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 俺は二杯目の水をゆっくりと吐き出した。
 そういえば、全部ヴァルマにバラされたんだったけ……。
 これまで俺が、誰にも知られないように隠し続けてきた秘密。
 邪眼。人を呪い殺す、忌まわしい眼。
 自分の目がそうと知った時、俺は人の目をまともに見る事が出来なくなっていた。そして、決して感情を荒立てないように、へらへらと不真面目な男を装い続けてきた。そういう仮面を被っている間は、何を言われてものらりくらりとしていられたから。少なくとも誰かに憎しみの気持ちを抱く事はない。悪意がなければ、邪眼は力を出す事はない。
 俺は自分が邪眼の持ち主である事を、決して誰にも知られないように隠し続けてきた。
 俺が人を容易に殺す事が出来る力を持っている、と知ったら、周囲の人間はどう思うだろう?
 間違いなく俺という存在を忌み嫌い、傍から去っていってしまう。
 誰からも拒絶されて孤立してしまう事。孤独になる事が、俺は何よりも怖かったのだ。
「あ、あの……無理に話していただかなくて結構ですから」
 俺の様子に後ろめたさでも覚えたのか、ロイアがそう撤回する。
 ま、今更誤魔化しようもないか。Mの書の力は実証済みなんだし、それに暴かれてしまったのだから今更隠し様がない。
 俺は覚悟を決めて、コップを戻しゆっくりと振り向く。
「本当だ。ヴァルマの言った通り、俺の目は邪眼なんだ」
 平静を装う顔とは裏腹に、手は緊張のあまり痺れ始めていた。
 自分が邪眼の持ち主である事を告白するのは、俺にとってはそれほどの決心が必要だったのだ。
「……!」
 俺の言葉を受け止め、予想通り一瞬ロイアの顔色が変わる。
 そう、俺はそれが見たくなかったのだ。邪眼は凶暴な力を秘めている。だけど俺は、そんな力なんか少しも欲しくはないのだ。そんな欲しくもない力を持たされてしまった俺が、その力を人から恐れられて拒絶されるのが怖くて……。
「驚いたか?」
「ええ……少し」
 ロイアの表情は困惑の色が見え隠れしていた。
 今まで俺が邪眼の持ち主だなんて思いもしなかったからだろう。
 そう、邪眼とは、それ自体は人には知られにくいもの。
 だから、いざ本人を目の前にしてしまった時、恐怖に慄いても仕方のない事なのだ……。
「怖いだろ?」
「え?」
「俺の目は容易に人を殺す事が出来る。あまりに簡単過ぎて、自分でも制御できないほどだ。そんな俺が、怖いだろ?」
 邪眼の力は魔術の比ではない。魔術なら防ぐ手段は幾らでもあるが、邪眼は視線を合わせないようにする以外に防ぐ手段がないのだ。
 睨むだけ。
 それだけで人を殺す事が出来る俺の邪眼。道端に転がる石を蹴飛ばす程度の気持ちで人を殺す事が出来る。
 そんな力を持つ俺を、ロイアはきっと恐れているに違いない。
 その持ち主が、今、目の前にいるのだから。
「……いいえ」
 だがしかし、ロイアはゆっくり首を横に振った。
「でも、ガイアは優しい方ですから。制御出来なかった場合はともかく、自分から進んでその力を使ったりはしませんでしょう? でしたら、私の気持ちは何も変わりませんわ。それに、容易に人を殺す力なんて、アカデミーを卒業した私達も持っているではありませんか。ガイアだけが特別な訳ではありませんわ」
 そう言って、ロイアはニッコリ微笑んだ。
 陰りのない笑み。これまでのように、俺を受け入れてくれている表情だ。
「そ、そうかな……?」
「ガイアは御自分を責める必要はありません。あなたは何一つ、恥じ入る要素は持っていないのですから」
 人に忌み嫌われる力を持つ自分。
 そんな俺が人に好かれる訳がないから、今まで俺は人に好かれたいがためにその事を隠し続けていた。
 だけど。
 俺もまた、ヴァルマのように仲間を信用していなかったようだ。邪眼の持ち主である自分を受け入れてくれるはずがない、と決め付けていたのだから。少し驚かれはしたけど、ちゃんと受け入れてくれたじゃないか。セシアだけが特別じゃなかったんだ。本当は、みんなはちゃんと受け入れてくれるだけの気持ちを俺に持ってくれていたのだ。そうだ。それが、俺が散々繰り返してきた『仲間』って事じゃないか。仲間というものを大事にし続けてきたつもりの俺こそが、仲間というものを軽んじてしまっていたのだ。
 不思議と胸の中がすっきりとしてきた。
 仲間に対する隠し事を自ら吐き出したためなのかもしれない。
「あの、もう一つ。つかぬ事をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
 と、ロイアがそう訊ねる。
「なんだ?」
「リームと何があったのですか? ガイアが邪眼の持ち主と聞いた時のリームの様子があまりに尋常ではありませんでしたから」
 あ、そういえば、まだその事が残っていたっけ……。
 あの、憎しみに満ちた目で俺を睨むリームの表情を思い出す。
 それは、忌まわしい過去の出来事。
 負の記憶。
 覚めない悪夢。
 呪縛。
 俺が生まれながらに呪われた力を持つ事を知り、リームの心を深く傷つけたあの事件。
 忘れたくとも忘れる事は許されず、そして未だに悪夢となって俺に襲い掛かる。
 そうやって苦しみ続ける事が、俺に出来る唯一の償いなのかもしれない。
「じゃあ少し、俺の話をするか。俺がまだほんのガキだった頃の話」
 俺はゆっくりと元の席に戻った。
 本当は、思い出すだけでも辛い、俺の過去。セシアに話したのを最後に、もう二度と口に出すつもりはなかったのだけど。いつまでもそうやって逃げ続ける訳にもいくまい。とは思ったけど、向かいに座るロイアの顔を、俺は見る事が出来なかった。
「俺な、昔はとても内気な子供だったんだ。同年代の子供達が遊んでいるのを見てもさ、なかなかその輪の中に入っていけなくて、遠くでもじもじしている。今からじゃ想像もできないだろ? それでそんな俺を見かねたのか、俺は両親に無理やりタチバナ道場に通わされたんだ」
「タチバナ道場?」
「ああ。俺がリームと同じ村の出身ってのは知ってるだろ? その道場がリームの実家なんだ」
 あの道場は村の守護神的な存在だった。
 魔物に襲われても、ほとんどの村ではハンターを雇う金などないのが常である世の中。しかし俺の村は、たとえ魔物に襲われようとも、タチバナ道場の道場主であるリームの父親とその門下生が圧倒的な力で撃退し、村を魔物の脅威から守っていたのだ。そのため、リームの父は村中の人から慕われ、そしてそんな父に幼い頃のリームは、自分もあのような強い格闘師になる事に強く憧れを抱いていた。
「とにかく、俺は道場に通うのが嫌でたまらなかったよ。子供でも大人と同じ練習メニューさせるし、とにかくスパルタだったから。練習中、リームがどうしてあんなにいきいきしているのか、全然理解できなかったよ」
 リームは一日でも早く強くなろうと、毎日必死で練習していたっけ。
 父親のように強くなろうと努力を惜しまず、そんな彼女の姿をリームの父親が嬉しそうな目で見ていたのを覚えている。
「で、ある日。俺は一匹の子犬を拾ったんだ。雑種で、本当にどこにでもいるような珍しくもない犬。俺はその子を抱き抱え、両親にしきりに飼わせてくれるように説得したんだ。まあ、大抵どこの親でも初めは絶対に許さないもんなんだけどさ、俺の両親もご多分に漏れずその通りだった。けど俺は、何度も何度もしつこく頼んで、遂に何とか折れさせたんだ」
 あの日の事は今でもよく憶えている。
 突然の夕立に襲われ、一本の大樹の下で雨を避けていた。帰ろうにも帰れず、仕方なく雨が止むのを待っていた。
 そんな時だ。丁度俺の足元にアイツが迷い込んできたのは。
「俺はそいつにファリニスって名前をつけた。それから俺は、いつもファリニスと遊ぶようになった。寝る時も同じベッドだったし、とにかく四六時中一緒にいたんだ。同年代の友達がいなかったから、ずっとどこか寂しかったんだと思う。だから、初めて自分に友達が出来てとても嬉しかった」
 友達のいなかった俺の、初めての友達。
 俺はファリニスにじゃれつかれるのがとても嬉しかった。ファリニスが自分を友達と認めてくれている気がした。言葉を話せないファリニスが実際にはどう思っていたのかは知らなかったけど、俺はファリニスを自分の一番の友達だとずっと思っていた。
「でも、それからしばらくしてファリニスは死んだんだ……」
 思い出すのが辛く、つい俺は両肘をテーブルについて手を組み、そこに自分の顔を埋めて表情を隠した。
 声も詰まってきた。あの時の悲しみは、今思い出しても昨日の事のように明確に蘇ってくる。
「何故ですか……?」
「殺されたんだよ。リームの父親に」
 そして、あの悪夢が俺の脳裏に過ぎる。
 上から見下ろす大柄の男。
 下から見上げる幼い少年。
 少年の胸には決して動く事のない亡骸が抱き締められ。
 男の靴は赤く汚れている。
「え?」
 小さく驚きの声をあげるロイア。
「リームの父親はさ、犬が嫌いなんだ。小さい頃に犬に噛まれた事があって。それから犬を敵視するようになったんだ。そんなリームの父親に、運悪くファリニスがじゃれついちゃったんだ……」
 そして、ファリニスは殺された。
 男は不機嫌な目つきで俺を睨み。
 俺は憎しみを込めて男を睨み返した。
「あの時俺は、怒りで頭が真っ白になった。とにかくファリニスを殺したリームの父親が憎くて憎くて仕方がなかったんだ。そして知らぬ間に、この邪眼の力を使っていて―――」
 生まれて初めて、人を殺した。
 リームの父親を。
「ガイア、もういいですよ……」
 ロイアの制止する声が聞こえた。
 だけど、俺は自分を止められなかった。悲しみの感情の奔流に飲み込まれ、思うよりも先に言葉が口から飛び出していく。中に溜まった汚物を吐き出すかのような、自分でも分からない妙な感情の迸り。
「知らなかったんだ、俺は! 自分があんな力を持っているなんて! まさか俺にあんな力があるなんて……! リームの父親は酷い死に方をしたんだ……。俺の目の前で口から内臓を吐き出して、もがき苦しみながら……! そうなんだ、全部俺のせいなんだよ……全部、この俺の眼のせいなんだ……」
「ガイア!」
 突然、俺は組んでいた手をそっと握り締められた。
「もういいですから……」
 ロイアが悲しそうな顔で俺を見ている。
「そんなに御自分を責めないで下さい……。私まで悲しくなりますから……」
 悲しげな瞳がじっと俺を見つめる。
「……悪い」
 こんな眼を持っているせいか、俺は自虐的な性格になってしまった。
 こういった所が、人を不安にさせてしまっている。
 ロイアがそっとハンカチを取り出し、俺の目元を拭う。
 いつの間にか涙を流してしまっていたようだ。
 人前で泣いてしまうなんて……格好悪いな……。
「リームの父親が死んだ原因は、村の誰にも分からなかった。当然、俺も含めて。あまりに異常な死に方だったので、これまで殺してきた魔物の呪いを受けた、って事でみんなが納得したんだ。勿論、本当にそう思っていた人はいなかったけどな」
 今度は感情を落ち着けながら、ゆっくりと噛み締めるように言葉を一つ一つ話していった。しかしその言葉のト−ンは、実に淡々としていた。
「俺は、リームの父親を殺した事に対する罰を受けるべきなんだ。たとえ誰も俺の罪を咎めなくても。俺は明らかに許されざる事をしたんだのだから。そもそもの原因となったこの目を、俺は何度も本気で潰してやろうと考えた。そうすれば、もう二度と誰も傷つかなくて済む」
 ナイフを握り締め、自分の目に突き立てかけた事なんてザラにある。
 過去に犯した俺の罪の重圧に良心が耐え切れなくなったのだ。それで過ぎた事が取り返せる訳ではない。
 分かっている。
 けど、俺は、何よりこの目の存在が許せないのだ。
「セシアは、今の事も全て知っているんですよね?」
 と、ロイアが唐突にセシアの名を出す。
「ん? あ、ああ……一応。俺が打ち明けたからな」
「自分の目に苦しんでいる時に、いつもセシアが支えてくれたから、ガイアは目を潰さずにいられたんですね。わざわざ目を潰さなくとも、他に幾らでも償いの手段はある事に気づいたから、ガイアは今もこうして過去に苦しみながらもがんばっているのでしょう?」
「そんな殊勝な心がけなんかないさ……。俺は、その……まあ、何だかんだ言っても、結局は目が見えなくなる事が怖かっただけなんだ。それだけだ、それだけ」
 だが、ロイアは何もかも見透かしたかのように微笑むだけだ。
 アカデミー時代から思っていたのだが、ロイアの雰囲気は何となく母親のそれに似ている。俺の母と似ている訳ではないのだけど、俺の良い所も悪い所もみんな見透かした上で受け入れてくれる、そんな精神的な包容力があるのだ。セシアも似たような事を言っていた。ロイアには清濁を併せ呑める広い心がある。みんなもそんなロイアに安らぎを感じていたのだろう。
「出来れば、もっと早く打ち明けて欲しかったですわ」
「は?」
 いきなりロイアが意味深な笑みを浮かべてそんな事を言い放つ。
 何の事なのか、と俺は眉をひそめて問い返す。
「何でもありませんわ」
 しかし、ロイアはただ微笑んで俺の追及をかわした。



TO BE CONTINUED...