BACK

「お、おい……」
 俺は目の前の異様な風体のロイアを唖然としながら見ていた。口元を中心に顔と服を赤黒く汚したその姿、俺はとても冷静ではいられず、声がみっともなく上擦ってしまう。
 ロイアはやけにギラギラと光る目つきのまま、不気味なほど落ち着いた仕草でビクビクとうごめく肉塊を傍にあった箱の中にゆっくりと入れた。それが一体何なのか、部屋も薄暗くここからでは良く分からない。
「ロイア、一体どうしたんだ? グレイスがお前に何かあったって言うから―――」
 が、その瞬間。
 突然ロイアは弾けるように飛び出し、ベッドの脇に立てかけていた槍袋を手に取った。そのまま目にも止まらぬ速さで、ロイアは槍を振って槍袋だけを飛ばし俺の目の前へ。あまりの体捌きの速さに、俺はぴくりとも動く事が出来なかった。それ以上に、友人であるはずのロイアが自分達に対しそういった行動に出るとは予想もしていなかったのだ。
「見ましたね……」
 気がつくと、俺の喉元にロイアの槍の刃先がぴったりと当てられていた。ひやりと冷たく硬い感触に、背筋にぞっと悪寒が走る。
「ロイア、何をする気!」
 思わず飛び出そうとするセシア。だが俺は、素早く右手を出してそれを制した。
 ロイアの目は明らかに本気だ。もし迂闊な事をすれば、ロイアはこの場に居る人間を躊躇いなくこの槍の餌食にしてもおかしくない目をしている。なんにせよ、実に信じがたい事だが、あのロイアが我を失っているのだ。普段の理性的なロイアならともかく、今のロイアに物事の道理は通用しない。
「これだけは見られたくありませんでしたが……仕方がありません」
「待ってよ! ロイア、一体どうしちゃったんだよ! さっきだって、あんなに苦しんでたのは大丈夫なの!?」
「言いましたでしょう? すぐに収まるから、と」
 そう答えるロイアの口調は別人としか思えないほど冷たく鋭かった。いつも穏やかなロイアのこんな声を聞いたのは初めてだ。
「ロイア。俺達は、グレイスにお前の身に緊急を要する何かがあったと聞いてここに来たんだ。グレイスはセシアの法術が今すぐ必要な事を言っていた。それは大丈夫なのか?」
 唐突な動きはかえってロイアを刺激してしまう。俺はゆっくり慎重に、言葉を選びながらなだめるように話し掛ける。
「……」
 しかし、その問いへの返答の代わりに返って来たのは、喉への小さな痛みだった。どうやら刃先が僅かに喉に突き入れられたようだ。
 やれやれ……問答無用って訳か。どうしたものかな……。
「グレイス、一体ロイアに何があったの?」
「よく分かんないんだ。何か大事な話があるって言うから部屋に来たんだけど、話を始めようとした途端、ロイアが胸を押さえて苦しみ出して……。それで僕は咄嗟にセシアを呼んで来ようと思ったんだけど……」
 しかし、当のロイアは苦しむどころか俺に向かって殺気立っている。少々理性は失っているものの、体はいたって元気なようだ。これは一体どういう事なのだ?
 と、その時。
「どうかした!?」
 廊下からバタバタとこちらに向かってくる足音と共に人の声。
 声はリームのものだった。他にも足音が聞こえる。おそらくこの騒ぎを聞きつけ、ヴァルマ達も駆けつけたようだ。
「もうやめにしないか? 別に俺達にはお前をどうこうするつもりはないんだ」
「信用できません」
「そうは言ってもな、どうしてお前がこんな事をするのか、その理由が分かんないんだぞ?」
 しかし、妄執に満ちたロイアの眼光は異様な光を放ったままだ。
「ロイア。取り敢えず、これは降ろしてくんないかな? 状況が分かんなきゃどうしようもないだろ?」
「ガイア、私があと少し力を入れれば、あなたは死んでしまうのですよ? どうしてそうも冷静なんです?」
「そんなに冷静に見えるか? まあ、それならそれでいいんだけどさ。お前、本当はやる気なんかないだろ? もしお前がその気だったら、とっくに俺はやられてる」
 すると、黙れ、とでも言いたげに槍の刃先が更に喉に食い込んだ。冷たい感触の所から熱いものが流れ落ちる。どうやら血が出る所まで来てしまったようだ。
「ロイア!? ちょっ、あんた何やってんのよ!」
 背後からリームのけたたましい声が聞こえる。俺はこの状態なので後を見る事が出来ないが、どうやらこの部屋に全員が集合したようだ。
「エル、シル。もしかしたら主人がこの騒ぎを聞きつけて来るかもしれない。先に行って適当に誤魔化してきたまえ」
「分かりました」
「分かりました」
 エルフィとシルフィの気配が下へ降りて行った。
 沈黙の中、俺とロイアの睨み合いが続く。やけに長く濃密な時間がゆっくりと過ぎていく。俺は迂闊な動きすらままならず、直立不動のまま、ロイアの出方をじっと見守るしかなかった。けれど、まったく絶望的な状況という訳でもない。基本的にロイアは理知的な人間だ。たとえ理性を失いはしても、時間が経過すれば徐々に落ち着き冷静な判断力を取り戻す。
 そして。
「ガイアにはかないませんね……」
 今までずっと仮面のような顔をしていたロイアが、ゆっくりと氷が溶けるように表情を緩め微苦笑を浮かべた。ようやく理性を取り戻してくれたようである。同時に俺の喉に当てていた槍がそっと下がった。
 助かった……。
 深い安堵を憶えながら、ようやく自由になった呼吸を堪能する。
「ちょっと、あんた一体何のつもりなの!」
 いきり立った様子でリームがづかづかと歩み寄る。だが、それを慌ててグレイスが羽交い絞めにして止める。リームは状況をややこしくしかしないからだ。
「すみません……。つい、気が動転してしまって……」
 さっきまでの凶行が嘘のように落ち着いたロイア。リームの強い言葉に、ただ申し訳なさそうに目を伏せる。
「とにかくさ、先に顔洗ってこいよ。いつまでもそれじゃあ何だからさ」
「……はい」
 ロイアの姿がゆっくりと洗面所の方へ消えて行った。その後姿が随分寂しげに見えたのは俺の気のせいではないと思う。
「ところで、何? この臭い。生臭いわねえ」
「さっき、ロイアが何か食べてたんだけど……」
「食べてた? あいつ、なに持ち込んでんの」
 そういえば、さっきロイアが手に大きな肉の塊みたいなのを持ってたな。
 俺はロイアがそれをしまいこんだ箱の所に歩みより、しゃがみ込んで見た。箱は頑丈な鉄製で、気密性も高い作りになっている。まるで小型の金庫のようだ。
 う……なんだ、これ?
 そっと覗き込んだ箱の中に入っていたのは、丁度子供の頭ほどの大きさもある肉の塊だった。これだけなら精肉店の倉庫なんかに幾らでもあるだろう。だがそれは、明らかに普通の肉ではなかった。
 その肉塊は生きているのだ。ビクビクと一定のリズムを刻みながら脈動を繰り返している。よく見れば血管のような太い管もある。生命体の一部である事は間違いないと思うが、こんなものは見たことがない。普通、生命体の一部は、切り離されてしまえば生きていく事ができないのだ。しかし、この肉塊はしっかり生きている。錯覚とかの類ではない。
「うわ、なによこれ? 気持ち悪いわね」
 と、隣にしゃがみ込んだリームが露骨に気味悪そうな表情を浮かべた。無理もないと思う。俺だってはっきり言って気持ち悪くてあまり見ていたくない。
「ロイアってば、こんなの食べてた訳?」
「ええ、そうです」
 その時、丁度洗面所からロイアがゆっくり現れた。服は汚れたままだが、赤黒く汚れた顔は普段のものに戻っている。
「なあ、これなんだ?」
「ドラゴンの心臓です」
「ドラゴンの!?」
 ロイアの思わぬ言葉に、その場の全員が絶句した。
 ドラゴンと言えば、この世で三本の指に入る最強生物の一つだ。その強さは言葉を話し始めた子供でも知っている。
 何故、そんなドラゴンの心臓がここにあるのだろう? 一体どうやって手に入れたのだ? いや、それよりも……。
「ちょ、ちょっと待て。どうしてお前、そんなもん食べていたんだ?」
 ドラゴンの心臓を食べる。
 その理由が一番理解出来ない。そんな異常としか言えない行為に、一体どんな意味があるというのだ?
「止むに止まれぬ理由があるんです」
 そう言ってロイアは微かに笑みを浮かべる。俺にはそれが、やけに自虐的に見えて仕方なかった。
「その前に、私、グレイスに言わなければならない事があるんです」
「え、僕に?」
「本当はその事でお呼び立てしたのですが……。こんな状況ですが、言わせて戴きます」
 一体何が言いたいってんだ?
 そんな一同の注目の中、ロイアはスッとグレイスの前に歩み寄る。
「私、グレイスに謝らなければならない事があるんです」
 そう言って、ロイアはそっと手にした槍を差し向けた。刃を相手に向けるのではなく、水平に、相手に渡す時のようにだ。
 困惑の表情を浮かべるグレイス。ロイアが自分に謝らなければならない理由に思い当たる節がないのだ。
「この槍、本当は私が所有して良いものではありません」
「え? それってどういう事?」
「この槍の名は、『魔槍ブリューナク』。今から二年ほど前に、私がアカデミーの宝物庫を襲撃して強奪した神器です」
 ハッと息を飲む、グレイス。同時に一同の間に緊張が走る。
「ですから、私は―――」
「待ちなよ」
 と、その時。まるでロイアの言葉を遮るかのようにリームがづかづかとロイアの前に歩み寄った。
 そして、ぐいっと激しい勢いでロイアの胸倉を掴み上げた。
「あんたが犯人だった訳?」
 爆発する寸前の感情をギリギリで押さえつけているような、底知れぬ怒りに満ちたリームの声。
「申し訳ありません」
「ふざけんじゃないわよ! あんた、あの事件でグレイスがどんな目に遭ったのか、知らない訳じゃないでしょう!? それなのに、しれっとした顔で私達を騙していた訳!?」
 もう片方のこぶしを硬く握り締め、振り上げる。が、すぐにそれはグレイスが取り押さえた。それでリームは殴り飛ばす事だけは辛うじて堪えたものの、依然としてロイアに対する怒りは収まっていない。
 まさか、ロイアが犯人だったなんて……。
 事の発端は、俺達がアカデミーの四回生だった頃までさかのぼる。
 俺達の間では絶対的なタブーとなっていた、宝物庫の襲撃事件。始まりは、アカデミー不知火にとって史上初にして最大の失態とも言えるこの事件からだ。



TO BE CONTINUED...