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 個体名オメガ。
 それは私のデータベースにはなく、そしてテレジア女史の口から聞かされるまではその存在すら知しらなかった、私にとって全く未知の何か。
 私はオメガというものがマスターとテレジア女史にとってどのような存在だったばかりか、オメガそのものが一体何に分類されるものなのかも知らない。それは人間の名前なのか、それとも車の名前なのか、それとも食料の名前なのか。ただ、前にテレジア女史が私に向かって『オメガを思い出す』と懐郷的な言葉を口にした記録がある。それは、個体名オメガはその容姿と性能が私に非常に酷似した人間型ロボットという事なのだろうか? 私の現時点での個体名オメガの認識はここまでである。
「えーっと、んじゃ、どこから話そうかな」
 マスターはソファーの背もたれに深くよりかかり両手を乗せ、そのまま大きく天井を見上げる。私はただそんな仕草をじっと見つめている。
「よし、じゃあ私のオヤジの事から話そう。その方が分かりやすいはずだし」
 マスターはその体勢のまま、器用に二度咳払いをする。と思ったら、やはり無理な体勢だったため一度むせる。
 やがて落ち着きを取り戻してからたっぷりと間を置くと、ゆっくりと静かに口を開いて話し始める。視線は変わらず天井を見つめたままだ。
「私のオヤジってさ、実の所、結構な有名人なのよ。エモーションシステム、これを世界で初めて開発し普及させた人なんだ。知らなかったでしょ? って、私があんまりそういう事を教えなかっただけか。でも正確には私のオヤジだけじゃなくて、ミレンダの伯父との共同開発だったの。でも途中でミレンダの伯父は病気で死んじゃってさ。それで表に名前が出なかったんだ」
 マスターの父親について、私も幾つかデータがある。私の本当の開発者はマスターだが、メインフレームを開発し企画設計を行ったのはマスターの父親なのである。マスターが行ったのはその後の仕上げだ。しかし、ロボットの場合はその仕上げが難しいとされている。それはハードとソフトのバランス調整という最も難解な作業が含まれているからだ。ロボットが正常に稼動するには、そのバランスがうまくとれていなければならないのである。
「ミレンダのヤツの事は知ってたんだけどさ、実際に顔を合わせたのはハイスクールに入ってから。しかも最初はそうとは知らなくてさ。ミレンダのオヤジも伯父も小さい時にちょっとだけ見ただけしか憶えがないんだけど、二人ともすっごい寡黙で怖そうな人だったんだ。だからミレンダと結びつかなかったのよね。そんな人の娘だから、きっと物凄いオクユカシイ人だって勝手に想像してたし。っと、それはいいか」
 そして苦笑。
 私もまたそれに応えるかのように笑顔をマスターへと向ける。
「オメガってのはね、オヤジが作ったロボットなんだ。それも、世界で初めてエモーションシステムを組み込んだロボット。エモーションシステムが完成した時点でロボットに感情が生まれる。するとロボットは、その最終形態である”人間とそっくりなロボット”に辿り付く訳でしょ? そんな訳でオヤジは、もうこれ以上のロボットの進化はないって意味で『オメガ』って名づけたんだ」
 オメガとはギリシャ語の最終字母。転じて、物事の終わりや最後といった意味を表すのに用いられる。つまりマスターの父親は、オメガがロボット史で右に名を並べるロボットはいない、最後のロボットであると自信を持っていたのだろう。長い間、人間はロボットに感情を持たせる技術について試行錯誤を繰り返していたがその実現はあまりに困難で、時には人間と全く同じ感情を作り出すなんて不可能だとさえ言われていた。しかし、それほど困難な事をマスターの父親は成し遂げたのである。それだけ高度な技術を持ったロボット技術者が製作したロボットだ。オメガとはよほど高性能なロボットだったに違いない。
「私のお母さんは私を産んですぐ死んじゃったからさ。この家の家事全般はみんなオメガがやってくれたんだ。私にしてみれば、お母さんの代わりかな? ゴハンを作るのは私よりも上手だし、お弁当だって冷めてるのにどうしてこんなにおいしいのか不思議なくらいだった。洗濯もやってもらってたし、雨が降ればあらかじめレインコートと傘とブーツを用意してくれるし、試験前日はちゃんと夜食を作ってくれるしさ。びっくりするほど色んな事によく気がついてくれて。私がやりたい事を全部全部先取り先取りして用意してくれるの」
 マスターはどこか懐かしみの中に嬉しさを交えたような、そんなほころんだ表情を浮かべていた。
 ふと、私はオメガを思うマスターの中に妙な感情を抱いてしまった。それは、オメガに対する敵意のようなものだ。マスターが話の中のオメガに対してそんな表情を浮かべるのが、どこか許せなかったのだ。
 どうしてだろう? 私はオメガを知らないはずなのに。
 思考クローズ。
 今はどうでもいい事だ。私は思考を止め、マスターの話に再び集中する。
「で、そのエモーションシステムなんだけど。当然の事ながら色んな企業が飛びついてきたわ。なんせ、これまで決められた事しか答えられなかったロボットが、自分の意志で思った通りの事を話すようになるんですもんね。そしてオヤジもさ、ミレンダの伯父との約束を律儀に守って、エモーションシステムの技術を無償で世界中に公開したの。上手くやれば億万長者も夢じゃなかったのにね。でも、オヤジもミレンダの伯父も、金儲けがしたくてエモーションシステムを開発したんじゃないんだ。あくまで、ロボット工学の発展のため。私は二人のそんな所が好きだったわ」
 もしも仮にエモーションシステムの技術で特許を取ったとしたら、製作者である二人には莫大な特許使用料が入った事だろう。だが、マスターの父親はあえてそれを放棄したのだ。特許権を取らなければ、長年苦労して開発したエモーションシステムの技術は事実上誰でも無償で利用する事が可能である。開発者には何のメリットもないかもしれないが、この情報公開はロボット工学界には革新的な進歩をもたらしただろう。
「エモーションシステムは爆発的に普及していったわ。そして今では当たり前だけど、人間と接する機会の多い雑務用ロボットは次々とエモーションシステムが組み込まれて。オヤジも開発者として有名になっちゃった。でも、滅多にマスコミには顔を出さなかったわ。エモーションシステムを開発したのは、自分一人の力じゃないからってね。それでそんな時だったの。オヤジがメタルオリンピアの人気を知ったのは」
 発足当初、メタルオリンピアの認知度は一般的なロボットショーとさして変わらなかった。だが、エモーションシステムを組み込んだロボットが頻繁に出場するようになり、その人気と共に少しずつではあるが高まっていき、そしてようやく現在のような世界的人気を誇る一大ロボットショーに発展したのである。
「メタルオリンピアの人気は異常だったわ。どういう異常かってのは、決して万人ウケしてた訳じゃないけどさ、好きな人達はチケットがダフ屋で何万と吹っ掛けられても買うし、挙句の果てにはチケット代欲しさに強盗までやっちゃうくらい。その理由はさ、今までのショーではロボットがただ壊されるだけだったんだけど、エモーションシステムを組み込んだロボットは違う。みんな今際の際に、何かしらのリアクションを起こしながら壊されていくの。いえ、それはもう”殺される”って言ってもおかしくはないわね。リアクションはそれぞれだったけど、共通して言えるのが、みんな自らが壊される事に恐怖ないし何らかの抵抗を見せていたから。オヤジはこの事に随分と腹を立てたわ。自分はそんな事に使うために技術を公開したんじゃないって」
 悪用。
 確かにマスターの父親はロボット工学の発展のためにエモーションシステムの技術を広く公開はした。だがそれが必ずしも自らの願う形に利用される訳ではない。人間にはロボットと違い、知識や技術を応用する能力がある。その能力があるからこそ人間はよりよい技術を生み出すが、時には負の遺産をもたらすような恐ろしいものを生み出す事もある。
「オヤジはオメガを出場させたわ。それも一番人気のギャラクシカに。でもそれは、本当はオメガの意思だったの。オメガも興じに壊されていくロボットを悲しんでいたから。オメガはそんなロボットの気持ちをね、優勝台の上で代弁しようとしたの。そんな事でメタルオリンピアが消える事はないけどさ、きっと誰かが変えてくれるんじゃないかって」
 と、そこで話が急に途切れた。
 マスターは口を閉ざし、ただじっと天井を見つめている。いや、その視線は天井には注がれていない。どこか遠く、私にも分からないほどのどこかへだ。
 そのままマスターは重苦しい溜息を一度、吐いた。そんなマスターの様子は、私にはないはずの心臓が締め付けられそうなほど悲痛に映った。思わず……よく分からないが、何かをしてやりたい、そんな衝動に駆られる。
「そして、オメガは負けたわ。ズタズタにされてね。対戦相手は大した事なくて、オメガの方が性能はずっと上回っていたんだけどね。オヤジの出場を快く思ってないヤツが居てさ。まあいわゆる、嫉妬ってヤツ? オヤジはメチャ優秀な技術者だからね。そいつが試合前にオヤジの目を盗んでオメガにウィルスを注入したの。潜伏型の巧妙なヤツ。そのせいでオメガは、試合中思うように動けなくて―――」
 その時、これまで何ら変わりなかったマスターの表情が急に歪んだ。
 拭い去れない、俄かに拭い去るにはあまりに大き過ぎる悲しみに。
「あの時のオメガは見ていられなかった。本当に酷いありさまで、とにかく無茶苦茶だったわ……。そしてオヤジはそのショックで元から悪かった心臓を悪化させちゃって、そのまんまあっけなく。挙句の果てに翌日のニュースでは、オメガとオヤジの事をバカにした記事が出てさ。私、しばらくの間は悲しんでいいんだか怒っていいんだか分からなくなったわ」
 マスターの目からはとめどなく涙があふれ流れていく。
 泣いている。
 私はデータ以前に、どこか自分の中から湧き上がる何かがそう告げた。それはまるで、私ではないもう一人の私がそれを感じているような乖離的な感覚だ。
 マスターは自分の涙に気づくと、慌てて服の袖でごしごしと顔を拭う。そして私にバツの悪そうな笑みを浮かべた。
「最近はショービジネスの形態が見た目重視から高度な戦略性重視なっちゃったんで、リソースを食うエモーションシステムは使われなくなったわ。とはいっても、ホントは案外自粛してるだけかもね。オヤジの件でさ」
 強がりとしか思えないマスターの笑み。
 もうやめて下さい。
 私は思わずそう言いそうになった。マスターの放っている言葉は、少しずつだが確実にマスター自身を痛め傷つけている。それでも続けようとするマスターの自虐的としか思えない告白は、私には耐えられなかった。私にとって自らの存在よりも重いマスターが、そんな痛々しく悲しい事をするのは正視し難いのである。けれど、私はマスターに命令をする立場ではない。私はあくまでマスターの手足となって働くロボットだ。主人であるマスターに、”やめて下さい”なんて言う事は出来ない。
「オヤジはね、死ぬ間際に遺言を残してたの。私とミレンダに、これまで部外秘だったオメガの設計図を与えるようにって。そしてミレンダはそれを元にして一体のロボットを作ったの。それがシヴァ。けど、シヴァはオメガと決定的に違う部分があるの。知ってると思うけどさ、シヴァにはエモーションシステムがないのよ。戦闘に特化するためにね。シヴァはその名の通り、如何なるものにも屈さない破壊の化身。シヴァに立ち向かうものはことごとく蹴散らされてきたわ。ミレンダはオメガの後継機としてシヴァを造り出し、そしてそのシヴァを勝ち続けさせる事で、私のオヤジと、そしてオメガの名誉と誇りを守ってるのよ。死んで尚コケにされた二人のね」
 ケラケラと何でもないかのように笑ってみせるマスター。あまりに感情の稀薄な乾いた笑い。それは明らかに自らの感情を押し殺した偽りの笑みだ。マスターは無理をして私に笑って見せているのだ。いや、私に泣いている姿を見せたくないのかもしれない。
 つーっ、とまた新たに溢れ出た涙が頬を伝い、マスターの無理な笑みを悲しげに彩る。またマスターはその涙を慌てて拭う。
「んでさ。私もまた、オメガの設計図と、それからオメガの残ったパーツから辛うじて無事だったエモーションシステムの集積回路、そしてオメガの予備のボディフレームを使ってロボットを一体作ったの。オメガとほぼ同じ仕様で、外見だけを変えてね」
 マスターは今まで天井に向けていた視線をそっと私に移す。
「私もまた、ミレンダ同様にオヤジとオメガの名誉と誇りを守りたい気持ちはあったわ。けれど、正直メタルオリンピアには関わりたくなかった。あんな狂気じみた大会、これ以上関わっちゃったら自分までおかしくなってしまいそうで、怖くて。だからしばらくの間、オメガの設計図は研究室の隅に埋もれていたの。それがどういう訳か、今になってやっぱり出場する気になったのよ。オヤジとオメガの名誉と誇り以外の別な目的を引っさげてね。そのために、私はそのロボットを作ったのよ」
 私を見つめるマスターの目は、涙によって周囲が薄っすらと赤く腫れ、眼球もやや充血している。しかし、私はそのマスターの目から自らの視線を外すことが出来なかった。
 マスターは私に視線を注いだまま、じっと押し黙る。先ほどのように一度も視線はそらさなかった。
 長い逡巡と沈黙の後。
 マスターは大きく息を吸い込み、そして一言一句を噛み締めるようにゆっくりと言葉を放った。
「それがラムダ、あなた」
「私……?」
 思わず返してしまった、そんな安易な返答に、マスターは語らずただこっくりと深くうなづいた。
「あなたの名前の由来はね、オヤジの誕生日をヒントにしたの。オヤジは一月一日っておめでたい日の生まれなのよね。それでその二つの1を並べて11、そこからラムダ」
 ニッコリと陰のある笑みをマスターは私に向けた。
 その陰が、私には何なのか理解出来なかった。どうしてそんな顔をするのだろう? まるで私に同情しているかのような、存在そのものを哀れむかのような、とにかく私に向けられた、そんな悲しい顔。
 私がこの世で最も見たくないマスターの表情だ。
「私は強く願ったの。オメガが出来なかった事。それを私が代わりにしてあげたいって」
 マスターの視線は未だにじっと私に注がれている。
 でも、その目は本当に私を見ているのだろうか?
 何故だろう。
 ふとそんな疑問が私のメモリに浮かび上がった。