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 ヴァルマ=ルグス、エルフィ=ルグス、シルフィ=ルグスの三兄妹は、ニブルヘイムとヨツンヘイムの国境近くの辺境の村で生を受けた。
 その村は外界との交流に乏しく、村独自の伝統と文化を強く重んじる傾向にあった。そのため、村長一族には代々土地神を祀る事で村を守るという義務が課せられていた。民間伝承が今もなお強く信じられているこの村に誕生したエルフィとシルフィの存在は、人々に暗い影を色濃く落とす事になった。




 太陽が中天に昇りかけるその頃。ヴァルマは自分のベッドの上で本を読んでいた。何の事はない、無機物を擬人化しただけの単なる児童文学書。大分古ぼけ、ページの所々が擦り切れている。ヴァルマの父が、知り合いから譲ってもらったものだからである。文字を目で追っていく作業は、あまり好きではなかった。本にある言葉は全て自分の想像力をかきたてるばかりで、実際に肌で感じられないのだ。
 生まれつき体の弱いヴァルマは滅多に外に出る事がなく、出たとしても半日も経たずに家に帰ってくる。あまりはしゃいでしまうと、すぐに熱が出てしまうからだ。幼いヴァルマにとって、自分の世界はその本の中だけだった。風、という描写があっても、それは木々を揺らし顔に吹き付けるものとしか分からない。太陽の眩しさも常に窓越しだ。草の匂いも、木々のざわめきも、その身で実際に体験した経験は実に乏しい。
 いつも窓の外から聞こえる、自分と同じぐらいの子供達のはしゃぎ声。体の弱い自分は、その輪の中へ入る事はこの先ないだろう。それが、胸が張り裂けそうなほど哀しくてたまらなかった。今年で八歳になるヴァルマは、今まさに遊びたい盛りだ。その欲求を満たせないストレスは大きな苦痛だ。
「兄様」
「兄様」
 部屋に二人の女の子が入ってくる。
 ヴァルマの妹である、エルフィとシルフィだ。母親譲りの可愛らしい眼差しを持っているが、今は満面に涙を湛えている。
 二人はそのままヴァルマの傍に駆け寄ると、顔を隠すようにして布団にしがみつく。
「また……苛められたのかい?」
 布団に顔を埋めたまま、こくっとうなずく二人。
 ヴァルマはそっと二人の頭を撫でる。
「兄様、どうして私達は嫌われるのですか?」
「私達、何も嫌われるような事なんかしてないのに……」
 涙まじりそう訴えるエルフィとシルフィ。しかし、ヴァルマは幼い二人を納得させる言葉を持ち合わせていない。
 自分とは違い、生まれつき健康な体を持っている二人の妹。だが彼女らは、一度として村の子供達と一緒に遊んだ事がなかった。ヴァルマが虚弱体質で体がままならないのと同じように、誰にもどうにもならないのだが、本人達には何も責任のない理由で。
 この村には、とある伝承が伝わっている。
 その昔、村は一匹の双頭の鬼によって苦しめられていた。鬼は月に一度、村人に生贄を二人要求し、従わなければその力で村を荒らし回り、見せしめのため親の目の前で子供達を襲い食らった。ある日、村人は遂に鬼を退治する事を決断した。生贄を七日七晩、様々な毒草の入った壷に漬け込んで皮膚に毒気をたっぷりと染み込ませる。そして、毒の匂いを悟られないよう、香を焚きながら双頭の鬼の下へ捧げたのである。双頭の鬼は、まさか村人が謀反を企てているとは露知らず、いつものように生贄を頭から食べた。すると、やがて鬼は猛毒に体の中を灼かれ苦しみのた打ち回り始めた。そこを、物影に隠れていた村の若い衆が一斉に襲い掛かり、鬼の二つの首をそれぞれ胴体から切り落とした。だが切り落された首は、今際の際に村人に向かってこう言い放った。『我は必ずや生まれ変わり、この無念を晴らして見せよう。たとえ何度殺されたとしても何度でも生まれ変わり、その都度より大きな災いをもたらしてくれよう』と。それから四十九日経ったある日、村に双子の赤ん坊が生まれた。鬼の再来だと、村人は生まれて間もないその双子を殺した。だが翌日、村には原因不明の不可解な病が流行り、子供達は皆高熱にうなされ、そして死んでいった。その病気は不思議な事に大人はかからなかった。大人達は皆、手をこまねきながら子供達が次々と死んでいくのを見ているしかなかった。鬼の呪いだ。誰かがそう口走った。それ以来、村では二つの似たものを避ける習慣が出来た。双頭の鬼を呼び寄せると信じられているからである。村の外れには、双頭の鬼の霊を慰めるための慰霊碑が建てられた。そこで双頭の鬼は土地神として祀られている。大切に奉納すれば、鬼は碑の中で眠り続けると信じられ、その役目を代々村長が請け負ってきた。鬼を祀るようになってから、その怪異はぴたりとやんだ。鬼の霊がその怒りを静め、村に災いをもたらすことをやめたのだ、と村人は安堵した。
 だが、しかし。
 遠い月日を経て、こうしてここに災いの生まれ変わりが現れてしまった。双頭の鬼の再来。双子は、双頭の鬼の象徴なのである。二人が生まれた時から、村中で二人は双頭の鬼の生まれ変わりと言われてきた。由縁も出所も知らぬ御伽話の内容を理由に。
 大人達の身勝手な憶測。しかし、誰も否定するものはいなかった。そう、それは二人の両親でさえ例外ではなかった。エルフィとシルフィがそんなものの生まれ変わりではないと信じているのは、唯一、兄であるヴァルマだけであった。この伝説には、きちんとした由縁があって生まれた話なのだ。死者の呪いなど、そんなものがこの世に存在する訳がない。だがヴァルマには、それを立証するだけの力はなかった。子供の戯言として誰もが一笑に附し、まともに取り合おうともしない。そんな自分の無力さが、歯がゆくて仕方がなかった。
「エルもシルも悪くないよ。僕はちゃんと分かってるから」
 いつもなぐさめの言葉は同じだ。お前達は祟り神だから、嫌われても仕方がないんだ。そんな言葉、言えるはずもないし、思ってもいない。二人とも、自分にとっては可愛い妹なのだ。そんな馬鹿馬鹿しい存在であるはずがないのだ。けれど、現実問題、村の人間は皆、二人が伝説の双頭の鬼の生まれ変わりだと信じて疑わない。それを二人に説明し理解させてあげるのはあまりに残酷だ。だから自分には、こうして涙を拭う他、何も出来る事がない。
「もう泣くのはやめよう? ほら、いつものように何かお話を読んで聞かせよう」
「……うん」
「……うん」
 二人を慰めるのは、いつもヴァルマの役目だった。たとえ、二人がどれだけ泣いて帰ってきても両親はうるさそうに眉を潜めるだけ。気づかうどころか、『うるさい』と罵倒までする始末だ。それほど裕福でもない一家。ヴァルマの薬だけでも負担だというのに、厄介なものまで生まれてきてしまった。両親は家の中では決して笑う事はなく、また、子供達を抱き締める事もなかった。そのため、エルフィとシルフィは両親よりも兄のヴァルマに懐いていた。唯一、自分達に優しくしてくれるのがヴァルマだったからである。
「兄様、まだお外には出られませんか?」
「兄様、まだお外には出られませんか?」
 何やら期待を込めて、ヴァルマに訊ねる二人。
「最近は体の調子がいいから、明日、もし晴れたら出てもいいよ」
「本当?」
「本当?」
 色めき立つ二人。
 本当は、それほど調子が良い訳ではない。けど、こんな風に頼まれてしまっては、無下に断るのは可哀想だ。
 まあ、大丈夫だろう。熱が出ていないのは本当なのだから。
 エルとシルの味方は自分だけだ。だから、せめて自分だけは二人の期待に応えてあげなければ。



TO BE CONTINUED...