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 昼過ぎまではあんなに晴れていたのに、日が傾き始めた途端どしゃぶりの雨に変わった。
「ああ、もう! 天気予報なんて当てにならないわね!」
 濡れた前髪をかきあげながら、セシアが苛ただしげに叫ぶ。まったくな話だが、とにかく今は宿まで走らなければならない。どこの誰に文句をたれようと、この天気が変わる訳ではないのだ。
 ぬかるみ始めた村道を昼前に取った宿屋へ向かってひた駆ける。ぬかるんだ道を水溜りも避けずに走るおかげで、先月新調したばかりのブーツは泥だらけになりはねた泥がズボンに点々と跡をつける。考えるだけでも気分は陰鬱だ。文句の増えるセシアとは正反対に、俺は徐々に無口になっていく。
 こんな状況になったそもそもの原因は、昼食後に買い物に行こう、などと言い出した事だ。言い出したのはセシア、楽しんだのもセシア。とは言っても、それもいいな、と乗った俺も俺だから非難する訳にもいかない。
 旅をして回っているため荷物は最小限にしなくてはいけないから、大した量は買っていない。ちょっとした小物とアクセサリーの類、そして旅に必要な消耗品ぐらいだ。おかげで全力に近い速さで走る事が出来る。唯一の救いはがそんなものだ。
 と。
「うわっ?!」  突然、横から不意を打って襲い掛かる衝撃。
 不測の衝撃に俺はあっさりバランスを崩し、傍らのセシアを巻き込みながら水溜りの中へ自ら飛び込んだ。味わわされた泥の感触はすこぶる最悪で、濡れた背筋には一層冷たい震えが走る。
「う……最悪だ」
 口の中に入った泥水を慌てて吐き出しながら、うんざりした気持ちで水溜りの中へ手をつき立ち上がる。目や口に雨が入らないように頭を下げて走っていたせいで、誰かが周りにいる事に気づけなかったようだ。
「ペペッ。ガーッ、少し飲んじゃったじゃない! もう、誰よ一体!」
 とにかくぶつかった人に謝ろうと思ったその時。それよりも先に、ぶつかって来た向こうは泥の中から飛び上がると、声を荒げて叫んだ。とにかく怒り心頭といった様子だ。
「あ、あの……」
 雨水と泥で汚れた前髪をかきあげながら、恐る恐る近づく。しかし、
「ちょっと! どこ見て走ってんのよ!」
 そんな俺にぶつけられたのは荒立った女性の声。今ぶつかった方も転倒し泥の中に突っ込んだらしく、頭から泥で汚れている。
 こっちだって泥だらけなんだ。お互い様じゃないか。
 そう思うものの、とてもじゃないがそんな正論を言って通じそうな相手ではないようだ。これまでの人生で、自分でぶつかっておきながら一方的に相手を非難するような性格にろくな人間はいなかったのだ。
「リ、リーム、こっちだって急いで走ってたんだから……」
 向こうの連れらしき、雨でびしょ濡れになっている男が泥だらけの彼女の肩を慌てて止める。
「うっさい。こいつらが歩いていればいいだけの話でしょ」
 あっさりとそう反論され、男の方は言葉に詰まって小さく唸る。これほど無茶苦茶な理屈も、言い切ってしまえば罷り通りそうなのが恐ろしい。
 ん? リームだって?
 そういえば、俺の知ってる人間で、こんな無茶苦茶な理屈をさも当然の如くのたまう女がいた。けど、もう随分と長い間連絡を取り合っていないから今頃どこにいるのか分からない。
「あら? あなた、もしかしてリーム?」
「って、え? まさか、セシア?」
 驚きの表情で向き合う二人。
 よく見ると、俺に追突して来た相手は、雨と泥とで汚れてはいるものの確かにリームだった。後にいるのも相方のグレイスである。
 かれこれ一年ぶりの再会になるが、二人とも相変わらずのようである。
「じゃあ今ぶつかったコレ、ガイア?」
 ビッと俺を指差すリーム。
「コレってなんだよ」
「だって、泥だらけで何なのか分かんなかったから」
「泥だらけなのはお互い様じゃないか」
「やだリーム、久しぶりじゃない。まさかこんな所で逢うなんてね」
「ねえ、積もる話は後にしない? このまんまじゃ、みんな風邪引いちゃうよ」
 グレイスの言う通りだ。何が悲しくてこんな土砂降りの雨の中で思い出談義に華を咲かせなければならないのだろうか。そろそろ体も寒くなってきた。確かにこのままでは風邪を引いてしまう。リーム以外。
「宿はどこなの?」
「すぐそこ。九重亭っていう宿屋」
「ホント? それなら私達と一緒だわ」
「っていうか、他に宿屋なんか無いし」
 グレイスの提案通り積もる話は後回しにして、俺たち四人は再び宿へ向けて雨の中を駆け出した。風も出てきて、雨が横殴りになってきている。もしかすると嵐が近いのかもしれない。
 ようやく宿に到着し雪崩れ込むように中に入ると、カウンターにいた店の主人が何事かと俺達に視線を向けた。そして、俺達の汚れた姿を見て再び顔を驚きに歪める
「すみません、床、汚しちゃったみたいで」
「いえ。どうせ、今夜は他に客はいませんから」
 取り敢えずこの格好をどうにかしてから夕食にしよう。
 ここの宿の一階は食堂になっている。宿泊客は大体ここで食事を取るようだ。こんな雨の中をもう一度外へ食事を取りに出る必要は無い。
「あーまったく、ガイアのせいでひどい目に遭っちゃったわ。とろとろ走りやがってさあ」
「なんだよ、それ。お前だって脇見してたんだろうが。格闘家だったら、体捌きで突進くらいかわせよ」
 二階への会談を上りながら、早速リームは俺に嫌味ったらしく文句をつけてきた。
 リームはいつもそうやって人に責任を押し付ける。自分は絶対的に正しいと信じてやまない、昔からの悪いクセだ。
 と、その時。一階からけたたましい音が聞こえてきた。まるで誰かが殴りこんできたような音だ。
 はて、と顔を見合わせる俺達。
『すみません、ありがとうございます』
 そして間もなく、そんな女性の声と後にバタバタと階段を上って来る音。足音は階段を上りきり、ついさっき俺達が曲がった廊下をこちらに曲がってきた。
「あ―――」
「あら?」
 廊下を曲がってきたのは、大きなカバンを背負い細長い袋を肩に携えた一人の女性。旅人用のマントを羽織ってはいるものの、この雨の中を走ってきたせいか随分と汚れている。
 女性は俺達の顔を見るなり、はたと立ち止まった。
「みなさん、もしかして……?」
「あ! もしかしてロイアなの?!」
 ええ、と微笑みながらうなずく。
「つい先ほどこの村に到着したのですが、この通りすっかりやられてしまいました。ここのご主人さんにも、苦笑いで宿帳は後でよろしいと言われましたわ。それにしても偶然ですわね、まさかここにいらしてたなんて」
「私もさ、さっきセシア達と逢ったばかりなんだ。ホント偶然ね!」
 と、
「ヘックション!」
 突然、グレイスが盛大なくしゃみをする。そして、ばつの悪そうな顔。
「あら、そういえばみなさんもひどい格好ですね」
「じゃあ、話は後で食堂で集まってしましょ」
 この濡れた格好では落ち着いて話が出来ない。服は下着までびっしょり濡れ、体温で中途半端に温まっていて肌にまとわりつき気持ちが悪い。髪の毛だって、ぎゅっと絞れそうなほど濡れている。
「そんじゃ、また後で。私達、ここの部屋だから」
 リームとグレイスがカギを取り出してドアを開ける。
「さ、早くシャワーシャワー。グレイスも。早くしないと風邪引くわよ」
「ちょっと、服ぐらい自分で脱げるよ!」
 仲良さげに二人は部屋の中へ入っていった。
 二人とも、アカデミー時代から何も変わってない。グレイスはいつもあんな風に振り回されてたっけ。
「俺達も一緒に入ろうか?」
 ふと俺は思いついたようにセシアの方を向き、わざと意味深に微笑んでみる。
「相変わらずでしょ、ロイア?」
「ええ、本当に。変わってませんね」
 しかし二人は、俺を微妙な視線で遠く見ながら、あきれと溜息を入り交えながら口元を綻ばせる。
 なんか、成長がないって言われたみたいだな……。
 雨に濡れて気分が惨めになっているせいか、やけに俺はその言葉がこたえ落ち込んだ。



TO BE CONTINUED...