セシアの顔が急に無表情になり、にべもなく立ち上がる。
「お、おい、明日俺はどうするんだよ?」
「頑張って」
 素っ気無く言い残し、セシアはかけてあった俺の上着を引っ掴んで出て行ってしまった。
 やれやれ……冗談だったのに。
 けど、やっぱりこんな風にバカな事を言っている方が俺らしい。張られた頬の痛みを堪えながら、俺は一人苦笑した。



TO BE CONTINUED...