BACK

「セシア、非常に言い難い事なんだが」
 太陽も大分西に傾いた時刻。
 昼前に入った峠をようやく抜け、眼下には次の目的地である町が見え始めていた。薄暗い峠を抜けてからも、傾きかけた太陽のせいで薄っすらと夜の帳が下り始めている。時間的には予定通りだ。町に着く頃には丁度夜になる。
「ん? 何?」
 そう問い返すセシアに、俺はきっぱりとこう言った。
「そろそろ金がヤバイ」
 その言葉に、セシアは見る間に顔色を変えた。
「嘘、ちょっと冗談でしょ!? ここまで来て、野宿!?」
「いや、三泊ぐらいはなんとかなりそうだけど……。どっちにせよ、マジでそろそろ仕事せにゃならん」
 最後に仕事をしたのは一週間程前だ。アイスリザードという口から吹雪を吐く魔物の群れの討伐だ。俺が得意とするのは炎の魔術だから、冷気と相性が良いので即決し引き受けたのだが、群れの数がハンパではなかった。連中の縄張りに足を踏み入れた途端、まるで蟻の行列ようにわらわらとアイスリザードが現れて、あっという間に囲まれてしまった。なんとか全滅させたものの、正直、何度凍え死ぬと思ったか分からない。凍死は気持ちの良いものらしいが、あれは嘘だ。度を越えた寒さというものは刃物に切りつけられるのとさして変わりない。
 報酬はそれなりだったが、有料街道の通行料やら、駄目になってしまった装具の新調やらで随分かかってしまっている。それで結局、今現在手元に残っているのはそんなものになってしまった。
「はあ……。相変わらずゆっくり出来ないわね」
「すまんねえ、苦労かけて。至らぬ分は体で払うから」
「はいはい。馬車馬のように働いてね」
 町に着いた頃には、完全に日は落ちて夜になってしまった。だが、まだまだ宵の口である町はそこかしこに明かりが灯り、行き交う人々も昼間のように多い。
 俺はフードを目深に被り、自分の顔を隠した。
 半年前のあの事件以来、俺はまたアカデミーに入る前の頃のように人込みが苦手になっていた。何よりも人と視線を合わせる事を恐れ、セシア以外とはほとんど目すら見られなくなっている。
 フードを深く被るのは、視線を意図的にそらす所を見て気分を悪くさせないのと、視線がかちあう可能性を少しでも低くするためだ。確かに視線を露骨にそらすのを見せられるのはいい気分であるはずがない。けど、決して視線を合わせないようにしている様も、正直あまり印象の良いものではない。そうとは理屈で分かっているのだが、やはりどうしても怖いのだ。理性より本能の発露の方が強いのだ。セシアもそんな俺の様を見て黙ってはいない。付き合い始めの頃のように、前を見ろだのうつむくなだのしょっちゅう注意してくる。けど、さすがに人通りの多い所では黙ってくれた。俺がどれだけの恐怖を感じているのかを、セシアは誰よりも理解してくれているのだ。
「ねえ、ガイア。なんか多くない?」
「ああ、確かに」
 ぽつりと呟くように訊ねたセシアに、俺もまた呟き声で答えた。
 多い、というのは行き交う人ではなく、行き交う人の中の同業者だ。俺達は、同業者はなんとなく雰囲気で分かるのだ。その雰囲気がそこかしこからやけに沢山感じられるのである。
「もしかすると、大物があるかもしれないな」
 報酬の高い得物があるとすぐに噂として流れ、わらわらとハンターが集まるのだ。無論、報酬が高いという事はそれだけリスクも増す事でもあるのだが、かえって自らの実力を誇示したがる人種にとって強い魔物は格好のターゲットでもある。
「じゃあ、それにしましょう。当分、楽できそうだもの」
 俺達は宿を取る前に、まず役所に向かった。
 役所では主にハンターに仕事を斡旋し、達成の際にはそれに見合った報酬を払うところだ。地方によっては詰め所やギルドと呼ぶ所もあるが、基本的に機能は変わらない。仕事は基本的には魔物退治だ。魔物はどれも強く、民間人の手におえるようなものではない。だが俺達は戦闘のプロであるため、簡単とまではいかないものの比較的安全に仕留める事が可能なのだ。
 セシアがアカデミー時代に名の知れた法術師だった事もあってか、仕事にあぶれることはまずなかった。そんな時は、ただ幸運にもこの一帯が平和だった場合だ。俺達にとっては不幸だが。
 役所に到着すると、建物の周辺にはやけに大勢の人間がいた。どれもが見て分かるほどのハンターだ。
「こりゃ、絶対なにかあるな」
「そうね。大物の予感」
 かつて賑わっている役所で空振った事は一度もない。それなりに危険な仕事ではあったが、見返りは十分過ぎるものだった。
 とにかく、今の俺達の危機的経済状況を救うには大物を狙っていくしかない。俺は平凡な魔術師だが、生活がかかっているとあれば死に物狂いで獲物を獲ってくる。
「んじゃ、行くか」
 入り口に入ろうとしたその時、向こう側からヌッと人影が現れた。
「あ」
 驚いて顔を上げた拍子にフードが背中へ落ち、その人物とうっかり視線を合わせて思わず声を上げてしまう。だが、その人物が誰なのかを見て、更に俺は声を上げた。俺よりも一回り以上背が高い男だった。顔立ちは細面で整っており、前髪が目深に長く伸びて陰気な雰囲気を醸し出している。男に俺は見覚えがあった。だが、まさかこんな所で鉢合わせるとは思いもよらず、彼の名前が喉から飛び出すのに数秒を要した。
「……ヴァルマか?」
「いかにもそうだが」
 やっとその名前を搾り出した俺に対し、ヴァルマはさして驚きもせず平然としたいつもの口調でそう答えた。
 だが、表情にはやや気まずさが浮かんでいた。視線が二、三度、俺からキョロキョロと外れる。その平然とした態度も、自分の動揺を俺に悟られぬように構えているために思えた。半年前、あんな事があったのだ。無理もないだろう。気まずいのは俺だって同じだ。
「ど、どうしたんだ? こんな所で」
「ハンターが役所にいたらおかしいかね?」
 ヴァルマ達も俺らと同じハンターなのだ。
 アカデミー時代のヴァルマの成績はとんでもなく良かった。品行はともかく、魔術師としての能力は稀に見る優秀さで、アカデミーを次席で卒業した。それだけの能力があれば、もっと他にいい身の振りがあったのだが、縛られる事を特に嫌がるヴァルマは自由なハンター業を選択したのだ。アカデミーにしてみれば、神器を授与させた優秀な生徒が何人もハンターなんかになるのは、あまり快くはなかっただろう。
「ところで……君たちも仕事を探しに?」
「ああ。そろそろ金がヤバイんで」
「そうか……」
 ヴァルマは口元を押さえ、なにやら考え込む。
 ふと俺は、ヴァルマの態度が普段とは違っている事に気がついた。ヴァルマは超がつくほどの自己中心的な性格をしている。基本的に相手の都合など考えず、傍若無人な振る舞いを常としている。そんなヴァルマが、どうも遠慮がちと思える態度で俺に訊ねてきたのだ。
「その……一つ頼みがあるのだが」
「頼み?」
 ヴァルマが人に頼むなんて。これも今までは考えられない事だ。
 違和感は拭いきれなかったが、俺はあえてそれに気づかぬ振りをした。
「ああ。取りあえず、ここでは何だから場所を移そう」
「っと、先に仕事を取ってくるよ。少し待っててくれ」
「いや、頼みとは仕事についてなんだ」
「仕事?」
「ここに集まっている人間も、皆、その件を聞きつけて集まってきているのだ。本来ならば、先を越されぬよう一時を争う事態なのだが、少々、厄介な事になっていてね。誰も手の打ちようがない状態なのだよ」
 という事は、何か複雑な事情がありそうだ。ヴァルマの方が役所よりも詳しく知ってそうである。隣のセシアの方を向いた。セシアはこっくりうなづいて賛成の意を見せる。俺達はヴァルマ達の後につきながら、三人の宿に向かった。
 宿に着くまでの間、久しぶりに会ったにもかかわらず会話は一つもなかった。お互い、半年前のあの事を誰もが気にしているのは火を見るよりも明らかだった。不本意な別れ方をしただけに、会話を切り出そうにも切り出しづらくて仕方なかった。
 やがて辿り着いた宿は、一階が酒場も兼業する所だった。こういう所も半年前と同じだ。この不吉な巡り合わせがまた何か良からぬ事件を起こしそうで、どことなく湧いてきた不安感が背筋を覆った。
 受付で空き部屋の状況を聞くと、丁度運良く二人部屋のキャンセルがあった。俺はなけなしの金から宿泊費を払い、宿帳に記入する。
「先に私達の部屋に来てくれ。そこでゆっくり話そう」
「分かった。そういえば、エルフィとシルフィは?」
 会った時から気になっていたのだが、ヴァルマの両脇か後ろには、大抵一卵性双生児の妹がいるのだ。二人の名はそれぞれエルフィ、シルフィといい、共に神器を授与されるほどの剣の達人である。
「部屋にいる。この町には来たばかりでね。荷物の整理を頼んでいる」
 ヴァルマ達の部屋は三階の一番奥にあった。どこの宿も、上の階は普通三人部屋や四人部屋といった大部屋がある。ヴァルマ達は未だに兄妹同じ部屋で寝泊りしているようだ。アカデミー時代からそうだが、三人は普通の兄妹の範疇を超えるほど仲が良い。仲良し兄妹というよりも、もはや恋人同士に近い状態だ。人前で腕は組むわキスはするわで、とても妖しげな連中なのだ。
「エル、シル。私だ」
 トントンとドアをノックしながら中に呼びかける。
『兄様?』
『兄様?』
 中から似たようなテンポの声が二つ、揃って聞こえてくる。
「ああ、そうだよ」
『でも、本当にホントの兄様ぁ?』
『本当の兄様だってコト、証明して下さぁい』
 ドアを開けるように言ったのだが、逆にそんな要求が返ってきた。口調は戯れるかのような無邪気なもので、よくヴァルマに甘える時に出す猫撫で声だ。ヴァルマは俺達を見て、相変わらずだろう、と苦笑した。とりあえず俺達も、同じような表情を浮かべて返す。
「こら、いい加減にするんだ。連れも一緒なんだぞ」
 と、たしなめるような口調でドアの向こう側にいる二人に注意する。
『え?』
『え?』
 途端にカギを外し、中からドアが少しだけ開けられた。ドアとの僅かな隙間から、そーっと二つの顔が子猫のように飛び出してこちらの様子を見る。どちらも、紛れもなくエルフィとシルフィの顔だった。