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「うわあっ!?」
 俺が目を覚ますのと叫び声を上げるのはほぼ同時だった。
 辺りを見回すと、そこは見慣れぬ草木に囲まれた場所だった。奥にはのっしりとそびえ立つような廃墟が立ちはだかっている。あれは後宮だろうか? となると、ここは中庭という事になる。
「あ……ガイア」
「あ……ガイア」
 俺の傍には焚き火が焚かれてあった。その向こう側にエルフィとシルフィが膝を抱き締めながら座って俺を見ている。
「俺は……どうしたんだ?」
 何故か全身に寒気があった。髪や服がじっとりと濡れて重く冷たくなっている。上着は誰かに脱がされ、焚き火の傍に吊るされている。よく見ると俺だけでなくセシアの上着もある。
 これはなんだ? 何がどうなってる?
 随分と気絶していたらしく、記憶が断片的にしか思い出せない。確か鮮血の騎士に橋の上から落とされたと思うんだが―――。
「あれ? セシアとヴァルマは?」
 すると二人は無言で横に視線を向ける。
 焚き火のすぐ傍、俺の背後の方向に二人の姿はあった。
 ヴァルマは芝の上に横たわっていた。セシアはヴァルマの額に手を当てて法術を行っている。薄っすらと淡い光がヴァルマの頭を包み込んでいる。セシアは一心不乱に詠唱をぶつぶつと唱え続けている。
 ヴァルマはぐったりとしたまま動かなかった。四肢は力なくだらんとしている。よく見ると、頭から酷く出血していて顔の方まで赤く染まっていた。今は新しい出血はしていないようだが、それはセシアが法術で抑えているせいだ。
「ど、どうしたんだ?」
 思わず俺は立ち上がり、二人の傍に駆け寄ろうとした。だが、すかさずセシアが俺に向かって厳しい視線を送ってくる。邪魔だ、という意味だ。
 法術とは魔術とは違い、非常に繊細な技術を要する。特に治療は人命に関わるシビアなもので、力が及ばなかったのならともかく、決して失敗は許されない。そのため常に全力を出せるために詠唱を行い、また視覚が色の判別を出来なくなるほど集中しなくてはいけないのだ。
 セシアの緊迫した表情から、ヴァルマの容態は予断を許さぬかなり切迫した状態のようだ。ちょっと頭を切っただけ、というような生易しいものではないらしい。
 俺はセシアの邪魔にならぬよう、起こしかけた腰を再び下ろす。
「兄様が……」
「兄様が……」
 二人は今にも泣き出さんばかりに、目に溢れそうなほど涙を浮かべている。それを隠すかのように抱き締めた膝に顔を埋める。
「橋から落ちた時、私達をかばったせいで……」
「頭を打ったんです。それから目が覚めなくて……」
 おいおい、マジかよ……。
 見上げると、建物の遥か上に橋と橋の接合部分の残骸が僅かに残っている。本当にあそこから落ちたのかと思うと、身の毛のよだつ思いだ。
 あの高さから落ちて、しかも頭を打ったなんて。普通に落ちただけでも助かるかどうかは危うい高さだ。頭を打ってもまだ手の施しようがあるヴァルマの耐久力は驚異的だ。それだけ神器がもたらした力は凄まじいというのだろう。
「私達をかばわなかったら、あんな事にならなかったのに……」
「私達をかばわなかったら、あんな事にならなかったのに……」
 二人は身を寄せ合うようにして悲しみに暮れている。
 エルフィとシルフィは、たった一人の肉親であるヴァルマを心から愛している。兄弟とか家族とか、そういった俺達の既成概念とは違うルナティックのようなものだが、大切な存在である事には代わりはない。その大切な人間が、自分達をかばった事で命の危機に瀕してしまったのだ。悲しみの他に自分達の不甲斐無さが憎くて仕方がないのだろう。
「そういう事を言うなって。もしそうしたとしても、今度はヴァルマが同じセリフを言うんだぞ。自分がかばっていれば、ってさ。それに、ヴァルマの体は神器で強化されてんじゃん。大丈夫だって」
「うん……」
「うん……」
 二人は涙を拭くぐらいの気力を取り戻し、埋めていた顔を上げる。
「そういやさ、何で俺、濡れてんだ?」
「ガイアとセシアは、偶然そこの池に落ちたんです」
「水深が深かったので、気絶だけで済んだんです」
 二人が指差した向こう側に、大きな人工の池があった。小さな水路も掘られており、水の流れもあるため淀んではいない。どうやら何か水棲生物を飼うためのもののようだ。
「なるほど。だから濡れているのか」
 もしここに落ちなかったら、間違いなく俺もセシアも即死だ。ヴァルマは神器で体を強化し異常なまでの頑丈さを持っている。そのヴァルマがあんな大怪我をするのだから、生身の人間ならば骨などぐちゃぐちゃに砕け散ってしまうだろう。
「少し乾かすといいです」
「少し乾かすといいです」
「ああ、そうするよ」
 俺は濡れたせいで冷たくなった体を焚き火の炎にかざす。じんわりと柔らかな熱が伝わってくる。その感触にひたるにつれ、意識の方も大分落ち着いて整合性も取り戻せてきた。
 そういえば、さっきのあれ。
 俺が気を失っている間に見ていたあの映像はさっきまで俺が見ていたものは一体何だったのだろう? 夢と考えるのが妥当な線だが、夢にしてはあまりにリアル過ぎる。第一、夢というものは基本的には過去の記憶から構成されるものだ。まったく俺自身に身の憶えがなく、しかもあんなに現実味を帯びた夢が果たしてあるだろうか?
 だったら、こうは考えられないだろうか? あれは俺の夢ではなく、誰かの記憶を偶然覗き見てしまったものだ、と。原理や仕組みどうこうという理屈は、勿論抜きで考えるとしてだ。
 千人団長に選ばれるほどの実力を持った騎士、イブリーズ。そして、彼が仕える国の王女、ベアトリーチェ。城を襲った戦火の中で、悲劇的にも王女は命を落としてしまった。彼女と将来を約束した騎士、イブリーズのその後の行方は不明だが、もしかするとあの鮮血の騎士の正体とは―――。
 不可解なピースが少しずつ合わさり、真実の片鱗が見えかけてきた。鮮血の騎士も、昨夜橋の上で逢ったあの女性も、この事に深く関わっている大事な要素だったのだ。だが、まだ謎を解くための決定打が足りない。そのためには鮮血の騎士と真っ向から対峙する必要がある。どうしてここに現れ、何のために留まっているのか。その理由を聞き出さなくてはいけない。
 と―――。
「あ」
 ふと後宮を見上げたその時。あのベランダに、いつの間にか鮮血の騎士の姿があった。黒い鉄仮面の向こう側から、こちらをじっと見つめる視線が痛いほどひしひしと感じる。
 鮮血の騎士は俺を一瞥すると、スッと奥に消えていった。
 来い、という事か? もしくは、これ以上痛い目を見たくなければ立ち去れ、という事なのか。
 どちらにせよ、俺の意思はもう決まっている。これ以上、あいつにこんな事を続けさせる訳にもいくまい。真実の片鱗に触れたい以上、俺が終止符を打ってやらないと。
「さてと。俺、ちょっと行って来るわ」
 俺は立ち上がり、自分の上着を触ってみた。未だたっぷりと水が染み込んでいて乾くまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 服もまだ半渇きの状態で、ズボンも足に張り付いてきて気持ち悪い。だが、着替えなどの荷物は置いてきたから、この際は仕方がない。
「どこへ……?」
「どこへ……?」
「あいつの所」
 先ほどのあれで、あの鮮血の騎士が誰なのかははっきりと分かった。しかし、それにはまだ解せない部分は多々ある。ヴァルマが動ける状態であれば、もっと詳しく分かるのだが、今はとにかく俺が動くしかない。エルフィもシルフィも、ヴァルマがこんな状態では何かする気にもなれないだろう。俺一人というのは少々戦力的に不安だが、ヤツの剣の機能はヴァルマから聞かされているから何とかなるはずだ。
「じゃあな。ここ、頼むわ」
 そう二人に言い残し、俺は後宮へ足を向けた。
 すると、
「私も行く!」
 突然、そう口を開いて俺を呼び止めたのはエルフィだった。
「いいのか? こんな時にさ」
「だって、このままじゃ私……。だから」
 エルフィは立ち上がり、腰に携えた剣をぎゅっと握る。不安を必死で堪えている表情だ。
「私は兄様についていてあげます。今度は私が守る番だから」
「うん。兄様の事お願いね、シル」
「エルも気をつけてね」
 こいつらはいつも一緒にいるのに。別行動するなんて初めて見た。
 この三人の中で、やはり何かが変わってきているのだ。自分達の世界を作るために強固な殻の中に閉じこもっていた今までから抜け出しかかっているのだ。それが三人の意思なのか、自然の流れなのか、俺にはよく分からないが、三人にとっては絶対にプラスの方向に作用するのは間違いないだずだ。
「じゃあ、行くぞ」
「仕切るな」
 ぐしゃっと足を踏まれた。いつもの二分の一な分、まだ楽でいい。
「行って来るよ」
 最後に俺はセシアの肩に軽く手を乗せた。すると、セシアは治療を続けたまま俺の手の上に自分の手を重ねた。
 気をつけて。
 セシアのそんな声が聞こえた気がした。