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「不気味だな……」
 鮮血の騎士なる異名を取る賞金首の居城。
 過去の戦火に遭い遺跡と化してしまっているその古城をいざ目の前にして見ると、俺はそんなありきたりな感想しか言う事が出来なかった。
 城壁は所々ひび割れ緑色に苔むしている。いかにも長い年月を経ているような様子である。とても人間が住むような場所には思えない。むしろ、子供の肝試しの会場の方が適している感じである。
「ここに鮮血の騎士がいるのか」
「ああ。ここから先は城の敷地内だ。鮮血の騎士は、敷地内に無断で足を踏み入れた者を容赦なく攻撃してくる。各自警戒を怠らぬように」
 いつの間にかリーダーのようなポジションを獲得しているヴァルマ。
 俺はリーダーになるために必要な能力が欠けてるし、セシアは人に指示を飛ばす性分ではない。エルフィとシルフィがヴァルマに命令をする訳がないし、となれば必然的に消去法でリーダーは決まってしまう。まあ、ヴァルマはこれで結構強いのだから、任せておいて大丈夫だろう。
「あの、ちょっと」
 ふと、その時。おもむろにセシアが焦った様子で口を開いた。
 心なしか声が上擦っている。普段はあまり動揺をするような事はないのだが。
「ここ、思いっきり嫌な感じがするんだけど。ほら、鳥肌立って来ちゃった」
 セシアは袖をまくって腕を見せる。そこにはプツプツと無数の小さく細かい隆起が浮かび上がっていた。
「絶対、ココ、なんかいる! いるったらいる!」
「はあ?」
「分かんないの!? アレよ、アレ! アレがいるっつってんの!」
 突然セシアは錯乱したように声を荒げ始めた。
「アレ?」
「アレとはゴーストやスピリッツの事かね?」
「あー、名前で言わないでよ! 余計怖くなるじゃない!」
 あ、そういやセシアは霊体系のモンスターが大の苦手だったっけ。
 実体を持たないにも拘わらず自我などの意思を持つ魔物は、主に霊体系というカテゴリに区別される。本当は霊魂に限らず、思念体、地縛意識、集合思念などなど、話すだけでも日が暮れそうなほど複雑な定義があるのだが、一言で言ってしまえば、俗に言う幽霊みたいな魔物の事だ。
 こういった実体を持たない魔物は、一部を除いてあまり大した干渉能力を持たない。放っておいても実害は少ないのだが、世の中にはセシアのように存在自体を過剰に恐れる人間がいる。実体がなく、不合理な行動に恐怖を覚えるらしい。
「でもさ。ここ入らなきゃ、俺達はもう生活できないんだけど」
 俺達の手持ちの金は底をつきかけているのだ。そもそもこの仕事は、そんな経済の危機的状況から脱却するためにやっているのだから。
「嫌なものは嫌! 理屈じゃないの!」
「あのなあ……。出てきたら退魔すりゃあいいじゃんか」
 まるで子供の駄々である。いやいやと断り続けたってどうにかなる訳でもないのに。
 実体を持たない霊体系は通常の攻撃では倒す事は出来ない。幾つか倒すための方法はあるのだが、最も一般的な方法は法術師が使える退魔の法術だ。原理とかは知らないが、とりあえず霊を浄化する事が出来るのである。
「まあいいさ。何にせよ我々は中へ入る。君は嫌なら一人で戻るといい」
 くるっと踵を返して城に向かう。そして、
「帰り道、出るかも知れないがな」
 ぼそっとつぶやく。
「あー、もう! 分かったわよ! ハイハイ、行きますよ!」
 セシアは少し涙を浮かべている。それほど幽霊の類は心底嫌なのだ。
 城の外観は、今更説明の必要はないだろう。たとえるならば、遺跡、もしくは幽霊城だ。セシアの言う通り、何かその手のヤツが出てもおかしくはないような雰囲気をどろどろと放っている。もっとも、その雰囲気に怯えているのはセシア一人なのだけど。
 朽ちかけた城門を通り、城壁内へ。
 正面庭は草が生え放題に生い茂り、ほとんど草原と大差がない。何十年も手入れをされていないのだから無理もないだろう。
「ううっ、何だか肌寒い……」
 セシアは自分の両肩を抱きながらぷるぷると震えている。
 法術師は皆、霊体の気配には敏感なのだ。そもそも霊体というものは実体がないので、通常人間が持ち合わす五感では捉えるのが非常に難しい。視覚で捉えるのが精一杯だが個人差があり、鈍感な人間には見る事すら出来ない。そんな霊体を感覚的に捉えられるように法術師はある特殊な感覚を磨いているのだ。その感覚で霊体を捉え、退魔の法術で調伏するのである。
 ただ、セシアの場合はその研ぎ澄まされた感覚が逆に裏目に出てしまっている。霊の苦手な人間は山ほどいるが、そのほとんどは目で捉えられる分だけを恐れているだけだ。多少感覚が鋭い人間でも、ちょっと霊に反応して体がぴりぴりする程度である。そんな中、セシアは霊が苦手にも拘わらず、人の何十倍も敏感に霊を感じ取れるのだ。さすが天才と謳われただけあり、並の法術師よりもはるかに鋭く霊の存在を見つけ出してしまう。見つけなくてもいいものまで感じ取ってしまうため、こういう霊の集まるような場所は、霊の大嫌いなセシアにとっては地獄だろう。
 ちなみに俺は、霊の類はさっぱり分からない。なんせ、この目で見て確かめた事自体、生まれてから一度もないのだ。大体俺のような感覚の鈍い人間が霊そのものの存在を否定する否定派になる。
「寒いなら僕が温めてあげよう」
「こんな時にくだらない冗談はやめて」
 全く加減のないパンチが俺の腹に炸裂した。
 やがて城内へと続く正面扉が見えてきた。本来は白かったであろう苔むした石階段が十段ほど。それを上りきった所に、左右の飾り柱に囲まれた実に豪奢な作りの大きな扉が構えている。
「エントランスだ。鮮血の騎士が現れるとしたら、ここから先だろうな」
「まったくもう。そいつ、なんでこんな薄気味悪い所にわざわざ住んでるのかしら。きっと幽霊好きの変態に違いないわ」
 それは完全な偏見というものだ。幾ら自分が幽霊の類が嫌いだからって、逆にそれが好きな人を変態呼ばわりするのは酷い。
 だが、そう諭したとしても、逆に俺の方が噛み付かれるだけだ。人間、自分が嫌悪するものには他の人間の価値観など決して受け入れず、丁度正反対の価値観を持つ者の感覚を異常とする傾向がある。今のこれが割と典型的な例だ。
「変態にせよ何にせよ、彼の実力は相当なものだ。各自警戒は怠らぬように」
 突然、扉の向こう側からけたたましい足音が聞こえてきた。
「キャッ!?」
 その音に驚いたセシアは、実に素早い動作で俺の後ろに隠れた。エルフィとシルフィは腰に携えた剣に手をかけ、ヴァルマの一歩前で構えている。
「お、おい。いきなりヤツか?」
「いや、その割には甲冑の音が聞こえてこない。別な何かだろう」
 確かに一般的な騎士の甲冑というものは、見ただけでも実に重苦しいものだ。あんなものを着込んで走れば、否応なしにがちゃがちゃと耳うるさい音を立てるはずだ。
 音を立てながら大扉が内側から開かれる。俺達はより緊張しながら、いつでも動けるように身構えて視線を大扉に集中させる。
 ゆっくり左右に分かれていく扉。その間から人影がぬらりと現れる。
「はあはあはあ……あんたら?」
 現れたのは、顔中に汗をかいて息を切らせている一人の男だった。
 男はもう一人別の男を背負っていた。そちらは逆にぐったりとしていてピクリとも動かない。良く見ると、背負っている男の服が血で汚れている。それは背負われている男から流れ滴っている。
 もしや……。
 一瞬で何があったのか理解出来た。この状況の原因は、もはや一つしか考えられない。
「た、頼む! 助けてやってくれ! 弟が死にそうなんだ!」
 そう叫ぶ男の左腕も、脱力してぶらぶらと揺れている。見た目にも折れているようだ。
「そこに寝かせて下さい。私は法術師です」
 と、すぐさまセシアはそう男に指示し、自分は上着を脱いで俺に預けた。
 既にセシアは震えも止まっており、法術師の姿になっていた。救命を何よりも優先させる法術師にとって、幽霊がどうこうというよりも瀕死の重傷人を助けることの方が遥かに重要なのだ。
「アンタ、法術師なのか!? ありがたい!」
 男はゆっくりと背中に背負った弟の体を石床の上に寝かせる。
 左肩口から脇腹にかけて、一刀の元に斬り捨てられている。傷口からして、相当の腕前の持ち主のようだ。
 男の弟はセシアに任せ、俺達はセシアから少し離れた石畳の上に場所を移した。セシアが治療に集中出来るようにするためだ。
「少し我慢してください」
「すぐに済みます」
 エルフィとシルフィが男の左腕を掴んでいる。
「いきますよ」
「せーの」
 瞬間、男の顔が苦痛に歪んだ。
 エルフィとシルフィが、折れた骨を元の位置に合わせたのだ。これはあまりの激痛を伴うため、普通の神経では自分でやる事は出来ない。
「とりあえずの手当てをします」
「町に戻ったら医者に診てもらってください」
 エルフィとシルフィは男の腕に当て木をし、包帯でぐるぐるときつく固定する。
 そういや、こいつらも変わったよな……。
 以前の二人なら、絶対に見ず知らずの他人の手当てなんてしないはず。それこそ死に掛けていたとしても、手当てもとどめもしてやらないだろう。ヴァルマと同じ、何か心境の変化があったのだろう。なんか二人らしくない気もしたが、見ていてこれまでよりもずっと良い印象が抱けた。ケガ人に対して優しい気持ちになれるようになった二人を見ていると、なんだか気持ちが明るくなっていくような気がした。
「それは、鮮血の騎士にやられたのか?」
 手当ても終わり落ち着いてきた男にヴァルマは問い掛ける。
「ああ……。ヤツを仕留めて一儲けしようと思ってたんだが……とんだ目に遭った」
 男は表情を青ざめて、視線を石畳の上に落としながら答える。
 口調は重苦しく、何かに対する恐怖感のようなものが感じられた。
「あんたらは恩人だから忠告するが、ヤツだけはやめておいた方がいい。ヤツは化けモンだ」
「どんなヤツなんだ?」
「噂通り、全身を隙間なく甲冑で覆っていた。さすがに赤くはなかったがな。右手にはでっかい剣を持っていてさ。甲冑をつけてるとは思えねえくらい恐ろしいスピードで走ってきやがって。俺はバトルアックスが獲物だったんだが、ヤツはそれをかわすどころか甲冑で受け止めて……。思い切り横殴りにされた。それでこの腕だ」
 と手当てのされた左手にそっと手を置く。
 バトルアックスとは超重量級の武器だ。斬ると言うよりも叩き潰すに近い。
 幾ら甲冑が頑丈だったとしても、バトルアックスの直撃を受けたら無事で済むはずがない。そもそも、バトルアックスとはそういう甲冑対策から生まれた武器だ。
「弟は剣士なんだが、アカデミーを卒業してそれなりに腕は立つんだ。にもかかわらず、その弟も一太刀浴びせるどころか、逆に斬り捨てられて……。防ぐ暇もなかったらしく、モロに一撃だった」
 俺はさっき見た傷口を思い出した。
 剣で防ぎきれずに受けた傷、という感じではなかった。完全にノーガード状態から叩き斬られたような、まったく防御の片鱗も見当たらない傷だ。
 どこかのアカデミーで正統な剣術を習ったにも拘わらず、あれだけの傷を受けたという事は。その鮮血の騎士という人間は相当の腕前を持っているようだ。もしかすると、エルフィやシルフィなんかよりもずっと優れた剣術の腕を持っているのかもしれない。
「ヤツを相手にするのは考え直した方がいいぜ。ありゃあ、並の人間じゃねえ。軍隊でも引っ張ってこない限り絶対に倒せねえ」