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 グレイスの部屋のドアをノックする。左手には大きめの紙袋を抱えていた。ついさっき、街で買ってきたものが中に入っている。紙袋越しに、中からじんわりと熱が伝わってくる。
「グレイスー、いるかー?」
 数秒後、ドアの中から僅かに気配が動くのを感じた。間もなくドアが開けられる。
「あれ……ガイア? どうしたの?」
 ドアの向こうからのっそりと緩慢な動作でグレイスが現れる。僅かに浮かべる微笑は影が濃く、顔色もお世辞にも良いとは言えない。これだけでもグレイスが精神的にかなり追い詰められているのが分かる。
「ああ、串焼きとか買ってきたんで、一緒に食おうと思って」
 グレイスはそっと微笑んで俺を中に招き入れた。
 こいつがどんなに都合が悪くとも来訪者を追い返せない性格である事は十分承知している。それを見越して訊ねたのだ。今、どれだけグレイスが苦しんでいるかは分かっているが、やはり放っておけないのだ。あれからグレイスはずっと部屋の中にこもりがちだ。それが良い方向に向かわせるとはどうしても思えないのだ。
「お前、あんまり食ってないだろ? 顔色も悪いぞ」
「日に当たってないからだよ。元から色白だし」
 とは言うが、グレイスの顔色は色白というよりも青白い。色艶も悪く、存在感もどこか希薄だ。
 リビングのテーブルに相対して座ると、早速紙袋の中身を広げた。串焼きが数種類。
「あ、何か飲む?」
「アルコール以外なら」
「うん、分かった」
 キッチンに向かうグレイス。
 部屋を見渡すと、相変わらず小奇麗に片付いている。いや、そういうよりも、どこか生活感が欠けているような雰囲気だ。きっと、日長ベッドの上に転がって頭を悩ませているせいだろう。キッチンだって、俺が来なければまた今日も使わずじまいに終わっていただろう。
 グレイスはアイスティーの注がれたタンブラーを二つ手にしてキッチンから戻ってきた。それを受け取り、再びテーブルに相対して座する。
「いよいよ明日さ、理事長との公開弁論大会になったぜ。こっちはヴァルマがいるし、お前の処分も絶対に取り下げにさせる。だから安心して構えてろ」
「そう……」
 除籍処分が取り消しになるかもしれないというのに。グレイスの表情はなぜか晴々としていない。本来ならば喜ぶべきところのはずなのに。
「なんだ、心配なのか? 大丈夫だって。あのヴァルマだぞ? 頭はおかしいが口は達者だ」
「いや、そうじゃないんだ……。なんていうのかな、僕、もう続けてく自信がないから……」
 寂しげな微苦笑を浮かべ、視線をテーブルの上に落とす。
 グレイスは普段から引っ込み思案のおとなしいヤツだ。その理由は、グレイスが自分を過小評価しがちな気弱な性格にある。何かトラブルがあると、すぐに自分に非があると考えるヤツだ。リームとはまるで正反対の性格である。
 そんなグレイスが、神器略奪という大失態を犯してしまったのだ。そこに追い打ちのように下された、アカデミーからの除籍処分。元々自分を過小評価しか出来ないグレイスにとってそれは、廃棄処分を宣告されたに等しい。グレイスもグレイスで反発する事をせずに受け入れてしまうから、余計に自分で自分を追い込んでしまい、今のような悪状況に陥ってしまったのだ。
 と、その時。突然ドアが開く音がし、中にのしのしと誰かが入ってきた。
「グレイスー。ゴハンにしよー」
 やってきたのは、俺の持ってきたものよりも一回り大きな紙袋を抱えたリームだった。リームとグレイスは周知の仲だ。おそらく合鍵を持っているのだろう。
「ん? ガイアじゃん。来てたんだ」
「ああ。でも、もう帰るよ。これから明日の準備しなくちゃいけないから」
「あ、そうだったわね。後で私も行くから」
「いや、いいよ。お前にゃあ到底無理な繊細な仕事だから」
「何よそれ。ムカツク」
 反射的にムッと表情をしかめるリーム。
 俺はゆっくり席を立ち上がり、リームの隣を抜ける。
「グレイスといてやれ。お前にしか出来ないから。こっちは任せろ」
 リームとのすれ違いざまに、俺は小声でそう囁いた。
「あ? ああ、うん……」
 やや驚いた風に声を上擦らせるが、すぐに俺の意図を察知し納得する。
「じゃあな、グレイス。ちゃんと食えよ」
 俺は振り向かずにそのまま部屋を出た。
 状況は極めて切羽詰っている。何せ、アカデミーの長老陣と理事長の下した決断を取り下げさせるなんて、創立史上一度もなかった事なのだ。それをやろうとしている俺達は、さぞかし無謀なチャレンジをしているように見えるだろう。けど、無謀と分かっていても、何もせずにはいられないのだ。処分を黙って受け入れるなんて、少なくとも俺達には出来ない事だ。
 グレイスの事はリームに任せて、俺は理事長達の件に集中しよう。グレイスのやつれた様子を放っておくのは忍びないが、ここは俺よりもリームの方がずっと適任だ。多分、俺なんかよりもずっとグレイスの心情を分かってやれるはずだ。




「よろしくおねがいしまーす」
 その日、俺は再びビラを配っていた。今日はエルフィとシルフィだけでなく、セシアとロイアも一緒だ。
「おい、これってマジなのか!?」
「こっちにもくれ!」
 まるで砂糖の山に群がる蟻のように、俺達の周りには大勢の人垣が出来上がっている。
 山のようにあったビラも、ほんの数十分の間にほぼ消えてしまい、あるのはそれぞれの手持ちの分だけだ。だがそれも、もう何分もしない内に配りきってしまうだろう。前回のビラ配りとは打って変わって異常な人気ぶりだ。
 その原因はビラの内容にある。
『理事長を公開処刑!? 真実と正義を追究する究極の討論会、緊急発進!』
 公開処刑とはいささかでもなく誇張した表現だが、内容に間違いはない。遂に今日、最終決戦が始まるのである。紫電の記事も異例の大反響だったらしく、理事長対生徒の構図を誰もが心待ちにしている矢先の事だ。飛びつかない訳がない。とは言っても、ここへ至るまでの過程を知っている身としては、このタイトルはいささか低俗なように思えるのだが。
 こちらはヴァルマが出る事になっている。グレイスを救い出す要である。対する理事長側だが、ヴァルマの話では本人はまず出ないらしい。もし、万が一にでも負けてしまえば、アカデミー側は一度下した処分を取り下げざるを得なくなる。それは不知火にとっては、神器略奪に続く恥の塗り重ねだ。だからなんとしてでも勝たなければいけないため、おそらく弁護士を立てる可能性があるそうだ。弁論のプロに勝てるのはヴァルマしかいない。俺達は出来ることは全てやったから、後は望みをヴァルマに託すのみだ。
「終わったな……」
 配り始めてから、およそ二十分後。ビラを全て配りきってしまうとあれだけいた群衆も嘘のように退いてしまった。残ったのはいつもの朝の静寂と、そして疲労感だ。
「ホント。あっという間だったわね」
「ですが、この様子ですと期待できそうですね。ヴァルマは、会場にどれだけ傍聴者を導入出来るかが勝負だ、とおっしゃっていましたから」
 会場が盛り上がれば盛り上がるほど、アカデミー側へ与えるプレッシャーが大きくなる。しかしそのプレッシャーは、こちらにとっては有利に働くのだ。討論会では、傍聴者は審査員であり、あくまでも公平な立場の存在だ。だが実際は、傍聴者は実質的には俺達の味方なのだ。アカデミー側にとっては、自分達の発言に細を穿って聞き入る存在は邪魔でしかないのだ。
「さあ、今度は会場セッティングのお手伝いです」
「さあ、今度は会場セッティングのお手伝いです」
 と、エルフィとシルフィは少しも疲れた様子も見せずにそう言った。
「はあ? まだやってないのか?」
「一応、千人ほど入れる会場を借りましたが、その広さがゆえにまだ準備が整っていないのです」
「現在、報道部員二十余名、そして他に兄様に是非協力したいという有志が数名ほど活動中です」
 また被害者が……。その有志ってのも、ほぼ間違いなくヴァルマに弱みを握られているヤツだ。こんな事で反感買って、討論会に影響が出ないだろうか……。
「やれやれ……。とりあえず、やるしかないか。会場がなかったら、討論会どころじゃないからな……」
 もうひと頑張りだ。グレイスのためにも、もう少し根性を見せないと……。



TO BE CONTINUED...