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 湧き上がる歓声。
 場内は圧倒的声量の歓声で埋め尽くされ、今にも天井を突き破らんばかりの勢いだ。全ての観客は興奮の徒と化し、ただただ目の前で繰り広げられる光景にいきり立ち、エキサイティングなものだと認識して一層興奮する。その興奮は周辺にまで染り渡り、そのままチェーンメールのように二次感染三次感染していく。思考をクローズしている今の私にも、その光景が明らかに普通ではない事が認識できた。先ほどマスターが居心地が悪いと言ったのは、おそらくこの異様な空気の事を指していたのかもしれない。
『両機、リングへ』
 そのアナウンスと共に、私は静かにリングへ上がった。
 床材は強化コンクリートを着色したもの。踏み込みを行う際のグリップには比較的適した足場ではあるが、転倒の際のダメージには注意せねばならない。
 私の反対側から、私の対戦相手である機体『フランベルジュ』がゆっくりとリングに上がる。青年型のフォルムをしたフランベルジュは私よりもやや身長が高く、ボディフレームのサイズは一規格程度上だ。となれば相対的にフランベルジュの方が私よりも耐久力に優れている可能性がある。耐久力に優れているという事は、速度は殺されるものの防御性の高い装甲と威力の高い火器を搭載できるというのが一般的なセオリーだ。もっとも、それだけで勝敗が決定するものではなく、重要なのは性能よりもハードとソフトのバランス、そして相手の裏をついた巧みな戦術プログラムだ。そして私はマスターの高い技術力により、確実にフランベルジュよりも優れた機体に仕上げられていると思っている。だからこの試合、私が負ける要素は何一つないのだ。
 視覚素子、モードサーチ。対象『フランベルジュ』。
 外観から確認出来たフランベルジュのデータと、あらかじめインプットされているフランベルジュのデータを比較して適性値に修正する。
 そして次は装備の検証だ。装備の大半はボディに埋め込まれているため、どこに何があるのかを正確に把握する事は出来ない。どこに何が装備されているのかは分かるものの、それが何なのかまでは予測は出来ないのである。確認出来た装備は、視覚素子横に取り付けられたレーザーと、指先のプラズマジェットの二つ。後は詳細が不明なので装備ポイントだけを押さえて記憶しておく。
『ラムダ、聞こえる?』
 と、その時。丁度リング傍にセコンド兼オペレーターとして控えているマスターから通信が入った。
「はい、マスター」
『今更だけど。例の通りで行くわよ』
「了解」
『よっし、観客の度肝を抜いてやれ。今回のダークホースが誰なのか見せつけてやりなさい』
 ダークホース。これまで全くノーマークだった初出の者が、突如意外な実力を見せて優勝最有力候補を脅かしかねない存在とマスコミ等に評価を受けること、またはその人物。
 マスターは初出場でありながら全くの無名である私が、このギャラクシカで今度こそ優勝を獲得すると自負している。マスターは私を自らが注げるだけの技術を注いで整備をした。私はマスターが世界でも有数の技術者であると信じている。だからそのマスターの技術を信じ、そして何よりもマスターの期待に応える為にも私は勝たなくてはいけない。
 思考再クローズ。
 システム再最適化。
 どうやら今のマスターとの通信が原因で、閉じていたはずの思考が再び動き出していた。今の私には思考は必要ない。戦闘プログラムを円滑に処理し、マスターからのサポート通信を理解出来ればそれでいいのだ。それ以外の事にリソースを回す必要はない。
 そして―――。
『GET SET!』
 たった7秒のルール説明の後、いよいよ試合開始の合図が鳴らされた。同時に観客の歓声は更にボルテージを増し、より声量を増して会場中に響き渡らせる。それでも私の聴覚素子には影響はない。あらかじめ必要な情報をより分けるようにシステムが設定されているからだ。今の私はフランベルジュと、そしてマスターに関する情報だけを優先的に処理するようになっている。観客の歓声のような雑音は、キャッチはするものの処理ルーチンには組み込まれる事はない。
 バトルプログラムロード。
 これより戦闘モードに入ります。
『GO!』
 その合図と同時に、私は15メートル先で構えるフランベルジュに向かって踏み込む。
 起動コード入力。レッグブースト起動。ブーストダッシュ開始。
 私の両脹脛部分には、第四種目の時に装備したのと同じレッグブーストを装着している。マスターのプログラムには、開始と同時にフランベルジュとの間合いを詰めるようにとある。レッグブーストはそのために装備されているのだ。
 秒速15メートルの速度で、私は人間の感覚でほぼ一瞬の内にフランベルジュとの距離をゼロまで縮める。しかしその間も私は平均500分の1秒フレームの速度で常に戦況を処理している。
『来たわよ!』
 その時、唐突にマスターから短い言葉で通信が入った。来た、だけの漠然とした言葉。それだけでは一体マスターが何を把握したのかは窺い知る事は出来ないものの、この超高速で繰り広げられている状況では、人間にはその報告が精一杯なのだ。
 フランベルジュをサーチ。
 体勢はこちらを迎撃する構え。胸部よりエネルギー反応。
 おそらく、何らかのバリア系の武器で迎撃しようというのだろう。通常は射程距離が極端に短いため接近戦でしか使われる事のないバリア系の武器だが、こういうカウンターを狙っての状況では実に有効に働く。自らの質量と加速度を乗じた衝撃に見舞われ、耐久度の低い機体はあっさりと大破してしまう。
 しかし、これはマスターのプログラムの予測した展開通りである。
 フランベルジュの装備は正確に把握してはいないが、これまでのデータにあったフランベルジュの戦闘スタイルは、射程の長い武器を使用したアウェイスタイルが基本になっている。戦闘スタイルというものは、初めからその形に特化して設計するため、ボディフレームを総取替えしない限りは簡単に変える事は出来ない。フランベルジュの外観には目立った変更はないことから、データ通りフランベルジュはこの試合もアウェイスタイルで来ると考えて問題はない。
 中距離以上が有効射程範囲の武器は、近接戦に持ち込まれると攻撃が出来ないため完全に封じ込まれてしまう。だからこそフランベルジュには、なんらかの近接戦用の武器が搭載されているとマスターは予測していたのだ。マスターの作戦は、無理に接近してフランベルジュにその武器を使用せねばならない状況を作り出すことにある。だからマスターのプログラムを組み込まれた私には、フランベルジュのその行動はあらかじめ予測していた範疇の事なのである。
 ハードコントロール、コール。
 アンチバリアシステム起動。
 フランベルジュに接触する7フレーム前に私の前面を凸レンズ状の青い粒子の密集体が生成される。これがアンチバリアシステムだ。アンチバリアシステムとは、既存のあらゆるバリアシステムに対して、その境界面を強制反転させながら解除するバリアキラーと呼ばれるものだ。だがアンチバリアシステムは必要とするエネルギーと、境界面を判別する処理の重さ上、それ単体だけで機体には凄まじい負荷を加える事になる。処理能力の低い機体では、起動した瞬間にオーバーフローを起こして機能休止してしまう事も珍しくはない。
 私のアンチバリアとフランベルジュのバリアが接触を開始する。フランベルジュのバリアはエネルギーを収束してビットと呼ばれる小型機を経由する事で生成するタイプのものだった。信頼性は高いものの、ビットを制御するだけのリソースとエネルギーを必要とする、非常にエネルギー効率の悪いシステムだ。おそらくフランベルジュは、このバリアはあくまでカウンター迎撃のために装備していたのだろう。だが、私がマスターの予測でアンチバリアシステムを搭載していた事までは考慮していなかったようだ。
 フランベルジュの緋色のバリアと私の青いアンチバリアが激しく抵抗し、反発しあう。加速する私の前進はフランベルジュのバリアに食い止められて、その場で足が空転し続けている。
 アンチバリアといってもそれは一種のウィルスのようなもので、一瞬にしてバリアを破壊してしまうほど即効性はない。更に、相手のバリアレベルが高ければ幾らアンチバリアでも突破出来ずに逆に返り討ちに遭ってしまう事もある。アンチバリアは必ずしも万能ではないのだ。
『よっしゃあ! 計算通り! 性能も予測範囲内!』
 マスターの嬌声が通信で入る。
 この展開はマスターの狙い通りなのである。そのためアンチバリアシステムはマスターが徹夜でカスタマイズした、全く独自規格でありながら類を見ない高性能さを誇っている。だから私は余計な心配をする必要はない。
『ラムダ! もう一段階加速! 速攻よ、速攻!』
「了解」
 私は足の裏に取り付けられたもう一門のレッグブーストを解放する。
 加速率68%上昇。
 フランベルジュのバリア臨界点を突破します。突破まで残り3秒。
 私の体が、本来ならば絶対不可侵のバリアの中にゆっくりとめり込み始める。もう一歩だ。この力のバランスが崩れてしまえば、後はアンチバリアがフランベルジュのバリアを爆発的に分解していく。バリアは実に多くの種類があるが、そのどれもが原理が全く同じだ。基本的には何らかの媒体を用いて空間の密度を変質、そこに擬似的な壁を生成するのである。アンチバリアはその媒体と波動パターンを解析し、丁度プラスマイナスゼロになる波長で中和を始める。化学をもってたとえるならば、バリアが酸性の物質であればアンチバリアはそれと同程度のアルカリ性物質、酸性とアルカリ性が解け混ざれば中性となる。つまり、両方のバリアの性質の消失だ。
 3、2、1。
 表現し難い、奇妙な柔らかい感覚を押し退けて私の体の一部がフランベルジュのバリア内部へめり込む。
 アンチバリアシステム、フルドライブ。
 私はアンチバリアを最大出力でフル稼働させた。急激に膨大な質量に膨れ上がったアンチバリアはフランベルジュのバリアを覆い、そして見る間に食い荒らしていく。私はすかさずブーストを開き、その隙間だらけになったバリアに突っ込んだ。
『ようし! そのまま行っちゃえ!』
 マスターから強攻の指示が下る。それとほぼ同時に戦闘プログラムは、マスターと同じバリアへの強行突入という選択肢を弾き出す。
 そして、次の瞬間あっという間に私の尖兵となったアンチバリアが、フランベルジュのバリアを突き破る。
 血路は開けた。
 フランベルジュは遠距離主体の機体であるため、バリアを破られた今、この距離では何の戦闘手段も持たない。決着をつけるには今がチャンスであり、最大の好機だ。ここで、近接用ロボットは自らの必殺武器に相当する攻撃に出る。しかし、今の私は一切の武器を搭載していない。脹脛と足の裏の計四門のブースト、そしてマスターがカスタマイズしたアンチバリアシステム。これが今の私の全装備だ。ブーストはフレーム負荷を著しくし、そしてアンチバリアシステムはエネルギーリソースを大幅に要する。私は装備をつけなかったのではなく、これ以上の装備は出力上つける事が出来なかった。
 とは言え、今のこの状況。これは三度繰り返したフランベルジュの仮想データとのシミュレーションと全く同じシチュエーションだ。私の中には一片もの不安要素はない。試合開始と同時にフランベルジュとの間合いを詰め、遠中距離兵器の使用を封ずる。そして最後の門であるバリアを、四門のブーストによる加速とアンチバリアシステムによって突破する。全てマスターの書いたシナリオ通り。だから私は、戦闘プログラムが行動を弾き出す前に次の行動を優先処理していた。
 この試合のフィニッシュは―――。
 バリアという抵抗を失った瞬間、これまでバリアの前で鬱積していた加速が一気に背中を押してくる。私はそのまま減速せず、自分の全質量をも乗じたショルダータックルをフランベルジュに向けて浴びせた。
 とても金属同士の衝突音とは思えない、まるで古い火薬の爆発にも似た鈍い音が、私とフランベルジュの衝突ポイントから発せられる。同時に肩越しからはバリアに激突した時以上の強い衝撃が伝わってくる。
 私は衝撃を合図に、上半身をその場に残そうとやや後ろのめりに、そして体を半身に構えて足を肩幅ほど前後に開き強化コンクリートに体重をかけて減速を始める。だが四門のブーストによる加速はそうは簡単には止まらず、私の体は床を激しく削りながら10メートル以上の距離を滑走してようやく停止した。同時に、私は私のタックルを受けて吹き飛んでいくフランベルジュの体を確認した。フランベルジュは先ほどの接触位置から激しく後方へ吹き飛び、そしてそのままリングの外へ落下した。
 ポイントパネルに、フランベルジュのダメージが大き過ぎて復帰出来ない胸が映し出される。その瞬間、私のデビュー戦とも言える予選第一回戦は自分の勝利が確定した。
『ウィナー、ラムダ!』
 一瞬の静寂の後、また再び爆発的な歓声に周囲が包まれる。
 自己診断モード。
 ボディフレーム……ダメージ許容範囲内。
 エネルギーリソース……低下中。若干休息の必要がアリ。
 装甲……右ショルダー部が小規模破損。念のため交換の必要がアリ。
 簡単な自己診断の結果、今の試合で受けた私のダメージは非常に微々たるものだった。この程度ならば、マスターの腕なら軽い整備だけですぐにベストな状態に回復する。もう一つの目標であった、接戦ではなく速攻で、なるべくダメージも軽微な状態で勝利する事も果たせた事になる。
『ようし、よくやった! パーフェクト!』
 マスターの嬉しそうな声が聞こえてくる。
 会場からは私を称える歓声が惜しみなく与えられた。けれど、そんな有象無象よりもマスター一人のたった一言の方が私には遥かに嬉しい。
 私は嬉しくて仕方がなかった。こうしてマスターの期待に応えられた瞬間が、ロボットである私にとって一番幸せなのだ。
 主人に尽くす事がロボットの存在意義。それを実感できた時の嬉しさは、ロボットに与えられた唯一の喜びなのかもしれない。