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「気分はどう?」
 換装とメンテナンスを終え、静かに目を覚ました私を迎えたのは、そんなマスターの穏やかな表情と言葉だった。
「はい、システムは……いえ、サイコーにゴキゲンです」
 マスターに現状の具合を問われて答えようとした私は、最初に言いかけた言葉を途中で別な言葉に訂正した。このような質問をされた場合、これといって不具合がなかった時に行う返答の言葉をマスターに指定されているのだ。
「よし。んじゃ、外すから降りて」
 マスターがコントロールパネルを操作すると、私のボディを支えていた拘束具が外れる。私はオートバランサーの示す値に従いながら、ゆっくりと自らの足で床に降り立った。
「それで、障害はなかったのかしら?」
 マスターと二人きりかと思われていた控え室内に、マスターとは別な女性の声が響く。すぐさま声が聞こえてきた方を振り向く。すると控え室奥の応接スペースに、テレジア女史と換装を終えたシヴァの姿があった。
 データリプレイ……。
 先ほど行われた、バトルロイヤルという変則形式の準決勝。その試合で私はシヴァと共同戦線を張る事となった。
 7分34秒、アートウェアグループ製作『サンダルフォン』をジェットカッターにて撃墜。
 13分57秒、桜塚工業技術団製作『NINJYA』をジェットカッターにて撃墜。
 15分12秒、スランバード総合技術社製作『アレス』をシヴァがスタンパニッシャーにて撃墜。
 シヴァは先ほどの試合では全く損傷を負わなかった。私がNINJYAを撃墜した後、アレスを封殺とも言える圧倒的な性能差で撃破してしまったのだ。アレスが接近戦用の兵装を持っていなかった事も要因の一つではあるが、やはりハード、ソフトの両面の性能で圧倒的に上回っているシヴァの勝利は当然の結果ではある。やはりさすが優勝最有力機と言われるだけの事はある。
「一応ね。システムは全部ちゃんと機能してるし。ウィルスも完全に駆除されていたわ」
 マスターは肩をすくめながら、テレジア女史の座るソファーの向かいに腰を降ろした。私もマスターの後を追い、マスターの座るソファーの後ろに立った。向かい側ではシヴァが私と同じようにテレジア女史の背後に立っている。視覚素子は真っ直ぐこちらを見ていたが、私を対象に定めている訳ではないようである。
「試合中のラムダのあの動作、あれは明らかに異常でしたわ」
「でも、エラー、バグ報告はさっきのメンテでも出なかったもん」
「とは言っても、現実には異常動作いたしましたでしょう。まさかあれが仕様とは思えませんわ」
「確かにそうだけどさ……」
 試合中、私はNINJYAに背後を取られ、強制的にウィルスプログラムに感染させられた。私はすぐさまシステム保全と感染拡大防止のためセーフモードに移行し、ボディコントロールを失った。すぐさまマスターは感染したウィルスのコード解析とワクチンプログラムを組み始め、その間、全く動く事の出来ない私をテレジア女史の指揮の元、シヴァが防衛を行った。
 マスターがワクチンプログラムを組み上げて駆除を完了するまで、5分02秒。その後、私のシステムは正常に回復し、再び戦線に復帰した。
 はずだった。
 正常に回復したはずの私のシステムだったが、その直後、突然CPUの使用率が極端に上昇して不安定になるという事が二度も起こったのである。しかも二回目の不具合の際には、マスターの命令を無視してウィルススキャンを何度も連続して行っている。これはマスターとしても放置する事の出来ない重大な障害だろう。しかしマスターの先ほどの話では、私のシステムを調べた結果、エラーやバグは一つも確認されなかったそうだ。つまり私は常に正常な動作をしておきながら、あのような致命的な異常動作をしてしまったのである。
「エリカ、貴女また誤魔化していますわね」
 と、その時。
 テレジア女史は突然マスターに向かってそう切り出した。その眼光は鋭く、他の介在を一切許さぬ凄みを感じさせた。
「何がよ……?」
 マスターはテレジア女史の迫力に押されたのか、言葉ほどの強さを欠いた口調でそう返答する。と、テレジア女史はマスターの返答も待たずにソファーから立ち上がると、そのままコントロールパネル等の機器が並んでいる所へ向かう。女史は極めてバランスの悪いハイヒールを履いているのだが、その足取りはそれを感じさせぬほど速いものだ。
「ちょっ、何する気!?」
 続いてマスターもソファーから飛び上がると、既にコントロールパネルに辿り着き周辺を物色し始めているテレジア女史に噛み付くような口調で叫ぶ。
「ほら、御覧なさい! このログデータ!」
 そして、テレジア女史がプリントアウトされたデータをかざし、逆の手でバンバンと叩く。その途端、マスターは顔に苦々しい色を浮かべたまま立ち尽くした。
「ラムダの、リソースの極端な占有による機能低下。その原因はここ! エモーションシステムによるリクエストコールが、数千回にも及んでいますわ! まさかこれを見落としたなんて事は言わせませんわよ!」
 私はテレジア女史が指摘する部分に焦点を定めた。
 女史の手にするプリントは、私のシステムの処理過程を人間にも分かりやすくするために数値記号化したものを印字したものである。ロボットは全ての情報を電子信号でやり取りできるが、人間にはそれを認識する機関がない。そのため、このように表現形式を変えなければならないのである。
 プリントには無数の記号が何列にも渡って印字されていた。それらは一定の法則を元に印されているのだが、私にはその意味までは理解が出来ない。しかし、そのデータ列はある行を境に同じパターンが延々と続いていた。それが先ほどテレジア女史が口にした、エモーションシステムからの数千回に及ぶリクエストである事が、字句解析の出来ない私にも十分理解出来た。
「だから私は言ったのです。エモーションシステムは危険だと。特にラムダのそれは―――」
「分かった! 分かったから!」
 テレジア女史の言葉に、マスターは自分の言葉をより強い口調で発して打ち消す。そして、
「でもね、それ無しじゃ意味がないのよ……。アンタも分かるでしょう? 私がやろうとしてる事を知ってるんならさ」
 一転して弱々しい口調で、まるで搾り出すようにそう呟く。
「まあ、何にせよ。明日は決勝です。言っておきますが、これまで同様手加減をするつもりは一切ございません。エリカ、あなたの事情も含めてです」
 そんなマスターに、テレジア女史はあくまで普段の気丈な態度と口調を崩さず、まるで打ちのめすかのような気迫で言い捨てる。
「シヴァ」
 テレジア女史がシヴァに向かって手招きする。シヴァは僅かにうなずくと、すぐさま女史の下へ歩み寄る。その一挙一動は非常に洗練された、人間と比べて遜色のない優雅なものだ。シヴァがどれだけ優れたボディ性能と、それと連動しているシステムが優れたものであるかを証明している。
「エリカ、場合によっては廃棄も辞さない覚悟で望みなさい。私もそのつもりです」
 最後にそう言い残し、二人は静かに控え室を後にする。
 そして静まり返る室内。
 最近はよくこんな事がある。ふと何気なく私はそう思った。
「ラムダ、悪いけどあのプリント、全部捨てといてくれる」
「はい、マスター」
 私はすぐさまコントロールパネルの元へ向かうと、そこに無数に散らばっているプリントの束をかき集め始める。
 ソファーの方からマスターの大きな溜息が聞こえてくる。それは疲労感を漂わせるものではなく、今もなおその疲労させるものが継続しているような、そんな印象を与えた。
 やがて膨大なプリントの束を集め終わると、運んでいる途中で崩れないようにバランスを整え、まるで山となったそれを抱えながら立ち上がる。ゴミ箱は部屋の隅の目立たない場所にある。私はそのままそこに向かって崩れないよう注意しながら歩いて行く。
 その途中で、ふと私はマスターを横目に盗み見た。マスターはまるで頭でも痛むかのように、両手を組んでそこへ額を乗せている。
 何か悩み事でもあるのだろうか?
 人間はロボットにはあり得ない要因で頭を悩ませる。いや、ロボットはほとんど頭を悩ませるという事はない。プログラムに不具合がなければ、どれほど複雑な作業でもスムーズに淀みなくこなせるのがロボットだ。行動そのものに意味を見出すという人間のように、自分自身に疑問を抱かないのである。
 マスターの悩みの原因を私に取り除けないだろうか?
 しかしそのためには、私がマスターの悩みを知らなくてはいけない。大半の人間は、自らの悩みの原因を打ち明ける事を苦痛に考えるそうだ。だからこそ、私がマスターにそれを問う事は非常に失礼な事になる。それでも原因を突き止めたいのであれば、私がマスターに知られないよう密かに詮索する以外他ない。けれど、元々洞察力というもの自体が存在しないロボットにとってそれは不可能だ。
「あっ」
 と。私の注意がマスターに向いていたその時、抱えていたプリントの束がバラバラと床へ崩れ落ちていった。それに慌てた私は、うっかり手の中に残っていた分までをも取り落としてしまう。
「ラムダ?」
 その私にマスターがふとこちらを見て問い掛けてくる。
「す、すみません。何でもありませんから」
 すぐさま私は慌てながら床に散らばったプリントを拾い集め始める。マスターは、そう、と短く返答して再び元の体勢に戻った。
 私は一体、何をやっているのだろうか? 今日の試合も、また私の処理ミスでマスターに余計な負担をかけてしまった。私はマスターの負担を軽減するために存在しているのに。逆にマスターの負担を増やしてどうするのだろうか。
 ようやく集め直したプリントを、今度こそ崩さずにまとめてゴミ箱の中へ捨てる。かなりの量があるため入りきれるか不安だったが、ゴミ箱は見た目よりも容積が豊富だったため何も問題なく膨大なプリントの束を中へ収める事が出来た。
 仕事を終え、私は再びマスターの元へと戻る。
 今日の試合の失敗を埋め直したい。そのために、もっとマスターのために働きたい。気持ちがどこかそう急いていた。早く次の仕事を。ただそれだけがメモリの中にあった。
「ん。お疲れ様」
 しかしマスターは私に次の仕事を与えはせず、ここに座るようにと自分の隣を軽く叩いた。
 仕事が与えられなかった事にいささか落胆を覚えはしたが、私はすぐさまマスターの指示に従ってそこに座る。
「疲れた?」
 そうマスターが、隣に座った私に問い掛ける。
「いえ、私には疲れるというものはありませんから。よく分かりません」
 ロボットは、稼動年数に応じてボディフレーム等の構成パーツが疲労を起こす事はあるが、人間の言うそれのような疲労感を感じる事はない。ロボットは故障しない限りは半永久的に稼動し続ける。それがロボットの最大の利便性だ。
 マスターはどうしてそんな問いをするのだろうか? ロボット技術者であるマスターはそんなロボットの特徴など分かりきっているはずなのに。
「そっか。まあ、そうだよね」
 そして今の質問を濁すかのように、バツの悪そうな笑みを浮かべる。
 疲れているのはマスターの方ではありませんか?
 つい、私はそう口にしそうになった。それほどマスターの表情には疲れの色が浮かんでいたのだ。疲れを知らぬ私の目にも、マスターには休息が必要な事が痛いほど見て取れた。このメタルオリンピアの全種目に私は出場しているが、その整備や手続きを行っているのはマスター一人だ。テレジア女史も同じく全種目に参加してはいるものの、シヴァの整備にはテレジアグループのスタッフのサポートがついている。負担はマスターのそれよりも遥かに軽い。
 けど、マスターは幾ら疲労していようとも目的を果たすまでは決して休む事を良しとはしない。だから私がすべき事はマスターを休ませる事ではなく、マスターがより快い気持ちで休めるように命令を果たす事だ。
「マスター、そろそろ帰りましょう。明日の整備もありますから」
「そうだね。でもさ……」
 マスターの上着を取ってこようと立ち上がりかけた私の手をマスターが引き止めた。
 あれ、と振り返った先でマスターは、私を静かな表情で見上げていた。
「ちょっと話があるから。もうちょい待って」
 じっと見つめるマスターの目はこれまでになく真剣なものだった。
 何か重大な話がある。
 咄嗟に私はそう感じた。マスターは普段、あまり気を張る事はない。自然体でいる事が既存の価値観にとらわれない自由な発想を生み出し、より脳をリラックスした集中しやすい状態を作り出す。マスターはそう以前、テレジア女史との会話で話していた事がある。けれど、今のマスターにはそんな様子は微塵も感じられなかった。いや、むしろこれから話そうとするそれに集中しているかのような感すらある。
 尋常ならぬマスターの様子に、私はただうなづいて上げかけた腰を再び降ろした。
 マスターは一度視線を私から離しかけ……そしてすぐに戻す。そんな不思議な仕草を、私は何も言わずに見ていた。私はどうすればいいかよく分からなかったのだ。だからこうして黙ってマスターを待つ以外他ない。
 そして。
 たっぷりと逡巡した後、ようやくマスターは重く閉ざした口をゆっくりと開けた。
「オメガの話、まだしてなかったよね?」