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「こいつがか……」
 漆黒の甲冑を身にまとった騎士は、ゆっくりと鞘から両刃の剣を抜き放った。剣を構えた途端、凄まじい殺気を放ち始めた。俺達を自身の敵と認知したようだ。鮮血の騎士は、この廃墟となった城の敷地内へ踏み入った者に対して、情け容赦なく襲い掛かると言われている。確かに向こうにしてみれば、俺達は無断で立ち入った侵入者かもしれない。だが俺達の常識で考えると、こんな廃墟に立ち入るのにいちいち誰かの許可なんて必要はないはずだ。第一、この鮮血の騎士がこの城の関係者であるという証明すらないと言うのに。
「問答無用のようだな」
「ああ。噂通りって言やあ、噂通りだな」
 鮮血の騎士はゆっくりと間合いを詰めてくる。放つ濃密な殺気がねっとりと首筋にからみついてくる。
「エル、シル。油断はするなよ」
「はい」
「はい」
 先ほどまでとは打って変わって真剣な表情の二人。二人ほどの剣士ならば、相手の技量を推し量る事ぐらいは造作もない。相手の技量を量り誤るのは未熟な人間がする事だ。
「行きます」
「行きます」
 エルフィとシルフィは、剣を構えて突進する。
 うわっ、速ェ!
 ハッと思った時は、既に十歩の距離を進んでいる。疾風とはまさにこの事だ。
 真っ直ぐ突進していった二人は、騎士の前で左右に弾けるように分かれる。二人の体は、重力に逆らって廊下の左右それぞれの壁に地面へそうするよう両足をつけている。そのまま壁を蹴り、騎士に向かって突進する。人間の視界の広さは多少個人差はあるものの、最大でも百八十度を超える事はない。しかも鮮血の騎士は頭部を全て覆う鉄仮面を被っている。一般に顔を覆うものは人間の視界を酷く狭める。前方が何とか見えるのが精一杯で、とても走る事すら躊躇うほどだ。
 二人の侵入角度は鮮血の騎士の側部を捉えていた。あの速度の接近を、鉄仮面を被って視界の狭まった状態で捉えられるはずがない。完全に死角である。
 エルフィとシルフィは、まったく同じタイミングで空中姿勢から剣を構える。
 そして斬撃。
 が。
 金属同士のぶつかり合う、鋭い音が辺りに響き渡る。
「む……」
 ヴァルマが少々渋い顔をした。
 鮮血の騎士は、左から襲い掛かるエルフィの剣を抜き放った自分の剣の刀身で、右から襲い掛かるシルフィの剣を黒い鞘で受け止めてしまった。
 確定的と思われていた今の攻撃にも、鮮血の騎士は何事もなかったかのように平然としている。全くその場から微動だにしていない。
「思ったよりもやるようだな……」
 ヴァルマは周囲に無数の水球を漂わせたまま突進する。
 鮮血の騎士は二人の剣撃の衝撃を吸収すると、そのまま二人を激しく弾き飛ばした。二人の体は驚くほど大きく跳ね飛ぶ。
「エル! シル!」
 その掛け声と共に、ヴァルマは二枚の水の板を中空に生成する。すると跳ね飛ばされた二人は、まるで初めから示し合わせたように水の壁を蹴って床に着地する。
「行け!」
 ヴァルマは鮮血の騎士を指差す。すると、周囲を漂っていた無数の水球が錐状に形を変質させ、一斉に指差した方へ向かっていく。
 無数の水錐は鮮血の騎士に次々と襲い掛かる。一発一発が凄まじい貫通力を持っているのだ。あれを受けてしまえば、如何に頑丈な甲冑で全身を覆っていたとしても、瞬く間に蜂の巣と化してしまう。
 だが、鮮血の騎士はゆっくりと剣を構えた。
 そして、一閃。
「うわっ!」
 凄まじい突風が襲い掛かる。一瞬、カマイタチのような魔術かと思ったが、それとは違う風だ。すると、鮮血の騎士に向かっていたはずの水錐が一変してヴァルマに襲い掛かってきた。魔術を跳ね返したのだ。
「フン」
 だがヴァルマも平然と障壁を張り、防御体勢を取る。障壁に自ら突っ込んだ水錐は次々と潰れていき空中で霧散する。
「手加減をする必要はないようだな」
 ヴァルマは懐から一冊の本を取り出した。
 神器、Mの書だ。これはあらゆる情報処理に精通した知略型という珍しい神器である。
「索敵開始」
『かしこまりました、マスター』
 Mの書から一筋の赤い光が伸び、鮮血の騎士を照らす。
 いよいよここからがMの書の恐ろしい所だ。Mの書は対象に関する情報を根こそぎ引き出す。ただでさえ分析力のあるヴァルマに全ての情報を知られてしまうのだから、もはや相手は勝つ要素を皆無である。
 どうやら俺の出番はないみたいだ。このまま、この鮮血の騎士はヴァルマにボコボコにされて身包み剥がされてしまうだろう。その仮面の中の素顔も白日の下に晒されるという事だ。
 そう俺は安堵していた。鮮血の騎士の実力はかなりのものだが、それでもまだヴァルマには及ばない。ヴァルマの強さは俺は良く知っている。単なる力押しではない強さをヴァルマは誇っているのだ。
 だが。
『エラー。原因不明の不正処理が発生しました』
「何ッ?」
 突然、Mの書は無機質な声でそうヴァルマに告げる。早口で良く分からなかったな、エラーとか不正とか、なにやら良からぬ響きの単語が聞こえた。
『パフォーマンスが著しく低下しています。これより自己診断に入ります』
 そのまま一方的にMの書はパタンと閉じて動かなくなった。完全におとなしくなり、完全に普通の本に戻ってしまった。
「な……こんな事は初めてだ」
 ヴァルマは信じられないといった表情をしている。こんな顔をするのは珍しい。それだけこのMの書の行動が意外だったのだろう。
「どうしたんだよ、急に」
「分からん……。とにかく、まずい事態になった」
 苦々しく口元を歪めるヴァルマ。
 状況はすこぶる悪い。
 鮮血の騎士は、この中で最も速いエルフィとシルフィの速度にすら反応してくる。ヴァルマのMの書は動かなくなった。そしてセシアは先ほどから不調を訴えている。これだけの不安要素が揃ってしまうと、もはや仕留めるどうこう言っていられない。
「仕方あるまい。一度、この場は預けるぞ」
 Mの書を懐に仕舞うと、そう皆に告げる。
「突破するのか?」
「ああ。出直す必要がある」
 確かにその通りだ。戦況は明らかにこちらが不利だ。それに、こんな狭い所では大人数であるこちらがかえって不利だ。
「私が先陣を切る。ガイアはしんがりを頼む」
「分かった」
 ヴァルマは短い黒色の棒を取り出した。魔杖レーヴァンテイン。ヴァルマがアカデミーから授与された神器だ。
「『王者の炎は全てを屠る覇者の炎』」
 起動韻詩を踏むと、杖の先からオレンジ色の炎が勢い良く噴出して剣状の形を作る。あの炎の刃の前にはあらゆるものが焼き切られる。威力は文字通り我が身で実証済みだ。
「セシア、走れるか?」
「ええ、大丈夫よ」
 あまり顔色は良くなかったが、どうにか走れそうではある。
「セシアは私達の後について来て」
「セシアは私達の後について来て」
 エルフィがセシアの手を取る。
 俺はしんがりだ。
 最後尾はそれなりにリスクを伴う。俺の対処の如何にでパーティ全員の命運すら左右される。気合を入れて望まねば。
 ゆっくり深呼吸をしながら肺に酸素と魔素を取り込む。取り込んだ魔素に流体するイメージを与えて変質させ、それを右手に集める。魔力の状態で駐在させておけば、魔術や障壁と臨機応変に対処しやすいのである。
「行くぞ」
 ヴァルマはレーヴァンテインを構えて突進する。その後ろにエルフィとシルフィ、セシア、そして俺という順番に続いていく。
 鮮血の騎士は俺達の突進に剣を構え直す。
「食らえ!」
 ヴァルマはいきなりレーヴァンテインで斬りかかった。ぼうっ、と空気を焦がしながら微妙に弧の形に反りながら鮮血の騎士を襲う。激しく音を立ててぶつかり合う両者の剣。その隙をつき、エルフィとシルフィ、そしてエルフィに手を引かれながらセシアが膠着する二人の脇をすり抜ける。
「ハアァッ!」
 ヴァルマは左足で鮮血の騎士を蹴り飛ばす。強固な装備の鮮血の騎士も、さすがに魔宝珠で強化されているその蹴りには僅かに体勢をよろめかせた。
「ガイア!」
 その叫びと同時に、俺は左足を踏み切った。
 右手に炎を作り出す。それをそのまま鮮血の騎士の顔面に目掛けて叩きつけた。同時に、一気に魔力を解放する。一定範囲を急速に発火させると、それは爆発を生み出す。その爆発力は、盛大な爆音と共に鮮血の騎士の体を床に叩きつけた。僅かに床に体がめり込んでいる。
 手応えはあった。これでしばらくは動けないはず。
「急げ!」
 俺は手招きするヴァルマを追って出口へと走り出す。
 しかし。
 背後から聞こえてくる、金属が擦れ合う音。
 俺の魔術は完全にクリーンヒットしたというのに。俺が振り返って一歩目を踏み出すまでの僅かな時間の間に、鮮血の騎士は何事もなかったように立ち上がっていた。
 おいおい、嘘だろ……?
 普段は人間相手には手加減はするのだが、今回ばかりはかなり丈夫な甲冑を着込んでいるので全く手加減はしなかった。破壊力という破壊力を頭部一点へ集中させてぶつけてやったのに。ダメージを負うどころか、頭部を覆う鉄仮面にすら傷一つついていない。
 俺の驚きを他所に、鮮血の騎士は再び剣を振り上げて斬りかかってきた。
 まずい!
 俺は右手に残っていた魔力を解放し、障壁を展開しようとする。
 え……?
 その時、俺は自分の中に湧き起こった、あまりに不可解な感情に戸惑った。
 どうしてだ!? 避けたくない……?
 それが何を意味するのかは分かっている。どれだけ馬鹿げた事なのかもだ。それでも、体が動かなかった。視線は剣に釘付けになったままだ。
「ガイア!?」
 みんなの驚愕の声が聞こえる。
 ちょっと待て! なんで俺は避けたくないんだ!? こんなシュールな冗談なんかしたってしょうがないだろ!?
 そして、剣は振り下ろされた。