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「ど、どうしてなの……?」
 エルフィは驚愕の表情を浮かべて唖然としていた。
 首を斬り落としたはずなのに手応えがない。しかし鉄仮面は甲冑の上から床に転げ落ちた。その下からは素顔の首は現れず、ただ何もない空間だけがあった。そして鮮血の騎士は鉄仮面を拾い上げ元の場所へ戻し、また何事もなかったかのようにしている。これだけの事が目の前で起きれば、エルフィではなくとも驚かずにはいられないはずだ。
 斬りつけた者から防御の意思を奪う剣、フラガラッハの攻略法は見つけた。俺の全力の一撃にもびくともしなかったあの甲冑も、エルフィの剣術があれば僅かな関節部の隙間を縫うという方法で打ち破る事が出来る。これらから、俺達は鮮血の騎士は倒せない相手ではないと判断した。だからこうして立ち合うために後を追ってきたのだ。勝算は十分にある。そもそも俺は身の程はわきまえているつもりだから、勝てない戦闘には絶対に参加しないのだ。
 だが。
 エルフィの一撃は、確かに鮮血の騎士の首を斬り落とした。頭を覆っていた鉄仮面が床に転げ落ちたのだから。にもかかわらず鮮血の騎士は、まるでテーブルの上からうっかり落としてしまったかのようにあっさりと己の頭部を拾い上げると、そのままくっつけてしまったのだ。
 生物は、自分の体の一部を自由に取り外す事は出来ない。俺は勿論、自分の首が落っこちてしまったら再び付け直すなんて事は出来ない。首が取れたらそれで終わりなのだから。
 一体、これはどうなっているんだ? イブリーズは何かしたのか?
 首を落とされても生きているイブリーズ。顔を覆う鉄仮面が、より一層不気味さを醸し出す。奇術師か何かのステージを見ているような錯覚に陥った。脳が理不尽な目の前の出来事に納得して気持ちを落ち着けさせるため、そんなどこからかとってつけたような理由を思い込ませようとしているのだ。
「とにかく、やるしかありません。首で駄目なら、全身をバラバラにするまで!」
 エルフィは再び闘志を奮い起こして剣を構える。だが、
「無駄だ。多分、そんな事をしたってヤツは倒せない」
 俺はそう言ってエルフィを諌めた。
「どういう事?」
「あいつ……人間じゃない」
 それが、これらの理不尽な現象を証明するのに最も適した解答だ。人間の範疇で考えるよりもずっと自然な答えだと思う。
 甲冑に首を引っ込めてやり過ごせなくもないかもしれないが、それはエルフィの剣の鋭さよりも更に鋭く首を引っ込められたらの話だ。そんな事、首を斬られて生きていられるのと同じぐらい不可能だ。エルフィの剣の鋭さは、剣の間合いの中で相手が一瞬でもまばたきしてしまえば、それだけで勝敗がつくほどのものだ。達人の間合いは結界と同じ、とよく言われるが、エルフィとシルフィの剣はまさにそれである。
 そう考えていけば、鮮血の騎士は人間ではないという答えには割と簡単に辿り着ける。
「まさか、ゴースト……?」
 エルフィは俺の言いたい事をすぐに理解し、そう答えた。その口振りからして、エルフィもどうやらある程度はその線で考えていたようである。
「そういうことだ。おそらくあの甲冑の中も、空っぽのはずだ」
 道理で幾ら攻撃しても手応えがないはずだ。
 昨日の戦闘では、俺は鮮血の騎士の顔面とみぞおち、特にみぞおちは全く手加減なしで攻撃したのだ。幾らあの甲冑が頑丈であろうとも、甲冑から人体に伝わる衝撃は途方もないものだ。一撃で致命傷になりうる事だってある。それが魔術師が恐れ珍重される理由なのだ。にもかかわらず、鮮血の騎士はまるで痛みを感じていないかのように平然としていた。それもそうだ。何故なら、あの甲冑の中には誰もいないのだから―――。
「じゃあ、もうセシアを呼んで来るしかないね」
 こういったゴーストなどの霊体系の魔物は法術師の得意分野だ。法術師はさまよえる霊を調伏する力を持っている。霊体系の魔物は実体を持たない。そのため、幾ら俺の魔術をぶつけようがエルフィが剣で斬ろうが倒す事は出来ないのである。
 鮮血の騎士がゴーストと知った以上、俺達には倒す事は出来ない。セシアの法術によって昇華する他ないのだ。
「それしかないな……。物理攻撃じゃ、水を切るようなモンだし」
「早く行こう! きっともう、兄様の治療だって終わってるはずだよ!」
 ヴァルマの治療を開始してから、もう小一時間は経っている。ヴァルマの怪我の度合いは、医術知識のない俺にはよく分からないが、セシアならばもうそろそろ治療し終えているはずだ。お疲れのところだろうが、もうひと頑張りしてもらわねばならない。
「ほら、早く!」
「いや……。エルフィ、お前一人で行け」
「え? どうして?」
「二人揃って背中を向けてみろ。あっという間にやられちまうぞ。だったら、足の速いお前が呼びに行って、俺が足止めをするのが一番理に適っている」
 エルフィほどの足があれば、鮮血の騎士を振り切るのは容易だろう。だが、あいにく俺は武器となるほどの機動力を持ち合わせていない。鮮血の騎士が人間でない以上、あの重い甲冑がどうこうなんて常識は当てはまらない場合だってある。だからなんにせよ、俺が足止めを食わせている方がこの場は得策なのだ。
「ガイア……」
「早く行けって。縁起でもない顔すんな」
 まるで俺が死を覚悟して残るみたいな表情を浮かべるエルフィ。
 別に俺にはそんな気持ちなどないのだが。第一、そう簡単に死ぬ事を考えるほど俺はバカじゃない。俺が死んだら悲しむ人間がいるのだ。人のために死ぬなんて殊勝な心がけもないし、そんな聖人君主でもない。
「あ、あのさ。私ね、あの時の事は別に気にしてないから。ガイアはガイアで苦しんでるんだもんね」
 半年前のあの事件の事だ。俺は邪眼の力を制御できず、エルフィを傷つけてしまったのだ。
 どうして今になってその事を言うのだろう? やっぱり俺一人が残る事を不安に思っているのだな。確かにヴァルマに比べれば大した事のない魔術師ではあるが、もう少し実力の方を認めてもらいたいものだ。
「だから、決死の覚悟とかそういうヤツじゃないって言ってるだろ。さっさと行けって」
「うん……死なないでね」
 そんな言葉を残し、エルフィは階段を駆け下りていった。が、途中で一度、階段を降りる音が止まった。こちらを振り返ったのだろう。どうやらよほど俺が深刻な表情をしているように見えたようだ。
 知らぬ間に随分と心配性になったものだ。まあ、可愛げが出てきたと言えば出てきたな。
「さて、と。第三ラウンド、か?」
 鮮血の騎士は俺に向かって両刃の大剣を構える。その姿は、一見すると実に威風堂々たる騎士然とした姿だった。だが、どこか禍々しさを内に含んでいる。それは彼が既にこの世の者ではないからだ。
「なあ、イブリーズ。まだ続けるのか?」
 俺はそう話し掛けてみた。
 返事はない。もはや、完全に人の心を失ってしまったようだ。
 どういう経緯でなのかは分からないが、俺が気絶している時に見たあの映像がもしも真実ならば。目の前で恋人に死なれた彼の心の絶望を、失った事のない俺が理解してやる事は出来ない。だけど、俺にも同じように大事な存在は居る。彼女がいなくなってしまったら、なんて考えただけでも気が狂いそうになる。だからある程度は想像し、同情ぐらいならしてやれる。
 そんな、深い深い絶望を胸に抱きながら、お前は死んだのか。
 けど、どうして未だに現世に留まるんだ?
 恋人と自分を殺したやつらが憎いからか?
 死しても尚、騎士として城の警備をするためか?
「何か言ってくれよな……」
 しかし、彼は隙なく剣を構えたまま、一向に口を聞こうとはしない。そもそも、俺の言葉自体が届いているかも疑問だ。
 これほど気の進まない戦いは初めてだった。まさか実体のない敵を倒せるとは思っていない。これは法術師の分野だ。けど俺は、たとえ実体があったとしても今の気持ちは変わらないだろう。俺をそうさせているのは、相手が何のために戦っているのかその目的があまりに不明瞭で、そしてただただ胸が本当に痛みそうなほど悲しかったからだ。
 初めは鮮血の騎士を倒して賞金を手に入れるために来たのだけど。今はそんな理由で戦っている自分はいなくなっていた。ただ、これ以上イブリーズに剣をふるわせたくない。それだけが俺を立ち向かわせている。
 俺はゆっくり大きく息を吸い込んだ。肺に溜め込まれた魔素が全身を循環するのを感じる。俺は魔素にイメージを与えて変質させ、魔力として右手に集中させる。一連の動作が、普段呼吸するのと同じぐらいに自然に行えるようになるまで随分と苦労した事を思い出す。どうして今になってかは分からないが。
 この半年間だけでも、扱える魔力の量は段違いに増えた。まだまだ実力的には半端者ではあるけど、こうして成長できるのは生きている者だけの特権だ。生きているからこそ、自分の道を歩み進んで行く事が出来る。
 やはり死者は、どんな理由があろうとも生者と同じ世界に住むべきではないのだ。異なった摂理の元に生きる者同士が共存すると必ず歪が生じる。たとえ今は小さな歪でも、それはやがて確実に広がる。まっさらな白い紙に黒のインクをたらしたように。
 イブリーズ―――鮮血の騎士は、剣を構えたまま突進してきた。もう今の彼には、俺が誰なのかなんてどうでもいい問題なのだ。ただ、現世に留まる執着心の走狗となり、目の前にいる者全てを斬り伏せているだけなのだ。その姿は川の淵で回る水車を思わせる。
 鮮血の騎士の技量は、そうはお目にかかれないほど素晴らしいものだ。隙一つなく、実に洗練された剣の型。よほど修練を積まない限り、これだけの技量を得る事は出来ないだろう。だが、こうやって斬りつけられるのも三度目となると、確かに称賛すべきものではあるが、フラガラッハの効果を加えても、自分にとってはどうしようもないほどのものでもない。
 俺は冷静に剣の軌道を見極め、右手に集中させた魔力に爆発のイメージを与える。
「ハアッ!」
 そして、剣にこぶしを叩きつけるのと同時に魔力を解放する。
 爆発音と共に鮮血の騎士の剣が大きく弾かれる。その一瞬の隙を突き、俺はすぐに間合いを縮めるとみぞおちに目掛けて膝を叩き込む。同時に爆発のイメージを膝で解放する。
 ドォン、という爆音と共に、鮮血の騎士の体が後ろへ飛んだ。剣を弾かれた反動と膝蹴りの威力が相乗効果を生み出したためだ。
 最初の日は、相手の技量を完全に計りきれなかったため、あんな風に戸惑ってしまった。だが、完全に相手の手の内を把握してしまった以上、はっきり言って俺は負ける気がしなかった。倒せはしないが、やられる事もない。だが、俺が疲れて動けなくなる前にセシアがここにやってくるだろう。そうしたら、セシアの法術で調伏されて終わりだ。それまでの時間は十分に稼げる。
 鮮血の騎士はあんなに激しく飛ばされたのに、それでもゆらりと立ち上がった。無尽蔵と思われるその体力は、全て現世に留まろうとする怨念が源となっている。それを断ち切らぬ限りは、彼が倒れる事はない。法術の使えない俺に、その想いを断ち切る事は出来ない。
 幽霊なんて生まれてこのかた見たこともなかった俺は、別に自分にそんな力がなくたって構わないと思っていた。しかし今、俺はおそらく生まれて初めて法術が使えたらと悔やんでいた。俺は、鮮血の騎士を自分の力で断ち切ってやりたかったのだ。
「来るなら来い、イブリーズ! 何度でもぶっ飛ばしてやる!」