BACK


 会場まで真っ直ぐ伸びる73メートルの直線廊下。丁度その中頃を私はひたすら歩いていた。ここは構造上外部からの音の一切が入り込まず、そして自らが発する音は反響して増幅され、通常よりもやや大きめに聞こえてくる。
 ギャラクシカに出場する機体は全てこの通路を一人で歩くことになっている。リングのある会場までの道案内とも言うべきこの通路は、いつしか『帰らずの道』なる名で呼ばれるようになっている。反対側にあるこの通路と対になるもう一つの通路を、同時刻に私の対戦相手が同じく会場に向かって歩いている。これから私とその対戦相手は、会場に設置された五つのリングのいずれかの上で戦闘を行う。そして試合後、再びこの通路を歩く事が出来るのはどちらか片方だけである。それがこの通り名の由来であるそうだ。
 ギャラクシカではポイント制を導入してはいるものの、ポイント判定まで持ち越されることは滅多にない。試合の大半は傍目に明確でかつインパクトのある姿で勝敗がつく。試合終了後、無力化した対戦相手を破壊する事を許される機体。それが勝利機だ。この帰らずの道を戻ってこれる機体は、試合に勝利した機体のみ。トーナメントを上がっていくごとに勝負は切迫し、各機体の帰還率もそれにともなって低くなっていく。この精神的負荷は戦うロボットよりも、セコンドとしてつく製作責任者の方が遥かに重い。
 いよいよ、私の初戦がこれから始まろうとしている。私はギャラクシカに挑戦するのは今回が初めてだ。そういった意味でも、これは私のデビュー戦とも言える。形式だった戦闘は初めてではあるが、ソフトレベルによるシミュレーションは何度も行い、様々なタイプの機体データも十分取り揃えている。そして、これらのデータを円滑に処理出来るプログラムを、マスターが苦心と苦労の末に組み立てて私に搭載した。ロボットは人間と違って経験というものをあまり必要としない。精密な作業もデータさえあれば可能なのだ。実測値と理論値の誤差修正という意味での経験は確かに必要ではあるが、あらかじめそのデータが完成されたものであるとすれば、その経験すらもロボットは必要としない。全てがデジタル数値化されているからこそ出来得る、ロボットだけの特典だ。
『ラムダ。聞こえる?』
 と、その時。私のメモリ内にマスターからの通信が入った。
「はい、マスター」
 私は自分の意思を言葉に変換し、そしてそれを音声素子ではなく通信システムの方へ渡す。そのデータは私からの返答として、マスターの端末へ届けられる。
『いよいよだけど、最終確認』
「ハード、システム共に問題ありません。極めて良好です」
『ならいいけど。もうひとつ、聞いてない事があるんだけど』
「どのデータでしょうか?」
『ラムダの意思』
 私の意思?
 マスターの言葉に、私は思わず戸惑った。
 自分はマスターの命には絶対服従する、ロボットと言う名の人工物だ。私の意思はマスターの意思も同然であり、マスターもそれを認識しているはず。にも関わらず、何故今になってそんな明確に差分化するかのような問いを投げかけるのだろう?
 マスターは直感的に物事を口にする人間ではない。きちんとあらかじめ考慮し、その事実関係の確認が取れるまではあくまで憶測レベルで自分の中に留めておく。精密さを要求されるロボット技術者の特長とも言えるクセだ。だから今の問いも、単なるいい加減な言葉遊びや言ってみただけの無責任な言葉ではなく必ず何かしら意図があったはずだ。
 マスターは一体、私に何を聞きたいのだろう? 幾らエモーションシステムとは言っても、それはあくまで擬似的な感情の表現だ。無数の1と0のアルゴリズムからなる、作られた反応。そこに人間と同じ意思というものが混在していない事ぐらい、マスターほど優秀な技術者が知らないはずはないのだ。だからこんな質問が理論上出てくるはずがないのだけど。
「私はマスターの命令通りに動くのみです」
 私は簡潔に自らの存在意義とも言えるそれを言葉にしてマスターに送る。ロボットである私に答えられる言葉はこれしかない。ならばマスターが求めている言葉はこれのはずだ。今更改めて問われ答える摂理ではないが、命令があらばそれに従う。これがロボットに与えられた宿命、否、義務だ。
 すると、
『他のロボットならそうかもしれないけどさ。ラムダ、あなたは違うでしょ? エモーションシステムのあるあなたには、自分の意志があるはずだけど』
 帰ってきた言葉は、私の予測を更に超えた意外なものだった。
 私に意思?
 私の意思はマスターによって設計し製作されたものだ。ならば改めて問わなくとも、マスターは私が日常で何を思い何を考えているのか把握しているはずなのだが。いや、そんな言葉をマスターは求めているのではない。マスターが求めているのは、あくまで私が何を考えているのか、そういった意思だ。たとえマスターが分かりきっている事だとしても、私はただ命令通りに答えればいいのだ。
「私の意思を答えれば良いのですか?」
『そう』
「私は、マスターのためならば如何なる事をも辞しません。それが私の意思であり、存在意義です」
 それ以上でもそれ以下でもない。私には自分で考える能力はあるが、それは自分の自由意志ではなく、よりマスターの要望に的確に応えるための機能なのだ。たとえどれだけ人間に似ていたとしても、私はあくまで模造品である。私の言葉、考え、行動は全て模造であって、人間のそれとは似ていて本質的には全く異なるもの。私はマスターの一部足りうるからこそ自分であり続ける。それがロボットという無から生み出された擬似生命体だ。
『分かった。それならいいの。ゴメンね、直前になって茶々入れちゃって。もしかしたらさ、さっきの試合見てラムダは本当は戦いたくないのかなって思っただけだから。んじゃ、頑張って』
 私が……?
 自分の中に軽い心理的負荷を覚えた。自分の行動がマスターに意思と裏腹に思われていた事が、何らかの衝撃を与えたようである。
 私はマスターに命令放棄をすると思われていたのだろうか? 私が命令を放棄するなんて絶対にありえない。いや、そもそもそれはロボット全般に言える事だ。ロボットにとっての命令とは、自らの存在意義を守り続けるための大切な要素なのだから。それを放棄するという事は、自らの存在意義を否定する事だ。
 いや、違う。ロボットは自発的に存在意義を放棄する発想はない。ロボットは命令を守るように作られた存在だ。命令を放棄するという事は、それはロボットではない、もしくは破損や設計ミスなどが原因で正常な稼動の出来ないロボットのどちらかにしか出来ない事だ。
 思考パターン修正。
 今はそんな私的な事にシステムリソースを使っている場合ではない。今私にとって重要な事はマスターの真意を探る事ではなく、マスターのためにまず予選第一試合を勝つ事だ。
 データ呼び出し。ファイル名『フランベルジュ』
 機体データ……インストール済。
 攻撃パターン……インストール済。
 オリジナル戦闘パターン……インストール済。
 自機データチェック。
 ドライバチェック……オールグリーン。
 パーツコントロールシステム……オールグリーン。
 出力安定。
 排熱効率正常。
 ファイル構成……18時間前に最適化済。
 改めて確かめた状態は極めて良好である。昨夜3度行ったフランベルジュとのシミュレーションは全て私の勝利だった。損傷も極めて軽微であり、圧勝とも呼べる結果だった。だからこの試合もシミュレーション通りに行えば私は必ず勝利出来る。私が勝利すれば、それはマスターの喜びに繋がる。マスターを喜ばせる事はロボットである私の存在意義。存在意義の保守は擬似的とはいえ生命体の自然な行動だ。
 私の中には、『ギャラクシカに出場し優勝を獲得する』という命令が有効の状態で組み込まれている。ロボットは正負の概念で思考する。正の命令は絶対に遂行し、負の命令は絶対に行わない。それは自制心や躊躇などといったものではなく、人間で言う生まれ持った本能的なもの、抗う抗わない以前の、いわば魂的な絶対の理。命令を必ず遂行するのではなく、遂行し、それに疑問を持たないように初めから作られたのだ。
 命令の実行にエモーションシステムは関与しない。ロボットにとっての命令とは人間が呼吸をするのと同じレベルの絶対的なもの。命令の善悪に関わらず、ロボットはそれを実行するだけである。そう言った意味で、ロボットは生命体というよりも道具の延長線を逸脱していない事になる。エモーションシステムとは自らの行動の指標となりうるものではなく、あくまで日常でより人間に近い状態で人間に接しロボット特有の違和感を与えないための外部インターフェースの一つにしか過ぎない。心理的負荷を蓄積させないためにも、エモーションシステムは命令の実行の妨げにならぬように作られている。
 けれど。
 何故、私は今、そんな事を考えているのだろう?
 マスターに『自分の意志を答えろ』と命令された時、私は戸惑った。答えられない質問ならば、『答えられません』で済むはず。なのに私は戸惑い、そしてあるはずもない答えを求めて思考を繰り返した。
 何故だ?
 今もこうして命令もないのに私は思い悩み、余計な事項にリソースを使用している。自分の行動指標を、まるでエモーションシステムが支配しているかのように。
 ありえない。そんなバグが起こっているとしても、マスターが見過ごすわけがない。
 これは単なる例外処理だ。エモーションシステムは複雑なアルゴリズムから成り立っている。このように意図しない処理が発生しても不思議ではない。
 思考クローズ。
 これ以上、せっかく最適化されたファイル構成をかき乱して処理効率を下げる訳にはいかない。思考は全て閉じ、余ったリソースをマスターが組み込んだバトルアルゴリズムプログラムへ集中させる。
 帰らずの道が残り10メートルを切った。
 その10メートルを、私は完全に思考が停止した状態で歩いていた。マスターは一度何かに取り組み出すと周囲の音が聞こえなくなるほど、それについて集中する。今の私は、丁度それに似たような状態だ。
 考えなければいけない事は、如何にしてこの試合に出来るだけ少ない損傷で勝つか。それ以外の項目について考える必要性は皆無だ。
 そして。
 廊下を抜けた先で私を待っていたのは、割れんばかりの熱気と興奮に満ちた歓声と、眩しいスポットライトだった。