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 サーチ、エネミー……。
『ラムダ! 上!』
 突如として私の全感覚センサーから消え失せた相手機体、カルラ。私は再びその姿を捕捉しようと再サーチを行っていたその時、通信素子からマスターの激しい声が飛び込んできた。
 サーチ中断。
 オートバランサー、一時カット。
 私は反応の遅いオートバランサーを一時的にカットすると、直接CPUで全身を制御し、無理な体勢のまま背後へ鋭く飛び退いた。
 ドォン!
 直後、つい7フレーム前まで私がいた場所にカルラの青い機体が勢い良く舞い降りてきた。
『さっきよりも反応が四フレームも遅れてるわ! 二百三十四行から二百三十八行の構文をカットして! それから、色識別機能はカットしてよし!』
 マスターの口調は焦りが滲んでいる。それも仕方がない事だ。今、私はカルラの変則的な攻撃の前に苦戦を強いられているのだから。
『来たわよ! 構えて!』
 カルラが背部の垂直制御パネルを展開し、背部、脚部等に取り付けられた計40門のスカイブースターを走らせる。同時にカルラの体が、リングからおよそ17メートル上空に飛翔した。そんなカルラの妙技の前に、会場中が一斉に湧き上がる。同時に私のセンサーからも再補足したばかりのカルラの姿が消えてしまった。
 ギャラクシカ本戦。本日執り行われる試合では、本戦に勝ち残った10機を更に5機に振り分けられる。試合のルールは予選とは違って試合時間は無制限、そしてさまざまな高レベル兵器に指定されている火器等の制限が解除される。本戦まで上ってきた機体は皆必然的に性能が高く、そのため威力の低い武器では観客がだれてしまうほどの長期戦、もしくは互いの思考がループしてしまうチェスで言うところの千日手に陥ってしまう危険性があるからだ。よって本戦は予選よりもレベルは遥かに高く、そして危険性もそれに比例したものになっている。
 ここで勝つ事が出来れば、次はいよいよ準決勝戦にコマを進める事が出来る。その次は決勝、そしてそこで勝てば念願の優勝である。残りたった三試合。三試合勝てばいいのだ。けれどその三試合は予選の三試合とはまるで質は別次元であり、こうして最初の試合、準々決勝ですら今、私はまさに危ない橋を渡っている最中だ。
 カルラの攻撃は、ロボットのセンサーの仕組みの弱点を突いた、非常に効率的かつ強力なものである。通常、ロボットは空間の把握は視覚素子を中心に行う。やたらに感覚素子を無数に取り付けると、平常時でもCPUにはとてつもない負荷がかかるため、基本的に人間と同程度の把握力があれば良しとされている。
 視覚素子は人間の眼球に酷似した形をし、そして顔の正面に二つが並んで取り付けられている。これにより、ロボットの視覚素子は非常に人間の視覚に近い特徴を持っている。焦点に定めた目標物までの正確な距離を測り、そしてどんなに細かく機敏な動作も正確に認識してデータ化し、メインメモリへと送る。しかしその反面、人間と同じ程度の視覚認識が届かない死角が存在する。それを補助する別素子もある事はあるのだが、その有効範囲はかなり限られている。
 先ほどから繰り返されているカルラの攻撃は、センサーの死角に一瞬で移動し、相手が再補足するまでの無防備な所を一気に急降下して仕留めるというものだ。カルラは上空で体位置を制御するために無数のブースターを装備し、その見返りとしてメインフレームや装甲は極力無駄を省いて軽量化している。そのためカルラの重量は極端に軽く、上空からの落下攻撃にはそれほどの衝撃が伴わない。しかし、カルラが急降下して着地した場所は全て無数の鉤痕でえぐられたような痕がある。それはカルラの脚部には、爪先と踵に挟み込むような形の鋭い鉤爪が取り付けられているからだ。丁度鳥類の足のそれに似ている。
 強化コンクリートで作られたこのリングを安々と抉り取る破壊力を持つ、カルラの鉤爪。それが不意にセンサーの死角から襲い掛かってくるのだ。ロボットとしてこれほどの脅威はないだろう。たとえどれだけ機動力に優れたロボットであろうとも、センサーに反応していなければ避けようがないのだ。カルラは上空から頭部を目掛けて急降下してくるため、たとえセンサーで捕らえられなくとも、マスターの合図で暫定的に背後へ回避する事が可能だ。だが、それもいつまで続くとも限らない。運動量は明らかに私の方が上だ。その分、私の方がエネルギーの消耗量もフレームの疲労度も大きい。いづれは回避能力がカルラの急降下攻撃に追いつかなくなり、あの鉤爪でボディフレームに壊滅的なダメージを負わせられる。その時点で私の敗北が決定だ。
 とはいえ。
 これは、事前に入手したカルラの戦闘データから推測される最悪のケースの一つでしかない。無論、マスターはあらかじめカルラがこういった変則的なパターンの攻撃を繰り出してくる事を把握している。そして同時に、私にはシミュレートで最大の勝率結果が得られた整備と戦闘プログラムが組み込まれている。念のためセンサーの有効範囲は事前に広げられてはいたが、カルラの攻撃は更にその上を行っている。それもまた予測していた誤差の範囲内であり、私の勝率には何ら影響を及ぼさない。
 上空に飛び立ったカルラが舞い降りてくる。
 サーチ中断。
 オートバランサー、一時カット。
 後方へ回避。
 カルラが攻撃しては、私はそれを寸前で回避する。その一定作業の繰り返しが延々と続く。それに連れて私の内部温度も上昇し続け、徐々に標準値から注意値へ差しかかろうとしている。各関節も酷使し続けているため、かなりの疲労度が溜まってきている。現時点では、マスターが気を悪くしたあのオッズ通りの展開だ。
 基本的に、カルラの攻撃を防ぐ手段は回避以外に存在しない。センサーの死角に回られるため、射撃系の武器もそれほど有効な武器ではないのだ。カルラとの間合いがあらかじめ広く取られているのならば別だが、開始時、たかだか十数メートルの間合いしか保証されないギャラクシカルールにおいてはカルラ相手に射撃系武器は非有効的な選択だ。射撃を行うにも照準をセットする処理が必要となる。中空を不安定に漂うカルラに必中させる精密性を求めるならば、それに比例した処理時間が必要だ。そしてその僅かな準備時間の間にカルラは余裕で標的を仕留める事が可能だ。ホーミングシステムを用いた武器ならば照準をセットする必要はないが、それらはギャラクシカの規定で使用が禁止されている。
 一見すると、防ぎようのないカルラの攻撃の前に私は逃げる以外手段はないように思える。しかし、マスターはカルラの攻撃の弱点と攻略法を見つけ出している。後は私がそれに従うだけで良いのだ。
 カルラの急降下攻撃。
 サーチ中断。
 オートバランサー、一時カット。
 後方へ回避。
 直後、23フレーム前まで私がいた場所にカルラが勢い良く落下してくる。
『ラムダ、そろそろ行くよ! いい加減、慣れたでしょう?』
「はい、マスター」
 私はカルラに攻撃される状況のサンプリングを重ねる事で、センサーを用いなくとも攻撃への反応速度が倍以上に効率化されていた。これまでの防戦は、いわば反撃のための下準備にしか過ぎない。私は回避しながらサンプリングを行い、カルラの細かい行動パターンを蓄積していたのである。もちろん、完全な準備が出来る前に私がやられる危険性は十分にある。そこはマスターにとって一種の賭けだったのだ。しかし、もはやマスターを案じさせる必要はない。たった今、私の勝率は100%となったのだ。
 そして、またもやカルラが背部の垂直制御パネルを展開し、背部、脚部等に取り付けられた計40門のスカイブースターを走らせ、17メートル上空に飛翔する。
『攻撃ペースがあがってきたわね。向こうも大分焦ってるようだわ。チャンスよ、ラムダ。これで決めてしまいなさい』
「了解」
 この試合、私が装備している武器は右手に搭載した小型のフォトンライフル一丁のみだ。後は機動性を確保するために一切身につけてはいない。しかし、反撃の武器はこれだけで十分だ。カルラの装甲は飛翔するために私以上に薄く整備されている。威力の低いフォトンライフルでも十分に貫ける。
 と、私が反撃態勢に入った事で場内が俄かにざわめき始めた。オッズで言えば、私の勝率は三割以下。観客は皆、私が動けなくなるまで逃げ回り、そして最終的に鉤爪の餌食となる、と予想していたのだろう。だから私がまさか反撃しようとは思ってもいないので、こうも驚いたのだ。
『目標目視確認! 入射角八十九度半! 接触まで残りおよそ三秒!』
 マスターの指示が飛ぶ。直後、私は指示通りに上空を向いた。すると私のすぐ目の前には既にカルラの鋭い鉤爪が迫ってきている。その距離、およそ167.23センチメートル。
 それでも私は慌てず、プログラム通りに89.5度上空にフォトンライフルの銃口を構える。
 敵機捕捉……強制終了。
 標的確認……強制終了。
 照準設定……強制終了。
 だがそれは、文字通りただ構えただけである。銃口の先は89.5度に掲げたものの、私はカルラの位置を全く把握していない。視覚素子からの情報を元にカルラを空間認知するには、あと数十フレームの処理時間が必要だ。通常、銃器を用いる場合、ある程度離れた距離に存在する標的に狙いを定めて発射する、というプログラム処理を行う。しかしマスターは私に、自分が指示した角度に向かってフォトンライフルを構えて撃つ、という非常に曖昧な命中精度のプログラムを最優先設定で組み込んだ。その処理に従った私の行動は、一見すると試合自体を放棄したなげやりなものに観客には見えるだろう。しかし、この考えなしに思える行動が、実はマスターが見つけたカルラの弱点とその攻略法なのだ。
 カルラは一度急降下を始めると、着地するまで止まる事も軌道を修正する事も出来ない。落下を始めた時点でカルラの空間位置は極端に限定される。それはもはや固定と呼んでも差し支えはない。加えて、両者の間合いが極端に狭まっているこの状況。フォトンライフルは中距離以上の射程を持つ武器ではあるが、それは接近戦で用いる事が出来ないという意味ではない。本当に目と鼻の距離ほどに私とカルラは接近しているのだ。この距離ならば入射角に銃口を向けるだけで勝手に照準がカルラに定められる。間近で撃たれてしまえば、カルラに回避手段はない。フォトンライフルは実弾兵器とは違い、距離と共にエネルギーが劣化して極端に威力が落ちる。しかしこの距離ならば、カルラは最大威力のフォトンライフルを食らう事になる。
 フォトンライフル、エネルギーフルチャージ。
 発射。
 カルラの鉤爪がまさに襲い掛かろうとした一瞬前、私の処理時間にして3フレーム直前だ。カルラの鉤爪が私の頭部をえぐり落とすよりも早く、フォトンライフルから高密度の光子の束が一斉に放たれた。その中心地にいたカルラは凄まじい光子の奔流に飲み込まれ、急降下した時と同じぐらいの勢いで上空へ吹き飛ばされていく。
 数秒後。ゆっくりと通常の体勢に入った私のおよそ15メートル前方に、高密度の光子によって装甲を劣化させられスカイブースターを維持する出力すらも失ったカルラが、ぐしゃっと金属の軋む女性の悲鳴のような音を立てて着地―――墜落した。フォトンライフルのほぼ全エネルギーの直撃を間近で受けため、カルラの外殻のほとんどが失われ、あちこちからフレームがあらわになっている。私達ヒューマノイドタイプのロボットは非常に精密で、外見だけならば人間とほとんど見分けのつかないタイプも存在するのだが。今のカルラはすっかり変わり果て、人間で言う所の白骨化したような無残な状態だ。
『ウィナー、ラムダ!』
 場内アナウンスが入り、私の勝利を高らかに宣言する。しかし観客達はあまりに一瞬の展開だったため一体何が起こったのか把握できず、ぽかんと口を開けながらモニターのリプレイを待っている。
 当然の事ながら、カルラには立ち上がる様子はない。既に機能は完全に停止し、メインメモリやCPUもデータ保全のための冬眠モードにはいっているはずだ。一方私は、多少あちこちに細かい疲労があるものの、全て分解し交換するだけで片付く軽微な損傷だ。今回もまた、私は圧勝したと胸を張って言える結果だ。
『よっしゃあ! よくやったわ、ラムダ!』
 通信素子からマスターの割れんばかりの嬉しげな悲鳴が飛び込んでくる。
 私もまた、マスター同様に自分の勝利に大きな喜びを感じていた。正直に言えば、今すぐにでもリングを降りてマスターの元に駆けつけたいほどなのだ。
「いえ、これもマスターのサポートのおかげです」
『ほう? なかなか立ててくれるじゃない』
 私の刹那の反撃は人間の目には把握しきれるものではなかった。だが唯一、このシナリオを書いたマスターだけが、今なにが起こったのかを知り、そして私を労ってくれる。それだけに私は、よりマスターを自分の主人以上の特別でユニークな存在であると感じた。マスターは私の半身、いや私がマスターの体の一部であるような錯覚だ。それはロボットである私にとっては、人間との社会的距離を縮めた事に他ならず、これほど嬉しくも幸せな出来事は他にはない。
 やがて大型四面モニターに、先ほどの一瞬がスロー再生で流れる。そして一瞬遅れ、場内には再び凄まじい歓声が渦を巻いた。同時に私に対する賛美や罵倒、実に様々な言葉が浴びせられる。けれど、そのほとんどに私の感覚素子は反応を示さなかった。私にとって、こういったくだらない歓声はまるで意味を持たない。いちいちデータとして認識するのは完全なリソースの無駄だ。極論を言えば、私はマスターの言葉だけを聞き理解出来ればそれで構わないのだ。
 そんな、まるで観客への敵意や叛意に似た気持ちを抱きながら、私はゆっくりとリングを降りた。
 目指すはマスターの待つセコンドスペース―――。