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「失礼します」
 私は勤めて慇懃に室内へ入った。
「また君か、ウィルセイア……」
 革張りの豪奢なイスに腰掛ける理事長は、露骨に疲労感を漂わせる溜息をついた。
「何度も申し訳ありません。ですが、論点に対する双方の意見の相違ではなく、こちらの意見の理解度があまりにも芳しくないため、失礼を承知で、致し方なく」
「こちらの事情も察してくれたまえ。私とて多忙の身だ。一介の生徒如きに貴重な時間を割く余裕などないのだがね」
「ならば、せめてもう少し、こちらの主張を御理解なさって下さい」
「変わり映えのない意見を聞かされると、どうも頭の機能が思わしくないのでな」
「それはお年を召されたからです」
 前回にも増して雰囲気は険悪だ。慇懃な口調のつもりが、どちらも慇懃無礼になっている。穏やかな言葉の中に鋭い刺が無数に含まれている。理事長室の空気はピリピリと緊迫し、温度も一度は下がった。
 私も溢れ出す感情を抑えようと努力はしているのだが、ついつい物分かりの悪い理事長への苛立ちが言葉となって口を突いてしまう。
「グレイス=ハプスブルグの処分についてなのですが。再度、御配慮願えませんか?」
「除籍処分は決定した事だ。一度決定した処分は取り下げられん」
「何も私は今、この場で、即刻、処分を取り消せ、と申し上げているのではありません。ただ、その件についての生徒一同への理解と同意を深めていただくために、討論の場を設けて戴きたい、とお願いいたしているのです」
「そんな事をしてどうする? 君はワシを吊るし上げにしたいのか?」
「御所望ならば」
「戯言を。とにかく、この件に関してワシは、今後とも一切関知するつもりはない。決断は現行のままで凍結だ」
 このガンコジジイめ……。
 あまりに理事長の頑なな態度に頭に来た私は、思わずそんな罵声を浴びせ掛けそうになった。まったく、どうしてこうも年寄りは考え方に柔軟性を持てないのだろうか。心の狭いジジイめ。
 このまま同じ事を繰り返しても、話し合いは平行線を辿るだけだ。日が経てば経つほど状況は悪化する。
 こうなったら、ヴァルマから貰った奥の手を使うしかない。この手段だけは使いたくなかったのだけど……。
「そうですか……実に残念です」
「分かってくれたのなら、それでいい。下がれ」
 理事長はデスクの上にあった銀の盆を自分の手元に手繰り寄せる。盆の上には水差しとタンブラー、そして薬瓶が並んでいる。理事長は薬瓶の蓋を開け、中の白い錠剤を手のひらに何粒か取り出すと、それをタンブラーに注いだ水と共に口の中に流し込む。
 薬は胃薬だ。理事長は神経性胃炎を持病としてもっている。原因は無論、我々生徒の引き起こす事件の類だ。今回の宝物庫襲撃事件も、理事長のボロボロの胃には痛恨の打撃を与えただろう。だから、そこに追い打ちをかけるような奥の手は使いたくなかったのだ。しかし、こうなってしまえば手段を選んでいる余裕はない。
「最後に理事長。一つお耳に入れたい事が。今回の件とは別件です」
「……なんだ?」
 胃の辺りを撫でて、薬と水の流れを確認しながら理事長は問う。私を見る目は、かなり鬱陶しそうだ。
「近年、各地でアカデミーから優秀な人材を引き抜くスカウトが頻繁に報告されています」
「ああ、その件はワシも知っている」
「不知火でも何名かスカウトからの誘いが来たそうです。いずれも神器授与候補者です。ついでに言えば、私も何件か誘いが来ています。資料を綿密に読解したところ、どうやら不知火よりもそちらの方が待遇が良さそうなので、真剣に考えようかと。少なくとも、物分かりの悪い理事長はいないようですし」
 そう言い残し、私はくるっと踵を返してスタスタと出入り口へ向かう。
「ウィ、ウィルセイア!? ちょっと待ちた―――うっ!? 痛つつつつ……」
 ちらっと振り向いて視線を後ろに向けると、理事長は胃を押さえて苦しみ始めていた。すぐさま閉めたばかりの薬瓶の蓋を開け、中の錠剤を口の中にがらがらと流し込むと、水差しから一気に水を飲んで奥へ流す。
 物分かりの悪い理事長が悪い。そう自分に言い聞かせていないと、罪悪感で思わず自分の発言を全て撤回してしまいそうなほど、実に哀れな姿だった。




「そうか、理事長は陥落したか。やはり鞍替えをちらつかせる策が効いたようだ」
 昼下がり。
 私は成果の報告にヴァルマの研究室を訪れた。
 このアカデミーでは、魔術学科の生徒が全過程を修了すると各自に専用の研究室が与えられる。そこで新たな発見や魔術の研究開発に励んでもらい、アカデミーの魔学水準の向上に繋げようというのである。ちなみに、この研究室は二つ目である。最初にヴァルマに与えられた研究室は、昨年、『謎の爆発事故』を起こして灰になっている。人為的ではないにしろ、何故『謎』になったのかは、それはヴァルマだから、の一言に尽きる。それだけで誰も追及したがらなくなるのだから仕方がない。
 ヴァルマは、どこから運び込んだのか、実に質のいい応接セットのソファーに深々ともたれかかり、足を組みながらコーヒーに口をつける。
「あのね、確かに例の奥の手を使ったら陥落したし、これでグレイスの望みも繋げた。けどさ、すごく後味悪いんだけど」
「私が悪いと? 確かに私は君に有効な手段を教授した。しかし、それは”使え”という命令ではなく、あくまで手段の一つとして伝授したまでだ。使う使わないは君の責任だよ?」
 と、ヴァルマは不気味に微笑む。
「……そうだけどね。まあ、いいわ。今回だけはさすがに形振り構っていられないからね」
「そう。ものは言いようだ」
 相変わらずね。
 疲労感を覚えた私は、ふう、と溜息をつく。
「セシア、疲れた時は甘いものです」
「セシア、レモンシャーベットをどうぞ」
 シルフィが私の前にレモンシャーベットを差し出す。
 冷たいシャーベットをこう出せるという事は、この研究室には冷蔵庫もあるようだ。まったく、アカデミーの所有する建物なのに完全に私物化している。けど、私もこれは嫌いではないので、ありがたく頂戴する。
「それで、そっちはどうなの? 理事長引っ張り出せたけど」
「今度の紫電を見てからだな。まあ、問題はないだろう。紫電はご存知の通り、我が報道部が世界に誇る人気誌。私の原稿は既に出稿した。後は明日の発行と反響を待つのみだ」
「随分な自信ね。何も反響がなかったらどうする気なの?」
「あり得ないな。私は人心を掴む文章の書き方は熟知している。不安要素といったら、売れ行きの好調さのあまり品切れを起こし、せっかくの名文を買うことが出来ないという哀しい事態が起こらないかどうか、ぐらいだな」
「さすがは兄様」
「さすがは兄様」
 一体どこから溢れ出すのか、妙な自信に満ちた様子のヴァルマ。そして、そんな兄の様子に嬉々し陶酔するエルフィとシルフィの二人。
 ヴァルマの自信は、決して誇張のない確かな実力に裏づけされた確固たるものだ。体力こそ生まれつきの虚弱体質で人より劣ってはいるが、その分、彼の知識は驚異的と言ってもいいほど人並はずれたものだ。更に、ヴァルマの凄さはそれだけではない。それらの膨大な知識を活用する知略にも優れている。私なんかよりも、ずっと天才の称号が相応しい。だが、素行の悪さより天災との称号の方が定着気味だが。
 それにしても。どうもいまいち緊張感に欠ける三人だ。本当にグレイスが危機的状況に置かれていることを理解しているのだろうか? その緊迫感というものがまるで感じられない。
 戯れる三人の姿を見ながら、私は頭痛を覚えていた。
 まったく……。やっぱり人より優れたものを持っている者はみんな、どこか常軌を逸している部分があるものなのだろう……。



TO BE CONTINUED...