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「いつまでこんな事を続けるつもりー?」
 これで何部屋を捜索しただろうか。そろそろ数えるのも面倒になりかけてきたその頃、遂にエルフィが露骨な不満を俺にぶつけてきた。
 とうとう来てしまったか……。
 正直、そろそろ来るなそろそろ来るな、とずっとハラハラし続けていたのだ。エルフィにしては我慢した方ではあるだろう。
「しゃーねーだろうが。あいつもサッパリ見つからんし。こうして何か手がかりがないかって探す以外に他ないだろ」
「で? 成果は?」
 まるで俺を嘲るかのような口調で、そう居丈高な表情をぶつけてくる。
 分かりきってるクセに……。
 今までずっと一緒に探して、いや、探したのはほとんど俺だけど、とにかく事の一部始終を知っていながらあえてそんな質問をしているのだ。質問というよりも嫌味だろうが、とにかく全く成果を出せなかった俺にとって、そういう言われ方は最も堪える。
「……いやいや、これからこれから」
「さっきからずっとそればっかりじゃない」
 突き刺さるエルフィの視線が冷たく痛い。俺はその視線にじっと耐えながら捜索に集中する。
 ゲストルームを一室一室訪れ、一通り部屋の中をチェックして回るだけの単純作業。何か鮮血の騎士について手がかりが見つかるかもしれない、という思いから始めたものだったが、現時点では見事に全くの無成果だ。一部屋二部屋、五分十分ならともかく。既に半時が経過しようとしている。こんな堂々巡りとも言えなくもない作業に一体何の意味があるのか疑問を抱き始めても無理はないだろう。
「ああ、もう嫌。耐えられない」
 エルフィは深い溜息をついたかと思うと、つかつかと部屋を出て行ってしまった。
「ちょっ、おい!」
 俺は慌ててその後を追う。
「おい、待てよ。どこに行く気だ」
「あのね、こんな事を続けてるくらいだったら、この建物の中を歩き回ってた方がまだ見つかるわよ」
「なに焦ってんだよ?」
「焦るわよ!」
 じろっとエルフィに見据えられ、俺は思わず身を固くする。普段からあまり良い扱いは受けてないが、かつてこれほど冷たく苛立った視線をぶつけられた事はない。
「どうしてこんな時にそう落ち着いていられる訳!? ガイアって昔からそうだった! いっつも不真面目でさ!」
 う……痛い所を。
 確かに俺のアカデミー時代は、とても誉められた生徒ではなかった。それほど勉強熱心という訳でもなかったし、日常では割とヘラヘラしてばっかりだった。自分でも自分がどれだけいい加減な人間なのかは十二分に理解している。けど、今はそんなつもりは一切ない。俺はヴァルマのように頭は回らないから、その分を動いてカバーするしかないのだ。結果的にこんな非効率的なやり方に頼らざるを得ないのだけど、あの鮮血の騎士を一刻も早く見つけたいという気持ちはエルフィと全く変わらないのだ。
 やはり過去の行動から抽出された俺のイメージが定着してしまっているのだろう。一応、こちらはかなり真剣にやっているつもりなのに。それが伝わらないのは少し悲しい。
「とにかく、私は勝手にやらせてもらうからね! ガイアも好きにすればいいわ!」
 ぷい、とまるで俺を突き放すかのように言い捨て、エルフィはつかつかと廊下を進んで行く。
 相当、頭に血が昇ってるみたいだな……。
 エルフィにとって何よりも大切なヴァルマがあんな事になったのだ。それも、きっかけを作ったのは鮮血の騎士である。彼に対して殺意を抱かないはずがない。ヴァルマの安否も気にはなるが、それ以上に鮮血の騎士に対してただならぬ憎しみを抱いているはずだ。今までは何とか我慢していたのだろうが、俺の空回りばかりのやり方に我慢が限界に来てしまった。
 仕方ない。まさか一人にする訳にいかないから、とりあえず今はエルフィに合わせておくか。
 ずんずんと先に先にと突き進むエルフィの形相は、とても普段の小生意気な表情からは想像出来ないほど鬼気迫っている。絶対に夜道では逢いたくない種の人間だ。
 お互い言葉を交わさぬまま、エルフィはどこ行くと決めている訳でもなく、ただ己の勘に従ってヅカヅカと進んで行く。俺は黙ってその後ろについていく。鮮血の騎士の気配は一向に感じる事が出来なかった。それ以前に、目の前のエルフィのピリピリした雰囲気が気になってしまい、どうにも辺りに集中する事が出来ない。メンタルコンディションは最悪だ。俺はなんだかヘコみ気味になってきたし、エルフィはイライラするあまり頭に血が昇ってすっかり冷静さを欠いている。もしもこんな時に、また急に鮮血の騎士に襲われでもしたらば。ただでさえメンツが減っているのだ。かなり不利な状況になってしまうのは明白だ。俺一人ならともかくとして。エルフィまでも不測の事態に陥らせる訳にはいかない。いざとなれば、奥の手を使う覚悟を決めておかなければいけないだろう。
 そっと目を閉じ、自分自身の瞳に意識を向ける。
 俺の両目は、生まれながらにして強力な呪詛の力を持つ邪眼と呼ばれる特異体質だ。負の感情を込めて相手の目を睨みつけるだけで、その人間に凄まじい災厄をもたらすのだ。俺の込めた感情が強ければ強いほど、より降りかかる災厄は強力になる。生命そのものを奪い去る事さえ容易に出来るのだ。それも誰にも気づかれることなく、必要以上の苦しみを与えながら。
 事実上、邪眼はこの世で最強の武器なのかもしれない。相手の目を睨むだけでいいのだ。そう何度も力を使ってしまった訳ではないが、邪眼の力から逃れる術は極々限られている。セシアは法術師には通用しないと言っているが、それもどこまでのラインかまでは知らない。一番の予防法は、決して視線を合わせない事だけだ。
 この力さえあれば、いかに鮮血の騎士が武勇に秀でていようが全く関係ない。最初の数秒間、俺が憎しみを込めて睨むだけでいい。それだけで俺達が確実かつ安全に勝つ事が出来る。でも、出来るならこの力は使いたくはない。邪眼の力がもたらすのは、災いのただ一つのみ。自分でも制御出来ない力を使ったため、より事態が悪化する可能性だってある。
 ふと俺は、エルフィとシルフィが、ザンテツはヴァルマを守る以外の目的では使わない、と言っていた事を思い出した。おれは二人に向かって、ザンテツでちゃちゃっとやってしまえばいい、と安易に言っていた。もし立場が変わり二人から、邪眼でちゃちゃっとやってしまえ、と言われたなら、俺は間違いなく断っていたはずだ。どちらも絶大な力である事は間違いない。そしてその力に対してものと、手にしている自分に対してのものと、二つの恐怖感を抱いているのだ。
 なんとなく、エルフィとシルフィがザンテツを使う事を拒否した理由が分かった気がした。二人とも俺のように、使わないで済むならば出来るだけ使いたくないのだ。
「止まって」
 ふと、先を歩いていたエルフィが立ち止まった。
「なんかしたか?」
「静かに」
 そう短く告げ、自分は目を閉じて辺り一面に注意網を飛ばす。
 まさか、鮮血の騎士の気配を見つけたのだろうか?
 ずっとエルフィは頭に血が昇って周囲が見えなくなっているものとばかり思っていた。どうやらそれは俺の思い過ごしのようだ。エルフィは俺とは違い、きちんと自分のメンタルコントロールが出来ている。やはり伊達に神器を授与されてはいないようだ。
 ぼそりとつぶやき、突然エルフィは走り出した。階段を凄まじいスピードで上って行き、あっと思った頃には既に姿が見えなくなりかけていた。
 慌ててエルフィの後を追う。ここで見失ってしまっては、エルフィと鮮血の騎士の一対一勝負になってしまう。幾らなんでも、あれほどの強さを持つ人間を一人で相手にするのは無謀としか言いようがない。
 この上は……屋上か?
 エルフィを辛うじて見失わないように俺は一度は降りたこの階段を駆け上がり続ける。どうやら俺の考えは正しいようだ。エルフィは一向にスピードを落とさずに最後の階段を駆け上がり始めた。
 エルフィに数十秒ほど遅れ、俺も屋上にたどり着いた。
 石畳の床が広がり、その周囲を腰ほどの高さの柵がぐるっと囲んでいる。おそらくかつては何やら装飾されていたのだろうが、今ではすっかり錆び付いてみすぼらしい姿になっている。
 屋上は風が強く、体に吹き付けてくる。その中、風に吹かれたまま鮮血の騎士は無言で立っていた。
 一体ここで何をしていたのだろうか? だが、そんな質問を投げかけた所で素直に返答してくれるような様子ではない。
「くっ……」
 鮮血の騎士と真っ向から対峙しているエルフィは、カタカタと全身が震えていた。左手が既にザンテツの鯉口を切りかけている。右手は柄を握ろうか握るまいか迷い、空中をうろうろと彷徨っている。
 ザンテツを使えば、幾ら頑丈なその甲冑でも容易に切断出来る。しかし、エルフィもシルフィもザンテツはヴァルマを守る時だけにしか使わないと決めているのだ。幾ら相手がヴァルマに重傷を負わせた憎い相手だとしても、一度決めた目的以外には使用してはならない。そう自分を戒めている。
 自分の戒律と抜き去りたい欲望と葛藤しているその姿は見ているだけでも胸が痛んだ。俺はたまらず声をかける。
「……エルフィ」
「大丈夫です……」
 静かにゆっくり息を吐き出し、乱れた心を落ち着ける。そしてもう一つの神器、羅刹の伐剣を抜き放った。
 エルフィは大丈夫のようだ。すぐに感情に流されてしまうほど未熟な精神構造の剣士ではないのだ。こうでなければ、アカデミーも神器など授与はさせなかっただろう。俺も右手に魔力を集めて構える。これまでの流れから、平和的解決などは選択肢から外れてしまっている。殺すつもりはないが、降伏させるだけのダメージは必要だ。鮮血の騎士はそんな俺達に呼応するかのように、あの両刃の大剣を抜き放った。斬りつけられた者から防御の概念を消し去ってしまう、恐ろしい力を秘めた剣だ。
「正面からやりあうのは無理だな」
「そんなの分かってます」
 口調もいつもの冷静なものに戻っている。口調は上がり調子でも、気持ちまでが上擦っている訳ではない。
「なあ。そっちの剣ではあいつにダメージを与えられるか?」
「狙う場所によります。どんなに頑丈な鎧でも、関節部はもろいですから」
「そうか。だったらいけるな」
 俺は魔力をもう少し多く体に取り込む。ここから先は全力で行かせてもらう。手加減など必要もなく、全力でやったところでもどう転ぶか分からないほど微妙な実力差なのだ。
「ガイア?」
「せいぜい二、三秒って所だ。それで何とかなりそうか?」
 エルフィは俺の意図を察知したらしく、こっくりとうなづく。
 それ以上は言葉を交わさなかった。戦いの中に身を置く者同士、言葉を用いなくてもある程度の意思の疎通は出来る。
「よし、行くぞ」
 それを合図に、俺達は前に踏み込んだ。
 俺よりも遥かに瞬発力のあるエルフィは、あっという間に俺の前に飛び出した。ここから先の流れも既に決まっている。そのシナリオを忠実に俺は再現していく。俺は右手に子供の頭ほどの大きさの火球をイメージする。それとほぼ同じタイミングで、鮮血の騎士がエルフィに向かい剣を振り上げかける。
「行け!」
 その瞬間、作り出した火球を撃ち放った。空気を焦がしながらオレンジ色の火球は、エルフィの横を抜け鮮血の騎士の元へ一直線に向かっていく。だが鮮血の騎士は、さほど驚く様子もなく火球を一刀の元に斬り捨てる。
 よし、かかったな。
 その隙にエルフィが鮮血の騎士の背後に回り込む。同時に俺は尚も突進し、懐へ飛び込む。
 案の定、鮮血の騎士の剣が襲い掛かってきた。俺にまとわりつかれないためにも、剣の間合い内で仕留めておくつもりだ。
 来たな……!
 たちまち俺の頭の中から防御という概念が崩される。決して受け止められないほどの速さではないのに、体があえてその身に受けることを甘んじようとしている。
 だが、これはもう予想していた事だった。今度はパニックを起こさない。
 防げないのならば、選ぶべき選択肢は―――。
「食らえ!」
 全魔力を爆発エネルギーに変換し、それをそのまま向かってくる剣に叩きつけた。
 耳をつんざくような爆発音が聞こえる。
 避ける事も受け止める事も出来ないのであれば、逆にこちらから攻撃をぶつけるしかない。それが俺が導き出した、フラガラッハの攻略法だ。
 鮮血の騎士は俺の思わぬ反撃に遭い、爆発の衝撃で剣を弾かれて無防備に振り上げた体勢に陥った。
 その隙をエルフィは逃さなかった。剣を構えたまま、鮮血の騎士の背中に突進する。神速とも言うべき、凄まじい速さだった。俺の動体視力がエルフィの動きについていけず見失う。その刹那、エルフィはいつの間にか俺のすぐ傍に現れた。およそ十メートルの距離を、一秒もかからぬ間に走り抜けたのである。
 鞘に収めたエルフィの剣が音を立てる。次の瞬間、鮮血の騎士の頭部がぐらりと揺れた。そのまま、鉄仮面が床に落ちる。
「うわ……」
 首が飛んだ。
 俺は思わず顔をしかめてしまった。あれでは確実に即死だ。確かに手加減してどうにかなる相手ではなかったが。
 仕方がないか……。
 そう溜息をついたその時。ふと俺はおかしな事に気がついた。鮮血の騎士は一向に倒れない。それどころか、断面からは血が一滴も流れていない。
「なあ、手応えはあったんだろう?」
「それが……」
 すると鮮血の騎士はおもむろにしゃがみ込むと鉄仮面を拾い上げた。そしてそれを元あった位置に戻す。切り落とされたはずの首は、再び胴体の上に乗っかる。
 はあ? おい、ちょっと待てよ! なんだそれ!?
 あまりの事に、俺は思わず取り乱しそうになった。こんな光景を、俺は生まれてからまだ一度も見た事がない。というより、こんな事が現実に起こりうるとは考えてもいなかったのだ。
「あのね、全然なかったの。手応え。まるで空気を斬ったみたいに」
 俺と同じく、すっかり狼狽の色に表情を染めたエルフィが不安げにそう告げる。
 おいおいおい……なんだよ、それ。
 生物は自分の一部を取り外したりする事は出来ない。しかしこいつはそれが出来る。
 もしかして、こいつは……。