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「ねえ、そのドラゴンって、老衰で死んでたんじゃないの?」
「多分、違うと思う。まだ若い感じのドラゴンだった」
 ドラゴンは成長と共に、山ほどもある巨躯へと変貌を遂げる。そんな彼ら竜族からして見れば、地面を這いずり回る人間など道端に転がる砂利に等しいだろう。だが、俺達が見つけたドラゴンの死体にはそれほどの圧倒感はなかった。成竜と呼ぶよりも幼竜、パピーと呼ぶ方がしっくりくるサイズだ。
「へーっ。じゃあ、誰かが倒したって事になるよね?」
「まさか。人間にドラゴンは倒せないって」
 どれだけ人間が武芸を磨き魔術を鍛えたとしても、異種族の驚異的な力の前には難なく踏襲されてしまうのが世の常だ。
 人間より優れた能力を持つ異種族は、数こそ少数ではあるものの、その存在は人類にとっては大きな脅威だ。先ほど述べたドラゴンは、この世で三本の指に入る最強種族の一つ。力、知能、そのどれもが人間を凌駕する恐るべき生物だ。
 そしてもう一つの最強種族はヴァンパイアだ。アンデットは割と身近に存在する魔物で、種類もピンからキリまで存在する。それぞれの繁栄の度合いは丁度三角形の形で、底辺に位置するゾンビは数こそ多いものの聖別された道具を使えば子供でも倒す事の出来るほど弱い。反対に頂点に君臨するヴァンパイアは、数は非常に少ないが、ドラゴン以上の不死性、強大な魔力、など様々な点で他の種族を凌駕している。無論、聖別された道具程度では毛先ほどのダメージも与えられない。
 最後の最強種族は、神獣と呼ばれる特殊な生物だ。
 見た目はアルビノ種の普通の動物だが、彼らは人間と同等以上の知性を持ち、身体能力は通常の動物の数倍以上優れている。更に、中には神がかり的な特殊な力を持つ者までいるのだ。
 これらと自然を共存する中で、繁栄を築くために人間は様々な戦闘手段を編み出した。魔術もその一つである。だが、結局は強い種族にはかなわないのだ。人類は並々ならぬ力を持つものの、決して食物連鎖の頂点に立っている訳ではない。
「いいえ、うちの理事長でしたら可能かもしれませんわよ」
 しかし、ロイアはそう俺に向かって否定した。
「は? なんで?」
「不知火の理事長は、昔は名の知れた魔術師だったそうですから。そのあまりの強さに、『魔人』と呼ばれていたそうですよ」
 魔人の話なら聞いた事がある。なんでも、人類史上最強の魔術師と謳われていた人間だ。とは言っても、それは俺達が生まれる前の話だ。
「え? うちの理事長ってそうだったの?」
 待てよ……? じゃあ俺達はその魔人に、あんな事をしたのか……。
 俺達は、はっきり言って常に理事長の頭痛の種になっていたと思う。特にリームやヴァルマがそうだ。こいつらがおとなしくなったと思ったら、ロイアやエルシルフィが計ったように問題を起こすのだ。
「入学案内についてきた学校紹介のパンフレットに書かれてましたよ?」
「どうりで。俺、読まずに捨てたから」
「私も」
「私も、他人の自慢話まで律儀に読むほどヒマではないからねえ」
 次々に明かしていくみんな。どうやら俺達の中でこの事を知っていたのは、ロイアとグレイスだけだったようだ。後のみんなはパンフレットは読まずに捨ててしまったようだ。
「確かに、それほどの魔術師なら可能かもしれないな。物理攻撃は鱗に阻まれて効かないだろうが、魔術はそうもいかないからな。相手の防御力を上まればいいのだから」
「ええ。ですから、必ずしも人間技で不可能とは言えませんよ」
 人間にもドラゴンを倒す可能性がある、という事か。しかし、それほどの力を身につけてしまえば、それは既に人間技ではなく神の領域、即ち神技と同じだ。
「私もね、いずれはドラゴンを倒してみせるつもりよ」
 と、リームはいきなりそんな事を言い出した。
「素手でか? 無理だろ、そりゃ」
 何を酔狂な事を。素手でドラゴンを倒すだなんて。武器を使っても倒せないのに。確かにリームの手足はそこらのハンパな武器よりも遥かに強力だが、金剛石と同等以上の硬度を持っている竜鱗を突き破るのは不可能だ。
「出来るわよ。徒手拳にはね、『鎧通し』っていう剄の技があるんだから。鱗なんて関係ないわよ」
「無理無理。あのねえ、ドラゴンなんてのはもはやそんな常識が通用しないレベルなの。幾ら秘奥義だ秘孔だ言ったって、無理なモンは無理」
「もしかしたら出来ると思うよ。だってリーム、この間、サイクロプス倒しちゃったから。通行の邪魔って理由で」
 サイクロプスとは、巨人系の魔物だ。特殊な攻撃はしてこないが、物理攻撃と防御ならば魔物の中でもずいを抜く。少なくともザコではない。
「おいおい、リーム。お前、人間やめたのか?」
「レディに向かって言う言葉じゃないわね、ガイア。一遍、貴重な体験しとく? この世とあの世の境目ツアー」
「遠慮しとくよ。片道切符になりそうだから」
 まったく、一体どこの世界にサイクロプスをそんな理由で倒してしまうレディがいるってんだ。生物学的には女かもしれないが、その馬鹿力は人間のレベルじゃないな。
「ところで話を戻すけど、そのドラゴンを倒したのって理事長?」
「それは違うな。何でも理事長は、過去にとあるヴァンパイアとの対決で敗北し、魔術を使えない体になってしまったそうだ。そういう呪いをかけられたらしいのだよ」
 と、ヴァルマ。
 そんな情報、一体どこから仕入れてきたのやら。後が怖いのであまり深く詮索する気にはならないが、こいつの情報網はホントに恐ろしい。
「不知火の創設はその辺りの事だ。私の推測では、自身に残った魔術の知識を若い世代に教える事により、自分をこんな目に遭わせたヴァンパイアを誰かが倒してくれる事を願っていたのだろう。アカデミーで起きた吸血鬼事件の事を思い出してみたまえ。多額の賞金まで出して、どう見ても尋常な様子ではなかっただろう?」
「へー。魔人も負ける事があるんだ」
「どちらにせよ、御歳を召されてますからね。入学式と卒業式では、まるで十年ほど歳を召されたようにもお見受けできましたから」
 いや、それは違う。あれは単に心労が祟ってふけこんでしまっただけだ。しかもその原因の大半は俺達にある。
「ま、年寄りの戯言だな。なんで俺達がヴァンパイアみたいな危険生物を相手にしなきゃなんねえってんだ」
「触らぬ神に祟りなしって事ね」


 その晩。
「う〜……」
 俺はベッドの上で、額に皺を寄せながら獣のようにうなっていた。
 今夜もまたみんなに理由をつけられ、しこたま呑めない酒を呑まされたのだ。そして昨夜と同じように潰れたまま部屋に戻り、目が覚めたらこの通り、もう体調がおかしくなっているのだ。
「ガイア、大丈夫?」
「あのさ、心配は嬉しいんだけど、その前に俺に呑ませなければいいって気づかなかったか?」
「気づいてたわよ?」
 気づいてて呑ませやがったのか……。愛を疑う瞬間だ。
「大した量じゃないと思うんだけどなあ。ねえ、演技とかしてない?」
「演技で、この顔色と冷や汗が出ると思うか?」
「迫真の演技ね」
 俺のヤバイ量とセシアのヤバイ量は全然違うのだ。それを知っててか知らずにか、俺の質問をことごとくはぐらかすセシア。きっと確信犯だ。セシアは嘘をつく時はそうやって軽口をしつこいほど並べるのだ。
「薬、一応飲んどいた方がいいと思うけど、飲む?」
「ああ、くれ」
 ほい、とセシアが渡したのは小さく折りたたまれた薬包紙。
「グレイスから貰ったの。あのリームが飲んでるぐらいだから、きっと効くと思うわよ」 「だな。水あるか? 粉薬は水なしじゃ飲むのは無理だ」
 えーっと、とセシアが部屋をざっと見回す。
「ないわね。洗面所の水は飲用には使えないみたいだし」
「しゃーない。ちょっと下行って来るよ。シャワー浴びて待ってな」
「先、寝てるね」
 冗談なのに、セシアはえらくきっぱりと俺を跳ね除けた。どうもこの手の冗談はセシアにウケが悪い。
 根がマジメ過ぎるんだよな。その上ガンコだし。法術師にはガンコなヤツが多いって言うの、やっぱり本当みたいだ。
 廊下に出ると、宿の中は真っ暗でしんと静まり返っていた。俺は手のひらの上に魔術で小さな炎を作り出し、その光で足元を照らす。正確な時刻は分からないが、通常はとっくにみんな眠っている時刻だ。歩き辛いが無理もないだろう。
 さて、取り敢えず厨房に行ってみるか。無断で入る事になるけど、ま、水を飲むだけだしかまわないだろう。
 昼間はあまり気にならなかった、廊下の板を踏むギシギシという音がやけに耳やかましく聞こえる。真っ暗の中、小さな灯り一つでは余計に静寂がうるさい。
 真っ暗といえば、この間グールの巣窟の一斉除去の仕事をした時も、確かこんな状況だった。ゾンビが生理的に苦手なセシアは、終始俺の背中に隠れていたっけ。あの時のセシアは可愛かった。普段の毅然とした態度が嘘のようで。
「ん?」
 ふと、俺は暗闇の中にオレンジ色の光が漏れ出しているのを見つけた。
 近くまで寄ってみると、それは部屋のドアの一つから、ドアの下の僅かな隙間から漏れ出しているのが分かった。
 まだ誰か起きてるのかな? ここ、誰の部屋だっけ。
 と―――。
『待って……今、脱ぐから』
 え。
 ドアの向こうから、そんな声が聞こえてきた。危うく飛び出しそうになった声を、俺は慌てて飲み込む。
 この声、俺は知っている。
 リームだ。
 一体、部屋の中で何をしているのだろう……ってナニなんだろうけど。
 しかし、俺は何故か逆らいがたい奇妙な衝動に駆られてしまった。
 覗いて見たい。
 そんな、下世話な欲望だ。
 ちょっとぐらいならいいよな。
 そう自分に言い聞かせ、俺はそっとドアの前にしゃがみ込むと鍵穴に自分の右目を当てた。
 うん、見える見える。
 鍵穴からは、小さな視界ではあるがはっきりと中の様子が見えた。
 ベッドの上に、こちらに背を向けて座っている影が一つ。そして、それと向かい合うように立っている影が一つ。
『もうちょっと我慢して……』
 ベッドの影―――リームは、普段の姿からは想像できない優しげな声でそう言い、自分の上半身に着ている物を脱ぎ捨てた。俺の目の前に、女性らしい白い背中が現れる。
 普段、あまりリームを女性として意識する事はなかったが、この時ばかりはさすがにドキッと胸が高鳴った。
『さ、いいよ』
 そう言って目の前のグレイスを迎え入れる。
 が。
 グレイスは普段ののろのろした仕草とは裏腹に、まるで別人のようにリームの体をかき抱いた。いつもはリームにおもちゃにされているグレイスが心配になるのに、今は逆にリームの方がグレイスにどうにかされるのではないかと不安が過ぎるほど、グレイスの動作は荒々しかった。
 だが、そんなグレイスの仕草に驚く暇もなく、俺は更に驚愕させられた。
『ガッ』
 獣じみた声を上げたかと思うと、なんとグレイスはリームの首筋、丁度頚動脈の辺りに噛み付いたのだ。
『大丈夫よ、大丈夫。ゆっくり……落ち着いて』
 しかし、リームは驚くどころか初めからこうなる事を分かっていたかのように、自分の首筋へ噛み付くグレイスの頭を愛しげに抱きしめた。
『心配しないで。私は逃げないから……』
 グレイスはリームの首筋に噛み付いたまま離れようとしない。
 ん? 喉が……上下している?
 噛み付いたままグレイスは、小さな喉仏を僅かに上下させていた。それはまるで、水を飲むかのように。
 と、つーっと赤い筋が一本、グレイスが噛み付いている付近から背中を伝って下へ伸びていく。
 それは、血液だ。
 まさか……これは、血を吸ってる?
 真っ先に俺の頭に浮かんだのはそんな言葉だった。
 グレイスがリームの首筋から血液を摂取している。今、目の前で行われている行為はそうとしか考えられないのだ。
 ちょっと待て。まさかグレイスはヴァンパイアだというのか? そんなはずはない。四年間もつきあってきたが、一度もそんな事を打ち明けた事はなかった。それとも、俺にすら隠し続けた秘密だったとでもいうのか?
 俄かに落ち着きを失う俺。
 自分でもはっきりと分かるほど、俺は狼狽していた。これまで思いもしなかった現実を、突然目の当たりにさせられたのだ。それでも冷静でいられるほど、俺は神経も太くないしク−ルでもない。
 ヤバイもん見てしまったな……とにかく、一旦この場を離れ―――。
 ドアの前から立ち上がろうと鍵穴から目を離しかけたその時。
「!」
 突然、吸血に専念していたグレイスが、まるで俺に感づいたかのように頭を上げ、ギロッとこちらを睨んだ。視線ががっちり噛み合い、その場に硬直する俺。
 真っ赤な口元。俺の推測が正しかった証だ。
『どうしたの?』
 鍵穴の向こうから俺を睨むその瞳は、まるで血のように真っ赤だった。



TO BE CONTINUED...