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「よし、終了!」
 スキャンシステム開始……終了。
 ハードウェアのチェック完了。
 ドライバのバージョンチェック完了。
 システムオールグリーン。
 これより通常モードにシフトします。
「起きていいよ、ラムダ」
 換装とメンテナンスのため、一時退避していた私の意識がメモリ内に開放される。同時に五つの感覚素子から外部刺激が情報として流れ込み、自らの体の感触が蘇ってくる。
「はい、マスター」
 固定具が外され、支えを失った私はオートバランサーを使いながら自分の足で体重を支える。私のボディは先ほどとは違って胸部や各関節を保護する目的で取り付けられた装甲が外され、普段の身軽な姿になっている。ボディ制御プログラムは換装のたびに調整されるのだが、この動き慣れた姿が一番落ち着くような気がする。
「ま、今日も割と早く終わったわ。物理的なダメージはほとんどなかったしね」
「マスターのプログラムとサポートのおかげです」
「またまた。アンタ、そういうお世辞はどこで覚えて来るワケ? 誉めたって何も出やしないわよ」
 私は素直な自分の意見を述べただけなのだが。マスターはまともに取らず、そう微苦笑を浮かべて肩をすくめる。
 現在時刻取得。
 PM1:47
 私の試合が終了してから、およそ一時間のタイムラグがある。私は換装のためにデータを一時的に退避していたため、その間起こった出来事についてのログがないのである。
「マスター、私以外の試合結果はどのようになったでしょうか?」
「ん? ああ、大方の予想通りよ。ミレンダのヤツのシヴァは安定だし、他のも全てオッズ通り。大番狂わせなのは私らのだけよ。ザマアミロってんだ」
 マスターは前日、先ほどの私とカルラの試合のオッズが3対7でカルラ側が圧倒的有利と報じられていたことに酷く機嫌を悪くしていた。私の性能はマスターの技術力とほぼ同義、それを試合を行う前から専門家を自称する人々に悪意があるとしか思えないほどの低評価を受けてしまったのだ。マスメディア側は購買意欲を刺激するため、そういった無責任な報道をする事もやむなしとする。彼らにも彼らの事情があるため仕方がないのかもしれないが、いわば食い物にされてしまったマスターにしてみれば、やむなしでは済まされない事だ。結果的には私の圧勝で済んだけれど、もしもオッズ通りになっていたとしたら、マスターはどれほど傷つくだろうか。
「ま、私に言わせれば、相手は誰だろうと勝ってたけどね。っとそうだ。シヴァの試合、記録撮っといたんだけど見といて。ちょっちヤバイから」
 そう言ってマスターが映像記録用の黒いメモリスティックを取り出す。
 マスターはテレジア女史とは犬猿の仲ではあるが、実力を認めていない訳ではない。シヴァの性能は、幾らマスターでも決して侮る事の出来ない確かなものだ。それはメタルオリンピアのこれまで四競技を全て圧倒的な強さで優勝するという実績によって証明されている。私はマスターとテレジア女史の実力はほぼ同格と考えている。にも関わらず、私とシヴァではこれほど明確な実績の差があるのは、私が毎回非効率的な処理を行ってしまっているためだ。マスターの組んだプログラムを予定通りにきちんと処理していけば、私がシヴァに遅れを取る事などあり得ないはず。私が優勝出来ない原因はマスターにあるのではなく、私自身にあるのだ。
 その時、この控え室に来訪者が現れた事を知らせる柔らかなブザー音が鳴り響いた。すぐに私は何者かを確かめようとドアに向かいかけたが、それよりも早くマスターがづかづかと私を押し退けてドアを開けた。
「あのー、すいません。メディア・ジパングですけど、少しお話を―――」
「うっさい、帰れ! アンタんとこのニュースは最悪だ! 今世紀最大のスカだ!」
 ドアの向こう側から僅かに人影が覗く。しかしマスターは最後までその話を聞かず、一方的に激しい口調で捲くし立てると乱暴に追い返してしまった。更にはドアまでも足で蹴って閉めてしまう始末だ。よほど機嫌が悪いらしい。
「今のはどなたでしょうか?」
「ん? ラムダはカルラに速攻負けますよ〜、って報道したバカニュースグループの末端。ったく、始まった時は見向きもしなかったクセに、いざ順調に勝ち進むとすぐに手のひら返すんだから」
 ふん、と鼻を鳴らし、パンパンと手を叩く。まるで汚いゴミを掃除して捨て去ったかのようである。
「さて、とんだ水差されちゃったけど、改めて」
 マスターは部屋の中央に備えられている普及用のプラズマディスプレイの電源を入れると、逆に部屋の証明を落とした。ディスプレイの映像を見やすくするためである。
「マスター、映像データでしたら直接ドライブから読み取った方が早いのでは?」
 私はディスプレイにメモリスティックをセットしているマスターへそう進言した。私には外部記憶装置からのデータをやり取りするドライブが搭載されている。人間は映像データをリアルタイムでしか確認する事が出来ないが、ロボットである私は映像データも一瞬で記録し解析する事が可能だ。映像も突き詰めれば0と1の羅列にしか過ぎない。私には映像データもプログラムと同様のやりとりが可能なのである。
「まあ、そうなんだけどさ。ちょっと難しくて。念のため、私が解説を入れておきたいのよ」
 マスターが直接解説しなくてはいけないという事は、それだけ難解な事項が記録されているというのだろうか。ロボットと人間は、映像データをまるで異なった観点で記録する。人間は記憶容量が限られているため、映像はある程度の事象に凝縮する。たとえば、リンゴをナイフで剥く際、大事なのはリンゴをナイフで剥いたという事実だけであり、わざわざリンゴの色素や明度、ナイフのメーカーやデザインまで憶える必要はない。しかし、ロボットは要点を絞って事象化する事が出来ない。そのため映像データはデータそのままを記録し、必要に応じてアクセスし読み出すのである。非効率的ではあるが、逆にロボットはその分人間と違い記憶容量が豊富に備えられている。
 そして、もう一つ。人間は僅かなデータから全貌を推測するという能力がある。ロボットにも修復機能として似たような事は出来るのだが、それには第一にサンプルがなければ正常な作業は行えない。しかし人間は、過去に前例のない事すらも推測し具体化する事が可能だ。おそらくマスターが私に伝えたい事は、そのロボットには推測つかない事柄なのだろう。
「再生、っと」
 マスターが再生ボタンを力強く押す。程なくしてディスプレイには赤いカラーリングのリングが映し出された。ギャラクシカを執り行うためこの会場に設置した五つのリングの内の一つだ。
「前フリはいいや。飛ばすよ」
 そう言ってマスターは早送りを始める。どうやらセクションごとに再生出来るよう編集はされていないようだ。
「っと、ここだここ」
 そして再び映し出されたのは、シヴァと相手機体が互いに激しく一撃離脱を繰り返しているシーンだった。シヴァの黒い胸部装甲に対し、相手はシヴァと対照的に真っ白な胸部装甲を持っていた。型式は私と同じ無性別がただが、フォルムは比較的女性よりだ。
「で、こいつがなんたらグループのヴァルキュリア。中距離での戦いが得意なタイプよ」
 マスターに説明されたヴァルキュリアという名の機体は、映像からはシヴァとはほぼ同等のパワーに機動力を備えているように見えた。シヴァとの一撃離脱合戦は力関係が拮抗している。非常にアグレッシブな形での千日手の構図だ。このまま同じ出力でぶつかり合っている以上、勝負に決着はつかない。どちらかが単純な出力差で押し切られるか、もしくは攻撃の反動にボディフレームが耐えられなくなるか。考えられる結末はその二つぐらいではあるが、そのどちらに転んだとしても長期戦は避けられない。
「いい勝負をしていますね」
 思わず私は、まるで人間ならば溜息をもらすような口調で感嘆した。
 シヴァはソフトとハード、両面において優れた性能を誇っている機体だ。そのシヴァと互角の戦いを繰り広げられる機体は、世界に何機とはいない。優れた機体の中の、更にほんの一握りがどうにか対等に立ち会えるぐらいだ。
 しかし、
「そう思う?」
 マスターは、まるで今の私の言葉を否定するかのように問うてきた。
「シヴァは相手に合わせているだけなのよ」
「合わせる?」
「そう」
 この動きだけでもかなりのハイレベルな出力とアルゴリズムがぶつかりあっている戦いに思えるのだが、シヴァはこれでもまだ本気ではないというのだろうか?
「出力は両者ともマジよ。ただ、気づかない? シヴァはもう、既に五回ぐらいチャンスを放棄しているわ」
「やろうと思えば相手を押し切る事が出来るにも関わらずですか?」
「半分正解。確かにそのタイミングで必殺武器を使えば、勝てるかもしれない」
 かも。
 それは可能性がゼロでも百でもないという意味だ。ロボットにとってはこういった不確定要素は処理を複雑化する厄介なものだ。
「出したくても出せないのよ。カウンターが怖くてね。これだけ出力差が拮抗してるとさ、必殺武器出した時点でどっちかが戦闘不能になるでしょう? それが相手だけならいいけどさ、自分にも少なからず確率がある訳だから、そんな危ない賭けには出られないってこと」
 高出力の武器は、一撃で相手を戦闘不能に陥らせる破壊力がある。しかし、それだけに使用の際には膨大な負荷がCPUとボディフレームにかかる。もし、相手にそれを見切られてしまったら。攻撃が当たらないばかりか逆に無謀な状態を長時間相手に晒す事になってしまう。これはあまりに致命的だ。
 打破が非常に難しい状況だ。試合を決めたくても決める事が出来ないのだから。しかし、シヴァは既にこの試合を、しかも安定して終えている。それは一体如何なる方法を用いたのだろうか? それが今、この再生されているデータの中に収められているのだ。
「一昨年にさ、カウンターシステム、ってのが開発されたんだけど、データにある?」
「はい」
 カウンターシステム。それは前もって相手のデータを登録しておくことで、自動的に相手の特定の動作に反応するシステムの事だ。しかし、試合前に対戦相手にデータを漏らす事は滅多になかったため、結局は使い道のないシステムとして凍結されてしまっている。
「ミレンダのヤツ、それをシヴァにつけやがったわ」
「え? しかし、カウンターシステムは……」
 使用価値のないシステムのはず。それをテレジア女史ほどの技術者がわざわざ搭載するとは考えにくい。
 だがディスプレイを見つめるマスターの視線は非常に重く、私は思わずそこで言葉を中断した。
「ここよ」
 マスターはそう言って再生モードをスロー再生にした。
 突然、画面上のシヴァが僅かにバランスを崩した。私の処理フレームに換算すると、おそらく10フレーム程度の無防備時間が発生している。その原因は不明だが、これはかなり致命的だ。
 ヴァルキュリアはそれを確認するや否や、シヴァに颯爽と突進していきながら右腕を真横にスッと伸ばした。すると右腕には無数の排熱パネルが取り付けられており、そのパネルが一斉に開いた。そして次の瞬間、ヴァルキュリアの肘から先が真っ白な光に包まれる。
「特殊電荷粒子を放出し腕の周りに留めた武器、フラッシュリッパー。プラズマカッターの発展型ね。一応、破壊力はかなりのモンよ」
 ヴァルキュリアは対応の出来ない姿勢のシヴァに向かい、全く躊躇うことなくフラッシュリッパーを繰り出した。そこには一片の迷いもなく、ただ純粋に相手を倒すための過程の一部のような機械的動作だ。この動きもまた、ifの制御による構文の一つにしか過ぎない。だからこそ相手が無防備な姿を見せれば、命令通りに容赦なく攻撃を仕掛けるのである。
 しかし、
「残念。フェイクでした」
 マスターは、口調こそおどけてはいるものの、その表情は相変わらず真剣なままじっとディスプレイに注がれている。真剣な表情で崩れた言葉を使う。ロボットの私には難しい。人間独特の仕草だ。
 ディスプレイでは、ヴァルキュリアのフラッシュリッパーが一直線にシヴァに向かって繰り出されていた。本来ならば人間の目には決して留まらぬほどの超高速で行われていた動作なのだろうが、これはデータとしてメモリスティクに記録されたものであり、今はそれを人間の目にも分かりやすくスローで再生されている。ディスプレイ上の二機の動作は非常に現実離れした緩慢さだ。
 不意にシヴァの周囲に、薄いエネルギー膜が出現した。それは間違いバリアシステムだった。主にロングレンジでの戦いを得意とするロボットが間合いを詰められてしまった時に攻防一体型の武器として用いるものである。
 ヴァルキュリアのフラッシュリッパーはあっさりとバリアに弾かれ、同時にヴァルキュリアは相手の反撃に備えて後方に飛び退き間合いを取る。
 あまりに見事なタイミングだ。今のタイミングでは、普通CPUはバランス制御の方に処理の重点が置かれるはず。やはりこれは、あらかじめバリアを張る準備をしていたとしか考えられない。しかし、わざとバランスを崩して相手に攻撃させ、それを防ぐ事に何の意味があるのだろう? バリアとて無限にリスクなく使えるものではない。バリアで防ぐよりも、あらかじめバリアを使用せざるを得ない状況を避ける方が遥かに効率的と思えるのだが。
「見事やられたわ。これがヴァルキュリアの敗北原因」
 そして、この一連のやり取りに対してマスターはそんな言葉を口にした。
「これがですか? 私には、単に一度の攻撃が失敗しただけのようにしか思えませんが」
「それがね、違うのよ」
 まずは続きを見なさい。
 マスターにそう指示された私は、とにもかくにも試合の続きに注意を注いだ。
 再び、シヴァとヴァルキュリアが千日手のような一撃離脱を繰り返し始める。互いの出力は相も変わらず全くの同等で、先ほどの決着のチャンスを逃したためか、より緩慢とも思える緊張感のなさが感じられた。
 が、しかし。
 突然、両機がまたもや同じ出力でぶつかりあったその時、ヴァルキュリアは後方に離脱するもののシヴァはその後を追って更に加速した。
「ここよ。よく見てて」
 そのマスターの言葉に、私はより強く注意をディスプレイに傾ける。
 シヴァは右肩の排熱パネルを開放した。詳細は分からないものの、何らかの必殺武器的な立場にある兵器を使おうとしている事だけは分かった。俗に必殺武器と呼ばれる兵器の条件は、何よりも命中した相手を必ず仕留められる威力がある事だ。そのため、命中させる事自体が困難な遠距離兵器よりも、より接触命中率の高い接近戦用の武器が好まれる。
 しかし、ヴァルキュリアはシヴァの攻撃を読んでいた。相手の攻撃の軌道を読んで姿勢をずらし、そして更にカウンターを狙おうと右腕にあのフラッシュリッパーを展開する。
 そして次の瞬間。
「……え?」
 私は思わず唖然としてしまった。交錯した次の瞬間、ヴァルキュリアがボディを打ち抜かれてその場に倒れてしまったのである。そしてシヴァはヴァルキュリアの体を持ち上げた。と、そこでマスターが映像を終了させる。
「これは一体……?」
 私には訳が分からなかった。あの瞬間、ヴァルキュリアは確かにシヴァの攻撃を読んでいた。にもかかわらずやられたのはヴァルキュリアの方で、シヴァはいたって無傷だ。普通ではありえない事だ。どうしてヴァルキュリアがあの状況で成す術なくやられてしまったのか。いや、むしろ疑問なのは、直前のシヴァの不可解な動きだ。シヴァは確実に攻撃態勢に入っていた。しかし、ヴァルキュリアが迎撃態勢に入った瞬間、シヴァは更にその迎撃態勢に入ったのだ。つまり、これまで流れていた攻撃プログラムを自らの判断で終了させたのである。命令には抗えないはずのロボットには決してありえない事だ。
「これがミレンダが作り出した、改良型カウンターシステム、通称『トラウマシステム』よ」
「トラウマ……?」
 重苦しい表情で話すマスターに、私はただそう相槌を打つだけで精一杯だった。