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 無言の熱狂。
 人々の注目は、ステージ上に設置された大型ディスプレイへ一身に注がれ、開始はまだかと盛んに急いている。室内温度は17度と極めて過ごしやすい温度ではあるのだが、マスターは先ほどから”暑苦しい”と繰り返している。この何千と超えるマスコミ陣の放つ熱気が暑苦しいそうだ。ロボットである私にはよく分からないが。
 ギャラクシカ予選の前日。今日は明日の予選の対戦表が発表される日である。そのため私は、マスターと共に組み合わせの確認のために予選会場へ赴いていた。会場の観客席は、本日は報道関係者しか立ち入る事が出来ないため随分と空席が目立つものの、その最下列にはびっしりと世界各国のマスコミ関係者がひしめき、スクープになりそうなものはどんなものでも見逃さぬと言わんばかりに鋭い視線を私達に油断なく注いでいる。
 円形ドーム状の巨大なこの会場『メタルコロッセオ』は、すり鉢状に段々の客席が23段、特設リングが五台設置されている中心の広場は円周が600mある。このメタルコロッセオは、かつてローマ帝国に実在した建造物であるコロッセオをデザインのモデルとしており、その外観は資料にある画像と類似点が幾つか確認できる。だがその規模、全長、収容人数は世界各国のあらゆる建造物を凌駕しており、現時点で世界最大のイベント会場である。
 マスターと私を含む出場者と出場機は、観客席ではなく中心の広場に通され、そこに受け付け順に一列に並ばされていた。マスターと私は最左端、最も受付が遅かった者の立ち位置に居た。やはりマスターが登録を思い出した頃には、私達以外の全出場者は既に登録を済ませていたようである。
 広場には80メートル四方のリングが五つ設置されている。それぞれが赤、青、黄、白、緑に分けられ、それがそのままトーナメント予選のグループ名になる。ロボット同士の血生臭い―――という表現を血の通っていないロボットに当てはめるのは不適切だが、決して人間には出来ない壮絶としか形容し難い戦闘を行う場所にしては、あまりに色調がパステルチックでアンバランスな印象を受ける。マスターもこのリングのデザインについては、悪趣味だ、と毎回の事ながら不快感を隠せないでいる。
「ちっ。まーだ始めないでやんの。ラムダ、出場機はどのぐらい?」
 腕時計を見ながら舌打ちしたマスターは、予定時刻を回っても一向に組み合わせの発表を開始しない事に退屈しかけたのか、そう私に小声で囁く。私はこっくりうなづくと、すぐさまサーチを開始する。
 視覚素子、カウントモード。
 あまり露骨に動いて目立たぬよう、自然で無理のない動作を心がけながら私達の右の列へずらっと並ぶ各エントリー機に奥へ向かって視線を流しながら一機ずつメタデータを採取していく。
 エントリーしているロボットは、どれもヒューマノイド型の戦闘に特化された機体ばかり。今はまだ大会前なので装備は私同様に極めて軽装になっている。わざわざライバル機達に自分の手の内をさらけだす事をするはずがないのだ。
 どの機体も出力、バランスとボディフレームの高性能さが立っているだけでもはっきりと感じられる。だが、その中に居ながら右端から17番目に立つ黒い装甲のロボット、テレジアグループが開発した高性能機体『シヴァ』は群を抜いて威圧感が感じられる。今回も優勝最有力候補の自信の現れが、そう感じさせているのだろうか。マスターとテレジア女史はあまり関係が良くないのだが、最も注意しなければいけない機体はシヴァであるとも言っている。私にとってもシヴァの存在は、優勝を獲得するため最も困難な壁として立ちはだかるであろう。 「数は78機あります」
「ってことは、予選リーグは三勝ぐらいがノルマね。シードでも引ければいいんだけど」
「これまでの競技では、一度も引いていませんからね」
 トーナメントの組み合わせの決定方法は、従来の出場者が直接クジを引く形式を廃止し、去年から完全にコンピューターがランダムに選出する形式に変わった。人間はイカサマを出来ても機械にはイカサマは出来ない、という理由からだ。けれどマスターは、俗に言う運回りがよほど悪いのか、一度としてシードを引き当てていない。もっとも、シード権は一回のトーナメントにつき、二、三機しか得る事は出来ないのだが。
「それを言うなって。いい? 古来ジパングでは、『五度目の正直』って言葉が延々と語り継がれてんのよ。つまり今度こそシード権が引き当てられるって事」
「マスター、それは『三度目の正直』です。そして用法も若干違っています」
「ジョークよ、ジョーク。そういう時は『なんでやねん!』ってツッコむの」
 そう言ってマスターは私のボディを手の甲で叩く。
 衝撃軽微。
 ダメージは確認されず。
「突っ込む? 突貫攻撃の事ですか? ですが私は、マスターに対して攻撃行動を取る事は出来ません」
「やれやれ……。この大会終わったら、エモーションシステムをもう少しジョークを理解出来るように改良する研究、本格的に始めようかしら」
 苦笑いしながら、マスターは肩をすくめる。
 このように、時折私はマスターのコミニュケーション手段を理解出来ない時がある。幾ら人間と同じ感情をロボットで再現させるエモーションシステムを組み込んでいたとしても、その感情はあくまで擬似的なものであり、完全に人間になれる訳ではない。人間には膨大な数の主義や主張、思考、性癖が存在し、それらの大半は未だロボットは理解が出来ない。人間と対等に会話しているつもりでも、確実に人間とロボットのボーダーラインは存在する。ジョークを理解出来ない、という事実もまた、私が人間の振りをしている人工物に過ぎない事を証明する事象の一つである。
 ―――と。
 突然、会場内の照明が一斉に落とされる。突然光度が下げられた事で私の視覚素子は設定異常を起こし、適正な値に修正するまでの間、私の視覚素子が機能を失う。通常、私の視覚素子は光の反射を捉える事で物体を認識する。素子は反射光の吸収率を動的に設定しているが、それを極端に下回ったり上回ったりする明度の変化が起こると、反射光を認識出来なかったり、また過剰反応を起こしたりすることで正常に機能しないことがあるのだ。これは人間の視覚にも同じ事が言えるそうだ。
『大変長らくお待たせしました。これより、今年度メタルオリンピアの第五種目ギャラクシカの予選トーナメントの発表を行います』
 丁度数値の調整が済んだ頃、場内に女性の声でアナウンスが入る。
「お? よーやく始まりみたいね。ったく、予定の三分押しじゃない」
 マスターが喜びと苛立ちを一遍に吐き出す。これもまた、0と1で機能するロボットには真似の出来ない感情の現れだ。
 ステージに設置された大型ディスプレイに、トーナメント表が五つ浮かび上がる。用意されたリングと同じ数だ。これから各トーナメント表の末端に、この場に集まった機体の名前がコンピュータによってランダマイズに設定されるのである。
『予選トーナメントは、各リーグ三回戦で一対一の六十分一本勝負とします。完全ノックアウト制、予選リーグに限りレベル五以上の広範囲攻撃兵器の使用も認めます。なお、ノックアウトの定義はメタルオリンピア修正第二十七条の四項にそって判断いたしますのであらかじめ御了承ください』
 ギャラクシカにおいてノックアウトとは、ロボットが自律行動機能を失った場合、動力部が機能しなくなった場合、試合続行が不能になるほど著しくボディを破損した場合、の三項で定義されている。どれも相手ロボットが中破以上の深刻なダメージを被った場合に起こるものだ。これまでの競技では、あくまでロボット間の攻撃は駆け引きの一つでしかなく、競うものはタイムの速さである。だがギャラクシカは、誰の目にも実に分かりやすい形で勝敗を決する競技だ。参加するロボットは敗北と廃棄をほぼ同義として受け止めなければいけないほど危険である。しかし、そんな事を考えるのはエモーションシステムを搭載された私ぐらいであろう。他の全てのロボットは、それぞれのマスターの命令通り自らが動けなくなるまで戦い続ける。たとえ敗北がはっきりと目に見えていてもだ。恐怖も、自らの死も、感情のないロボットにとっては考える必要のない問題なのである。勝利か敗北か。ただそれだけが純然とあるのである。
「ねえ、ラムダ。今年もヤバそうな連中がゴロゴロいるけどさ、大丈夫?」
 ふとその時、マスターがそう私に訊ねてきた。
「私はマスターを信頼していますから。後は私自身が自らの性能を100%引き出す事が出来れば、必ず優勝は出来ます」
「いや、そういう事じゃなくて」
 と、マスターは頭を振り、
「怖くないのか、って事」
 そう改めて私に問う。
 怖い?
 一瞬、私の思考アルゴリズムがループした。マスターの言っている事が瞬時に理解する事が出来なかったからだ。
 私はロボット。マスターに絶対主従の人工物であり僕である。マスターは私に、ギャラクシカに出場して優勝を獲得しよう、と命令を下した。私にとって己の行動の指標は全てマスターにある。マスターの言葉こそが絶対で、唯一私が自らのイデオロギーを確認できる要素である。マスターの言葉には絶対に従うのがロボット。にも関わらず、その下された命令に対して二の足を踏ませるような質問をマスターは私に投げかけてきた。理解が出来ない。マスターは命令に従わせたいのか従わせたくないのか、それを判断し己の行動に結論付ける事が今の私には出来なかった。
「私はマスターの命令に従うだけです」
 そして思考ループから抜け出した私は、自分の中で最も強く定義されているその言葉を口にする。
 私の存在意義は、マスターの命令に従う事。ロボットはそもそも人間に忠実で理想的なパートナーとならなくてはいけないのだ。そんな私が自らの意見を主張し押し通す事など許されない。そもそも私には、自らの身上について疑問を抱くプログラムは組み込まれていない。私がマスターの命令に従う事は、人間が生きるために呼吸を行うのと全く同じレベルの自然な行為なのだ。
「それはそれで置いといて。自分の正直な気持ちを言ってみ?」
「正直な……ですか?」
 分からない。
 今度はすぐに答えが出た。いかなるアルゴリズムも、その問いに対しての明確な答えは導き出す事はなかった。答えを出す事が出来なければ、私は”分からない”と答える以外に他ない。私のプログラムには、恐怖というものについてのデータは組み込まれていないため、マスターの問いに明瞭簡潔な答えを返すことは出来ないのだ。ただ言える事は、私はマスターの命令に従うからこそ自分が自分でいられるという絶対的な現実だけだ。
「ここまで来ておいてさ、何だけど。今更怖気づき気味なのよ、私。もしもラムダが取り返しのつかない事になっちゃったら、ってさ。考えるだけでも震えてくるの」
「マスター?」
「ああ、分かってるって。矛盾してるって言いたいんでしょ? でもね、こういう風に時々考えちゃうんだ。人間ってヤツは。どこぞのコメンテーターは、ロボットはどんな非情な決断を迫られても感情に流される事無く必ず最良の選択をするなんて批判的な事を言ってたけどさ。私は羨ましいわよ、そういうの。だって、迷うってのはそれだけですっごく不安なものなんだもん」
「あの……マスター。私は―――」
 メモリの中に漠然と言葉が浮かぶ。
 私はそれを言葉に出そうと口を開きかけた。具体的にそれがどんな言葉も分からずにだ。けれど、
「お! 見て、ラムダ。私達の一回戦の相手が出たわよ」
 そうマスターが、まるでこれ以上の会話を打ち切るかのように言葉を無理やり挟んだ。そのまま私もなし崩し的に口を閉じる。
 私が言いたかったのは、そんな事ではありません。
 だが私は、それ以上はプログラムの奥に押し込めてしまった。それを実際に口に出した時、マスターがどう思ってくれるのか不安だったのだ。
 ロボットのくせに。