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 アカデミー不知火では、全ての四回生に宝物庫警備の義務が課せられる。四年目は生徒各自に卒業研究等をさせるために必修科目が格段に減り、有り体に言えば暇になるからである。
 宝物庫とは、アカデミーが所有する神器、及びその設計図等の資料が保管されている、アカデミー内では非常に機密性を要する場所である。神器とは、いわばアカデミーのステータスシンボル、ニブルヘイムに乱立するアカデミーの格付けを行うために最も考慮されるものと言っても過言ではない。そのため、その警備には特に厳重に行わなければならないのだ。
 四回生に警備をさせるのには二つ理由がある。外部のセキュリティ機関に委託するよりも遥かに安全性が高く、しかも直接生徒が警備を行う事により、不知火の生徒の優秀性を宣伝できるからだ。
 だが実情は少々異なる。
 アカデミー側は、生徒に警備当番の日を割り振りはするが、それを行うのが本人である確認は明確に行わないのだ。つまり、とにかく誰か人がいればいい訳で、実際に警備をするのは誰でもいいのである。
 そこで、これを利用したアルバイトが生まれる。つまり当番代行だ。俺もよくこのバイトをしたものだ。人の足元を見るようなバイトだから普通に働くよりもバイト料の割がいいのである。しかも、やりたい時にやり、やりたくない時は受けなければいいのだ。普通のバイトでこんな事を言ったら即行でクビになる。
 警備は二十ある宝物庫に、それぞれ十人一組で受け持つ。大体、剣士や格闘師といった肉体派と魔術師のような知性派とのバランスは取られている。ただし、法術師は警備には参加しない。法術専攻で四回生まで上がる人間自体が希少であるため、万が一の事故で失わぬようにという配慮からである。
 俺達の間で絶対の禁句となっている宝物庫襲撃事件。
 これは丁度、夏期休暇に入る直前のある晩に起こった。
 襲撃されたのは第三宝物庫。
 犯人の手口は非常に見事だったという。暗闇に身を紛れさせ、音も立てずに次々と警備を襲ったのだ。警備していた生徒達も、どうせ今夜も何にも起こらないだろう、と油断し切っていた事もあり、ろくに抵抗も出来ぬまま実にあっさりとやられたそうだ。
 そしてその日、警備していたメンツの中には偶然にもグレイスがその名を連ねていた。
 とても失礼な言い草ではあるが、当時のグレイスは今よりもずっと臆病でどん臭いヤツだった。成績はまずまずなのだが極度に臆病な性格のため、決断力や冷静な判断力というものが圧倒的に足りないのである。
 そんなグレイスが、およそ十年ぶりに起こったという襲撃に遭遇した時、果たして冷静に対処できるだろうか?
 答えは火を見るより明らかだった。
 第三宝物庫を警備していた者達は数名の重軽傷者を出し、保管されていた神器を強奪されてしまった。公式記録に詳細までは書かれていないため実際の被害状況は分からない。だが、不知火のステータスシンボルである神器が、何者かによって奪い去られた事は間違いないのだ。
 その後、第三宝物庫の警備を担当していた者達は査問審査会にかけられた。大きく名誉を傷つけられたアカデミーが下した処分は、三ヶ月に及ぶ出席停止だった。だが、それはグレイスを除いた者達への処分だった。犯人の侵入を許した経路の警備を担当していたのはグレイスだったのだ。つまり、犯人は真っ先にグレイスを薙ぎ倒して宝物庫へ侵入したのである。それは、事件のそもそもの原因にも見て取れる。少なくともアカデミー側はそう判断した。これについての責任問題は重く、グレイスに下された処分は理事長を含む長老陣の満場一致でアカデミーからの除籍だった。つまり、グレイスはアカデミーから追い出される事になってしまったのである。
 当然、俺達は猛烈に抗議した。何故、他のヤツらが出席停止でグレイスだけは除籍処分なのか、到底納得は出来なかった。
 グレイスの処分を取り下げるよう、俺達は様々な活動をした。幸いにもこちらには、ヴァルマという最強の参謀にセシアというアカデミーでも指折りの発言力を持つ人材がある。アカデミー側を折れさせるには、生徒を自分達側につければいい。生徒あってのアカデミーだ。全員とまではいかなくとも、大多数の人間が一斉に不信任を起こせば、幾らアカデミー側とて無視できるものではない。ヴァルマのそんな提案に、俺達は決起した。それからはヴァルマの采配の元、それぞれに与えられた役目に奔走した。俺はロイアとエルフィとシルフィとで、生徒達に地道にアカデミーの不当性を呼びかける活動を行った。一見すると地味であまり効果のない行動だが、ヴァルマの話によると、重要なのは賛同の有無ではなく、事件に対する認知度や関心を向ける事なのだそうだ。その後、様々な紆余曲折を経てヴァルマの作戦は見事に成功し、俺達は遂にアカデミーにグレイスの処分を取下げさせ、他のみんなと同じ出席停止処分に譲歩させた。
 結果的にはオーライかも知れないが、この事件によってグレイスは強いショックを受けている。ただでさえ自分に自信のなかったヤツがこっぴどく追い打ちをかけられたのだ。アカデミーが処分を取り下げたにも拘わらず、自主退学をしかけたのである。あの頃のグレイスは、正直見ていられなかった。自分を責めるあまり酷くやつれ、なかばノイローゼ気味になっていた。精神的に弱いから、と言えばそれまでだが、あのヴァルマでさえそんな言葉を口にはしなかった。それほどあの頃のグレイスは追い詰められていたのだ。
 ……思い出話はこの辺にしておこう。
 とにかく、これが、俺達の間で宝物庫襲撃の事件が絶対的な禁句になっている理由なのだ。
「あんた、よくも今頃ぬけぬけと言えたものね!」
 殴りつけはしないものの、リームは依然としてロイアの胸倉を掴み上げたまま、凄まじい形相で怒鳴っている。無理もないだろう。あの時、グレイスを誰よりも心配していたのだから。
「リーム、もうやめてよ!」
 と、そんな激昂押さえきれないリームに向けて、グレイスが必死に制止を訴えかける。
「なんで!? あんた、こいつに何をされたのか忘れた訳じゃないでしょう!?」
 リームは声を荒げ、むしろグレイスを非難した。グレイスはいわば被害者なのだ。その被害者が自分の行動を咎めるなんて。悪いヤツ、腹の立つヤツ、虫の好かないヤツはブン殴ってしまえばいい。短絡的だが、筋だけは通っているリームの正義。自分では、目には目を、という制裁が相応と思っていただけに、グレイスの制止に賛同し難かったのだ。
「忘れた訳じゃないけど、でも、やめてよ! ケンカとかして欲しくないんだ!」
 リームとは正反対に、暴力というものに対してとても厳格な価値観を持つグレイス。それは、非暴力主義と甘えた理想論との丁度境界を行く。殴っても解決しないし、仲間同士のいざこざは絶対に避けたい。それがグレイスの言い分だろう。
 その言葉に渋々では譲歩したリームは、悔しげにぎりっと奥歯を噛み、最後にロイアを殺気立った目で睨みつけた後、まるで突き飛ばすかのように胸倉から手を放した。
「言い訳でもあるんでしょ? だったら聞いてやるわよ」
「……すみません」
「フン、誰も許すなんて言ってないわ。もしもふざけた事を言ってみな。その首、へし折ってやるからね」
 リームの黒い眼光には、その言葉への嘘は微塵も感じられない。あと、もう一触あれば、この場にいる全員で取り押さえにかからなければならないほどの勢いで、リームはロイアに襲い掛かるだろう。
 リームの並々ならぬ殺気のせいもあってか、急に辺りが肌寒くなってきた。空気も重苦しく、吸い込む空気がやけにねっとりと粘着質に感じられる。そのため、心なしに呼吸も苦しい。
「兄様、宿の御主人にはうまく誤魔化しておきました」
「兄様、酔った勢いで暴れている事にしておきました」
 不意に、場違いに明るい二重奏が入ってきた。すぐさまヴァルマは、しーっと指を立てて二人を優しく黙らせる。二人もすぐに場の並々ならぬ雰囲気を感じ取り、ヴァルマに言われた通りおとなしくなる。
 ロイアは悲しげに目をうつむけ、物静かな表情を湛えながら沈黙していた。
 それは、これからの告白に向けて自らの心の整理をしているようにも見えた。
 たっぷり間を空け、やがてそっと大きく深呼吸する。そして、思っていたよりもずっとはっきりした口調でロイアは話し始めた。
「私の心臓には欠陥があるんです。とても重大で致命的な」
 欠陥?
 しかし、俺の目に映るロイアは、そんなものとはまるで無関係な健康的な姿をしている。色白ではあるが血色が悪い訳ではなく、髪や肌も健康そのものといった風につややかだ。
「欠陥と言っても、初めはそれほど酷いものではなかったんです。実際、自分の心臓の異変に気がついたのは、アカデミーの三回生が終わろうという時期でしたから。急に体力が目に見えて衰えていき、胸が締め付けられるような苦しみにもたびたび襲われるようになりました。どうやら心臓とその周辺に重大な欠陥があるようなのです。私はその事を医者に相談はしましたが、病ならばともかく先天的な欠陥は手の施しようがない、と言われてしまいました。過去にもそれほど事例のない、非常に稀な症状なのだそうです。何の解決の糸口も見つからないまま、それからも私の体はどんどん自由が効かなくなっていきました。僅かな運動でも息が切れ、たちどころに眩暈を覚えたり。最初の内は衰えた自分の体を昇華を使って補ってきましたが、最後にはほとんど常に使っていなければまともな生活が出来ないほど酷くなりました」
 体内に取り込んだ魔素を変質させて放つのが魔術ならば、それを逆に体内を循環させるのが昇華だ。細胞を活性化させ、身体能力を強化する事が出来る。しかも、魔術のように理性を食われる事もない。
「私は生まれて初めて自分の死を意識するようになりました。こう言うと非常に聞き苦しいでしょうが、私は死ぬのが怖くて最後の手段に出たのです。それは、ドラゴンの心臓を食べる事」
 と、ロイアは手にしていた槍、ブリューナクを床の上に立てた。そして、左手で支えながら右の手のひらをゆっくり刃の方へ持っていく。
「お、おい」
 直後、ロイアは自ら右の手のひらを刃に貫かせた。しかし、ロイアは表情を変える事もなく、じっと血に塗れた自分の手を見つめている。
 刃がしっかり突き刺さった事を確認すると、無造作に手を引き抜いた。俺は思わず顔をしかめてしまう。ずりゅっという肉の擦れ合う嫌な音が聞こえた気がしたからだ。
 どうしてそんな事をするのだ?
 俺はロイアの自虐的な行為が理解できなかった。
「見て下さい」
 そう、ロイアは理解に苦しむ一同に血に塗れた手のひらを向けた。
 血で染まり肉がえぐれている。血を洗えば、中の骨までも見えてしまいそうな深い傷。どくどくと湧き水のように血液が流れ出る。どう見ても、酷い怪我だった。手当てなしで放っておいて治るようなものではない。
 だが、
「……え?」
 向けられた手のひらから次々と流れ出す血流が、徐々にその勢いを弱めていった。そのまま数秒も経たない内に血流は止まる。そして今度はえぐれた傷口の肉が、ゆっくりと合わさり始めた。
「今の私は、このぐらいの傷なら数分で塞がってしまうんです」
「塞がるって……どうしてだ?」
「ドラゴンの心臓とは、ドラゴンの不死性のエネルギー、即ち生命力そのものが集約されたものなんです。それを体内に摂取する事により、ドラゴンの生命力を一時的に自らのものに出来るんです。とは言っても、不死になる訳ではありませんが」
 それじゃあ、ドラゴンの心臓を食べたから、傷があんなに早く塞がったっていうのか? アカデミーの講義では聞かなかった話だ。幾らなんでも俄かには信じがたいが、その事実を目の前で見せられてしまっては反論のしようがない。
「私の命を繋ぎとめるには、これしか方法がなかったんです。ドラゴンの生命力を手に入れれば、その効果が続いている間は心臓の欠陥も生命力がカバーしてくれますから。ですが、ドラゴンの心臓を手に入れるにはドラゴンを仕留める必要があります。無論、ドラゴンを仕留めるなんて、私のような非才の人間には不可能です。そこで、私は神器に目を付けたのです。神器があれば、簡単に圧倒的な力が手に入りますから」
 宝物庫を襲撃し神器を奪ったのは、ドラゴンを狩るためだったのか……。
 そういえば、夏季休暇に入るなり、ロイアは一人でどこかに旅行に出かけてしまったっけ。今思うと、あの時に既に最初の狩りを始めていた訳か。
「これで全部です。一年半前、宝物庫を襲撃し神器を奪ったのは私です。そして、グレイスを追い詰めたのも」
 そしてロイアはゆっくりと口を閉じた。
 しん、と静まり返る一同。
 俺はロイアになんて言ったらいいのか、まるで言葉が見つからなかった。それはこの場にいる誰もが同じようで、お互いの出方を探り合うような沈黙だ。
 と―――。
 沈黙を破るかのように、まず動いたのはリームだった。
 リームはくるっと踵を返し、ずかずかとドアの方へ向かっていく。その途中で、グレイスの裾を掴んで。一同の視線がそんな二人に集まる。だが、リームはまるでそんな事を意に介さずドアを乱暴に開けた。そして、そこで視線をロイアに戻し、
「……私はそれでも許さない」
 刃物のように鋭い目つきでそう吐き捨て、グレイスを引き摺るように連れ立って部屋を後にした。
「さて……そういう事で、そろそろ私達も戻る事にしようか」
「ええ……」
「ええ……」
 その後に続き、ヴァルマ達も部屋から出て行った。
「ロイア、じゃあ、体はもういいのね……?」
「ええ……御迷惑をおかけしてすみません」
「迷惑だなんて。私達、仲間でしょ?」
 すまなそうに目を伏せるロイアに、セシアはそう微笑んだ。すると、幾分かロイアの表情が和らいだ。
「じゃ、私達もそろそろ戻るね。また明日」
「はい……」
 俺はセシアと連れ立って部屋の外へ向かった。
 が、
「セシア、悪いんだけど先に戻ってくれるか?」
 俺は小声でセシアにそうささやいた。
 どうしたの? とセシアの瞳が問い返す。それに俺は、聞くな、と軽く首を振る。するとセシアは、分かった、と微笑み一人で部屋を出て行った。こういう時、頭の回転が早い人間は助かる。
「なあ、ロイア。そのさ、あんまりうまく言えないんだが……」
「私は大丈夫です。これでも、割と芯は強いんですから」
 そう言って微笑んだロイアの表情は、やはり酷く悲しげに見えた。
「グレイスも分かってくれるよ。そりゃ、誰だって自分の命がかかっていたら、いちいち手段なんて選んでられないんだから」
「ガイア、私ってみんなが思ってるほど綺麗な人間じゃないんですよ?」
 それはどういう事だ?
 はあ、と首をかしげた瞬間、ロイアが突然俺の元へ歩み寄り、
「お、おい」
 そして、ぎゅっと腕を背中に回して抱きついた。いや、抱きつくというよりもすがりつくという感じだ。
「私、あの日グレイスが警備を担当していた事も知っていたんです。しかも、グレイスに警備のアルバイトをするように差し向けたのも私なんです」
「差し向けた?」
 ロイアは俺の胸の辺りに顔をくっつけたまま、震えた声でそう話し始めた。
「夏期休暇にリームと遊びに行ってみては? と、私が持ちかけたんです。それで、その資金を稼ぐのに代行警備のアルバイトがいい、と。そうやって、私は初めからグレイスを狙って襲撃したんです」
 徐々にロイアの声が涙ぐんできた。俺は何も出来ぬまま、ただロイアのしたいようにさせる。
「グレイスのような方が警備についている時なら、一番成功率が高いと思ったんです。神器の略奪なんて、たとえ未遂でも重罪に当たります。だから失敗は許されません。それで私は、グレイスをあんな目に遭わせたんです……」
 俺の背中に回った手に力がより一層こもる。
「そんな事をしてまで、生きようとしてるんです、私は。仲間を売るなんて、最低の人間です」
「ロイア……」
「私、怖いんです。そうやって何とか繋いで来た命ですが、いつ神器を略奪したのが自分と発覚するのか……もし発覚したら、私にはきっと刺客が放たれるでしょう。私には逃げきれる自信がありません……」
「大丈夫、アカデミーはとっくに諦めてる……」
「それだけじゃありません! それに……発作の周期も段々縮まってきているんです。始めは一、二ヶ月に一度だったのに、今じゃ一週間ももたないんです!」
 それって、ドラゴンの心臓の効果が薄くなってきたという事か? じゃあ、もし効果がなくなったら、ロイアは……。
「怖いんです! 自分が一歩ずつ、確実に死に向かっている事が! この一年、世界中を飛び回って治療方法を探し続けました。ですが、何一つとして見つからないんです! もしこのまま見つからなかったら、私、私―――!」
 むせび泣くロイア。
 俺は本当にどうしようもなかった。
 気休めの言葉なら幾らでも吐ける。だけど、ロイアに本当に必要なのは、その心臓の欠陥を治療する手段だ。腐るほど美辞麗句を並べた所で、何のためにもならない。
 本当に俺は何もしてやれないんだよな……。
 無力である事がこんなに辛いだなんて。馬鹿みたいにはしゃいでいた学生時代の自分には想像もつかなかっただろう。
「あ……ごめんなさい。泣いたりしてしまって……」
 と、ロイアは慌てた様子で顔を上げた。
「いいさ、別に。俺ってあんまり気がきかないからさ。他に何のなぐさめも出来ないから」
 そんなロイアに、俺は微苦笑。
 ロイアは今まで、こんな事をたった一人で抱えていたなんて。
 どうしてもっと早く打ち明けてくれなかったんだろう? 一番最初に、一足飛びで一線を越えてしまうなんて。一言相談してくれたって良かったはずだ。
 いや、今頃そんな事を論じたって意味はないのだけれど。



TO BE CONTINUED...