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 鮮血の騎士が潜伏する古城は、昨日と何ら変わりない不気味さだった。中は相変わらず薄暗くて黴臭く、そこかしこが埃っぽい。ひび割れた壁や、その残骸が散乱する床も昨日来た時のままだ。
「セシア、今日はどうだ?」
 昨日セシアは、この古城に密集する霊体の気配に当たり、著しく気分を悪くし体調を崩した。そのため昨夜の内に対策として抗霊ファランクスを背中に描いた。霊体過敏症のセシアだが、このファランクスがある程度の低級な霊を自動的に退魔処理してくれるので、幾分かは余計な気配に悩まされなくなる。
「大丈夫。これは治療よりも自信があるもの」
 そう余裕たっぷりに答えたセシアには、昨日のような顔色の悪さや過剰とも思える震えの様子はまったく見られない。治療よりも退魔の方に自信があるというのは、つまり霊体系の魔物を恐れるあまりいつの間にか上達したという事だろう。
 城内には物音一つ聞こえては来ない。まるで人っ子一人いないようである。あまりに城が広過ぎるため、鮮血の騎士の気配も感じられないのだろう。
「さて。それじゃあまずはどこに行く?」
「そうだな。では本日は私が先頭を歩こう」
 ヴァルマを先頭に、その後ろにエルフィとシルフィ、セシア、そして俺が最後尾を歩く。最後尾は一番安全そうに思えるが、実際はまったく逆である。敵が後ろから襲い掛かるのは大概は奇襲だ。その奇襲に対して最も迅速に対応しなくてはいけないのが最後尾である。ボーっとしていたら、振り向く間もなくやられてしまう。そういった意味で、最も危険性の高いポジションである。
 最初ヴァルマが向かった先は、二階にある謁見の間だった。部屋の入り口には、軽くヴァルマの二倍ほどの高さもある観音開きの扉があった。かつてはそれなりに威厳や伝統などの趣を感じさせる姿だったのだろうが、長い月日がこの扉を単なる行く手を阻む汚い壁に変えてしまっている。塗装はことごとく剥げ落ちて材質が剥き出しになり、おそらく貼られていたであろう金箔も消えて赤茶に錆びついた鉄の姿があらわになっている。
「む……かなり重いな」
 ヴァルマは僅かに力を込めて扉を部屋の中へ押し込むようにして開いた。ずずず、と扉と床が擦れ合う音が響き渡り、積もっていた埃が宙を舞う。
「もう少し静かに開けるべきだったな」
 舞う埃を見て苦笑するヴァルマ。口元を手で覆い、もう片方の手で目の前だけでも埃を払いながら中に入る。昔のように僅かな埃ぐらいで咳き込む事はないだろうが、やはりクセが残っているらしく、ヴァルマもなるべく吸い込まないように気を使っている姿がなんだかおかしい。
「わあ、大きな部屋ですね」
「わあ、広い部屋ですね」
 エルフィとシルフィは感嘆の声を上げながら周囲天井をゆっくりと見渡す。
 国王が国民と顔を合わせるためだけの部屋とはいえ、さすがに一国の主だけありとてつもない広さだった。クモの巣やひび割れが目立つものの、かつての繁栄の証がそこかしこから感じられる。
「次は王の間に向かうぞ」
 ここには何も収穫はないと見たのか、早々にヴァルマは先に進んで行く。その後に俺達も遅れず続いていく。
「ねえ、ヴァルマ。何か考えがあって歩いてるの?」
「ああ。とりあえず、城の中でも王族に馴染みの深そうな所にと考えている。鮮血の騎士がこの廃墟となった城を守る理由は分からないが、何か立ち入らせたくないものでもあるのだろう。それは金や宝石といった価値のあるものではなく、どちらかというと伝統などの文化的見地からでの重要なものと踏む」
「今は廃墟でも、自分が使えていた王の住居を荒らさせるのは許さない、ってことかしら?」
「大方そんな所だろう。城内のほとんどは既に荒らされている以上、他に守らなくてはいけない重要かつ神聖で絶対不可侵な場所といったら、王族の私室や後宮ぐらいのものだ。そこを重点的に警備して回っていると私は踏んでいる」
「理にはかなってるわね。でも、どうして今頃になって? 鮮血の騎士が出始めたのって、そんなに前の事でもないらしいのに」
「それは直接本人に訊けばいいさ。我々の目的はヤツの行動理由の調査ではないのだから」
「それもそうね」
 そして俺達は謁見の間より更に奥へと進んでいった。通常ならば、城の住人でも限られた人間しか入る事の許されないゾーンだ。今ではもうどうでもいい事だが、本来ここに平民が入ってくる事は極めて恐れ多い事だ。
 長い廊下を抜けて王室へ入る。そこもまた長い年月の経過を思わせる雑然とした状態だった。窓ガラスも割れ、高級そうな家具も傷みを通り越して腐食さえしている。とてもここに、かつて一国の主が座って業務をこなしていたとは想像も出来ない。
「どうやらここも空振りのようだな。では後宮に向かう事にしよう」
 後宮とは、一言で言ってしまえば王の邸宅である。だが、その大きさはどの国もご多分に漏れず常識外れの大きさで、城自体よりも大きいという事が珍しくはない。後宮には基本的に女性しか入れない事になっている。理由は、王女に妙な気を起こさせないためだ。だから世話役も皆、総じて女性なのである。
 そんな巨大な住居に、王は妃と王子王女と生活するのだが。必ず全ての王がそうであるとは言えないが、王はよく愛人を囲うものである。妃が世継ぎを生まなかった場合のキープ、と言うと聞こえは悪いが、実際はそのために数多くの女性を第二、第三王妃として迎え入れる事を公然として認められている。重婚が犯罪である国でもだ。しかし実際の所、単に王が見初めた女性を片っ端から囲っているだけというのが現実である。早い話がハーレムだ。もし俺が王様になれたら、もう何十人と愛人を囲ってやる。王という特権をいかし、美女という美女を世界中から集めてやるのだ。所詮、深めれば深めるほど虚しくなる妄想だが。
 そういえば。
 過去にそれを実際に行い、行政そっちのけでやりたい放題やっているうちに国の財政が大きく傾き、諸外国との関係も悪化、国民の非難も高まり、遂にはクーデターまで起きて失脚した国王がいた。それを考えると、俺はやっぱり王なんぞにはならないほうが良いのかもしれない。政治やらなんやら小難しい事などサッパリ分からないし、無能な王様一人のせいで大勢の人間を苦しめる訳にはいかない。
 回廊を抜け、ようやく薄暗い城内から中庭に出る。するとそこには城と後宮を隔てる堅牢な壁と物々しい金属製の扉があった。これもまた長年に渡り風雨にさらされ続けてきたため、赤茶色に錆びきっている。
「だいぶ錆び付いているな……果たして開くだろうか」
 ヴァルマは扉に手を当て、ゆくっりと奥へ押し込む。しかし、幾ら力を込めても一向に扉は開かない。
「んじゃ、俺も」
 俺もヴァルマに並んで扉を押し始めた。
「ぐぐぐ……」
 力を込めても込めても、扉はぴくりとも動かない。男二人が必死になって押しているのに、少しも動かないというのは変だ。これはきっと錆びているだけのせいではない。
「もしかすると、内側から閂をかけられているかもしれん」
「じゃあ、どうする? これはさすがに乗り越えられる高さじゃないぞ」
 城壁を見上げると、低く見積もっても十メートル弱。俺は助走を付けてもせいぜい二メートルちょいしか跳ぶ事は出来ない。城壁を這い上がっていくという方法もあるにはあるが、さすがにアカデミーではそんなスキルは教えてくれなかった。自力でやるなんてのは、あまりに酔狂な高さだ。
「破壊するにも、遺跡に傷をつけるのは少々忍びないしな。どこか回り道でも出来ないだろうか」
「兄様、あそこ」
「兄様、あそこ」
 ふとエルフィとシルフィが上を指差した。見上げると、そこには城から後宮へ続く高架廊下があった。今では特に珍しくもないものだ。建設技術の進歩に伴い、より高い建造物を造る事が出来るようになったが、反面、建物と建物の移動が非常に面倒になった。それを補うための、いわば苦肉の策的なものだ。強引に向こう側の建物の二階や三階に橋をかけるようなものなのだから。
「どうやらあれから向かった方がいいようだな」
 俺達は一旦城の中に引き返し、その高架廊下に向かった。急ごしらえ的に生まれた建設技術の産物とはいえ、普通に街中にあるような石橋と変わらない造りだった。ただ、少々幅は狭く、おそらく人がぎりぎりすれ違えるほどだろう。
「なあ。これ、壊れないか? 造ってから恐ろしいほど年月が経ってるんだろ」
「問題はない。橋というものは力学的に基づいた非常にバランスの良い建造物だ。君に説明しても理解は出来ないだろうが、とにかく力の均衡が崩れない以上、よほど風化していない限りは崩れる事はない」
「本当だろうな……」
「では行くぞ」
 ヴァルマは何の臆面もなく橋を渡り始めた。その後ろをエルフィとシルフィがちょこちょことついていく。
「本当に大丈夫だろうな……」
「大丈夫だっていう本人が渡ってるんだし、大丈夫なんじゃないの?」
 とは言っても、俺もセシアも少々不安は隠せなかった。それだけこの石橋が古めかしく、今にも崩れ落ちそうに見えるのだ。
 俺達はおっかなびっくりに、恐る恐るアシを踏み出していく。確かに足場がぐらついたりするような事はないものの、やはりどうも理屈だけで考え生きていく事など俺には出来ない。
 やがて橋も半ばまで差し掛かったその時。突然、前を歩いていたヴァルマが立ち止まった。
「うきゃっ!」
「うきゃっ!」
 周囲の景色に気を取られていた二人は急に立ち止まったヴァルマに気づかず、そのまま背中にぶつかる。
「どうしたんだ? 急に止まって」
「しまった……」
 ヴァルマは大きく目を見開き悔しげな表情を浮かべている。
 一体どういう事だ? しまった、って。まるで何かにハメられたような―――。
 と。
 がちゃん。
 背後から唐突に聞こえてきた金属音。
 ハッと俺は振り返る。
「うわ……出たぞ」
 そこには案の定、あの鮮血の騎士の姿があった。全身を黒い甲冑で隙間なく包み、右手には大きな両刃の剣を携えている。
 まずい……。ここで戦うには足場が悪過ぎる。
 俺はすぐさま魔力を右手に集め戦闘態勢に入る。とりあえず、最後尾の俺がヤツを食い止めておかなければ。このままでは一対一でバタバタとやられていってしまう。
「走れ! 急いで向こう側まで渡るぞ!」
 急にヴァルマは切迫した様子でそう叫んだ。普段冷静なヴァルマにしては珍しく声を張っている。
 は? 何がどうしてだ?
 そう俺が疑問符を浮かべた次の瞬間、鮮血の騎士はゆっくり剣を振り上げ、そのままこの高架廊下と城の繋ぎ目部分に思い切り突き立てた。刀身が面白いようにすんなりと石の中に飲み込まれる。そしてそのまま横に振り抜いた。
「うわっ!?」
 刹那、今までぴくりともしなかった石橋が、いきなりがくんと大きく揺れた。
「な、なんだ!?」
「急ぐんだ! 橋が崩れるぞ!」
 え……? マジですか?
 ようやく俺の頭の中に危険信号が灯った。次の瞬間には弾けるように走り出した。ここから地上までは、目測で三十メートルはありそうだ。常識で考えても、まず無事で済む高さではない。
 落下する事への恐怖から、俺は無我夢中で走った。俺の数歩前を走るセシアも同じように必死で走っている。
 しかし、足場は俺達よりも速く亀裂が走っていく。どんどん感触が頼りなくなっていく足元。
 やがてそれが完全に消え失せた。ガラガラという崩壊の音がやけにはっきりと聞こえる。
 俺達は、そのまま宙を舞った。