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 トラウマシステム。カウンターシステムの改良型とはいえ、そのシステムはこれまでに類を見ない画期的なものだ。このシステムの恩恵により、ただでさえ基本性能の優れていたシヴァはより優勝に前進した事になる。
「一度見たらトラウマになる。いわゆる擬似的な恐怖感情を作り出すってことね。恐怖はあらゆる処理を中断してでもその攻撃を回避しようとするわ。今の場合は、回避するよりも倒してしまった方が有効と判断したようだけど。とにかく、ただのサンプリングじゃあない」
 ロボットは、一度流れたプログラムはあらかじめ例外処理を指定されていない限り最後までやり遂げる。そのため、人間で言うところの考え方や行動に柔軟性がなく、変更されない限り終始それを貫徹する。生真面目、もしくは融通が利かない、とマスターはそれを評した。だがこれは、プログラムで動くロボットの性質上、避けては通れない課題なのである。
 しかし、このトラウマシステムなるものは違う。たとえどんな命令が流されていようとも、一度見た危険が再び目の前で起こればすぐさま全ての処理を強制終了し、専用の臨時プログラムに処理を移すのである。これはかなり驚異的だ。少なくともこちら側は、一度見られた武器等ではシヴァのプログラムの裏を突く事が不可能になったのだから。
 トラウマシステムの機能を理解した上で、もう一度先ほどのヴァルキュリア戦を検証してみる。
 シヴァは終始、無理に押し切る事はせず無難な距離を保ちつつヴァルキュリアと一撃離脱合戦を繰り返していた。それは必殺武器をカウンターで返される可能性を考慮した上での判断だ。そして、そこにはもう一つの意図があった。シヴァはヴァルキュリアに武器を使用させようとしていたのだ。そしてヴァルキュリアはフラッシュリッパーを展開し、それをシヴァに組み込まれたトラウマシステムは恐怖としてシヴァに組み込んだ。やがてシヴァはヴァルキュリアに向かって必殺武器を用い決着をつけに突進した。ヴァルキュリアは接近戦を仕掛けに来たと判断し、カウンターを取ろうと迎撃体勢に入る。本来ならば、その時点でシヴァはプログラムの裏を欠かれたという事で敗北したはずだ。だがその時、シヴァのトラウマシステムが作動した。トラウマシステムからはフラッシュリッパーの恐怖がメインシステムに伝えられる。そして動作中の攻撃プログラムは強制的に終了し、シヴァは回避モードにダブルシフトする。ヴァルキュリアのカウンター狙いの攻撃は見事に回避され、そしてシヴァの攻撃がヴァルキュリアを打ち抜いて決着がついた。
 トラウマシステムは相手の驚異的な攻撃を感覚素子で捉え記録、そして次からは相手がその予備動作に入った瞬間、その時点の処理を全て強制的に終了させる、といった流れで処理を行うものだが、ほとんどロボットには似たようなシステムのサンプリング機能というものがある。それは、相手の動作をデータとして記録し、状況に応じて参考データとして呼び出して処理を効率化するというものである。カルラ戦ではその機能がフルに活用された。しかし、サンプリングとトラウマはまるで性質が違う。サンプリングはあくまでプログラム内容の選択だが、トラウマはリアルタイムで処理の開始と終了を行うという、より人間の思考に近い柔軟な動的システムだ。どちらが優れたものかは一目して瞭然である。
「どうやら他にも何かあるようだけどさ……ったく、面倒なモン作りやがったもんだわ」
 そう舌打ちするものの、マスターのその言葉には少なからずテレジア女史への讃辞が見え隠れしていた。面倒や厄介と言った言葉は、言うなればマスターにとって最大の讃辞である。マスターをこれほど言わしめるトラウマシステム。私はこのシステムに勝つ事が出来なければ優勝は不可能だ。たとえマスターが優勝への姿勢を若干譲歩しかけたとしても、私は最初の命令通り優勝を狙い続けるだけだ。あのシヴァを倒してでも。
 と、その時。再び来訪者の訪れを告げる柔らかいブザー音が鳴り響いた。
「また取材? ったく、今度はドコのバカだ。しつこいわねえ」
 マスターはもう一度舌打ちすると、またずかずかと不機嫌な足取りでドアに向かう。
 先ほども、試合前からマスターを低評価しこきおろしていたメディア関係者の一人が、これまでとは一転した態度で訪問してきた。しかし、すぐさまマスターに有無を言わさず追い返されていた。今更、という感もあるが、媚を売られる事に嫌悪感を抱いているためかもしれない。
「エリカ」
 マスターがドアに辿り着くよりも早く、外側からドアが開けられた。どうやらマスターはまたロックを忘れていたようだ。マスターは一つの事に集中し過ぎる性格であるため、こういった事が度々起こるのは珍しくはない。特に家の戸締りは私の仕事になっている。
「げっ」
 と、ドアの向こう側を覗いたマスターは、そこに居た誰かを目視した瞬間、思わず顔を嫌悪に引きつらせそんな頓狂な声を漏らす。
「まったく、また随分なご挨拶ですこと」
 そんなマスターに、訪問者は呆れた口調で溜息混じりにそう答えた。
「……どこのバカかと思ったら、テレジアのバカね」
 立ち位置を変えて覗いてみると、ドアの外の訪問者は今話題に上っていたテレジア女史とその愛機シヴァだった。
 テレジア女史は相変わらず華美な服装で、対照的に至極シンプルな姿のシヴァを従えている。シヴァは試合も終わった事から普段の軽装に換装している。これは私も含めてヒューマンタイプロボット全機に言える事だが、普段の軽装をしている際は外見だけは非常に人間に近い。表面を覆う人工皮膚組織は人間のそれとほとんど大差はなく、また体格、立ち居振舞い、そして表情までもが人間と変わらぬ水準で表現されている。その差は一般人にはほとんど見分けを付けることが出来ず、専門知識を持った技術者ぐらいにしか不可能だ。しかしその反面、未だ語彙などのコミニュケーションインターフェースを始めとする中枢機能は未だに人間の水準には届かず、たとえ一般人には外見で見分ける事は不可能でも、二、三の質問をするだけであっさりと人間なのかロボットなのかを判断出来る。この事から、少なくともロボットの外見だけは人間レベルに到達していると考えて良いだろう。
「少々よろしいかしら?」
 そうテレジア女史はマスターに向かって問い訊ねたが、既に女史は部屋の中に入り、シヴァが静かにドアを閉めている。
「何? 長いの?」
「あら、冷たいですのね。世話話ぐらい、付き合ってくれてもよろしいでしょうに」
「忙しい、っつってんのよ。明日も試合があるんだからね。ギャラクシカが終わりゃあ幾らでも付き合ってやるわよ」
 今日の試合は準々決勝、そして明日は準決勝だ。準決勝には五機が昇る訳だが、結果的には一機だけ一試合多く戦う事になる。運良くマスターはそれには当たらなかったが、それでも今日以上の激戦はどうしても免れはしない。幾らマスターでも、事前の準備は念入りにしておかなくてはならない。その時間をテレジア女史に裂いていたくはないのだ。
「マスター、あれを」
 と、その時。ふとシヴァは何かを見つけテレジア女史の肩に触れると、静かに優雅な仕草でどこか一点を指差す。そんな何気ないシヴァの仕草にも、一片の処理動作の無駄も見られない。こういった所がまさにシヴァの性能の高さを名実に物語る。
「まあ、ディスプレイの電源が入れっ放しよ。一体、どの機体の研究をなさっていましたの?」
 ディスプレイで先ほどマスターと私は、本日行われたシヴァとヴァルキュリアの試合を見ていた。その試合の中でシヴァは、使うのはおそらく今大会で初めてであろうトラウマシステムを発動させていた。マスターはこのシステムについて、ロボット特有のリード機能では把握しきれないデータの生成を私に促させた。それも、決勝で会うであろうシヴァとの試合に向けてだ。
「アンタには関係ないでしょ? ラムダ」
 そう言ってマスターは私に視線を向け、そしてディスプレイの方へ移す。
「はい、マスター」
 瞬時に私はマスターの要望を理解すると、すぐさまディスプレイに向かって電源を切り、セットされていたメモリスティックを取り出した。そしてそのメモリスティックを持ってマスターの元に向かいそっと手渡す。
「相変わらず、ラムダには驚かされるわ。ねえ、シヴァ?」
「はい、マイ・マスター」
 ふと、今の私の一部始終の動作を見ていたテレジア女史がそう感嘆の言葉を漏らした。シヴァは相変わらずテレジア女史の言葉にただうなづくばかりだったが、女史の言葉は私にとって思わず注意を引く興味深いものだった。
 別に私はこれといって特殊なことはしていない。ただマスターの指示通り、ディスプレイの電源を切ってメモリスティックをマスターに手渡しただけだ。この程度の事、一昔前の家事用ロボットにも出来る。テレジア女史ほどの技術者が驚くようなものではないと思うのだが。
「ラムダ。その様子ですと、あなたは自分では何も分かっていないようね」
 何も分かっていない。
 それは、テレジア女史が私の疑問を見抜いた上で、私に予想出来ないその答えをテレジア女史が言い含めている言葉だ。その言葉に刺激された私は、思わず仕舞いこみ掛けたその疑問の答えを明確にデータ化すべく、テレジア女史に続けて問い訊ねた。
「あの、どういう事でしょうか?」
「今あなたがした事は、このシヴァにも出来ない事なのよ? いえ、むしろ世界で出来るのはあなただけかもしれないわね」
 今のが、私にしか出来ない?
 テレジア女史の言葉に、私はますます困惑した。この程度の作業、大概のロボットには出来るはず。しかし、どうして女史はこんな事を言うのだろうか? 私をからかっている? まさか。人間はロボットをからかって遊ぶような習慣を持ち合わせていない。ジョークというものは、相手がそうと理解する事が前提になければ成り立たない。成り立たないジョークは、ただの理解に苦しい迷言葉としか捉えられず、人間関係においては時に要らぬ軋轢すら生む事がある。そのため、これを知っている人間は相手を選ばず不用意なジョークを放つことは滅多にないのだ。そして、ロボットにはジョークを楽しむという機能を持ち合わせていない。エモーションシステムには確かに喜怒哀楽を表現する機能が組み込まれているが、それはあくまで状況に反応して処理し出力される擬似的なものにしか過ぎない。あくまで人間が好意を抱けるような反応を示すためのインターフェースの一種であり、極論を言えば私自身にそういった感情の動きはないのだ。だからこそロボットはジョークを楽しむ事が出来ないのだ。
 ロボット工学に精通したテレジア女史は、その事を知らないはずがない。戯れに言っているだけ、という可能性も考えたが、話の流れからしてそれはあまり考えにくい。ならば、今のテレジア女史の発言は戯れではない真剣な言葉という事になる。けれど、やはりその意味を私は理解が出来ない。何故、私だけにしか出来ないと言ったのか。一体、私の何を差して言ったのか。考えれば考えるほど深みにはまるように私は思った。
「ふふっ、そうやってすぐに考え込むのもね。本当、いつ見てもオメガを思い出させますわ」
 オメガ。
 その言葉は昨日もテレジア女史が私に向かって放った言葉だ。何かの個体名ではあるが、それに該当しそうな項目は私のデータにはない。
 オメガを思い出させる?
 ならば、そのオメガとはロボットの個体名なのだろうか? そして、私を見てその個体を連想するという事は、オメガは私に酷似した特長を持っているのだろうか? だが私には、オメガという個体名を持ったヒューマノイドロボットのデータは存在しない。
 ―――と。
「ミレンダ!」
 突然、マスターは語彙を荒げてテレジア女史を怒鳴りつけた。
「その話はラムダの前でしないで!」
「あら、どうしてですの?」
「あんたには関係ないでしょう!?」
 マスターは頬を真っ赤に染めながら、険しい目つきでテレジア女史を睨みつけている。滅多に見る事のないマスターの真剣に怒ったその表情に、私はよりオメガという個体名に疑問を深めた。未知のデータは通常、採取する機会があれば積極的に採取するようにマスターは私に言う。けれど、今マスターが取っている行動は、テレジア女史の口を塞いで私が個体名オメガについてのデータ採取の妨害行為だ。マスターが私に下した命令を考えれば明らかに矛盾している。
 どうしてマスターはこれほど怒っているのだろうか? 少なくともテレジア女史は、マスターを愚弄する言葉は用いていなかった。それに普段はもっと露骨な表現を用いていたはず。けれどこれほど本気で怒った事は、私の記録に残っている限りでは一度もない。今のマスターの怒りはその時とは比べ物にならないほどの猛々しいものだ。
「エリカ。あなた、いつまで目を背け続けるつもりかしら? ラムダには思考プロテクトでも施しているのでしょうが、そんな―――」
「うるさい! もう出て行ってよ!」
「エリカ! いいこと。これだけは言っておきますわ。あなたが何を考えているのか。私は少しも興味はありませんし、口出しするつもりもありません。けれど、ラムダにまで隠すのはフェアじゃありませんわ。少なくともラムダにはね」
 私に隠す?
 そのテレジア女史の言葉に、マスターはぎゅっと唇を噛んで押し黙った。
「……アンタに何が分かるのよ」
「何も分かりませんわ。だって、興味がないんですもの」
 そう言ってテレジア女史は踵を返し、ドアの方へ向かう。
「今夜、もう一度自宅の方へ訪ねさせていただきますわ。その様子では、ゆっくり話せそうにもありませんからね。頭は冷やしておいてください」
 そして二人は部屋を後にした。
 途端に鎮まる部屋内。機器の放つ僅かな機動音、そして今もまだ行われているであろう試合の歓声が場内から聞こえてくる。
 しかし私は、今のテレジア女史の訪問で浮かび上がった事項を処理するだけで精一杯だった。
 個体名オメガの詳細。結局、マスターがその詳細の追求する機会を閉ざしてしまったため、テレジア女史がそれを口にする機会は失われてしまった。
 そして、テレジア女史が言っていた、マスターが私に隠しているという事。それは一体なんなのだろうか? 私はマスターについてあれこれ情報の公開を求めることを出来る立場ではない。いや、そもそも知る必要はなく、マスターの下した命令の遂行のために必要なだけの知識さえあればいい。もしも作業を行うためのデータが不足すれば、一般的な事であればネット上から、日常的な事であればマスターから集めればいい。
 厳密に言えばテレジア女史の言った、マスターが私に隠し事をしている、という表現は正しくはない。それは単にマスターが、私には不要なデータを与えないだけの事なのだ。必要なデータを最小限に。それが最も理想的な姿である事を私は理解しているのだが。私はどうしても気にせずにはいられなかった。テレジア女史の言葉が、呼び出していないにも関わらず何度もメモリ内でリフレインする。
「あの、マスター。今の―――」
 理屈よりも先に、私はそうマスターに問い訊ねていた。ロボットには人間で言う無意識領域がなく、精神構造を二面的に表現する事は出来ない。けれど、命令制御サーキットがマスターにそういった内容の質問を求めるよりも問い訊ねた方がおそらく早いはずだ。常識で考えれば、処理のミス、システムエラー、もしくは物理的故障のいずれかが原因に挙げられるだろう。そういった事実が確認されれば、私はすぐにシステムスキャンを始めるようにプログラムされている。けれど、修復プログラムは起動しなかった。つまり私のCPUを始めとする各システムは正常に動いていた事の現われなのだ。
 この気持ちは一体なんなのだろうか?
 けれど、
「ラムダ、あなたは知らなくていいの」
 最後まで言い切る前に帰ってきたマスターの言葉。
 拒絶。
 それは有無を言わさず、沈黙する事を強要する場合に用いる言葉だ。
「……はい」
 マスターのその言葉に対し、私はそう答える事しか出来なかった。ロボットは主人の命令に対しては絶対従順。ロボットはどれだけ人間に似ていようとも、それは所詮模造品。あくまで私はマスターのために働く道具なのだ。私はマスターの手足とならなくてはいけない。それが存在意義なのだ。
 一体、この二つの事項の裏には何があるというのだろう?
 けれど、私のメモリ内からその疑問は消えることはなかった。何度も何度もリフレインし、そしてエラー処理を繰り返す。その答えを探し出すには、あまりに私のデータが不足しているのだ。
 何故、マスターは教えてくれないのだろう?
 普段はどんな疑問にも丁寧にマスターは説明してくれていたのに。今はまるで見る影もない。
 その時私は、生まれて初めてマスターとの距離感を感じずにはいられなかった。