BACK


『残り十五キロメートルよ! そろそろ勝負賭けるから、あれいくわよ!』
 通信ポートからマスターの興奮した声が飛び込んでくる。私は強化アスファルトの上をひたすら前へ前へと走っていた。路上の両端は四メートルはあろうかという高い壁で仕切られている。その向こう側には段状になった観客席があり、そこは人という人で埋め尽くされている。
 彼らは皆、このレースが目的で会場に集まっている。しきりに歓声と野次を飛ばしながらレースの行方を手に汗を握って観戦している。いよいよレースも終盤戦。会場の熱気は否が応にも高まっていく。
 現在位置確認……現在、スタートから26.492キロメートル地点。
 オートバランサー……オールグリーン。
 フレーム内温度……良好。
 排熱効率……89.2%。
 現在、時速43.7キロメートルで走行中。ボディコンディションは良好。
 私は簡易自己診断を済ませた後、あらかじめレース前にマスターにインストールされたオリジナルの必勝プログラムというものを呼び出す。とかく今回のレースの、それも残り15キロメートルのファイナルロードに適切な判断と円滑な行動処理を行えるように特化した、マスターが組み上げた私専用のプログラムだ。
 プログラムロード開始……終了。
 私のメモリ領域にマスターが徹夜で作り出したプログラムが一瞬で展開される。人間は何時間もかけて構文を読み理解する膨大なプログラムも、私のCPUはほぼ一瞬で読み取って処理を行う。読み取ったプログラムは私の全ボディへ新たな命令制御信号を送る。同時にこれまでソフトウェアレベルでかけられていたハードリミッターが次々と解除されていく。
 第二十七番から第五十八番までの隔壁を解除。
 第七十七番から第八十二番までの隔壁を解除。
 動力リミッターを第三番まで解除。
 オールレンジセンサーのドライバーを更新。
 ウェポンドライバーの更新。
 出力25%増。
 フレーム負荷、17%増大。
 これよりパーソナルシステムを、エキストラモード『ソニック・ハイ』に設定。
「完了しました。マスター」
 準備の整った私はマスターに完了を報告する通信を送る。
『よっし、それじゃ行くわよラムダ。まずは先頭集団に奇襲をしかけて突っ切るわ。ブースト出して』
 マスターのその指示に、すぐさまハードコントロールを呼び出す。
 起動コード入力。レッグブースト起動。
 私の両足の脹脛部分に取り付けられた加速用ブーストが展開しスタンバイ状態に入る。
『出たわね。じゃあ行きなさい! 金メダル、いただくわよ!』
「了解」
 背部排熱セクタ開放。
 ブーストダッシュ開始。
 走る私の体が、より速く前へ前へと疾駆する。新モデルのブースト効果は試験走行時と誤差プラス0.04%と、極めて出力が安定している。フレームへの負荷の増加は否めないが、それらは既に試験走行の段階で把握済みである。私のボディはマスターによって完璧な耐圧設計がなされているのだから問題は無い。
 走行速度、時速47.1キロメートルに加速。残り12秒で最高速度に到達。
 加速負荷増大。試験走行時の数値と、誤差およそマイナス0.02%。
 やがて私の直線上先、およそ二キロメートルに集団の影を確認する。数は4機。先頭集団だ。
「マスター、先頭集団を確認しました」
『OK! 先頭集団まで、残り約百十五秒! 準備しておきなさい!』
「了解」
 私はマスターのプログラムを用い、このパターンの場合に使用する武器リストを呼び出した。
 武器検索。オプションキー、背後奇襲。二つの武器にヒット。
 この場合は……これが妥当ですね。
 呼び出したリストの中から、私はプラズマセイバーを選択した。高密度のプラズマを収束させた汎用型白兵戦用武器だ。
 ドライバー選択。プラズマセイバー。
 私の右腕のハッチが上に開き、そこからノズルが前へ飛び出す。プラズマコンバーターを出力70%固定で起動。発生したプラズマエネルギーを収束し、ノズルからセイバー状態に射出する。
「プラズマセイバー、スタンバイ完了」
『オートバランサーを切ってコマンドモードに。リソースは動作制御に回して。戦闘パターンアルゴリズムは私のプログラムを参照』
 行動履歴をオールクリア。可能な限りのリソースを動作モジュールに回す。
 先頭集団との接触まで、残り10秒。
 9。
 8。
 7。
 6。
 ―――と。
『げ! ラムダ、やばい! 後ろ!』
 その時、マスターから危機迫った口調での通信が入った。
 私はすぐさま、戦闘モジュールに回したリソースの一部を開放してバックセンサーに回す。
 スキャニング開始……。これより背後320メートル地点に一機体を発見。登録ID照合の結果、機体名『シヴァ』と確認。
 シヴァは、前々回、前回と二年連続で金メダルを獲得した、今回の優勝候補筆頭機だ。マスターもシヴァの機体性能には要注意をするようにと話していた。私達が金メダルを獲得するには、何よりも乗り越えなくてはいけない一番の障害だ。
『あんにゃろう、やっぱりここでスパートかけてきやがったか。現在時速五十八キロメートル。残り七秒で接触―――はあっ!? シヴァ、ニトロ投薬により急加速! ごめん! 接触時間計算できないから何とかして!』
 バックセンサーに移るシヴァの黒い機体が私の後を凄まじい速さで追いかけてくる。ブーストダッシュ中の私だが、ニトロを用いた出力エンジンの単純強化によるニトロダッシュは、短時間だがあまりに劇的に機体を急加速させる。その分、ボディフレームへ負荷も急激に高まるため何度も使えない。これまでのデータから参照すると、ニトロダッシュにボディフレームが耐えられるのは一度だけだ。つまり一度しか使えないニトロダッシュを使ってきたということは、シヴァはいよいよ勝負を賭けてきたという事になる。
『シヴァから高エネルギー反応! 気をつけて! スタンパニッシャーよ!』
 スタンパニッシャーとは、相手の機内に直接高圧電流を流す特殊な装置だ。それは主に機体のアームやレッグといった個所に取り付けられ、接近戦用の武器として用いられる。スタンパニッシャーの破壊力は絶大だ。機体を著しく破損するほどの威力はないのだが、その強力な電圧により大概の絶縁体を突破してサーキットを焼き切る。幾らボディが無事だとしても、それを制御するサーキットを破壊されてしまったら稼動する事が出来なくなってしまう。
 とにかく、今はシヴァとの接触時間にリソースを割く余裕はない。ある程度の防御体勢を整え、迎撃に備えなければいけない。
 第三十七番から第百四十五番までを隔壁閉鎖。
 第二百十二番から第二百六十三番までを隔壁閉鎖。
 排熱効率24%ダウン。
 機内温度上昇修正。
『見た目の感覚でカウントするから、それでなんとか合わせて!』
「了解」
 せっかく決勝戦まで上り詰め、優勝が現実のものとして掴みかけているというのに。ここでリタイアされる訳にはいかない。マスターのためにも必ず勝たなければ。
 色彩識別機能の一時カット。
 排熱機関の一時カット。
 履歴作成モジュールの一時カット。
 言語中枢モジュールの一時カット。
 リソース12%増強。
 演算効率上昇修正。
『四! 三! 二―――あ』
 その時。
 マスターのカウントよりも早く、私の背中に衝撃音が走る。背後からの不意をついたエネルギーベクトルの前に、オートバランサーを切った私はあっさりとバランスを崩し、そのまま前のめりになりながら転倒する。
『ラムダ!?』
 私はなんとか体勢を持ち直そうとバランサープログラムを読み出そうとした。だがしかし、まるでそれを遮るかのように無数の警告メッセージがメモリに割り込んでくる。
 電圧過多。第七番から第十五番のサーキット使用不能。
 電圧過多。第二十八番から第四十番のサーキット使用不能。
 ボディフレーム内に、高電圧の電流が侵入した警告だ。どうやらシヴァのニトロダッシュはマスターが思っていたよりも速く、私がタイミングを取る前にスタンパニッシャーの攻撃を受けてしまったようだ。
 システムエラー!
 システムエラー!
 システムエラー!
 警告メッセージがメモリを占有していく。私は次の行動を判断するだけの能力を失っていく。
『ラムダ! 聞こえる!? 大丈夫!?』
 各モジュール、一時凍結。これよりシステム保全のため、休止モードに強制シフトします。
 淡々と保全処理されていく私のメインシステム。
 そして、私のランはそこで中断された。