BACK

 空はこれまでの嵐がまるで嘘のように晴れ渡っていた。
 俺達は隣の港町に向かう商人の荷馬車の上で揺られていた。町まで乗せてもらう代わりに護衛を引き受けたのである。
 沢山の荷物箱が並んでいる荷馬車の中には、俺と、セシアと、そしてロイア。二人は出発からずっと何か他愛のない話に夢中になっている。女というものはよくもまあこうも話が続くものだ。
 俺はボーっとしながら物思いに耽っていた。
 脳裏をこの四日間の出来事が走馬灯のように流れていく。仲間達との、およそ一年ぶりの再会。それは俺にとっても喜ぶべきものであったはずなのに。あの宿で起こった出来事は、今となっては思い出すのも辛い事ばかりだ。
 どうしてあんな事になってしまったのだろう?
 仲間同士でいがみ合い、憎み合い、そして殺し合う。些細な心のすれ違いが生み出してしまった、修復しようのない軋轢と溝。
 俺達は、もう二度とあの頃には戻れないのだろうか?
 二度と。
「ん?」
 ふと視線を二人に向ける。すると、何故かセシアがロイアの胸を鷲掴みにしていた。
「おい、何やってんだ? 俺も混ぜろよ」
「ロイアの心臓さ、私の法術でなんとかならないかなあって思って。ちょっと診てみたんだけど、やっぱり私じゃあ無理みたい、って、何? 混ぜろって」
「普段から物事をそういう視点で見ているのでしょう」
「あるある。ガイアってどうしようもないスケベだから」
 なにやら軽蔑に満ちた二つの視線が俺にぶつけられる。
「チェッ。言ってろ」
 そのどうしようもないスケベとつきあってるのは、どこの誰だよ。
 そう反論しようかと思ったが、二対一では勝ち目はない。俺はヴァルマのように百人を相手にしても勝てるような饒舌ではないのだ。
 今頃みんなはどうしているだろう……?
 俺に父親を殺されたリーム。推測が確信に変わった時、あいつは俺を心の底から憎んだ。明らかな殺意の込められたあの目。父親の無念を晴らそうと、俺を殺す事を本気で考えただろう。だけど、リームは俺の奥歯を一本折るだけで去っていった。それが俺に対する答えなのか、その真実の程はもはや確かめようがない。
 自分がヴァンパイアのクォーターである事を隠し続けてきたグレイス。受け継がれたヴァンパイアの血の本能に苦しんでいた。自分が凶暴化して人を襲ってしまうのは嫌だ。でも、そのためには誰かの血を吸い続けなければいけない。その二律背反に苦しむグレイスに救いの手を差し伸べたのはリームだった。リームはグレイスに自ら望んで血を与え、グレイスの血を求める凶暴な本能を鎮め続けていた。そうすればグレイスが本能にも罪悪感にも苦しむ事がないと思ったから。犠牲的精神とか無償奉仕とか、そんなものではなく、リームはただグレイスが好きだからこそ助けてあげたかったのだ。ただそれだけの、打算的なものは何もない、純粋な想い。
 ロイアを利用し、グレイスを傷つけてまでも、密かに熱望していた自由な体を手に入れたヴァルマ。自由な体は、掛け替えのない最愛の妹達を守るためであり。愛情を注ぎ、注がれるために、あいつは何より強い力を求めた。自分達の居場所を獲得し、自分達を傷つける存在を打ち滅ぼすために。そんな閉鎖的な空間が、あの三人にとっては唯一の心の拠り所だったのだ。幼い頃から忌み嫌われ続け、両親にさえ愛情を注いでもらえなかった三人の、この世で何より大切なもの。それは、血よりも深いであろう三人の絆。
 仲間、なんて繋がりは、本当は大して強いものではないのかもしれない。
 確かにこれまで俺達は、仲間の誰かが困った事になればみんなで助け合ってきた。だけど、その絆を反故にしてしまえるほどの要素は、幾らでもこの世にはあるのだ。たとえ怒りや憎しみでも、感情をぶつけあうのはそれでいい。だけど、みんなを責めるつもりはないけど、せめて俺は、今までのような仲間同士であった頃に戻りたかった。アカデミーを卒業し、別れてからの一年。場所は違えど、気持ちはみんな一緒だった。その証拠に、偶然に再会したあの時は皆、互いの無事と再会を喜び合ったではないか。
 しかし、今は違う。
 ただの別れではなく、気持ちまでも離れ離れになってしまったような、望郷にも似た寂しさが胸に込み上げてくる。四年かけて築いてきたものが、たったの四日で失われてしまったのだ。
 どうして何かが壊れる時は、こうもあっけないのだろうか?
 俺には、加速的に崩れゆくそれを止める事は出来なかった。
 ただ、茫然と見やるしかなかったのだ……。
「なあ」
「なに? どうかした?」
「エルフィがあんな大怪我をしたのって、やっぱり俺のせいだよなあ……?」
 沈黙。
 その沈黙が示す事は、即ち俺の質問に対する肯定の返事だ。
 やっぱりそうなのだ。
 また俺は邪眼の力を制御しきれず、人を傷つけてしまった。
 今回は運良くエルフィは死ぬ事はなかった。だけど、それが原因で俺達の絆はバラバラになってしまった。全て、俺のせいだ。この邪眼の。俺が、崩壊してゆく仲間の絆を加速させてしまったのだ。
「ガイア、そう落ち込まないで下さい。あなたに悪意がないのは、みんな十分に知っていますから」
「そうそう。まったく、すぐそうやって落ち込むんだから。いい? 何度も言うようだけど、ガイアは自分で思うほど周りに影響なんか与えてないのよ? 誰もあなたが悪いなんて思ってないわ」
 二人が俺を気遣ってそう優しく励ます。
 本当にそうだろうか?
 とは言っても、心のどこかでは俺の邪眼がなければ、と思っているのではないのだろうか?
 だったら、そもそもの元凶であるこの眼なんか潰してしまったら……。
「ガイア、また変な事考えてない?」
 突然、セシアの厳しい声が俺の思考を中断させる。
 ハッ、といつの間にやらうつむけていた顔をあげると、セシアが険しい目で俺を見ていた。
 セシアが怒っている時の目だ。
「まあ、何を考えてるのは分かるけどさ、そんな事したって何にもならないっていつも言ってるじゃない。それに、そんな事をしたって、私は治すわよ。何度でも。そしてその後に、思いっきり引っ叩くから」
 俺はずっとセシアには支えられ続けてきた。
 正直言って、俺が生まれながらに持ってしまった邪眼は、俺自身の手には余り過ぎる。制御出来ない力なんて爆弾と同じ。そんなものを背負って生きていくのは、俺には辛過ぎるのだ。
 このまま背負って生き続けるよりも、いっそ背から降ろした方がずっと楽だ。
 けれどセシアはそれを許さなかった。降ろすぐらいなら自分が手伝う。そうやってセシアは俺をずっと支えてくれたのだ。
 どれだけこの忌まわしい目を刳り貫こうと思う時でも、セシアは決して許そうとはしなかった。それをしてしまったら、俺は運命に負けてしまった事になるのだから。だからセシアは俺が押し潰されないように、これまでずっと支えてくれて、これからもずっと支えてくれるのだ。
 だからこそ俺は、セシアに感謝しなければならない。俺自身が邪眼という存在に押し潰されなかったのは、全てセシアの存在によるものなのだから。
「じゃあ、元気出すからちゅうして。もしくは揉ませろ」
 と、俺はわざとおどけて言ってみた。
 邪眼の力を引き出す憎しみという力の源を引き出させないために俺が被った仮面だ。
「馬鹿言ってないの」
 と、カバンが飛んできた。
 俺はそのカバンの痛みを感じながら、心の奥でいつものようにセシアに感謝していた。
 今の俺がこうして存在するのは、全てセシアという存在があったからだ。セシアが支えてくれなければ、とっくに俺は邪眼の存在の大きさと自分の犯した罪の重さに耐え切れず、自分自身の目を潰してしまっていただろう。
 日が暮れ始めた頃、荷馬車は港町に着いた。
 俺達は馬車に乗せてくれた主人に礼を言って別れた。
「ロイアはこれからどうするんだ?」
「もっと南の大陸へ渡ろうかと思います。この辺りはもう調べ尽くしましたから」
 ロイアは自分の心臓の欠陥を治療するための手段を探しているのだ。これまではドラゴンの心臓を食べることでなんとか凌いでいたが、本当に必要なのは根本的な解決方法なのだ。
「早く何かいい治療方法が見つかるといいな」
「ええ。それまで私は」
 と、ロイアは槍袋に入ったブリューナクを見せる。
「ブリューナクと一緒に頑張ります。決して諦めずに」
 槍袋の中のブリューナクは、まるでロイアの相棒のようにも思えた。
 原始的な自我が埋め込まれているため、人格と呼べるものがあるからかもしれないが、どこか神器としての力以外の要素でロイアの精神的な支えになっているように俺は感じた。
「ねえロイア。別に私達は一緒に行っても構わないのよ? 大変でしょ、一人じゃ色々と」
「いえ、私と一緒に居ると、いつアカデミーからの刺客に襲われるか分かりませんもの。お二人にご迷惑はかけられません。ブリューナクも私以外の人間がいるとなかなか落ち着きませんので。それに、割と一人の方が性にあっているんです」
「そう……。じゃあ、気をつけてね」
「はい。ところでお二人はこれからどちらへ?」
「そうだなあ、どうするセシア? 行き当たりばったりで行ってみるか?」
 するとセシアは分厚い紙の束を俺に突き出した。
「ほら、今後のスケジュール。ちゃあんと向こう半年先まで決まってるの。いい加減憶える」
「なんだよ。スケジュールったって、自分苦手なヤツは抜いて立てたヤツだろうが。俺は認めんぞ」
 セシアはアンデットのような不死者系の魔物が生理的に嫌いなのだ。法術師は不死者の対極に位置する存在なのだから、本来ならば不死者を調伏するべき存在である法術師なのだが、セシアに限っては、不死者を相手にする時は、専ら俺の背中に隠れるようなありさまだ。
「なによ。私が立てた完璧な計画にケチつける気?」
「完璧? そりゃお前にとっての完璧だろ」
 まったく、完璧が聞いてあきれる。単に自分にとって都合のいいようにやっているだけじゃないか。
「フフッ。お二人は仲がよろしいですね」
 と、ロイアが俺達のやりとりを見ながらくすくす笑う。
「まあね。愛し合ってるから」
「よくもまあ、真顔で言えるわね……」
 セシアはあきれた顔をしている。
「これには自信があるからな。セシアも何を照れてるんだい?」
「はいはい。っと、ロイア、そう言えば船の時間はいいの?」
 するとロイアの表情に急に焦りの色が浮かび上がる。
「あ! すみません、もうそろそろ乗船手続きをしませんと!」
「そうか。じゃあ、ここでお別れだな」
「ええ。それではお二人ともお元気で」
 そう言ってロイアはセシアを強く抱き締める。その背中を、セシアは優しく叩いた。
「私も、セシアのガイアが好きになった理由、女として分かりますよ」
 そうセシアに向かって意味深に微笑む。
 と―――。
「ガイアも」
「ん?」
 すると今度は、俺にもロイアの抱擁が来た。
 なんだか思わぬ役得が来た。そう喜ぶのも束の間、すぐにセシアの存在に気づいて、なんだか居心地が悪くなった。
「セシアと仲良くね」
 そっとロイアが耳元にそうささやく。
 ん、なんだ? 突然。
 そしてロイアは急にぱっと飛び出して行った。そのまま人波をかきわけて乗船所に駆けて行く。
「ロイア!」
 セシアがそう叫ぶ。
 ロイアは一度足を止めて振り返ると、大きく右手を振った。そしてまた再び駆け出す。大きなカバンを背負ったロイアの姿は、あっという間に人込みの中に飲み込まれて見えなくなった。
 なんだか慌しい別れ方だったなあ。
 そんな気持ちで俺は見送った。
「ねえ、ガイア。ロイア、さっきなんて言ったの?」
「ん? セシアと仲良くね、だって。してるってなあ。もう、これ以上ないほど」
「ふうん、そうなの……」
 と、セシアは何やら感づいた風な顔をする。
「そうなのって?」
「ま、色々あるって事。ほら、早く宿を取るわよ。さっさとしないと野宿になるわよ」
 セシアはさっさと歩き出していった。
「待てってば」
 俺はすぐにその後を追いかける。
「ったく、お前は」
 腕を取って無理やり組む。
「もう」
 少しだけ怒った風な表情を浮かべるが、セシアはそのまま俺に腕を預けた。
 そういえばアカデミー時代、ある老教師がこんな事を言っていた。
 生きる事は立ち向かう事だ。
 あの頃の俺は、邪眼なんてどうしようもないものだから、何をしても無駄だと斜に構えていた。
 でも、本当はその言葉の通りなのだ。俺は邪眼がどうしようもないものだからと、ずっと今まで逃げ続けていたのだ。
 もう、絶対に邪眼の力からは逃げないようにしよう。
 俺はそう固く自分自身に誓った。
 セシアが組んだ腕にもう片方の自分の腕を添えた。
 俺はその温かい感触に俺は、もっと邪眼というものに正面から向き合ってみよう、と密かに誓った。



TO BE CONTINUED...