長い後ろ髪を束ね、邪魔にならぬよう結ぶ。
　さあ、行きますよ……。
　私は、ぎゅっと使い慣れた己の槍を握り締める。槍の穂先には保護材を取り付けた。これならば、たとえ全力で突いても貫通する事はない。骨の一本や二本の覚悟は必要だが。目的は一つ。第三宝物庫内に保管されている神器の中で、最も攻撃力のある神器の奪取だ。第三宝物庫の中に実際にドラゴンを倒す事の出来る神器があるとは限らないが、それでも私は後には退けない。
　薄暗い部屋に、僅かに星明りが差し込む。今夜は新月。襲撃をかけるには最適の状況だ。星明りを頼りに、姿見に映る自分の姿を見る。黒い夜行衣を身にまとい、髪をまとめている。手には保護材を取り付けた槍。一見しただけでは思わず笑ってしまうほど、いかにも襲撃者然としたスタイルだ。けど、これが実際に講義で習った奇襲用の服装だ。
　私は自分の思考を鋭い刃物のように研ぎ澄ます。
　普段の感覚で行くと、途中で躊躇してしまいそうで不安だった。躊躇は、そのまま命取りになる。私に失敗は許されない。この機会を逃したら、もう他に助かる道はないのだ。
　雑念や私情を極力排除する。今の自分は、ロイア＝リーヴスラシルではない。ただの襲撃者だ。他に感情はいらない。
　使い手も刃にかける相手も選ばない、この槍のように―――。




　少し眠くなってきたなあ……。
　僕はあくびを押し殺しながら夜空を見上げる。
　晴れ渡った夜空には雲一つなく、満点の星々が輝いている。だが、いつもは見えるはずの月の姿が見当たらない。今夜は新月なのだ。
　僕は月の満ち欠けに左右されがちな体質のため、普通の人間にはない体内時計が備わっている。月の満ち欠けを感覚的に伝えるものだ。新月が近づいている時は、例の発作はほとんど起きない。ヴァンパイアの血がなりを潜め、人間の血が強くなるからだ。ただ、発作が起こらない代わりに、普段よりも感覚が鈍くなる。正確に言えば、五感の精度が人間のものに戻るだけだ。僕は普通の人間とは違いヴァンパイア寄りの存在だ。純血種には劣るものの、普通の人間よりも感覚は鋭い。
「とりあえず、ノルマは五回ってとこだね」
　旅行資金を稼ぐには大体そのぐらいが必要だ。さすがに破格のバイトではあるけど、旅行費用もかなりの額が必要だ。一、二回でも行けるものはあるけど、やっぱりどうせ行くなら良い場所がいい。良い場所となると、やはりお金は沢山必要になる。
　元々ヴァンパイアは夜光性であるため、クォーターである僕も比較的徹夜は苦にはならない。多少、翌日の昼が眠くなるという事はあるが、それほど我慢出来なくもない。
　僕のすぐ後ろには、宝物庫内に続く唯一のルートがある。宝物庫は三層からなる外壁に守られた、重厚な倉庫だ。外観は小さな要塞といった感じである。外壁は法力処理を施され、魔力による干渉は一切通用しない。物理的破壊も、武具系神器に使用するものと同じ特殊合金を使われているため、人間技ではほぼ不可能だ。
　一見すると、とても警備の必要はないように思える。しかし、これはどこのアカデミーでも共通して言える事だが、神器を欲しがっている人間、特に犯罪者は世の中には数え切れないほど大勢いる。よって神器の不法な流出は犯罪の増加や凶悪化に繋がる。神器を欲する者は、どんな手を使ってでも神器を手に入れようとする。超常的な力を持つ神器さえ手に入れられれば、どんなリスクでも背負うのだ。それを考えると、この程度の設備では物足りないほどだ。完璧な設備をより完璧にするために、このように警備をつけさせるのである。しかし、この徹底した警備態勢を長年敷き続けたためか、もう何年も襲撃事件は起こっていない。神器の流出を防ぐための警備とは言っても、もうほとんど、単なる恒例行事のようなものでしかないのだ。それを考えると、この代行警備は本当に良いアルバイトだ。
　早くお金を用意してリームを驚かせよう。きっと喜んでくれるはずだ。驚くリームの顔を想像し、思わず僕は表情を綻ばせてしまう。
　と―――。
「！？」
　突然、僕の頭の中に警戒信号が響いた。新月によって五感は鈍っているものの、常人よりは遥かに鋭敏に鍛えられている。その注意網が、暗闇の中に何者かの存在を捉えたのだ。
　一体何者だろうか……？
　こんな夜遅くにアカデミー内に一般生徒がいるとは考えにくい。第一、宝物庫の立ち並ぶこのエリアは基本的に立ち入りを規制されているのに。
　暗闇の中に、微かに人の気配を感じる。
　あ！
　その時、金属のぶつかる小さな音が響いた。
　咄嗟に僕は魔素を取り込み、魔術を放つ態勢に入る。あの金属音は、どう考えても装飾の類の音じゃない。もっと大きな金属がぶつかった音だ。ならばその金属とは。考えられるのは一つ。何らかの武器だ。
　このエリアに武器を持ち込むのは、宝物庫の警備の場合のみ許される。だが、もしその理由以外で持ち込んだとしたら。
　宝物庫を守らなくちゃ……！
　僕はそう自分に強く言い聞かせ、思考を戦闘用のものにクールダウンさせる。気持ちを努めて冷静にし、取り込んだ魔素にイメージを与えて右手に集める。
　しかし。
「……え？」
　何故か右手に集まった魔力が突然拡散してしまった。慌てて僕は魔力を集中し直させる。だが今度は、集まるどころか逆にあちらこちらに霧散し、体の外へ無意味に漏れ出てしまった。気持ちが焦っているせいか、魔術を行う上で最も重要な精神集中が出来ていない。魔術には想像力が絶対に不可欠だ。それが確固としていなければ、幾ら魔素を取り込んだとしても意味はない。
　まずい、早くしないと！
　だが、気持ちばかりが先走り過ぎて一向に魔術に集中できない。額からは嫌な汗が流れ落ちる。呼吸も乱れきり、魔素を吸い込むための呼吸法すらリズムを崩してしまっている。
　その刹那。
　暗闇から颯爽と人影が現れた。新月で辺りが薄暗く、ただでさえ捉えにくいこの状況で、その影は恐ろしいまでの速さでこちらに向かって疾走してくる。
　はっ！？
　そう思った時は既に、体の芯まで響く重い衝撃に打たれていた。何かで鳩尾を突かれた。頭が、そんな無意味な分析結果を伝える。衝撃は横隔膜を的確に打ち抜いて麻痺させた。僕は声も出せないまま、かはっ、と湿った空気を吐き出す。
　……しまった。
　そして、僕は人影の正体を確かめる間もなく、意識を失った。




　彼は、私の問いかけに対して、何の躊躇もなく自分が第三宝物庫の代行警備をする事を話してくれた。
　単純で無警戒？
　違う。
　彼は私の事を仲間だと思って信用しているからだ。
　そして私は、今、それを踏み躙った。
　これから彼は、きっと辛い立場に立たされるだろう。
　私のせいで。
　けど。
　私が謝る事は決してない。何故なら、私が神器を奪取した犯人である事が発覚してしまうかもしれないからだ。
　きっと彼は私を恨む。だから私は、口を閉ざすのだ。
　……私は、卑怯だ。それを理由に、自らの不正を認めないのだから。