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『おおーっと、ダウンだ! これはダメージが大きいか!?』
 赤いリングの上で交錯した、二体のロボット。直後、片方は崩れるようにリングに倒れ、もう一方は相手の状態を確認しながら次の動作にすぐ移れるように身構えている。
 それはまさに一瞬の出来事で、ロボットである私には正確に捉える事が出来たが人間にはそれが出来ず、観客席の人間はきょとんと首を傾げるか、もしくはただ興奮に任せて叫ぶばかりだ。すぐさま何が起こったのかを確認するため、天井から吊り下げられた四面型の巨大ディスプレイに先ほどの瞬間がスロー再生される。
 80メートル四方の広大なリングのほぼ中央に、両機がおよそ五メートルの距離を取って相手の出方を計算しながら対峙している。右サイドの機体はグローラルカンパニー開発無性別型ロボット『カルナッソス』、対する左サイドの機体はニュージャパンベーッシックグループ開発青年型ロボット『RAKU−EN』。どちらも出力、演算能力共にほぼ同数値という組み合わせであるため、先ほどから何度もこのような膠着状態に陥っている。チェスで言う千日手のような事が何度も起こっているのだ。
 ハードの性能はほぼ同じ。となればこの勝負は、組み込まれたプログラムの如何によって決着する。いかに効率よくハードを動かせるか。そこが勝負のカギだ。
 メタルオリンピアに限らず、全てのロボットはハードが高出力であれば良いというものではない。幾ら高性能なハードであったとしても、それをプログラムがうまく使いこなせなければ意味をもたらさないどころか、逆にハード自体の寿命までおも縮めてしまう。たとえばこのギャラクシカの場合、高出力の武器を無数に装備して乱射したとしても、エネルギーはあっという間に底を尽き、ボディフレームや武器自体が酷使に耐え兼ねて疲労してしまう。エネルギーが尽き、オーバーヒート寸前になってしまったロボットを倒すにはそれほど難しいアルゴリズムも高出力の武器も必要ない。素手で殴り飛ばすだけで十分に機能停止させる事が可能だ。勝つためには強力な武装は必要ではあるが必須ではないのだ。
 膠着していた二機は、残り時間が三分を切った瞬間、ほぼ同時に相手へ仕掛けた。おそらく人間にはここまで確認出来ただろう。けれど、私はもっと正確な状況把握をしている。
 ほぼ同時に仕掛けたように見えるが、実際先に仕掛けたのはカルナッソスの方だった。RAKU−ENはカルナッソスの行動を把握すると素早く迎撃プログラムを立ち上げて対応したのである。
 千日手に近い状況において、先に動いた側が負けるのは絶対のセオリーだ。カルナッソスは右腕に仕込んだ高圧イオンを噴出するプラズマカッターを構え、RAKU−ENのボディと頭部の連結部分である首を狙って襲い掛かった。首はロボットのボディの中で弱点に数えられる部位の一箇所だ。そこを狙うのは戦闘においての常套手段である。
 しかし、RAKU−ENはそれを正確に予測していた。RAKU−ENはカルナッソスのプラズマカッターに首を落とされる寸前、胸の出力部に集中させていたエネルギーを開放し高電磁波を一斉放射する。高圧の電磁波はプラズマカッターを防ぐ盾となり、首への干渉を妨害する。
 RAKU−ENの奇襲により、カルナッソスは致命的なアルゴリズムミスを犯す。こういった場合の行動がプログラミングされていなかったのか、そのまま例外処理に突入して無防備な状態を晒してしまったのだ。その瞬間、RAKU−ENはカルナッソスのボディへ右ナックルを叩き込む。そのナックルもただのナックルではなく、ソニックブレードを応用し高振動機能を組み込んで破壊力を強化したものだ。
 細かな振動により装甲の持つ反作用が極端に低下し、ほぼダイレクトに近い衝撃がカルナッソスを打ち抜く。RAKU−ENのナックルはボディのフレーム部分にまで達する致命的な一撃となった。
 これら一連の動作が、あの瞬間ナノセコンドの領域において行われたのである。デジタルで稼動するロボットにしか出来ない、人間にしてみれば本当に一瞬の出来事だ。
「決まっちゃったね」
 傍らで私と共に観戦していたマスターが、そう一言つぶやく。
 その声は、どこか冷たくて乾いているように思えた。熱狂に渦巻いている他の観戦者に比べて対照的過ぎるほど素っ気無く、リングで起こっている出来事に無関心。ロボットに人間の胸中を図り知る事は完全に行う事は出来ないが、マスターがこの状況に苛立っている事だけは窺い知れた。それは私にマスターのデータがあるからである。
「ラムダ、二回戦の相手はアイツだけど、しっかりとデータは取れた?」
「はい。ですが、私はまだ一回戦も終わってませんが?」
「どうせ勝つわよ」
 溜息混じりに答えるマスター。やはり口調が素っ気無い所を見ると、何かに苛立っているようである。
「さ、一旦控え室に戻るわよ。ここはうるさくて仕方ないわ」
 そう言ってマスターが席を立ってスタスタと歩き始める。私もすぐさま立ち上がり、マスターの後を追っていった。
 どうしてマスターは苛立っているのだろう?
 私にはマスターについてのあらゆるデータがあるものの、それを駆使しても理由を突き止める事は出来なかった。それは私がロボットであるが故に仕方のない事だ。現在の科学水準を持ってしても、人間には可能でもロボットには不可能な事が未だに多く残されている。その一つが、状況推理というものだ。ロボットはデータがなければ今自分が置かれている状況すら理解が出来ない。感覚素子を経由し周囲から情報をデータ化して集めることでようやく自分の一部とする事が出来る。だが、あくまでデータは過去に起こった出来事の延長線としてしか把握される事がない。そのため、データと似たような自体があればある程度予測や推測に近い事は出来る。けれど、データにない事から新たに何かを掴み取るような作業はロボットにする事は出来ず、未だ人間だけの特権となっている。
 人間には想像力を始めとする、これまでになかった事を考え生み出す力がある。しかし、ロボットには過去のデータとマッチングするか否かでしか物事を考える事が出来ない。この事実がまた一つ、人間とロボットに太い境界線を引くのだ。
 マスターはこの観戦席に来る事を自分から言い出した。なのに、この場所に居る事が腹ただしいように見て取れる。矛盾した行動だ。だがそれを矛盾しているように思うのは私がロボットだからだ。人間は、ロボットには矛盾した行動に思える事を当たり前のように行う。故人の言葉で、”人間は他人を完全に理解する事は出来ない。一生かかってようやく自分を理解し得るか否かだ”というものがある。人間は理解力に乏しいのではなく、それだけ難解な個体なのである。それを模して作られたのがロボットではあるが、所詮はただの紛い物。完全な人間足りうる事は出来ない。そんな私にマスターの行動を理解する事が出来るはずはないのだ。
『壊せ! 壊せ!』
 不意に会場中から一斉に歓声が湧き起こった。ふと顔を上げて周囲を見渡すと、それはあらかじめ示し合わせていたかのように全く見ず知らずである赤の他人同士がピッタリと息を合わせて同じ言葉を連呼している。前に似たような光景を見た事がある。野球やサッカーといったスポーツのサポーター達が似たような事をよくしている。けれど、状況こそ似ているものの、理由が分からない。破壊的行動を要求する言葉を上げるサポーターを私は見た事がない。フーリガンなら考えられるものの、フーリガンの大半は行動を起こす前にこんな大人数で目立つ行動を行ったりしない。
「マスター、これは一体?」
「行くわよ」
 この異様な状況についてマスターに訊ねてみるも、マスターは一言そう答えるだけでつかつかと歩き続ける。私は知らなくていい。まさにそう言わんばかりに。
 私はメタルオリンピアに出場したのは今回が初めてである。これまでの様子はテレビで観戦した事はあっても、それは本当に少しだけ眺める程度のもので、マスターがすぐにテレビのチャンネルを変えてしまうのだ。まるで私には見せたくないかのように。だから私はマスターの説明がなしでは、この状況が一体何なのか理解出来ないのである。
「ラムダ、まだあなたは知らなかったわよね。どうしてギャラクシカがこれほど人気があるのかを」
 人気の理由?
 それは純粋にそれが楽しめるからではないのだろうか? ならばどうしてマスターは改めてそんな事を問い訊ねる? ギャラクシカが圧倒的な人気を誇る理由。それは他に別な何かがある事を示唆しているのだろうか?
「何故なのでしょうか?」
「リングを見ればいいわ。もしも、あなたにそれを見てもまともでいられる勇気と自信があればの話だけど」
 勇気?
 自信?
 ロボットには勇気や自信といった精神論は全く関係ない。人間がある目的を遂げる場合を例に、自分と第三者がそれについて評論する場合に用いる言葉だ。人間には迷いというものがある。もちろんロボットには備わっていないものだ。
 迷いは、人間にとっては正常な感情の一つだが、ロボットにとってはただのバグである。ロボットは人間によって作られた被創造物。正負の理論で動いているロボットには迷いに相当するグレーゾーンはなく、たとえそれがどんなに無茶な事だとしても、命令が出れば何の躊躇もなく飛び込むことが出来る。ロボットが自らの行動に疑問を持つ事はない。命令が出れば動く。これがもっとも原始的でありながらも代表的なロボットの行動理念なのだ。
 マスターは私に何が言いたいのだろうか?
 またもやマスターの心境を窺い知る事が出来なかった私は、とにかくマスターに言われた通りにリングへ視線を向ける。
 すると。
「なっ………」
 私は思わず言葉の飲んだ。
『やれやれー! いいぞー!』
『もっとだ、もっと! スクラップにしちまえ!』
 更に過激さをヒートアップさせる観客。けれどそれに対するリングのロボット達は、主人に埋め込まれたプログラム通りに淡々と作業をこなし続けている。
 RAKU−ENは、動くことの出来なくなったカルナッソスを持ち上げ、再びリングへ叩きつけた。カルナッソスは機能停止こそしてはいないが、もはや戦闘できる状態でない事は素人目でも窺える状況だ。にもかかわらず、誰一人としてRAKU−ENを止めようとはしない。
「これがさ、テレビで大々的に放映しているにも関わらず生で見たがる人間が後を絶たない理由よ」
 私にはRAKU−ENの取っている行動がまるで理解出来なかった。どうして動かないロボットにああも執拗に過剰な攻撃を与えるのだろうか? けれど、その一見無意味な行動に観客はより一層興奮して声を張り上げる。
「ギャラクシカでは、負けた機体はああやってリンチに合うのよ。客集めのアトラクションとしてね。どう? 信じられる?」
「私は……」
 すると、会場中に一際大きな歓声が上がった。
 リングの上では、RAKU−ENが引き千切ったカルナッソスの頭部を高々と抱え上げて観客にアピールしている。
 その時、私はバランスを失って倒れそうになった。
 CPUの稼働効率が極端に落ち、メモリがオーバーフローを起こしかける。意味をもたらさないアルゴリズムが無数に呼び出され、リソースが次々と浪費されていく。私はロボットにはあるはずがない、気分の悪さというものを感じ始めていた。
 理由解析。
 エラー。該当する項目はありませんでした。
 エラー?
 エラー。
 該当する項目は―――。
「ほら、もう行くわ。気分悪くなるから」
 そう言って私の手を引くマスターの手が、なんだかやけに温かく感じられた。
 この状況を私には理解出来なかった。
 自分と同じ、ロボットが当たり前のように行っている行動なのに。
 誰もが鋭い視線でリングの状況を観戦しているにも関わらず、大方人間らしい感情が乏しく思えた。まるで冬の寒空のように、その熱気と興奮は冷たく冷え切っている。