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『マスター、グレイス=ハプスブルクの分析結果が出ました。個人データを更新します』
 と、そこに、Mの書の極めて無機質な声が無神経に響いた。
「続けろ」
『予測最大攻撃レベル8±1、精神強度は230。ただし、グレイス=ハプスブルクはヴァンパイアの混血の可能性アリ。緊急時のデータは、現状は負傷甚大のため測定不能。出血過多。呼吸数増加。体温低下。脈拍不整』
「なるほど、ヴァンパイアか……。その爪と瞳の色も説明がつくな。フン、禍々しいものだ」
 Mの書の分析結果に納得すると、急にヴァルマは興味を失ったように、血まみれで寄り添う二人から目を離す。
「シル、もういいぞ。後は私が片付ける。お前はエルを見ていなさい」
「はい、兄様」
 ヴァルマの命令に素直に従い、シルフィは剣を収めエルフィの元へ場を離れる。普段の見慣れた事なのだけど。この時ばかりは異常な雰囲気に思えて仕方がなかった。
「どうしてなんだよ! お前、どうしてあんな事をしてまで!」
 ロイアは自らの心臓の欠陥を補うため、計画的に第三宝物庫を襲撃した。その結果、グレイスを酷く傷つけてしまう事になった。
 仕方がない。
 人によってはそう言うかもしれない。自らの命ほど大切なものはないのだ。それを守り抜くためならば、人は時に驚くべき行動にも出る。そうさせるのは、生への本能的な執着。つまり、恐怖だ。
 しかし、事の真相には続きがあった。
 心臓の欠陥を補う方法は、ヴァルマによって教えられたのだ。つまり、ヴァルマはロイアが宝物庫を襲撃するように仕向けたのである。ロイアが良心を痛める事も、グレイスが酷く傷つく事も、全て承知の上でだ。
「黙れ。貴様の関与する事ではない」
「ふざけるな! お前、何考えてんだよ! ロイアを利用してまで神器を手に入れて、それでどうするつもりなんだよ! どうしてそこまでして神器が欲しいんだ!?」
「満足な体を与えられて生まれてきた者に、与えられなかった私の苦しみが理解出来るのか? 私の苦しみを心から理解してくれたのはエルとシルだけだった。お前には理解出来るのか? 何一つ不自由のないお前に?」
「不自由?」
「私は自分の体が忌々しかった。思い通りに動くどころか、正常な状態に保つだけでも苦労する貧弱な体が。どれだけ自由というものに熱望した事か。貴様に私の気持ちが分かってたまるか!」
 アカデミー時代、ヴァルマはその智謀で恐れられていた。だがそんなヴァルマは、階段を登るのにも息を切らし、全力で走れば酸欠を起こし、月に数日は体調を崩して寝込むような極端な虚弱体質だった。ヴァルマに泡を吹かされ、復讐を企む者は幾人もいた。しかし、常に傍らには双子の剣の達人がおり、しかも、ヴァルマ自身も魔術に関してはアカデミーの生徒の中では指折りの実力者だ。物理的な介入は絶対に不可能である。ならば間接的に、もしくは精神的に、となるのだが、それにはヴァルマの智謀の上をいかなくてはならず、それこそ無理だ。
 俺は、確かにヴァルマが自分の体質に苦しんでいる事は知っていた。健康な体に憧れるのも分からなくはない。しかし、ヴァルマには体力はなくとも人並みはずれた知力がある。だから、それほどのコンプレックスではないと思っていた。
 そのヴァルマが、まさかそこまで追い詰められるほど苦しんでいたなんて……。
 俺は全く予想もしていなかった。
「議論するだけ無駄だな。私は、エルを傷つけた者を排除するだけだ」
 左手のMの書のページがパラパラとめくれていく。
「ガイア、今から私は貴様を全力で排除にかかる。せいぜい、もがくがいい」
『個人データの更新を行います。対象、ガイア=サラクェル』
 俺の胸に円状の光が当てられる。
「今から貴様の全ての情報が引き出される。もはや貴様に打つ手はないぞ」
 くっ……俺の手札なんてとっくに出し切っている。これでかなわないようなら、ヴァルマの言う通り俺に打つ手は……。
『警告、警告』
 突然、Mの書がけたたましく口走り始めた。
「どうした?」
『レベル5の危険因子発見。対象ガイア=サラクェルに最重要危険因子指定『邪眼』の存在を確認』
「……なんだと?」
 その瞬間、驚きのあまり俺の心臓は一瞬鼓動を止めた。
 そうだ、Mの書は相手のあらゆる情報を引き出し分析する神器だった。どうして今まで、自分のこの目の秘密を嗅ぎ付けられる可能性がある事に気づかなかったのだろう。いや、今更そんな事を考えても仕方がないのだけど。
 とにかく、何とか誤魔化そう。
 真っ先に頭に浮かんだのはそれだった。邪眼とは、人々には忌み嫌われる存在だ。みんなに嫌われたくない。その一心で、どう誤魔化そうかと言葉を探す。何か言おうと思った。が、出て来るのは酸素の薄くなった呼気ばかりで、詰まった喉からは声が出ない。
「そうか……なるほど。ククク」
 狂ったような不気味な笑い。
 その凄惨な表情に、俺は蛇に睨まれた蛙のような心境で背筋を凍らせた。ハンターなどという商売を知っているからこそ、感じるもの。あの目は、そう、本気で人を殺す時の目だ。そしてその殺気が、今、俺一人に集中しているのだ。
「やっぱり……やっぱり、アンタだったんじゃない!」
 突然、リームが叫んだ。
 腕の出血と、血まみれのグレイスを抱き抱え、真っ赤になったリーム。
 そのリームが、目を真っ赤に腫らせながら俺を睨みつける。
「アンタが私の親父を殺したんでしょう! その邪眼で! そうじゃなきゃ、あんな異常な死に方なんかしないもの!」
 俺の脳裏に、幾度となく見た悪夢が強制的に再現される。
 死んだファリニスを抱き抱えながら睨みつける少年と、その涙と憎悪に満ちた視線を真っ向から受け止める中年の男。
 やがて男は―――。
「そ、それは……」
「もう嫌! 私、もうあんた達なんか信じられない! みんな、みんなブッ殺してやる! あんたらなんか、仲間でも何でもないわ!」
 ヒステリックな叫びを上げ、この現状に耐え切れないのかしきりに頭を振るリーム。
 嗚咽と憤怒とが入り混じった悲鳴のような声。
 俺は思わず耳を塞ぎたくなった。
 違うんだ! あれは、仕方がなかったんだ!
 頭の中で弁解の言葉を何度も繰り返す。だが、当然の事ながらそれがリームに伝わる事はない。いや、たとえ声に出せたとしても。それはただの聞き苦しい言い訳でしかなく、リームに届くはずはない。リームは今、完全に俺達に心を閉ざしてしまった。
「そうか、貴様だったのか。エルをあのような目に遭わせたのは。確かに。邪眼の力ならば、数々の疑問も全て説明がつく。さすがのエルも、呪いにはどうする事も出来ないからな」
 と、まるで俺に追い打ちをかけるように、ヴァルマが病的な表情で俺を睨む。
 顔は通り越した怒りで薄笑いに、そして目は憤怒の炎でギラギラと異様に光っている。
「そ、そんな。待てよ、俺はエルフィにそんな事―――」
 そうだ、俺の邪眼は、相手の目を憎しみの感情をぶつけて睨まなければ力を発揮する事はない。
 どうして俺がエルフィを憎まなければならないんだ? 俺は、憎しみの感情を仲間にぶつけた事なんて一度もない。第一、俺にとって憎悪の感情を持つ事がそんな結末を生み出すのか、誰より自分自身がよく知っているのに。
「黙れ! 今の私はいちいち言い訳を聞いてやれるほどお人好しではない! その忌々しい眼球もろとも消し去ってやる!」
 轟、と吼えるヴァルマ。
 瞬間、
 パアンッ、と激しく空気が弾けた。
「そ、それは……!」
 ヴァルマの周囲には幾つもの雷の帯が渦巻いていたのである。
 雷撃魔術―――。
 水系統の高等な魔術だ。水分子の摩擦により静電気を生み出し、それを束ねて操る魔術。だがそれは、術者には相当な技術がなければ出来ない高難度の魔術だ。
「私が納得のいく説明でもできるのか? 自分ではない、と否定するだけなら簡単だ。私の目的は唯一つ、エルを傷つけた存在を抹消する事だ。そのためには、私は一切譲歩する気はない」
 無数の雷の帯がヴァルマの頭上で寄り集まっていく。
「『目覚めるがいい、我が僕。吠えるがいい、冥府の使徒。屠るがいい、満たされぬ者』」
 な……あれは!
「『尽きざる飢餓の束縛を、今こそ解きて放て』」
 寄り集まった雷は、一匹の和竜へと姿を変えた。
 凄まじい咆哮が、張り詰めた空気を打ち震わせる。
 雷魔術を見ただけでも驚愕すべき事なのに。それが、更にこれほど巨大な魔術による擬似生物を造り出されてしまうなんて。俺はもはや二の句が次げなかった。
 ヴァルマの優秀さはよく知っているつもりだ。だけどそれが、これほどのものだったなんて。ヴァルマと俺は同期なのに、俺よりも数段上の次元の魔術師になっている。俺達の差はこんなに広いものなのか……。
「行け」
 短くも冷たい言葉でヴァルマは雷の和竜に命令する。
 和竜は爆音のような咆哮を上げながら大きく口を開けて俺に向かってくる。そう、俺をその巨大な口で飲み込もうとしているのだ。
「ガイア! 駄目! こっちに戻って!」
 鼓膜が張り裂けそうな咆哮の中、そう僅かにセシアの声が響いた。
 あんな魔術、俺程度の障壁では防げるはずがない。ガンバンテインの絶対防御のフィールドに逃げなければ。
 しかし、全ては遅過ぎた。
 刹那、俺は自分の意志ではなしにフィールドに戻された。
 いや、戻されたのではなく、吹き飛ばされたのだ。
 背中を強かに床に打ちつける。
 全身には雷に打たれた焼け付くような痛みが走っている。意識は朦朧とし、自分がどうなっているのかさえ分からなくなりかけていた。
「脆いな。少し撫でただけだというのに。まるで紙屑だな」
 微かな視界に浮かぶヴァルマの嘲笑。
 既にヴァルマの様子は常軌を逸していた。取り込み過ぎた魔素に理性を食い荒らされ、暴走一歩手前といった所だ。
 早く、あいつを止めなければ。
 暴走してしまったら、もはや誰にも止める事は出来ない。
 そうなってしまったら、後は自然消滅を待つしかなくなってしまう。
 それは、ヴァルマの死と同義だ。
 それだけは、そんな結末だけは迎えたくない。
「ガンバンテインの効果範囲でも、レーヴァンテインを止める事は出来ない。さあ、ガイア。選ぶがいい。私の僕に焼かれて朽ちるか、レーヴァンテインに焼き尽くされるか」
 くそっ……。
 俺は自らを奮い立たせて、ゆっくりと立ち上がる。
 何とか動けよ、俺の体。
 神にもすがる気持ちで、俺はフィールドを飛び出す。
「駄目! 戻って、ガイア!」
 背後からセシアの声が聞こえる。しかし、それには従えない。セシアにヴァルマのとばっちりを受けさせる訳にはいかないのだ。
「ほう、殊勝な事だ」
 あえて自分に向かって来た俺に、皮肉に満ちた称賛を与えるヴァルマ。
 言ってろよ……この、酔っ払いが。
 俺はゆっくり魔素を取り込んだ。



TO BE CONTINUED...