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 無言のまま、重苦しい空気が漂う。
 ヴァルマとリームは相変わらず神経をピリピリとさせている。俺とグレイスはどうしたらいいのか分からず、取り敢えず硬く口を閉ざして静かに佇んでいるしかない。シルフィはエルフィを心配しているらしく、そわそわと立ち上がったり座ったりと落ち着かない様子だ。
 宿の外は相変わらずの豪雨と暴風が吹き荒み、ガタガタと激しく建物を揺らす。
 セシア達はまだなのだろうか?
 エルフィの傷は深く、容易に治療出来るものではない事は分かる。しかし、今はそんなに悠長に構えているほど時間はない。今この村には、竜巻という自然災害が近づいてきているのだから。とにかく時間一杯まで法術をかけ、余裕がなくなったらたとえ途中でもここから避難しなくてはならない。いつまでもここに留まっていては、エルフィだって傷が開く程度では済まなくなる。それでも、全ての最終判断を下すのは、俺達の中で一番医学の知識に明るいセシアだ。セシアも竜巻の事は十分に考慮している。その上で、何時ここを経つのかを決めるのだ。
 と―――。
 ぎしっぎしっ、と二階から床を踏む音が聞こえてくる。
 俺達は一斉に立ち上がり、視線を階段の方へ向けた。
 そして現れたのは、セシアとロイア、そして毛布を担架代わりに二人に運ばれてきたエルフィの姿だった。
「エル!」
 そう言うが早いか、ヴァルマは唐突に飛び出していった。
「エルは無事なのか!?」
「大丈夫よ。傷はちょっと深かったけど、内臓に大きな傷もなかったし、大事な血管も切れてなかったから。傷口はほとんど塞がったけど、まだ少し残ってるから、続きは避難してからにしましょう」
 しかし。
 そう説明するセシアを、ヴァルマは無事か否かだけを聞くなり無視し、さっさと奪い取るかのように毛布の中のエルフィの体を抱き上げた。
「ちょっ、ヴァルマ! 大丈夫だって言ったけど、まだ動かせないのよ!?」
 だがヴァルマはその言葉を背中で聞き流し、スタスタと歩いていく。そのままテーブルの上にエルフィを寝かせると、耳を口元や胸に当てて調子の方を確かめている。
 セシアが大丈夫だと言ったのに。なんて疑い深いヤツなんだ。
 エルフィの無事が分かって和やかになりかけた雰囲気が再び険悪になる。ヴァルマの態度は露骨に俺達に対して不信的だった。まるで他人のようにしか見ていないようだ。
「セシア、大丈夫か?」
 降りて来たセシアは、明らかに疲労困憊している様子だった。顔色もやや青白くなっている。明らかに法術の使い過ぎだ。
「ええ、大丈夫よ。大した事はないわ」
 とは言いつつも、疲労の色は隠し切れていない。それでも強がって平気なふりをするのはセシアの悪いクセだ。
「あんま無理すんなよ。辛い時は背負ってってやるからさ」
「……うん、頼りにしてるわ」
 さて、とにかくここを発つ準備は整った。大分時間はロスしたが、まだ急げば竜巻が来る前に避難できる。
「さあ、早い所ここから避難しよう。もうかなり風が強くなってきた。これ以上時間をかけると、今度は視界もままならなくなってしまう」
 強い風に吹き付けられて雨雫が顔に降り注いでくるのだ。こんな状態になってしまったら前後左右の確認が困難になり、移動がかなり大変なものになってしまう。
「ええ。では、早く避難いたしましょう。そろそろ竜巻の方も大分近づいているはずですし」
 一同は一度降ろした荷物を再び身に付け、出発の準備を整える。
「じゃあ、そろそろ行くぞ」
 しかし。
「待て。貴様ら、そこを動くな」
 突然、ヴァルマがそう俺達を制止した。
「まだ、犯人がはっきりしていない。特定するまでは、ここからは一人たりとも出さない。この嵐に紛れて逃げられるかもしれないからな」
 ゆらりと立つヴァルマ。再び、あの異様な雰囲気を発している。
「ちょ、何言ってんだよヴァルマ! 今はそんな事を言ってる場合じゃないのに!」
 思わずグレイスが叫ぶ。
 瞬間、ヴァルマの目つきが鋭く変わった。
「動くなと―――」
 振り上げたヴァルマの右腕に、大量の水分が集まり球体を形作る。
「言っただろう!」
 そのままその右腕をグレイスに目掛けて振り下ろす。
「え―――?」
 振り下ろされた腕から打ち出された水球は、一本の鋭い槍と化してグレイスに襲い掛かる。パアンッ、と激しい破裂音と共にグレイスの体が大きく後へ吹き飛ばされた。
「グレイス!?」
 咄嗟にグレイスの元へ飛び出すリーム。だが、派手に吹っ飛ばされた割にすぐにグレイスは立ち上がった。どうやら障壁を張って直撃は防いだようだ。
「お前、本気か……?」
 俺はゆっくりと身構えた。
「私がこんな下らない冗談を言うと思うか?」
 対峙するヴァルマは、薄ら笑みすら浮かべている。
「名乗り出なければそれでもいい。その時は、まとめて制裁を受けてもらうだけだからな」
 と、ヴァルマの周囲に次々と水球が無数に浮かび始めた。
 完全に戦闘態勢に入っている。
「ふざけるな! 俺達がそんな事をすると本気で思ってるのかよ! 仲間が信用出来ないのか!?」
「仲間? 信用? 悪いが、私がこの世で信頼する自分以外の人間は、エルとシルだけだ」
 ひやりとするほど、冷たいヴァルマの一言。
「それに、この状況を一体どうやって説明するつもりだ? 犯人は貴様らの内の誰かとしか考えられない」
 確かに、ヴァルマの言う通り俺達の中の誰かが犯人だとすれば説明もつくかもしれない。しかし、何より重要な動機というものが、俺達の中で持ち合わせている者がいないのだ。いや、いるはずがない。いてたまるものか。
「私は、自分の大切なものを傷つけたものには容赦しない人間だ。それをじかに味わってもらおう」
 ヴァルマはおもむろに上着の中へ手を入れる。
 そして取り出したもの。それは、一冊の古ぼけた本だった。
「目覚めよ。我が名はヴァルマ=ルグス」
 直後、その本はひとりでに宙に浮かんだ。
『ごきげんよう、マスター』
 本が喋った?
 俺は思わずハッと息を飲んだ。少なくとも俺の知識の範囲には、言葉を話す本なんていうものは存在しないからだ。
「ヴァルマ……あなた、それは―――!」
 が、セシアは俺とは違う点で驚いていた。何故本が喋ったのか、ではなく、何故その本を持っているのか、という驚きだ。
「セシア、あれを知っているのか?」
「ええ……神器『Mの書』。一年半前のあの事件で、第三宝物庫から紛失した神器の一つよ」
「え? だってお前、あの時は」
「ごめんね。本当にざっとしか読んでなかったから、記憶があやふやでいまいち確証が持てなかったから言わなかったの」
 Mの書と呼ばれたその本は、まるで自分の意志があるかのようにヴァルマの手のひらの上で言葉を話している。そして自らの意思で、もしくはヴァルマの命令でページをパラパラとめくったりする。異様な光景だった。たとえ神器とは言え、言葉を話す本なんて奇妙としか呼べない。まるで生きているようだ。
『現在の大気中の魔素含有率は12.4% 攻撃に必要な魔素の吸収には十分な条件です』
「さて、始めようか」
 ヴァルマが手を前方に突き出す。直後、ヴァルマの周囲に浮遊していた水球が鋭い槍と姿を変え、一斉に襲い掛かってきた。
「くそっ!」
 俺は取り込んだ魔素に壁のイメージを与えて変質させ、それを全力で両腕に集中させて障壁を張る。
 まるで雨のように降り注ぐ水の槍。あれに貫かれたら、もはやセシアでも治療は難しいほどの重傷を負うだろう。
 空気を切り裂きながらうなる水の槍。そして、着弾。どんっ、という腹に響く重い衝撃が腕から全身に伝わる。意識を自分の張った障壁に向けてみる。今の攻撃で破られた様子はない。どうやらなんとか防げたようだ。
「エルを傷つけた事を後悔させてやる」
 再び水球を生成するヴァルマ。しかも、数が尋常ではない。
「やめろ! そんなに急激に魔素を取り込んだら暴走するぞ!」
「黙れ。貴様の指図は受けない」
 ヴァルマの周囲に浮かぶ水球が次々と姿を変えていく。
 あんなのを一斉に食らったら、とても俺の障壁では防ぎ切れない!
「みんな、下がって!」
 と、セシアの声が凛と響き渡る。
 セシアは長い袋の中から突き抜けるように真っ白な杖を取り出す。
「『神の台は魔を払う』」
 詠唱と同時に、杖を床に突き立てる。直後、俺達の足元の周囲に幾つもの神代文字が浮かび上がった。そこへ襲い掛かる、ヴァルマの放った無数の水の槍。だがその槍は、セシアに届く直前で弾き飛ばされ脆くも霧散する。
「ヴァルマ、あなたの魔術は効かないわよ」
『マスター、特異なフィールドが発生しました。魔力による干渉が全て失敗しました』
「神杖『ガンバンテイン』か……フッ、そういえば君も神器を持っているのだったな」
 ガンバンテインとは、セシアがアカデミーから授与された神器だ。ガンバンテインは、あらゆる魔力を遮断する能力を持っているのだ。
「あなたの気持ちも分かるけど、みんなには手出しさせないわ」
 セシアのガンバンテインが効果を発揮している以上、魔術は効果を及ぼさない。したがって、魔術師であるヴァルマにとっては攻撃手段を奪われた事になる。
「ヴァルマ、どうしてあんたがそんなモン持っている訳?」
 と、その時。おもむろに歩み出て口を開いたのはリームだった。
「それ、第三宝物庫にあったヤツなんだってね。あの第三宝物庫に」
 そう、第三宝物庫は、かつてグレイスの事件が起こった場所だ。
 その時、宝物庫からは神器が奪い去られた。それがロイアの持つブリューナクだったのだが……。
「幾ら馬鹿の私でも分かるわ。返答次第では、ただじゃおかないわよ」
 殺気立ったリームの声。
 昨夜のリームだ。ロイアと対峙した時の。
 息も詰まりそうなほどの殺気で周囲の空気が冷たく凍りつく。しかし、その殺気を一身に受けているはずのヴァルマは、まるで他人事のように平然としている。
「それは、そう、ロイア。君なら大方見当がつくのではないかね?」
 え?
 と俺はロイアを振り向く。その先でロイアは、悔恨とあきれのどちらともつかぬ複雑な表情をしていた。
「……どうやら私は、うまく利用されたようですね」
 そして、微苦笑。
「その通りだ。君一人が襲撃したところで、幾ら何でも成功するはずはない。あの時、あの場にも我々がいたのだよ。さりげなく君を援護しながらね。あの混乱にまぎれて、我々も目的の物を戴いたのだよ」
 じゃあ、第三宝物庫を襲撃したのは、ロイアだけではなくヴァルマ達も、それもロイアには知られずに行っていたっていうのか?
「どういう事なの、これ? 利用とか援護とか、訳分かんないわ」
「なに、簡単な事だ。心臓の欠陥に気づいたロイアが、とある誰かに助けを求めた。知識の豊富なその誰かは、親切に具体的な解決手段を教えてあげたのだよ。そしてその誰かは、襲撃の騒ぎに便乗した、という訳だ」
 誰か、と呼称しているのがヴァルマである事は推測できる。
 しかし、一体どうしてそんな……?
「まさか、お前も神器が欲しかったのか?」
「貴様に答える義務はないな」
 黙秘。
 だが裏を返せば、それは俺の質問に対する肯定という事になる。
「どうしてだ! お前には神器を手に入れなければならない理由なんかないだろう!?」
「黙れ!」
 その大喝に、俺は驚きに一瞬怯む。
「貴様に私の何が分かる!? 知った口をきくな!」
「けど、ヴァルマ! 理由ぐらいあるだろ!? そこまでして手に入れなければならなかった理由が!」
「貴様には分かるまい。ままならぬ者の苦しみなどな!」
 まるで幽鬼のような冷たい視線が俺に向けられる。
 俺は互いに激昂しながらも、突き放されてしまった寂しさを覚えずにはいられなかった。
 一体どうして?
 予想外だった自分とヴァルマとの距離に、俺は胸がしくしく痛んだ。
「あんたにどんな理由があるのか知らないけどさ」
 ふと、リームの声。
 リームは戦闘用の手甲を両腕に装着しながらゆっくりとヴァルマの方へ歩み寄っていった。
「今の私、手加減できそうもないわ」
 冷たく吐き捨て、ゆっくりと身構えた。
「そうやってグレイスをよってたかってさ。許せない」
 黒い炎と共に、リームの目にはふつふつと怒りが燃えていた。グレイスを私利私欲のために傷つけた事への怒り。それだけが純粋な殺気に集約され、リームを突き動かしている。
 だが、
「兄様には指一本触れさせません」
 と、そこに。
 二人の間に割って入るように、抜き身の剣を二振り持ったシルフィが立った。
 右手に持つ片刃の剣は俺も知っている。シルフィがアカデミーから授与された神器、『閻魔の伏剣』だ。左手の脇差も、その刀身の輝きからして相当な業物のようだ。
 二人の殺気が激しくぶつかり合う。
 どちらにも恐ろしいほど迷いがない。
 本気だ。
「いい子だ。ではその間、私はこちらを相手するとするか」
 ヴァルマはまた上着の中に手を入れ、何かを取り出した。それは、これといって装飾のない、二の腕ほどの長さの真っ黒な短い棒だった。この棒も、俺は知っている。ヴァルマがアカデミーから授与された神器、魔杖『レーヴァンテイン』だ。



TO BE CONTINUED...