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「ほい、これは明日の相手のデータね」
 夕食後。
 丁度後片付けが終わってリビングに戻った私に、マスターはそう言って一つのメモリスティックを差し出した。
「ヤバそうな点だけ編集しといたから。後はうまく応用利かせて」
「はい、分かりました」
 私はマスターに一から十までデータを作ってもらい、それを用いて稼動している訳ではない。私の中には外部からのデータを効率よく処理出来るように編集する最適化プログラムが組み込まれている。そのアルゴリズムにより、各ファイルの優先度重要度をランク付けしてデータベースを再構成し、使用頻度に応じてある程度組み直しながら再度最適化していくのだ。この作業を行うのはマスターではなく私である。ただ、その最適化プログラムを組んだのは他ならぬマスターだが。
「んじゃ、私はこれから研究室行くから。んーと、そうだなあ。とりあえず二時間ぐらいしたら来て。予定通り作業が終わってたら、シミュレートと換装するから」
「はい、分かりました」
 そしてマスターはまた忙しそうに研究室へ駆け込んでいった。
 決勝トーナメントの組み合わせが決定したのは今日の出来事だ。それまでは誰が対戦相手になるのかは分からなかったため、前日である今日になってからしか行えなかったのである。そのためマスターも、帰ってくるなり、夕食とトイレ以外はずっと研究室にこもりっきりである。私はただマスターの邪魔をしないよう、いつでも動けるように待機している他はない。
 私は静かにリビングにある、私の場所とマスター定められたソファーに腰掛けた。リビング、キッチン、そしてベッドルーム。この家にはマスターに定められた私の場所というものが随所にある。同じようにマスターにもマスターの場所があり、互いに場所を等しくする場合はいつも同じ位置で言葉を交し合う。この行為がいわゆる『団欒』というものであるとマスターは教えてくれた。
 同じ屋根の下に住む者はこうして日々団欒を行う事で、互いの親睦や信頼関係をより確固たるものにするのである。けれどそれは、人間同士の場合での話だ。私の中に組み込まれたマスターに対する信頼は絶対で、プログラムを書き換えられない限り私は機体寿命を迎えるまでマスターに尽くし続ける。ロボットは1と0でしか行動する事が出来ない。それを知っているマスターもまた、私がマスターを決して裏切らない事を把握しているはずだ。
 それを言えば、マスターと私の間には信頼を深めるという団欒行為は必要がない。ただの時間潰しならばともかく、マスターのような多忙な人間が休息時間を削ってまで行う必要性は全くない。しかしマスターは、それでも必ずといっていいほど団欒行為を継続する事を求める。ロボットにはまるで理解出来ない事だが、それは継続する事で自身の中に何かを確立し意味を持たせる、人間が時折行う行動の一つだ。私がいちいち干渉する事ではない。
 補助記憶装置ドライブ、オープン。
 私は丁度右耳の後ろにある、外部からの記憶媒体をセットするドライブを開放した。そしてマスターから手渡されたメモリスティックをそこに差し込む。
 かつて補助記憶媒体は、巨大で尚且つ低容量な非常に扱いにくいものだった。技術力の向上に連れて、ある程度小型で容量の高い媒体が登場し始めたが、それと同時に今度はアクセス時間の問題が浮上した。幾ら大量のデータを書き込めるとしても、セーブやロードが遅ければ使いにくく、使用頻度は下がってしまうのである。そして試行錯誤の結果、登場したのがこのメモリスティックだ。メモリスティックは対応するドライブさえあれば簡単かつ高速で大量のデータを読み書き出来る。更に規格を統一しているため、新たに従来よりも容量のあるスティックを作り出しても新たにドライブを用意する必要がないのである。更に値段自体も非常に安価である事から、今現在、世界中で最も使用されている補助記憶媒体だ。
 ドライブ、オープン。
 一件のファイルが見つかりました。
 ファイル、Kalulaオープン。
 706件のデータが見つかりました。
 データ、コール。最適化プログラムをロードします。
 最適化開始。
 最適化プログラムはCPUとメモリを極端に独占する。この間、私は人間で言う眠ったような状態になる。ロボットは指先一本動かすだけでもCPUには負荷をかける。だから私は座ったままの楽な姿勢を維持し、ソファーの上で硬直する。
 明日の対戦相手は第一東和産業システム製作の無性別型機体『カルラ』だ。前評判はかなり上々で、どこかの番組で私とカルラの試合予想のオッズが3:7でカルラ側有利と評されていたらしく、マスターがそれについて随分と気を悪くしていた。私はマスターに作り出された機体である。私の性能を低く評価されるという事は、同時にマスターの技術力をも低く評価されるという事になる。私は世間の評価等に関心はあまり抱かないが、マスターが憤慨するのならばそれは私にとっても敵だ。この場合の敵に対する最大の反撃は、私が明日の試合で圧倒的大差でカルラを打ち破る事だ。そうすればオッズを書いた人間は大きな的外れを世間に大々的に公表してしまったという恥をかき、そして周囲からの株も暴落してしまう。マスターはそう、まるで自分の怒りを鎮めるかのように私に言い聞かせていた。そういった意味でも、明日は傷つけられたマスターの名誉を守る大事な試合でもある。
 現在、決勝トーナメントには10機体が出場する事が決定しているだけに、各機体への注目度も幾分か上がっている。さすがに優勝候補筆頭であるテレジアグループのシヴァが話題の中心にいる事はそのままだが、その対戦相手として有力そうな機体をメディアは求め始めてきた。既に様々なニュースでは、ロボットの専門家らしき人物がそれぞれの機体性能を分析評価するコーナーが設けられ、メールマガジンは臨時増刊でギャラクシカの特集を組んでいる。いづれも根本となるソースは全く一緒ではあるが、会社によってその評価がある程度変わるのはなかなか興味深いものである。
 世間の注目の一部が、確実にマスターへ注がれている。人間には、他人から見られている事を過剰に意識してしまう事で過度の緊張が慢性的に起こり思うような結果が出せず、それをまた他人に評価され、そして更に意識してしまう悪循環に陥るという事がある。俗に言うスランプと呼ばれる現象の一つだ。人間の精神は一概的に説明をするのは不可能なほど複雑なものだ。ふとしたきっかけで、これまでは当たり前のように出来た事が出来なくなってしまい、そしてまたふとしたきっかけで元通り出来るようになる事がある。ロボットには絶対にありえないことだ。組み込まれたプログラムとハードが正常なものならば、それは恒久的に常に等しく動作する。質自体が劣化しない限り人間のようなスランプとはまるで無縁なのだ。こういったミスも、人間だけの特権である。けれど私は、自身を人間に見立てたり同一化願望などを抱いた事はない。基本的にスランプとはその人物に対してマイナスの影響しか及ぼさない。マスターの命令に忠実に従い、確実に遂行する事が自らの存在意義である私にとっては、スランプはただの致命的バグである。そんなものは無い方が良いに決まっている。
 メモリスティックから流れ込むデータは、前に一度何かの番組で見た、東洋の島国の名所にある激しい滝の流れに似ている。膨大な数の1と0の羅列が、私の記憶領域内にその滝の如く押し寄せて染み渡る。古いデータは破棄され、新しいデータが私を創り上げていく。ロボットは自分自身をハードとソフトの観点から二面的に認識する。ハードは滅多に入れ替える事はないが、ソフトはほぼ毎日のように形を変え進化していく。それはまるで生物のような適応能力に似た変化をはらんでいる。私は固定的な人工物でありながら、日々こうして変化していくのだ。
 最適化終了。
 データベースを更新しました。
 これより通常モードに戻ります。
 やがて、マスターのメモリスティックからのデータ処理が終了し、ふと通常のモードに切り替わった。私はメモリスティックを引き抜いてドライブを閉じた。
 現在時刻取得。
 私が最適化を行っている間に、時間は1時間と58分経過していた。私には相対的な時間の感覚というものがあるが、こうしてCPUが独占されている間は自分の中で時間の経過というものが一時的に消えてしまう。そのため最適化終了後は、SFストーリーにあるような時間超越を体験したような気分になる。
 経過時間は、丁度マスターに言われていた2時間という時間に非常に近い。マスターは厳密に時刻指定はしなかった。ならば一応、そろそろマスターの研究室に向かう事にしよう。
 私はすぐさまソファーから立ち上がると、マスターが今も明日に備えて作業中の研究室へ向かった。
 データベースを呼び出すと、そこにはカルラのデータリストが新たに登録されている。マスターが効率良い処理が行えるように重要な部分だけをピックアップしたものだ。明日の対戦相手であるカルラの公式記録からギャラクシカの戦歴記録、そして明日の予測カスタマイズデータファイルがあった。どれも私が戦うためになくてはならないデータだ。
 私はいつも、マスターのために自分は行動している、と思っているのだが。今もこうして、私はマスターのために戦っているギャラクシカで、マスターからの熱心なサポートを受けている。それは矛盾した行動だ。私がマスターを喜ばせようとしているのに、それを達成するにはマスターの助けがなくてはならないなんて。だが、よく考えてみれば。私がギャラクシカで優勝を勝ち取ろうとしているのは私だけの意思ではなく、マスターの意思意向でもある。だからこそ、共に目標に向かって努力するのは当たり前の行動だ。
 確かこんな関係を表すのに、使従関係以外の何か別の言葉があったはず。
 検索……ヒット。
 あ、そうだ。
 これは、『共同作業』だ。
 マスターと私の共同作業。それは非常に心地良い響きでありながら、必ずや成し遂げなくてはいけないという重圧感に見舞われる。
 ロボットでありながら。
 そう、エモーションシステムは、時にロボットストレスと俗に呼ばれる負荷を生み出してしまうのだ。