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 レシピデータC−224A02展開。
 アーム制御を最適化。
 サーモセンサーを最適化。
 現在時刻、午前七時二十七分十八秒。私はキッチンでマスターのための朝食を用意していた。
 電気調理器の上に乗せた銀色の鍋。そこに落とした卵は煮立ったお湯の中で上下左右に踊っている。
 温度良好。
 残り八秒で完成。
 私はボールに水を汲むと、穴の空いた玉じゃくしで茹で上がった卵を掬い上げ、その中に入れて冷やす。そして今度はフライパンにオリーブ油を引き、電気調理器の上に乗せて熱し始める。温まる間、私は休まずほうれん草を取り出してそれを炒めやすい大きさに切りそろえておく。
 ロボットが料理をするようになったのは、以外にも極近年になってからの事だ。集積回路のような精密機械をロボットに作らせる技術は一世紀以上前から実用化していたのだが、料理はこれほど日常に密接に関わっておりながらもロボットにはあまりに困難な作業であるため、実用化の見通しが不明瞭だった。ハンバーガーやスシといった、用意された材料を一定の組み合わせ作業で作り出せる料理に関してはロボットによるオートメーション化の実用化は容易だったが、完成したものはどれも画一的過ぎてロボット然としていた。しかも機材は工業用のため、家庭に普及する事はなかった。
 家事用のヒューマノイドロボットは、掃除や育児介護の作業を人間と変わらぬ水準でこなす事は出来たが、ある程度の段階作業を経なければ作れない料理、たとえばカレーやシチューなどは作る事が出来なかった。ロボットに料理は出来ない。これは一般常識として近年まで言われ続けてきた事である。
 料理という作業を機械化する事が困難だった理由の一つとして、まずは味を作り出す際の明確なデータ定義が難しい事が上げられる。データとは完全に一意のものだが、味の感覚は人によって千差万別。誰にでもおいしいと感じられる味を表現する事は事実上不可能なのだ。結局、普及品の家事ロボットはデフォルトの設定では無難な味の料理しか作る事が出来ない。だがその欠点を、所有者が味の不具合を指摘する事で学習し、徐々に理想の味に近づける機能を組み込んだ事で解決した。
 そして、次に火加減が上げられる。
 全く同じ食品だとしても、たとえ火力が同じでも微妙に火の通りは違ってくる。人間はその加減を大体の感覚、勘で判断する。しかしロボットは0か1でしか判断する事が出来ない。そのため大半の料理は常に一定の品質で作り出す事が出来なかった。それも技術の発達と共に、ある程度の微妙なランダマイズ性を組み込んだロボット特有の勘のような機能を開発した事により、食品の条件に左右されず一定の品質を保ったままで料理を作り出せるようになった。
 最後に。
 おそらくこれが最も難解だった問題だろう。それは、言葉で具体的に表現することが出来ない曖昧なものだ。人間はそれを、『料理ではあるが、製品でもある』と比喩的な表現を用いていた。つまりロボットが作った料理はどれだけデータに添って作られた完璧なものだとしても、食べた人間はあまり感慨を受ける事がないそうだ。人間が作った場合と全く同じデータと手順で作り出せば、寸分違わぬコピーが出来上がる。だがそれは理論上の話で、実際は大半の人間にはっきりと分かる目に見えない明確な差が存在するのだ。エモーションシステムの登場である程度その溝は埋まってきたそうだが、今でも本当に味のいい料理を食べようとする人は、料理に特化したロボットよりも、たとえ専門家ではなくとも人間の料理を求めるそうだ。
 これらを総じ、現状のロボットの料理における人間の評価は。ある一定水準のテイストは保証出来るものの、決してそれは味を楽しむための料理ではなく、単なる栄養補給の手段の一つ程度でしかない。そんな事を考えつつも、私は料理を続ける。本来は余計な考えを作業と同時処理しない方がリソースを無駄遣いしないので良いのだが。私の場合はこうしていた方が作業がやりやすいのである。
 挽いたコーヒー豆をドリップにかけて抽出。その間にカップとミルク、そしてシュガーポットをテーブルに並べる。
 先ほど直接パン屋に行って焼きあがったばかりのクロワッサンを買ってきた。朝食の品はマスターにいつも五品を決められている。今日はホットサラダにポーチドエッグ、クロワッサンサンド、タピオカで作ったデザート。コーヒーはいつもマスターが好んで飲むコーヒーショップで買ってきたオリジナルブレンドだ。
 人間は基本的に、一日に三度食事を取る。人間はロボットとは違い、体を構成する要素は全て有機体だ。有機体は気軽に代替品をつける事が出来ず、ロボットのように金属疲労を起こして定期的にメンテナンスを行う必要はないものの、必ず一定量の栄養素を摂取しなければ維持していく事が出来ない。また、食事による栄養素の摂取は身体の維持だけでなく、身体の動力源や成長期には細胞分裂を促進させる働きも兼ね合わせている。
 こうして並べてみると、栄養を摂取するためわざわざ食品を調理して食べるぐらいならば、あらかじめ栄養素を抽出し固形物化した錠剤を服用するだけで十分に維持活動する事は可能のように思う。だが、それでも人間にはあえて食事を行わなくてはいけない理由がある。それは、人間には空腹感という感覚があるからだ。人間の内臓の一つである胃の中が空になると、人間は空腹というものを感じる。空腹感が与える精神的苦痛は強く、時には犯罪行為にすら走らせる事があるのだ。その空腹を満たすためにも、人間は非効率的と分かっていながらも食事をしなくてはいけないのである。
 そしてもう一つ。人間にはより美味しいものを食べたいという欲求がある。欲求の強さには個人差はあるものの、味などどうでもいいと考える人間は極少数派である事は確かだ。美味しいものを食べる事で人間は快感を感じ、精神的に満たされる。それの及ぼす精神的影響は、丁度趣味的な娯楽と同程度の抑圧開放感がある。苛立つような出来事によりフラストレーションを蓄積させていたとしても、質の良い食事を行う事でそれを開放する事が出来るのである。
 マスターも人間であり、私は食事を作る時はマスターの栄養面への影響と精神面への影響と両面を意識している。私はエモーションシステムを組み込まれているため、より人間に近い料理を作る事が出来る。けれどそれはあくまで近いだけで、実際はどこかロボット然とした部分がある事を払拭できない。だからこそ、出来る限り人間の作るそれに近づけようと、栄養面もさる事ながら、精神面への影響を強く意識している。
 異音発生。
 こちらに近づいて来る有機体の反応あり。
「あ」
 と、その時。
 ギシギシと階段の軋む音を私の振動センサーが捉える。この周波数はマスターのものだ。
「おはよ、ラムダ……ふぁぁぁぁ」
 やがてキッチンにやってきたのは、私の予測通りマスターだった。マスターは挨拶をするなり大きなあくびをする。酷く気だるい様子で、見た目にもマスターは十分な睡眠時間を取っているようには見えないが、どんなに就寝した時刻が遅くともマスターは必ず朝この時間に起きてくる。人間には習慣という、ロボットで言うタイマーのようなものが生まれつき備わっているからだそうだ。
「おはようございます、マスター。丁度コーヒーが入りましたよ」
「うん、眠気覚ましに貰うわ。あー、ねむ」
 私は抽出したばかりのコーヒーをカップに注ぎ、マスターに手渡す。ミルクと砂糖の量はマスターは飲むたびに変わるので私は手をつけない。
「マスター、本日はギャラクシカの事は忘れて休暇になさっては如何でしょうか? 人間は自分で疲労の蓄積具合を正確に認識する事は出来ません。疲労は場合によっては致命的な疾病を併発する原因ともなりうります。ですから大局的見地からすると、マスターは最低でも本日一日、理想としては向こう三日間は休息日として割り当てるべきだと思います」
「でもねえ、正直足りないのよ。時間。今のペースで目いっぱいやって、ギャラクシカに間に合うかどうか。予選は一週間後でしょ? で、ようやく昨夜に出来上がったあなたの特化メニューなんだけど、順調に進んで六日間と五百四十分。もちろん予定通りに行く保証はないし、何らかのバグが出る可能性も大いにあるわ」
「確かにギリギリですね……」
「そゆこと。だから休むのはギャラクシカが終わってからね」
 そう言ってマスターは肩をすくめる。顔には苦笑いを浮かべてはいるが、マスターに苦痛の色はない。この状況はマスターが自ら選んだ道の過程の一つであり納得している状況のため、肉体的には辛くとも精神的は全く苦痛ではないのだ。
「あの、それならば何人かサポート技術者を雇っては如何でしょうか? コア部分はともかく、既知作業はマスターが行わなくとも良いはずです」
「だーめ。雇ったそいつらが、どっかのスパイだったらどうすんのよ? こういうのは信頼できるヤツだけでやるの。すなわち、自分自身とラムダ、あなただけ」
 メタルオリンピアで、そういった事前の不正工作は毎年ニュースで聞く事が出来る。ボディに動作を狂わせる小さなチップを組み込んだり、またプログラム内に一目ではそれと分からないほど機能に影響を与えるウィルスを仕掛けたりする。それだけでも十分過ぎるほど競技には支障を与える事が出来るのだ。もちろん違法行為であり、発覚して公的機関に捕縛された場合、十年以下の懲役刑となる。大概はほぼ実刑だそうだ。メタルオリンピアは人々にとっては真剣勝負を用いた純粋な娯楽エンターテイメントであるため、そこに水を差すような妨害は重罪として扱われるのである。その割に、そうと知っていながらも不正手段に訴える人間は減る事がない。そこまでしても勝ちたいからである。メタルオリンピアほど、自らの技術を強く広く世に知らしめる広告はない。ロボットである私には、いまいち理解し難い行動パターンである。
「さってと。ラムダ、今日の朝刊は?」
「いつもの場所です。テレビの上」
 朝食が出来るまでの間は、マスターはこうしてコーヒーを飲みながら新聞に目を通す事を日課としている。世界情勢やローカルニュースはネットやテレビなどの媒体でも流されるのだが、マスターはまず新聞から目を通す事にこだわりを持っているらしい。速さを求めるならネット、分かりやすさを求めるならばテレビの方が優れていると思うのだが。人間が時々口にするこだわりというものは、やはり効率性を重視するロボットには理解しがたいものである。
 私は炒め終わったほうれん草とその茎を皿に移し、その上に冷やしておいた卵を乗せる。味付けに粗びきの黒胡椒を少々ふる。
 と。
「あーっ!?」
 突然、リビングからマスターの叫び声が聞こえてきた。私はすぐさまリビングへと駆けつける。
「どうかなさいましたか?」
「ヤバイ!」
 だがマスターは私の問いには答えず、一目散にリビングを飛び出して駆けて行った。何かただならぬ気配を感じた私は、すぐにその後を追う。
 バタバタと廊下を走る音が家の中によく響き渡り、マスターの姿を視覚素子が捉えていなくとも、どこにいるのかがはっきりと感知できた。かといって決して遅れぬよう、埃が立たない程度の速さでその後を追う。
 マスターが向かった先には地下の研究室だった。ドアも閉めず、マスターは何を焦っているのだろうか? とにかく私も追って研究室の中に入った。マスターはデスクにつき、その周辺をばたばたと何か探しながらかき回している。普段から整理されているようには見えないデスクの上は、更にごちゃごちゃと雑多な様子になる。
「どうかなさいましたか?」
「どうもなにも! 忘れてたのよ! 登録! あ、あった!」
 マスターは書類の束から一枚を見つけて取り出すと、すぐさま端末を立ち上げる。どうしてこんなに近い距離なのに叫ぶのだろうか? それほど焦ってしまうような事態が起こっているとするなら、それは一体。
「登録と言いますと?」
「ギャラクシカ! 競技出場の方! 締め切りが確か今日なのよ!」
 メタルオリンピアには大会出場登録と、競技出場登録が必要なのである。大会出場登録は、会場の控え室を確保するために行うが、大会には必ずしも全競技に出場する必要はない。それはロボットによって特性差というものがあり、走る事に特化された性能を持っていたとしても、必ずしも泳ぎまでこなせるとは限らないからだ。規定上、一大会で登録出来るロボットは一機。そのため大半の出場者はあらかじめ出場する競技を一つか二つにしぼって競技出場登録を行うのである。
 受付サイトに接続したマスターは、早速受付締め切り日を確認する。レスポンスタイムは一秒にも満たないのだが、マスターは苛ただしげに足で床をコツコツと踏み鳴らしている。
「あ、良かった! 今日の昼までだ! えーと、では早速。出場者名はエリカ=鷹ノ宮。出場機はラムダ。無性別型ヒューマノイド、っと。製作者はメインフレームが親父でその他は私。んで、次は……って、はあ!? なんでいちいちこんな細かくしなくちゃいけないっていうのよ! ホント、うっとうしいわね!」
 ディスプレイに向かって激昂するマスター。チャットなどの人間が相手であるそれならばともかく、ただのシステムに腹を立てていても無駄に血糖値が上がるだけなのだけど。だが私はマスターの苛立ちを考慮し、あえて口にはしなかった。
「あの、マスター……。コーヒーが冷めてしまいますが」
 けれどマスターは一心不乱にディスプレイを見つめ、ぶつぶつと呟いたまま返事を返さない。もう作業に没頭してしまい私の声が聞こえなくなってしまっているようだ。
 仕方がない。一度こうなってしまったら、作業が終了するまでマスターは意地でもここを動かない。とりあえずコーヒーは保温機にかけておこう。