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 予選の組み合わせも決定し、マスターと私は自宅に戻る事にした。
 メインホールを出ると、そこには各国の報道陣が早速待ち構えていた。けれど、彼らは私達には目もくれず、しきりにホールの方を注目している。彼らの目的は、五種目制覇にリーチをかけているテレジアグループの汎用人型機体『シヴァ』である。マスター曰く、自分達のようなその他大勢を取材した所で何も得るものはないからだそうだ。
 マスコミ関係者を押し退け、私達は出場者用の通用口へと向かう。あれだけの人数のマスコミ関係者がいるというにも関わらず、誰一人として追っては来ない。それは他の出場者も同じで、中にはその事に対する不満感や苛立ちを表情に見え隠れされている者もいる。やはりマスターの言う通り、誰もがシヴァにしか興味を示していないのだろう。昔から人間は、自分より遥かに優れた存在に憧れを抱くという。その対象は映画の中のヒーローやスタイリッシュな芸能人だったりしていたが、丁度人間にとっては他の追随を許さないシヴァもそんな存在なのだろう。そもそもロボットは、自分達よりも完璧な存在への憧れから生まれた存在なのだ。その中において飛び抜けているシヴァに人々の興味が集まるのもうなづける話だ。
「さって。ウチ帰ったら、早速明日に備えて換装するからね」
「はい、マスター」
 遥か背中がざわざわと騒がしい。だが私達の周囲はいつも通り静かで、通常のトーンで話しても全く会話に支障はない。
「えっと、最初の相手は誰だったけか?」
 そうマスターに問われた私は、先ほど会場で作成した出場機のデータベースと組み合わせ表を参照する。
「初戦の相手は、産陽工業製作『フランベルジュ』です。公開データも参照いたしますか?」
「あ、それはいいや。知ってるし。まあ、そいつだったら楽勝ね。装備は野戦二号ってトコかな? 重い武器は特にいらんでしょ。んじゃ明日は一ラウンド目速攻でカタつけるわよ」
「肩?」
「ショルダー、なんてボケはしないように」
 そう言ってマスターが私の胸部を軽く叩く。
 フランベルジュの公開データによれば、最大出力等の基本性能は標準的な数値である。ただし、実測値と理論値との誤差が十五回のベンチマークテストでも僅か0.3%と極めて安定しており、ボディバランスは出場機体の中でも指折りの優秀さだ。
 けれど、決して勝てない相手ではない。明日、実際に会い見えるまでは正確なデータを参照する事は出来ないが、私のボディ性能はフランベルジュを二回り以上も上回っている。そこに更にマスターの手によるチューンナップが施されるのだ。私が無駄にリソースを使用するなどして非効率的な動作を行わない限り、基本に忠実に添うだけで十分に勝利できる。
 会場からようやく抜けると、背後で聞こえていたマスコミ陣のざわめきがより遠くなった。代わりに夜の街特有の静かなざわめきが辺りを包み込む。
「あ、そうだ。ラムダ、ちょっと周囲を確認。レベル五設定でね」
 ふと、その時。マスターが唐突にそう私に指示する。
「レベル5設定ですか?」
 レベル5設定と言ったら、視覚素子だけでなく、私に搭載されている全ての感覚素子を最大出力で用いるという、非常に綿密なサーチをするモードだ。一般的な状況でサーチを行う場合は最大でもせいぜいレベル2。5まで上げて用いるとしたら、それは何かしら甚大ならぬ被害が予測される緊急事態の場合ぐらいのものだ。
 私のセンサーには、これといって目立った災害の反応はない。極めて無事そのものだ。にもかかわらず、何故マスターは私にレベル5設定でサーチをさせるのだろうか?
 レベル変更。設定値5。
 サーチ開始。
 けれど、私はそれ以上は考えず素直にマスターの命令通りにサーチを始めた。人間には未だロボットにも搭載されていない勘という感覚が備わっている。それはこれまでに蓄積された経験による高度な事前予測にも当てはまるのだが、時として単なる偶然では説明できない、過去に全く事例のなかった出来事を予測する場合がある。これを解明するのは現在の科学水準でも達成しておらず、未だ人間の脳に潜む未知の領域としか説明のしようがないそうだ。マスターはきっと、その勘というものが働いたのだろう。何かしらの危険を本能的に悟ったのかもしれない。
 そして―――。
 ヒット!
 有機体反応が一つ。無機体反応が一つ。背後およそ10メートル地点からこちらに向かって時速およそ2km。
「マスター、サーチの結果―――」
「チッ。やっぱり来やがったか……」
 サーチの結果を報告しようとしたその時、マスターはそう憎々しげに舌打ちをする。
 私は静かに背後を振り返り、こちらに徒歩と変わらない速度で向かってくる二つの反応を視覚素子で確認しに行く。すると、
「ようやく抜け出せましたわ。まったく、有名人は辛いわね? シヴァ」
「はい、マイ・マスター」
 こちらに向かって悠然と歩み寄ってきたのは、テレジア女史とシヴァの二人だった。
「なんか嫌な予感したのよね……やっぱすぐに走れば良かったわ」
 そうマスターは大きく溜息をつく。
「あら、エリカ。やはりあなたも出場するのですね?」
「知ってて言ってるんでしょ? しかもわざわざそんな事を言いに来るなんて、よっぽど暇な証拠だわ。それともマジボケ? 根性だけでなく頭も悪くなったの?」
 マスターは先日は違って挑発的な口調でテレジア女史に返答する。悠然と構えていたテレジア女史は、僅かにピクリと眉を震わせた。
「エリカ。あなた、まだラムダのエモーションシステムは外していないようね。まさか本気でラムダを廃棄処分に追い込むおつもりかしら?」
「悪いけどこっちにも作戦があってね。まあ、アンタには分からないでしょうけど」
「それもそうですわね。何せ、私はあなたと違って頭脳は明晰ですもの」
「天才となんたらは紙一重って言うけど、アンタはどっちかと言うとなんたらの方ね」
「聞き捨てなりませんわね。私のどこがそうだとおっしゃるのかしら?」
「そのイカれた格好」
 マスターが指摘するテレジア女史の服装は、ワインレッドの豪奢なカクテルドレスだった。
 私の見地からしてそれは、かなり高価なものであると推測出来る。デザインも特徴的でありながら既製品にない辺り、おそらくはオーダーメイド品であろう。
「これだから下賎の人間は。いいこと? このドレスは、かの世界的に有名なデザイナーの―――」
「時と場所を選べっつってんのよ、このスカ」
 溜息と嘲笑の混じったマスターの表情。するとテレジア女史の顔色が真っ青に青ざめた。怒りが度を超すと、人間は逆に青ざめる。この状況にそんなデータがマッチングした。
「なんですって!? 毎度毎度私に試験で負けていたのはどこの誰だって言うの!?」
「キーキーうるさいわね。だからあんたは昔っからモテないのよ。挙句の果てにはさ、何? シヴァのデザインって、モロ自分好みの男にしてんじゃない。まさか、とうとうソッチの方向に傾いちゃったの?」
「あなたこそ人の事が言えまして!? まるで自分はモテていたような口を聞かないでくれます!?」
 留まる事を知らず、マスターとテレジア女史は次から次へと罵詈雑言による悪態の限りを尽くす。双方、私も思わず驚いてしまうほどの豊富なボキャブラリーを誇っているように思えるが、詳しく分析してみればどれも過去に行われた口論の最中に使われた経歴のある既出語ばかりだ。とどのつまり、今回もまたこれまでの口論の延長線、もしくは通過儀式のようなものである。
「マスター、そろそろお時間です」
 やがて二人が言い争い始めてから三分が経過した頃。シヴァが静かにテレジア女史をそう制する。シヴァの言葉にテレジア女史はハッと我に帰ると、今更取り繕うかのように身形を整える。
「フン……それもそうですわね。私とした事が」
 あれだけ叫び続けたためであろう。テレジア女史の声は僅かにしわがれてしまっている。渋みの差した声を正すかのようにテレジア女史は咳払いをすると、すうっと一度大きく息を吸い込み、吐く。
「いいこと、エリカ? ラムダは今のままでは良くて予選突破が関の山。運良くシヴァと当たるには、決勝まで勝ち進まなければいけないほど組み合わせは離れていましたけど。シヴァ、あなたラムダと仮に戦ったとした場合、勝率は如何ほどかしら?」
「99.999999999%、私の勝利です。マイ・マスター」
 シヴァはほとんどのタイムレスポンスを出さずに即答する。その計算は時間にしてマイクロセコンド単位での処理だったのだろう。
「ほら、イレブンナインよ。あなた如き落ちこぼれ、本来なら私と会話する事すら出来ないのよ」
「あーもう。さっきからうるさいわね。ラムダはシヴァなんかとは比べ物になんないほど高性能なんだからね!」
「私、あなたの戯言は聞き飽きましたわ。あなたはどう? シヴァ」
「はい、私もです。マイ・マスター」
 テレジア女史の問いにシヴァは静かに頷く。テレジア女史に絶対服従であるシヴァは、決してテレジア女史に逆らうような行動は取らない。
「むっかつくわねえ、いちいち。ハイハイハイハイしか言えないロボットといちゃつきやがって。ラムダ! あんたも何か言ってやりなさい!」
「な、何かですか……?」
 突然いきり立ったマスターに強くそう言われ、私はすぐさまこの場に最も適した言葉を求めてデータベースにアクセスする。しかし、
 条件に適したデータは見つかりませんでした。
 もう一度、検索キーを変えて検索して下さい。
「とりあえず……そろそろ私達も自宅に戻るべきかと」
 そして、結局答えられた言葉はそんな無難なものだった。
「あら? ラムダも大した事が言えないじゃない。これではスクラップになっても当然かもしれませんわね」
 勝利の高笑いを見せつけるテレジア女史。そして私には、所詮はそんなものだろう、という嘲笑が向けられる。
 と、そこに、一台の黒塗りの高級車がやってきてゆっくりと止まった。すぐさまシヴァが後部座席のドアを開け、テレジア女史を促す。
「さて、迎えが来ましたわ。ではごきげんよう。また会えるといいですわね。たとえば決勝とか」
 無理だ。
 そう暗に含めた言葉をテレジア女史は残し、車の中に消えていく。そして車は颯爽とその場を走り去った。
 マスターは車の走り去っていった方向を睨みつけている。もう、私のセンサーにも捉えられないほどの距離まで離れてしまったというのに。
「あの……マスター?」
「帰るわよラムダ」
 マスターはくるっと踵を返すと、自宅のある方向へスタスタと歩き始める。
「帰って、ミレンダのブタをけちょんけちょんに叩きのめす方法を考えるわ」
 マスターの視線はこれまでにないほど殺気立っている。
 私はただ、こっくりとうなづくだけだった。
 きっと、私の対応がまずかったせいだ。