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 はあ、はあ、はあ……。
 乱れた自分の呼吸が耳喧しく聞こえる。
 もう、何度全力の魔術をぶつけただろうか。五回? 十回? もう具体的な数は覚えていないが、何度ぶちのめしても鮮血の騎士はすぐに平然と立ち上がってくる。
 大分疲労してきた体とは裏腹に、精神は不思議と妙な自信に満ち高揚していた。全力の魔術を何度も繰り返した結果、精神が魔素に侵蝕されてきた証拠だ。もうそろそろ打ち止め時だ。
 魔術は、空気中に含まれる架空因子”魔素”を体内に取り込み、イメージを与えて変質させ放つという技術だ。魔素さえあれば、理論上は永久に放ち続ける事が出来る。しかも、魔術を用いるのにはほとんど体力は消耗しないのである。
 だが、一見すると凄まじい戦闘力を持つように思える魔術だが、魔素には重大な副作用がある。魔素には使用者の精神を侵蝕する性質がある。つまり、魔術を使えば使うほど、理性のたがが外されていくのだ。人体には魔素の最大許容量というものがある。理性を失ってしまうと魔素を次から次へと取り込んでいくため、最大許容量を越えた魔素が取り込まれ、最終的には魔素が行き場を失って術者が消滅してしまうのである。これはどんな魔術師にも当てはまる事だ。だから魔術を扱う人間は皆、自らの理性が魔素に侵蝕され尽くされぬように己を戒めねばいけないのである。
 鮮血の騎士はゆっくりと両刃の大剣を構えると、俺に向かって突進してきた。
「もうな……いい加減にしとけよ」
 酷く呼吸は乱れていたが、俺は右手に魔力を集中させる。
 ぶん、と剣が振り下ろされる。
「これ以上な!」
 俺はタイミングを合わせ、剣に向かってこぶしを繰り出す。同時に爆発のイメージを開放した。上から下へ向かう剣の刀身を、四方に向かう爆発の圧力が結界が受け止める。しかし俺の爆発力の方がパワーは上で、爆発の結界は剣圧を飲み込むと残ったパワーをそのまま威力を殺された剣を弾き飛ばす。
 爆発音と共に鮮血の騎士は、斬りつけた剣を右手ごと大きく後ろに弾かれ体勢を崩す。
「続けたってしょうがないだろう!」
 すかさず俺は右足を垂直に振り上げながら伸ばし、鮮血の騎士の顎を跳ね上げる。
 またも同じように後方へ大きく吹っ飛んでいく。だが、これもまたすぐに何事もなかったように立ち上がる。普通の人間なら、とっくに立ち上がれなくなっているだけのダメージを負っているはずなのに。たとえ痛覚を麻痺させる麻薬物質を摂取していたとしても、体自体が蓄積されたダメージに耐え切れなくなる。鮮血の騎士は怨念だけの存在のため、やはり物理攻撃では効果的なダメージを負わせる事が出来ないのだ。悔しいが、セシアじゃなくては鮮血の騎士は倒せない。
 ゆらりと立ち上がると、両刃の大剣を構える。詳しい事はよく分からないが、剣の型や太刀筋を見た限りでは正統な流派の剣術を学んだもののようだ。かつては国と君主を守るための剣術だったのが、今ではただの殺人剣だ。そこから生み出すのは、恐怖や憎悪のような負の感情、そして屍の山だけだ。正義と秩序の象徴だった誇り高き剣も、今は見る影もない。
「お前な……もう死んでんだぞ? いつまでもこんな所にいてどうするつもりなんだよ!」
 幾ら叫んでも鮮血の騎士は何一つ反応を示さず、無言のまま俺に殺気を向ける。それはまるで俺の言葉を拒むかのような主張のようだ。
「いい加減に受け入れろ! お前は死んだんだ!」
 死者がいつまでも現世に留まっている道理などない。死んだ者は俗に霊界と呼ばれる、ここではない別の世界に向かう。だが、イブリーズは死んでも尚こうして怨念の力で現世に留まり続けている。目的なんてどうでもいい。セシアが前に言っていた。死者が現世に留まるのは魂を削るような苦痛を伴うんだと。だからそんな思いをしてまで留まる理由なんてないのだ。
「早くさ、恋人の所に逝ってやれよ……!」
 お前の事を心配するあまり、王女は俺の前にまで出てきたっていうのにさ。お前はこんな所で何をやってるんだよ!?
 この気持ちが伝わらない事がもどかしくて仕方がなかった。
 人間なんて、実に力のない生き物だ。あんなに盛んに社会奉仕やら介護やらを訴えていても、その人間自身、一生の間に一人を救えるかどうかの力しか持ち合わせていないのだから。
「チクショウ!」
 再び襲い掛かる鮮血の騎士。俺は自分の気持ちを一撃一撃に込めながら、襲い掛かるたび何度もはじき返した。それでも鮮血の騎士は、まるで鸚鵡返しのように幾ら打ちのめされても立ち上がり、ただひたすら俺に斬りかかってくる。体の疲労もピークだった。理性もかなり侵蝕されてきている。けど、それ以上にこんな戦いを続けている事が辛くて耐えられなかった。
 自分達は一体何のために戦っているのだろう?
 鮮血の騎士は、ただひたすら怨念に突き動かされて剣を取り。
 そして俺は、そんなヤツから剣を取り上げようとムキになっている。
 いい加減に終止符を打ちたかった。俺のためではなく、鮮血の騎士、イブリーズのために。
 ビュッ、と空気を切り裂く鋭い音を立てながら、鮮血の騎士が俺に向かって剣が振り下ろしてくる。もう何度目になるのか分からないその攻撃は、太刀筋に少しも精細さを欠いていない。
 魔の十字剣、フラガラッハ。斬りつけられた者から防御という観念を取り払う恐ろしい剣だ。かつてはこの剣で、幾度となく国を救い王族達を守ってきたのだろう。
「ハッ!」
 魔力を集中させた右のこぶしを、刀身に目掛けて叩きつける。同時に、爆発のイメージを開放する。ドォン、という爆発音が響き渡り、俺に向かってくる剣の剣圧と俺が放った魔術の圧力とがぶつかり合う。
 が。
 ―――あ。
 これまで何度も鮮血の騎士の剣を跳ね返してきた俺の魔術が、剣の威力を殺しきれない。それどころか、逆に剣圧の方が俺の魔術を突き破ってしまった。
 まずい! 練りが足らなかった!?
 肉体的な疲労と精神の高揚が、魔術にとって最も大事なイメージングをおろそかにしてしまったのだろう。俺は鮮血の騎士の事を気にするあまり、回を重ねるごとに魔術の威力が落ちてきている事に気づけなかったのだ。
 威力の衰えぬ剣が俺に向かって襲い掛かってきた。避ける事は出来ない。やろうとしても、フラガラッハの力が俺から避ける気力を奪うのだ。
「クソッ!」
 咄嗟に俺は、空いていた左のこぶしを横から繰り出して剣を打ち抜いた。しかし、同時に右手に冷たく鋭い嫌な感触が走った。
 続けて胴体に前蹴りを放った。鮮血の騎士はまたも後方へ大きく吹き飛ばされる。
 まずいな……。
 恐る恐る右手を見てみると、俺の右のこぶしは血で真っ赤に染まっていた。こぶしから手のひらの中ほどにかけて、見事にぱっくりと割れている。魔術が打ち破られた瞬間に刃がこぶしを捉えかけたのだ。
 遂に戦況が逆転してしまった。俺は利き腕が使えなくなってしまったが、鮮血の騎士は相変わらず無傷だ。
 なんてザマだ。これじゃあエルフィがあんなに心配するのも分かるぜ……。
 そんな自嘲めいた笑みがこぼれる。人間、本当に追い詰められると笑うしかない、という心境が実に良く分かった。もっとも、こんな形で分かりたくはなかったが。
 さて。こっからが勝負だ。
 ここから俺は、ヤツの剣を左腕、もしくは足で弾かなければいけない。左腕はともかく、足での防御なんて初めての試みだ。理論上は十分に可能ではあるのだが、これまでにそれを強いられた事がなかっただけに不安の色が濃く漂う。こんな事なら、もっと手足を自由自在に使えるように鍛えておくんだった。
 今更そんな泣き言を言っても仕方がない。そろそろセシアが来るはずだ。倒そうとは考えず、セシアが来るまで時間を稼げばいいのだから。
 俺は左腕に魔力を集中させながら油断なく構える。
 と、その時。
 ふと足元に何かがはらりとこぼれ落ちた。思わず目でその何かを追う。するとそれは、白い手袋だった。
「あれ……?」
 昨夜、橋の上で王女から手渡されたものだ。ここに来る前、みんなに出してみろと言われたが結局出せなくて、俺はどこかでなくしてしまったものだと思っていたのだが。
 一体今までどこにあったんだろうか。
 そんな事よりも、不思議と何か胸騒ぎを覚えた俺は、その手袋を拾い上げた。
「ん?」
 手袋の中に、なにか固い感触がした。何かが入り込んでいるようだ。俺は中に指を入れてそれを取り出してみる。
「これは……」
 それは、錆びついたロケットペンダントだった。チェーンも途中で切れてしまっている。
 錆びついた蓋をそっと開けてみる。するとそこには、一枚の古びた写真があった。
 イブリーズと、そしてベアトリーチェ王女だった。