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「ぐぐぐ……」
 会場に特設された円形のステージ。そのステージの両側には、それぞれ革張りのイスが二つずつ並べられている。右のサイドには理事長と黒スーツの男、そして左サイドには足を高々と組んだヴァルマがいる。ヴァルマの隣のイスは未だに空席だ。そこは、予定ではグレイスが座るはずの場所だったのだ。
 黒スーツの男は額に汗をぼつぼつと大量に浮かべ、しきりにハンカチで拭っている。理事長の右手は鳩尾付近の位置で固定されている。この状況に不安と焦りを隠し切れず、何度も男を小突いている。
「さー、残り時間は三十秒です」
「さー、残り時間は三十秒です」
 ステージ中央には司会進行役を勤めているエルフィとシルフィが、マイクを片手にして黒スーツの男に次の発言を催促している。だが、男はうんうんと唸るばかりで一向に口を開く気配がない。
 こりゃ確定的だな……。
 二階からスポットライトを構えていた俺は、汗ばむ手のひらを拭いながらステージ上に注目していた。
 あの黒スーツの男は、理事長が雇った腕利きの弁護士だ。やはりこの討論会においてなんとしても勝つつもりでいたようで、勝つために討論のプロをわざわざ雇ってきて代役に出したのだ。まったくもって大人気ない爺様である。
 とは言っても、討論の内容は誰が見てもヴァルマ優勢は明らかだった。開始直後から双方が聞いた事もない言葉を幾つも並べていて、何について論議されてるのかさっぱり分からない。けど、時間が経つに連れてアカデミー側の考える時間が増えてきたのは分かる。それはつまり、ヴァルマが押しているという事だ。
「残り十秒〜」
「八、七、六」
 真綿で首を締めるような口調で、更に男を精神的に追い詰める双子の司会進行役。考えてみれば、二人もまたこっち側の立場の人間だ。いや、正確に言えばヴァルマの味方なのだけど。
「し、不知火の!」
 時間切れ寸前で男は声を裏返しながら辛うじて言葉を続ける。
 ちっ……もうちょっとだったのに。
 あとほんのもう少しの所でこっちが勝つとこだったのに。俺は悔しげに舌打ちする。
「不知火の教育水準はニブルヘイム国立教育認定機関において、水準レベルAに認可された優秀なものだ。レベルA水準の教育の全過程を受けた者の平均的な実力は、国際傭兵レベルでおよそ10から15とされている。レベル10の戦闘力は、一般兵士の十人分に相当する。にも拘わらず、まるで抵抗らしい抵抗もせずあっさりと神器の奪取を許してしまったのは、職務の怠慢以外のなにものでもない!」
「賊の戦闘レベルを念頭において考えたまえ。グレイス=ハプスブルグの戦闘力がレベル10だとしても、相手のレベルが20ないしそれ以上だったならば? たとえレベル差がなかったとしても、戦闘においては相性というものがある。そちらは戦闘については専門外でしょうから、詳細は省きましょう。早い話、火と水、という関係と考えていただきたい。相性が悪ければ本来の力を発揮する事すら適わない」
「だが、彼の証言では、賊の姿は見ていないとなっている。それは戦闘云々以前に、警備をする者としての心構えの問題ではないのか!?」
「ならば責任は、警備のカリキュラムを徹底していないアカデミーの教育体制にあるのではないかね? 私は今年で在学四年目になるが、警備マニュアルなどというものが存在しているとは一度として耳にした事はない。この会場にお越しいただいた傍聴者の方々にもお訊ねしてみたまえ」
 ヴァルマは足を組み直し、なおも余裕という余裕を満面に湛え、悠然と男を見下ろしている。視線の位置はほぼ同じ高さにも拘わらずだ。精神的な優劣の差が明確になると、このように錯覚するのだろう。
 一方男の方は、相変わらず苦い表情が顔から消える事がない。
「それでは会場の皆様にお聞きしま〜す!」
「警備マニュアルに相当するものの存在を聞いた事がある方は、挙手をお願いしま〜す!」
 双子の司会進行役が会場の傍聴人に訊ねた。その口調は、完全にいるはずがないと踏んでいる明るい口調だ。
 もはや勝負はあったな。
 俺だってそんなマニュアルなんか聞いた事がない。第一、四回生になって最初のミーティングの時、宝物庫警備の説明を受けた。だが、具体的な内容を訊ねると担当教官には、怪しいヤツをやりゃあいい、などという非常に投げやりな解答が返ってきた。
 ざわざわと場内がざわめく。隣近所にマニュアルについて訊ね合っているようだ。
「はい、静粛に。意見のある方は挙手をどうぞ」
「はい、静粛に。意見のある方は挙手をどうぞ」
 俄かにざわついていた場内がしんと鎮まる。二人の問いについて、手を挙げる者はいなかった。やはり思った通り、そんな警備マニュアルなんてものは初めから存在しなかったようだ。
「さて、他に何か言っておきたい事はあるかね?」
 足を組み直し、悠然と微笑みながら問い返す。反論出来るものならやってみろ、と言わんばかりの表情だ。
 頼む、これで決まってくれよ……。
 俺はスポットライトを構えながらそう切に願った。
「残り百二十秒です」
「残り百二十秒です」
 思考に与えられている時間は二分間だ。ルールでは、二分間が経過しても反論出来ない場合は、その時点で敗北となる。
 理事長は、この討論会で負けた場合は何をする、などという公約は特にしていない。しかし、これだけの聴衆の前でアカデミー側の処分の不当性を証明されてしまえば、幾らなんでも何もしない訳にはいかない。しかも相手は弁護士、討論のプロだ。それを打ち負かしたのだから、どちらの言い分が正しいかなんて火を見るよりも明らかだ。
「これ、決まりそうね」
 ふと、その時。
 不意に俺の隣に、今まで舞台裏で雑用をしていたはずのセシアが立ってそう呟いた。
「だな。よく話の内容は分かんなかったけど、ヴァルマの勝ちだ」
「凄いわね、ヴァルマは。私にも思いつかなかった所が幾つもあったもの」
「まったくだな。あいつが味方で良かった」
 今朝方、会場の準備をしていた時に交わしたヴァルマとの会話を思い出す。
 やっぱり理事長は弁護士を立ててきたぞ。勝算はあるのか?
 そう訊ねた俺にヴァルマは、勝算とは弱者の理屈だ、とだけ答えた。ヴァルマにしてみれば、今のこの状況も予定の範囲でしかないのだろう。俺にしてみれば、とても恐ろしい事実ではあるのだけど。
「ヴァルマってさ、将来は弁護士にでもなった方がいいんじゃないの? 魔術師になるより儲かるし」
「他人を弁護する仕事なんてやりたくないんだとさ」
 俺だったら間違いなく弁護士になるんだがな。まったく、使わないんだったら弁護士の才能は俺に譲ってもらいたいぐらいだ。
「残り十秒!」
「八、七、六」
 容赦なく数えられる残り時間。
 と、遂に男は理事長の方を向くと、首を左右に振った。
「おい、あれ……」
「ギブアップしたわ!」
 思わず俺達は声を上げた。手と手を取り合い、喜ぶ。初めの内はお互い、本当にそんな事が可能なのか半信半疑だったのだけど。それが努力の甲斐あって遂にここに実現したのだ。俺達は今、アカデミーに勝ったのだ。それもこれだけの大勢の前で。
「おーっと、試合放棄だ!」
「おーっと、試合放棄だ!」
 瞬間、場内が低くどよめいた。



TO BE CONTINUED...