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「二人に大事な話がある」
 ソファーにもたれていたヴァルマは、同じく左右に寄り添うようにもたれていたエルフィとシルフィに、唐突にそう口を開く。
「兄様?」
「兄様?」
 ヴァルマの珍しく神妙な様子に、二人は不思議そうに問い返す。
 ごほっ、と一度咳き込み、視線を天井へと向ける。それは何かを見るのではなく、まるで二人から視線をそらしているかのようだ。これもまたヴァルマには珍しい仕草だ。
「知っての通り、私の体は虚弱だ。毎月のように体調を崩して寝込んでばかりいる。その都度、エルとシルには迷惑をかけるな」
「迷惑だなんて。そんな事はありませんよ」
「私達は兄様が好きだからしているんです」
 そうエルフィとシルフィは、優しげに答える。二人にとって、ヴァルマの世話をする事は呼吸をするのと同じぐらい自然な事である。
 しかしヴァルマは、ふと大きく溜息をついた。はっきりと分かる落胆の溜息だ。
「私はきっと、そう長くは生きられないだろう」
 長い逡巡の後、ヴァルマはつぶやくようにそう言った。
「兄様?」
「兄様?」
 ヴァルマの思わぬ言葉に、エルフィとシルフィは血相を変える。
「私の体は、人より抵抗力が劣り体力的にも子供とさして変わらない。つまり、致命傷となる疾病や怪我の基準がずっと低いのだ。それが結果的に寿命の短さと直結する。私は、たとえ明日死んだとしてもおかしくはない」
 まるで他人事のような、淡々とした口調。それが何かを嘲る時のクセである事を、二人は知っていた。ヴァルマが自虐的になっている。いつも自信に満ち溢れているヴァルマが気弱になってしまっているなんて。
「そんな事を言わないで下さい……」
「そんな事を言わないで下さい……」
 自分が死ねば、二人は酷く悲しむだろう。気の迷いから後を追うかもしれない。
 ぎゅっとヴァルマの肩にしがみつく二人に、ヴァルマはそっと背に手を回して抱き寄せる。
 エルフィとシルフィは嗚咽を漏らし始めた。
 二人もまた、ヴァルマと同じ事に気づいていた。ただ、その現実からあえて目をそらしていたのである。必ずしもそうなるとは限らない。そんな希望的観測にすがり付いていたのだ。だから、ヴァルマ自身からその言葉を聞きたくはなかったのだ。ヴァルマならば、必ずそんな現実など打破してくれるものと信じていたのに。諦めや放棄の言葉など聞きたくなかったのに。口を突いたその弱音は、そんな希望を全て否定してしまった。
「泣かなくていい。だから私は、エルとシルに協力してもらいたい事があるのだよ」
 優しげなヴァルマの声に、ふと涙に濡れた顔を上げるエルフィとシルフィ。
「方法は皆無じゃない。まだ、あがく余地はある。手伝ってくれるね?」
「もちろんです」
「もちろんです」
 二人は即答した。拒絶するべき理由など持ち合わせていないのだ。
 その言葉に、ようやくヴァルマは微笑を浮かべた。
 死人は無力だ。
 死人に生きている二人を守る事は出来ない。
 何かを成せるのは、生のある者だけだ。生きてこそ結果が出せるものであり、死は失敗や敗北と同義だ。
 だから、私は死ぬ訳にはいかないのだ。たとえどんな手段を用いても。
 再びヴァルマは二人を抱き締めた。




 空気を切り裂く鋭い音が、無人の訓練場に寂しく響く。
 突き出した槍を再び構えの状態に戻す。一呼吸。軸足を踏み、上体を捻る。そのまま前方へ石突を突き入れる。すかさず添えた腕を前方に向けて入れ込み、石突を跳ね上げる。そして、とどめの一撃。跳ね上げた槍の勢いを利用し、頭上で二回転させる。その勢いを槍に乗せ、大上段から真下へ垂直に叩きつける。地面より僅かに離れた位置で鑓穂が止まる。空気の塊が地面とぶつかり埃が巻き上がる。
 大きく息を吐き、全身を循環する魔力の流れを絶つ。途端に手にした槍が持っていられなくなり、そのまま取り落とした。
「うっ……」
 昇華を解いた途端、眩暈が襲ってくる。思わず地面に膝をついた。
 ドクドクと心臓が高鳴っている。異常に長い距離を走った後のような疲労感が圧し掛かってくる。二段構えの石突により相手の動きを止め、上から捻じ伏せる基本的な連繋。だけど、まるで思ったような動きが出来ていない。以前よりも動きの精彩さを欠いている。また少し悪化したようだ。
「躊躇している時間はありませんね……」
 荒い呼吸を整えながらゆっくりと立ち上がる。
 そっと自らの心臓に手を置く。落ち着きのない鼓動だ。けど、こうして機能している内は、まだいいのかもしれない。
「やはり、そうするしかないんですね。私には……」
 今、ある二つの大切なものの選択を迫られている。どちらも掛け替えのない大切なものだ。それらを両天秤にかけるなんて、実に愚かしい事だ。これまではそう考えていた。しかし、実際そうせざるを得ない状況に陥った今、自然にそれらを天秤にかけていた。それだけでなく、比べた末にどちらを取るのかまでも決心してしまっている。
 恥も外聞ももはやない。人間の尊厳も誇りも理性も、崇高な感情論の一切を、今なら幻想であると言い切れる。あんなもの、実際に追い詰められた事のない人間の言葉遊びにしか過ぎないのだ。
 早く始めなければ……。
 重い槍を両手でゆっくりと持ち上げた。



TO BE CONTINUED...