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「色々とお世話になりました」
 深々と頭を下げるカール。
 町に戻ったのは時刻が夕暮れになった頃だった。一同はカールを見送るために馬車屋に来ていた。これから出かけるには少々遅い時間帯だったが、彼は少しでも早く帰るため町には宿泊しないのである。カールの手には小さな箱が大事に抱えられていた。後宮の中庭で見つかったイブリーズの遺骨だ。そしてもう一つ、黒い鞘に収められた大剣の姿もある。イブリーズの愛剣、フラガラッハだ。その能力上、悪用される事を未然に防ぐためにも迂闊に表に流出させる訳にもいかず、結局縁者であるカールのものとする事で一同が納得したのである。
「いえ、こちらこそ」
「でも、いいんですか? もう日が暮れますよ」
「でも、いいんですか? もう日が暮れますよ」
「早く家に帰り、イブリーズを姉の傍で寝かせてやりたいんです」
 生前、彼の姉であるベアトリーチェ王女とイブリーズは密かに愛し合っていた恋人同士だ。互いに将来契る事を固く約束したにも関わらず、五十年も離れ離れになっていたのだ。一秒でも早く二人を一緒にしてあげたいと思うのは、かつて親しくつきあっていた彼にとっては当然のことだろう。
「ですか」
「ですか」
 丁度その時、馬車庫の観音開きの大きな扉が開けられ、中から馬車が出てきた。どうやら足の方も出発の準備が整ったようである。
「どうぞ」
 馬車屋の倉庫係が馬車のドアを開けてカールを促す。カールは俺達に向かって一礼し、馬車の中へ乗り込んだ。
「どうか道中お気をつけて」
「皆さんの事は一生忘れません。それでは」
 御者が手綱を打ち、馬車が走り出す。馬車は夕暮れ時の町をあっという間に走り去っていった。
「じゃ、俺達も宿に戻るとしますか」
「その前に、役所で換金しよう。私達はともかく、確か君達は崖っ淵ではなかったかね?」
「おお、そうだ。忘れてた」
 俺達は踵を返し、役所へと向かう。
 鮮血の騎士には多大な賞金がかけられている。なんせ、これまでに幾人ものハンターを返り討ちにしてきた大物中の大物だったのだ。初めこそ大した額ではなかったかもしれないが、日ごと賞金が跳ね上がるなんてさして珍しい事でもない。
 しかし、少々俺は賞金を受け取る事に躊躇いがあった。あの廃墟で鮮血の騎士と化して剣を無差別に揮っていたイブリーズには、意図して誰かを傷つけようという悪意は微塵もなかったのだ。彼はただ、何らかの怨念に取り憑くあまり、不幸にも現世に留まってしまった死人なのだ。彼自身に、正義などという道徳論を掲げた第三者に粛正されるいわれは全くない。彼には何の罪もなく、罰は必要ないのだ。
 結果として見て見れば、悪である鮮血の騎士を倒した俺達が民衆にとってはヒーローだろう。賞金だって当然の対価として支払われて当然だし、周囲から称賛されても全く不自然ではない。だが、俺達は知っているのだ。悪とされてきた鮮血の騎士自身にはなんの罪もなく、それを倒した俺達もまたヒーローでもなんでもないのだ。だからこそ、こうして正当な報酬を受け取る事一つを取っても非常に心苦しい。
 誰一人としてその事は口にする事はなかった。けど、暗黙の内に互いが俺と同じ事を考えている事は了解している。だからこそ、自分の中の良心に苦しまぬためにもいつも賞金を受け取る時と同じように平静を装っているのだ。そして俺も、いつもと変わらない自分を演じている。
「そういや、お前らはこれからどうすんの?」
「まあ、二、三日はここに残る事にするよ。頭の傷が完治するまでね」
「安全第一です」
「安全第一です」
 ヴァルマは橋の上から落とされた時、エルフィとシルフィをかばって頭に大怪我を負った。それはセシアの集中治療によって驚異的な回復を見せたが、今もまだ傷自体は完治していないのである。体を資本とするハンターという職業柄、自分の体調がベストではない時は無理をしないのが普通である。無理を押して自らの命を落とすのは自己管理能力に問題があり、ハンターとしては三流なのである。
「兄様ー、明日は買い物に行きましょう」
「兄様ー、明日は何か買ってくださぁい」
「はいはい。分かったよ。でも、あまり荷物になるものは駄目だよ」
 ヴァルマの両腕にそれぞれ腕をからめているエルフィとシルフィは、嬉々とはしゃぎながらヴァルマに甘えている。二人はいつも通りの様子だ。一時はヴァルマの事が気がかりで落胆したり苛立ったりしていたのだが。小憎らしいとは思うが、やっぱりこいつらはこうしていた方がらしくていい。
「んじゃ俺達はどうする?」
「そうね。私達も、明日もう一泊だけして出発しましょう」
「だな。俺らも明日ぐらいはゆっくり休むとするかな。今回はなかなかヘヴィなヤマだったし」
「あら? 私にはなにか買ってくれないの?」
「じゃあ、ちょっと甘えてみ?」
 鮮血の騎士ほどの相手は実に久しぶりだった。これまで何度も死ぬかと思った相手はいたが、鮮血の騎士に比べれば今までのそれはオママゴトと言っても過言ではない。さすがに年がら年中、死と隣り合わせにならなくてはいけないような相手ばかりチョイスしている訳ではないが、たとえ年に一度だとしてもあれだけの相手はかなり肉体的にも精神的にも応える。
 一応、こうして互いに冗談を言い合うぐらいの余力は残っていた。正直言うと、こんな事は二度とやりたくはない。これは肉体的ではなく精神的に堪えるからだ。余力はあるものの、出来るだけ思い出さないように互いに努めているのが分かった。話題を過ぎた事ではなくこれからの事にするために、こういった冗談を飛ばしているのだ。なんとも、滑稽な姿には思えるのだが。そうでもしなければ、やりきれなかった。
「では、行ってくる」
 役所に着くと、ヴァルマは皮袋を持って中に入っていった。役所の周辺には、今日も鮮血の騎士の噂を聞きつけて集まってきたハンター達の姿が大勢見られた。しかし、彼らはまさか俺達が仕留めて来たとは夢にも思っていないだろう。
 袋の中身は鮮血の騎士と呼ばれていた者を形作っていた甲冑の破片だ。普通の賞金首とは違い生身の体がないので、倒した事の証明の代品である。具体的な物証がないため訝しがられるかもしれないが、ヴァルマは人を丸め込む話術には長けている。嘘をついて金を騙し取る訳ではないが、役人を納得させるにはそう時間はかからないだろう。あいつはかつては話のプロである弁護士すらもやりこめた人間なのだ。
「待たせたな」
 しばらくして、ヴァルマはすれ違う人間の羨望の眼差しを一身に集めながら、大きな賞金袋を両手に下げて現れた。さすがにこの役所で最高額の賞金首だっただけに、いざ支払金を目の当たりにするとそのサイズは圧巻である。
「ほら、君達の取り分だ」
「おう。いやいや、凄いなコレ」
 ヴァルマに片方の袋を手渡され、早速俺は受け取った。ずっしりとした袋の重みに、俺は思わず口元を綻ばせる。これだったらしばらくは楽に旅をしていける。
「つい昨日、丁度賞金が更に値上げされたところだったそうだ。手痛い反撃を受けて仕事が一日延期になりはしたが、それはそれで良い結果にはなったな」
「ん? ちょっと待て。なんかお前らの方が袋が大きくないか?」
「当然だろう?」
 その疑問に、ヴァルマは平然と答えて見せた。むしろ、俺の疑問の方が理解出来ない、とでも言わんばかりだ。
「当然ってなんだよ。普通、こういうのは等分するのが筋ってもんだろ」
「この場には五人いる。ということは、賞金は何等分だ?」
「決まってるだろう。五等分だ」
「君達は二人。我々は三人。だったら、我々の取り分が多くて当然ではないのかね?」
 言われてみれば、確かにそれは道理にかなっている。けど俺は、二組のチームで半々に分けるものだとばかり思っていた。もしかすると俺の方が筋違いだったのかもしれない。
「……そうだけどさ」
「文句あるの?」
「文句あるの?」
 可愛らしい笑顔とは裏腹に、青筋が立ちそうなほど固く握り締められた拳をちらつかせる二人。
 その実に息の合った動作を見ていると、俺にはどうしてもエルフィとシルフィが二人で一人分のような気がしてならない。俗に双子は一つの魂を二つの肉体で共有しているとか言うし。
「さて。一仕事終わった事だし、お金も沢山入った。今夜は思いっきり飲みたい気分だわ」
「お。いいねえ、セシア。酒池肉林!」
「お。いいねえ、セシア。酒池肉林!」
「潰れるまでよ?」
「お供させていただきまーす」
「お供させていただきまーす」
「じゃあ、私も付き合わせてもらうとするよ」
 酒の飲める四人が何やら意気投合している。この時ばかりは、酒の飲めない俺は否が応にも孤立感を感じてしまう。世の中には飲める人間と飲めない人間の二種類が存在するが、互いは互いを決して理解しあえる事はまずありえないだろう。
「俺は例の如くパスだからな」
「なに? まだ治ってないの?」
「なに? まだ治ってないの?」
「治るってな。病気じゃねえんだぞコラ。いい加減に知らん振りはやめろ」
「聞こえなーい」
「分からなーい」
 二人は俺を小馬鹿にするかのような表情で耳や頭を押さえてヘラヘラと嘲笑する。
 そういえば、アカデミー時代から俺達の関係はこんなんだったっけ。ふと、そんなことを俺は思い出した。色々ありはしたが、俺達は何も変わってはいない。それが俺の不安定な心を安心させる。
「こんにゃろう……。おい、保護者。少しはなんとか言ってやれ」
「ガイア」
 するとヴァルマはやけに神妙な表情でそう話し掛ける。どこか凄みさえ感じるヴァルマに、俺は思わずたじろいでしまう。
「な、なんだよ急に」
 ヴァルマは無言で何かを俺に差し出した。
 短い黒塗りの棒。それは神器、魔杖レーヴァンテインだ。
「受け取ってくれ」
「は?」
「ちょ―――兄様!?」
「ちょ―――兄様!?」
 驚きのあまり言葉をつまらせかけるエルフィとシルフィ。しかしヴァルマは一向に表情を緩めない。
「冗談か?」
「本気だ」
 真剣な表情のヴァルマ。
 いや、本気で言われても。
「金だったら幾らでも受け取るけどさ。さすがにそれはちょっとな……」
 神器とは、実質世界にただ一つの武具なのだ。それを授与されるには、並々ならぬ努力という努力を重ねなければいけない。その中でも実際に授与されるのは五割にも満たない。たった一つの神器を手に入れるために国家予算を割く国だって珍しくはない。そんな貴重なものを、はいどうぞ、と差し出され、ありがとう、と受け取れるほど俺の神経は太くない。
「いいから受け取ってくれ。私には過ぎたものだ」
「過ぎたって……」
 ヴァルマがこの神器を授与される由縁は、その天才的な魔術師としての能力にある。そんなものを微塵も持ち合わせていない俺が神器を受け取る訳にはいかない。それこそ過ぎたものになってしまう。
「今回の事で、私は確信したのだ。私は神器が巨大な力を持っているが故に、使用者が振り回されやすい事を理解し、自らがそうならぬように戒めているつもりだった。しかし、実際私は神器の力に振り回され慢心してしまっている。私にはこの神器を持つ価値がないのだ。だが、君は力のなんたるかを少なくとも私よりは理解している。だったら君が持つのが相応しい」
 だから受け取れ。
 有無を言わせぬ凄みを見せながら、ヴァルマはなおも強く俺にレーヴァンテインを差し出す。
「はあ……んじゃ、そう言うなら」
 受け取らない訳にはいかない状況だった。俺は恐る恐るレーヴァンテインを受け取った。
 考えてみれば、アカデミー時代は神器の一つでも転がり込んでこないものか、と叶わぬ事が前提での希望を抱いていた事があった。神器の一つもあれば、人間離れした力を手に入れられるのである。そんな力があれば将来はきっと何も困る事はないだろうし、その上自らの可能性が飛躍的に高まる事にもなる。けど、いざそれが叶ってみると、その力の大きさに気持ち逆に引いてしまっている。いざという時に萎縮してしまう自分が情けない。
「これ、起動韻詩なんつったけ?」
 起動韻詩とは、神器が力を発する状態になるために唱えなくてはいけない詩の事だ。神器の種類にもよるが、大抵のものは普段から超常的な力を発揮しているのではなく、必要に応じて起動韻詩を詠む事で用いるのである。
「『我が右手に宿れ王者の炎、王者の炎は全てを屠る覇者の炎』だ」
「ほほう。んじゃ、早速。『我が右手に宿れ王者の炎』」
 俺はレーヴァンテインを縦に構え早速起動韻詩を詠んだ。実は、俺は昔からこの起動韻詩というものに憧れていたのだ。具体的にはともかく、神器を構えて韻詩を踏むのがカッコ良いと思ったからだ。
「『王者の炎は全てを屠る覇者の炎』」
 俺は自分が華麗に炎の剣を揮う様を想像しながら最後の詩を詠む。
 ボウッ、と炎の噴出す音。だがその瞬間、俺の爪先に凄まじい激痛が走った。
「うぎゃあ!」
 俺は痛みのあまり、思わず飛び上がった。
 何事が起こったのかと足元を見てみると、俺が握り締めたレーヴァンテインの丁度下側からオレンジ色の炎が勢い良く噴出している。この炎に俺の爪先が貫かれたのだ。
「逆だったのか! チクショウ、痛え! 助けてセシア!」
 公衆の面前で。
 そんな事はまるで眼中になかった。今、俺が辛うじて考えられるのは、いちはやくこの怪我をセシアに治してもらうことだった。さすが、神経がより多く集まっている分、爪先の怪我は凄まじく痛い。
「兄様……やはりお考えを直されては?」
「兄様……やはりお考えを直されては?」
「……すぐには使いこなせんさ。その内に使えるようになる……はずだ。……多分」