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 スキャンシステム開始……終了。
 ハードウェアのチェック完了。
 ドライバのバージョンチェック完了。
 システムオールグリーン。
 これよりスリープモードから通常モードにシフトします。
 退避領域に格納されていた私の意識がメモリ領域に開放される。同時に私のボディフレームの体表に埋め込まれた外部刺激素子からの情報がリアルタイムで流れ始める。外部情報は全て集計する訳ではない。まずデフォルトの情報を収集し、そのデータと比較して一定値以上の変化があった場合に認識するように素子があらかじめ設定してある。私のCPUの負荷を少しでも軽減するためだ。
 体位水平70度。腹部に拘束具を確認。
 視覚素子起動。
 私の視界がゆっくりと開ける。
「大丈夫? ラムダ」
 まず初めに私の視界に飛び込んできたのは、マスターの心配そうな表情だった。普段の表情に比べてどこか疲れの色がうかがえる。
 現在時刻取得……PM18:27:32。最終稼動時刻のログファイルから比較し、およそ5時間のタイムラグがある事になる。
「はい。システムは全て正常に稼動しています。換装によるハードウェアの不具合もありません」
「違うでしょう? そういう時はなんて答えるか、前に教えなかった?」
 マスターにそう言われ、私はすぐさま過去のマスターに関するデータベースにアクセスする。検索所要時間、3マイクロセコンド。この状況から98%の確率でマッチするデータを1件抽出。
「サイコーにゴキゲンです」
「よろしい。んじゃ外すから、オートバランサー入れといてね」
 満足げにそううなづくと、私のボディが固定されている垂直固定型ベッドのコントロールパネルを操作する。
 オートバランサー、オン。
 ガチャッ、と音を立てて私の腹部を固定する鉄のベルトが中央から左右に外れてベッド内部に収まる。ボディの支えを失った私は、すぐさまボディバランスパラメータをオートバランサーのはじき出す数値とリンクさせる。私はいつもと同じように、正常に第一歩目を踏み出した。
「あの、マスター。レースはどうなったのでしょうか?」
「レース? ああ、大方の予想通りテレジアんとこのシヴァが優勝よ。あれから四人抜きしやがって。絶対わざと余裕こいてたに決まってるわ。ったく、あいつのスタンパニッシャーのおかげで、こっちはサーキット総入れ替えよ」
 マスターは苛立だしげに床を蹴り飛ばす。度重なる疲れとストレスから、その捌け口を求めてそういった非生産的な行動にマスターを駆り立てているのだろう。人工物である私には理解出来ない事だ。
「すみません、マスター。私の力が及びませんでした」
「ん? ああ、いいのよ。あれは私のオペレートが悪かっただけだから」
 そうニッコリと微笑んで見せるマスター。
 まただ。
 マスターはこれまでも私が結果を出せなかった事を、何一つ責め立てない。まるで私自身の機体性能がその程度の結果しか出せない事をあらかじめ予測しているかのような口調にも取る事が出来る。マスターが私に一つも期待していないと感じている訳ではない。ただ、揮わぬ結果しか出せない私が落ち込んでいるかのように優しく接してくれるマスターに心苦しいのだ。人工物である私には心というものがない。けれど、時々ずんと胸の辺りに重く圧し掛かるものを感じる。これが心というものなのかどうか。私の持つデータでは明確な認識と結論を出す事は出来ない。
「さってと。次はギャラクシカね。いよいよラストになっちゃったなあ。今度こそ、金メダル取りにいくわよ」
「はい、マスター」
「じゃあ帰るわよ。予選まであんまり時間ないし。今夜から調整を開始しなきゃ」
 私はこの控え室を後にするマスターに付いて出て行った。
 開催期間中は会場の控え室を参加者一人一人に与えられる。控え室には基本的なメンテナンスマシーンや機材が揃っており、機体の整備がいつでも行える。けれど、マスターは個人レベルでの参加であり、私の整備やその他の事務手続きは全て一人でやらなくてはいけない。原則的にロボットには権利というものが持たせられていないため、人間との契約関係やそれに伴う手続きを代理、もしくは準ずる行為を行う事は許されない。何かトラブルがあった場合、ロボットには責任能力がないものと初めから見なされているのだからだ。マスターの表情に疲れの色が見え始めたのは、それらに追われ続けている事が原因と予測して間違いはないだろう。私が代わってやりたいのだが、そういった人間の決まりがある以上、私にはどうする事も出来ない。
 昼間はあんなに賑やかだった会場も、夜になれば驚くほどの静寂に包まれる。メタルオリンピアは、近隣の迷惑等を考慮し、夜間には競技は行われない。その代わりに今後の日程や本日のハイライト、前夜祭後夜祭のようなものが行われるが、全くとまではいかないものの、あまり盛況するほどの人気はない。静寂に満ちた暖色の廊下を、私はマスターに付き従い歩く。向かうは会場の関係者用の出入り口。マスターに割り当てられた控え室から距離にしておよそ200メートル。この会場の規模を考えても、これでも比較的距離は近い方だ。
 現在、マスターと私は世界中が注目している大規模な大会にエントリーしている。それは一年に一度だけ開かれる、世界中から優秀なロボットが集まった一大フェスティバルだ。
 今から十年程前。とある大学研究チームが世界で初めて、完全自律型ヒューマンタイプロボット『アルファ』を作り出した。アルファはこれまでのロボットの概念を大きく逸脱し、限りなく人間に近い外観と機能性を保持していた。当然、その事に人類は驚かずにはいられなかった。これまでのロボットというものは、反応が淡白で機能的な様を機械的という言葉で表現されるほど、人間には程遠い存在だったからだ。アルファの人間と変わらぬ性能に驚愕する人類。そこにアルファの開発チームが追い打ちをかけるように自分達の研究データを大々的に世界中に配布した。これを機に、世界中で新たな時代の幕を開けた。
 アルファの誕生から、急速的にヒューマンタイプロボットの研究は世界中で進み、次々と次世代型を銘打ったロボットが誕生していく。この時代を今の人間はロボット新世紀と呼んでいる。これまで単なるハサミの延長線程度の存在であったロボットの観点が一新されたからだ。
 ロボットはこれまで人間が行ってきたあらゆる分野に登場し、人間の代わりに数多くの成功を収めてきた。人間のように疲れる事を知らず、絶対従順。そしてなおかつ、危険な作業にも安心して任せる事が出来る。今や危険作業のみならず様々な作業をロボットに代役させる事も珍しくはない。その後も優れた性能を持ったロボットが安価で開発され、人間の生活の中へ爆発的に浸透、普及していった。そして僅か数年の間にロボットは、人間の第二のパートナーという地位を確立させたのである。
 ロボットは、人間と同じ作業をローリスクでこなす事が出来る。その特性を生かし、やがてロボットはショービジネスの分野にも進出を果たした。ロボットによるレース、ロボットによるバトルショー、ロボットによるスタントショー。ロボットは人間には決して不可能な事も難なくこなし、また万が一の場合にも最悪廃棄処分だけで済む。また代わりを用意すればいいのだ。事故を恐れる必要のなくなった主催者側は、次々と過激なロボットによるショーを各メディアを通じて一般に放映し、そして人々の人気も徐々に高まっていった。
 ロボットによるショービジネスの認知度がそれなりに高まった頃、ある財団と企業が提携して一つのプロジェクトを発足した。
 メタルオリンピア。
 それはロボットによるショーの集合体、もしくはフェスティバルのようなものだ。世界中から参加機体を集め、五つの競技でその性能を競わせる。そしてかつてのオリンピックになぞらえ、各種目の上位三機にはメダルが与えられるのだ。そのメダルは開発者の技術宣伝としてもなりうる。もちろん、全てが全てそういった意図で参加している訳ではないのだが、それだけこのメタルオリンピアに世界中の注目が集められているのも事実だ。
 マスターと私が参加しているそれが、このメタルオリンピアなのである。マスターは私が一つでも金メダルを獲得する事を目標に、身を切り詰める思いで奮闘している。理由はさまざまだが、その一番はおそらくテレジアグループという大企業の機体、シヴァが前々回、前回大会と五種目を完全制覇している事だろう。マスターはその記録に終止符を打ってやりたいのだ。
 メタルオリンピアは既に四種目が終了した。
 第一種目、サバイバー。各機はそれぞれ銃器を持ち、ジャングルを模して作られたバトルフィールド内で互いに撃ち合う。そして最後まで残った機体が優勝となる。基本的にフィールド内ではオペレーター以外のサポートは受けられない。弾丸が尽きれば他の機体から奪うしかなく、またブービートラップ等の仕掛けもルールで認められている。とにかく如何なる手段を用いても生き残りさえすればいいのだ。
 結果。私は開始一時間で二段構えのブービートラップに引っかかり、バンジステークによってボディフレームの下半身が中破。あえなくリタイアとなった。
 第二種目、キューブ。これは巨大な正方形の建物の内部に入れられ、そこから如何に速く脱出するかを競うものだ。とある古い映画がモデルになっているらしく、建物内部は正方形の部屋が上下左右に幾つもあり、そして同じように様々な種類のトラップも仕掛けられている。
 結果。私は1時間17分28秒のタイムで脱出を果たした。しかし、総合順位ではメダルには程遠い24位だった。
 第三種目、サルガッソー。変形型の競泳だ。機体は長さ1キロメートルのプールに入り、一番最初にゴールした際のタイムを競う。ただし、そのプールには自分のコースというものはない。また、スクリューなど機動力に関係するオプションは禁止されているが、後は電流を除く全ての機器が認められている。つまりより速くゴールしたければ、ひたすら泳ぎ続けるのではなく、ライバルを早々に蹴落とせばいいのである。
 結果。私は本選の準々決勝でフェイクのデコイにかかり左足大破されリタイアとなった。
 第四種目、バトルラン。私が先ほど参加していた競技だ。これは42.195キロメートルの完走タイムを競うものだ。無論ただ走る訳ではなく、サルガッソーと同じようにコースもなければ他機体への攻撃も認められている。また、集団を対象に攻撃する武器を使用していいのもこの競技の特徴だ。
 結果。私は決勝戦でシヴァにサーキットを焼き切られてリタイアした。
 この通り、私はまだ一度も公表できる結果を出していない。マスターは昨夜も徹夜して最終調整を行うほど、私を優勝させるために熱意を注いでいる。そんなマスターの期待に応えられない自分が歯がゆい。マスターの調整は完璧だ。にも関わらず結果が出せないのは、私自身に問題があるのだ。しかし、それは一体なんなのだろうか? アルゴリズムをどれだけ高速にしても、リソースの使用を効率化しても、私はマスターを喜ばせる結果が出せない。熱意と現実との温度差に、私はただうつむくしかない。
「メイン武器は何にしようかな?」
「まだ正式なエントリー名は公表されていません。武器の選択はそれからでも遅くはないのでは?」
「甘ーい。勝負は既に始まっているのよ。相手機の仕様の公表を待ってたんじゃ遅過ぎるわ。そこらへんは予測すんのよ、予測」
 今度の種目で今年のメタルオリンピアは最後となる。最終種目、ギャラクシカ。これはメタルオリンピアの中でも最も人気のある競技種目だ。トーナメント形式で勝ち上がり、最終的に残った機体が優勝となる。ギャラクシカは10メートル四方のリング内で一対一の勝負を行う。その形体はプロレスに近い。リング内では如何なる反則行為もなく、相手がギブアップ宣言、もしくは起動不能に陥った時点で勝負の決着がつく。試合結果が極めて明確で、そしてほとんどの兵器が使用可能という過激な種目だ。
 これが今年のラストチャンスだ。私は今度こそマスターの期待に応えなくてはいけない。そうでなければマスターだけでなく、マスターの父であり私の生みの親でもあるプロフェッサーに申し訳が立たないのだ。