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「私ね、ずっと悩んでた事があるの」
 すっと目元を拭うマスター。
「ラムダって、私の勝手な都合で作り出された可哀想なロボットなんじゃないかなって。」
 私が……可哀想?
 思わぬマスターの言葉に、私は理解が出来ず首を傾げた。何故、私が哀れな存在なのだろうか? 私はこれまでに一度足りとも自分自身をそのように考えた事はない。いや、そもそも私は自分を幸せなロボットであると思っている。世の中には悪い意味でインスタントに使用されているロボットすらいるというのに、私はマスターにまるで家族のように扱ってもらっている。睡眠を必要としないにも関わらず、自分専用のベッドが与えられているロボットはこの世に一体何機いるだろう? それほど大切に扱われ、そして私もまたマスターの身辺の世話を出来る事に充実を感じながら毎日を過ごしている。そんな私のどこが一体不幸なのだろうか?
「ねえ、ラムダ。あなたはどうしてギャラクシカで戦うの?」
「それは、そうする事をマスターに命令されたからです」
 私にとってマスターの命令は絶対だ。私はマスターの命令を忠実に遂行するためにこの世に生まれてきた存在だ。作業量の多少や難易度こそ違いはすれ、マスターの命令は一律の重さがある。マスターのためにコーヒーを淹れる事も、このギャラクシカで優勝する事も。私にとって命令という意味では全く同じなのだ。
「うん、それは分かる。けれど、他に何も感じなかった? どうして私がこんな事をしなくちゃいけないんだろう、とか」
「いいえ?」
 私はマスターの命令に従う事で自らの存在意義を守る事が出来る。私にとってマスターの命令に従う事は人間が呼吸するよりも自然な事。だから今更、どうして命令に従うのか、そう問われても私は逆に戸惑ってしまうだけだ。
 どうして疑問を抱こう? マスターの意思は私の意思、それがロボット全般にもおける絶対の摂理であるはず。マスターの言葉なら、私は如何なる事も信じ、そして従う。これが人間に生み出された人工の生命体、第二のパートナーたるロボットなのだ。第三者からの命令を受けた時、その内容に疑問を抱く。それは人間の反応だ。私は人間ではなくロボット。だからマスターの命令に疑問というものを抱く事はない。
 一体、マスターは何を私に問いたいのだろう? マスターの技術力は素晴らしく優れたものであるため、私の外観や仕草は人間と比べてほとんど遜色はないし、私には感情までをも表現するというエモーションシステムが組み込まれている。しかし、私は人間ではない。幾ら人間に似せて作ったとしてもロボットだ。マスターがそれを知らないはずがない。なのに、どうしてそんな質問を?
 すると、
「……っと。また私の悪いクセが出ちゃったわね」
 そうマスターは、まるで自分自身を叱り付けるように厳しい口調で言い放つと、パンパンと自分で自分の両頬を三度叩いた。
 マスターの悪い癖?
 そういえば先ほどテレジア女史が、マスターは自分の都合が悪くなると話題をすり替えると言っていた。ならば、マスターは私へ話題をすり替えた質問をしていたというのだろうか?
 分からない。そんな事をして何の意味があるのだろう? 話題をすり替えたというのは、自身の持つ疑問を解決するための的確な解答を得られにくい質問をわざと行ったという事なのだろうか? 的確な解答を得られないというならば、その質問自体がまるで意味のないものになってしまう。意味のない行動はする必要がない。単なるリソース……いや、体力の浪費だ。マスターはどうしてそんな事をするのだろう?
 マスターに対して、私は先ほどから疑問ばかりを浮かべている。マスターの言動が私にとって理解し難いものばかりなのだ。人間とロボットの行動指標は全く異なっているため、時にはそういった価値観の相違的な疑問も生ずるだろう。けど、これほどまでに頻繁に疑問を抱き、そして解決出来なかったのはこれが初めてだ。何故ならこれまでは、マスターは極力ロボットの私にも理解しやすいように御自分の言動に注意を払っていたからだ。私の疑問にも即座に説明してくれ、私はロボットの価値観しか持てなくとも何ら不便は感じなかったのである。
「さっき言ったけど、あなたに組み込まれてるエモーションシステムはオメガのものなの。確かに辛うじて集積回路は残っていたけど、それは完全な形ではなかったわ。本当に僅かだけど、小さな小さな傷がついていた。私はそれを修復してあなたに組み込んだわ。でも本当の事を言うと、あなたは私が期待した通りに動けていないの」
 傷。
 集積回路のような機能を担う部分のパーツは非常にデリケートで、多少破損しても問題は生じにくいボディパーツとは違い、確認する事が困難な傷すらも致命的な障害をもたらしかねない。だが、その集積回路の構造などが理解出来ていれば修復は十分に可能だ。だが、ほとんどの場合はその膨大な手間のために、修復よりも交換という処置を選ぶ。
「あの、私はマスターのお役には立てていなかったのでしょうか?」
 思わず私は、マスターの話の途中と知っていながら自分の言葉を挟み、そして問うた。
 急に私は気持ちが不安定になった。私はメタルオリンピアを除いては、これまでマスターに下された命令は忠実かつ確実にこなしていたという自信があった。それは決して主観的な側からのものではなく、マスターの満足度と客観的な事実に基づいた相対的なものだ。私はマスターを満足させるためにこの世に存在している。だがそれは、実は私の空想や勘違いだったなんて。考えたくもなかった。まるでこれまでに私という存在を構成していたありとあらゆる情報が一瞬にして消え失せてしまったかのような、そんな強い不安でメモリ内がいっぱいになる。
 と、マスターは急に顔に渋い表情を浮かべた。そして、微苦笑。その笑みはまるで、今私が考えている事柄をやんわりと否定するかのように視覚素子には映った。
「ちょっと言い方が悪かったわね。ごめんごめん。私が期待した通りの動きってのはね、私は本当はオメガと全く同じに動いて欲しかったの。エモーションシステムは、作られたばかりの時は全く機能はしないのよ。そこに色々な情報が蓄積されていく事で機能が発達し、そしてより人間らしくなるの。私が物心ついた時には既にオメガの稼動年数もそこそこだったわ。だから、本当に人間のように動き、そして語る事が出来た。けれど、あなたはそうじゃない。生まれたてのように、完全に機械然とはしていなかったわ。でも、オメガのように人間らしさは幾分か足りなかった。きっと、あの集積回路の傷が原因だと思うの。エモーションシステムはあまりに複雑な仕組みになっているため、私もその全容が未だに理解しきれてなくてね。それにみんなも同じで、エモーションシステムなんてほとんど理解出来ていないのよ。だから、ただ設計図を真似て作ってるだけなの」
 ふと、マスターは再び顔に苦笑を浮かべた。いや、それは苦笑ではなく嘲笑だ。しかも自分自身に向けられた。
「けどね。それでもあなたは時々、本当にオメガを思い出してしまうような言動をするの。まるでふとエモーションシステムがオメガだった頃を思い出したかのようにね。ホント、おかしな話。だってオメガはもうこの世にはいないのに、私はあなたをオメガの代わりにしようとしたんだもの」
 オメガの代わり。
 そう、私はマスターによって作り出されたオメガの代用品なのだ。
 けれど、何故か気持ちが痛まなかった。それは、私はこれまでマスターにラムダとして尽くしてきた自信があったからだ。そもそも、マスターが本気でオメガの代用品を作るならば、私の名前だけでなく容姿までをもオメガとそっくり同じに作ったはず。それをわざわざ違うものにしたのは、マスターが私をオメガとは差別化している事の現れである。
 だから、マスターのその言葉は本心から来るものではない。この言葉は客観的な視点に立った自らによる自己批判なのだ。
 そんなマスターの自虐的行為に、私はあるはずもない心臓が痛むような気持ちに駆られる。
「でも、本当にあなたは時々オメガみたいな仕草をみせるわね。今だって、私がうっかり変な事を言っちゃったからさ、もう物凄い不安げな顔したでしょ? あんなの、普通のロボットだったら表情よりも先に言葉で質問してるわよ。ゴフマンデシタカ? ってな風にさ。それがじーっと健気に見つめるんだもん。私、思わずドキッってしちゃったぞ」
 そう、マスターはどこかおどけた様子で笑って見せた。それが、この暗くなったこの場の雰囲気を和ませるために無理にしているのだと、私のメモリ内にそう分析情報が流れ込んできた。
 これは、私に組み込まれたオメガのエモーションシステムの蓄積情報によるものなのだろうか?
 確信がある訳ではなかったが、なんとなく私はそう思った。
 なんとなく?
 そんな不確かな情報は、ロボットにはあってはならないはずなのに。
「ねえ、ラムダ。私はさ、それでもやっぱりオメガの果たせなかった事をやり遂げたいの。確かに私はあなたをオメガの代わりとして作ったわ。メタルオリンピアに出場させるためにね。でも、私はオメガも愛してたけれど、あなたも『ラムダ』として愛してるわ。どちらも私にとって掛け替えのない存在だから。自分でも本当に都合イイ事言ってるのは分かってるけどさ、それでもやっぱりギャラクシカで優勝したいの。オメガのためにも」
 と、不意にマスターは私の両手を取り握り締める。そしてそのまま、そこへ自らの顔を埋めた。
「お願い。このまま何も言わないで、私に協力して」
 あまりに悲痛。
 マスターのその声は、聞いている私の胸が張り裂けそうなほど辛くて悲しかった。胸が張り裂けるとか痛むとか、それらは人間が用いる表現だ。けれど、ロボットであるにもかかわらず私はそんな表現を用いなければならないほど、とにかく悲しかったのだ。これは私がオメガのエモーションシステムを受け継いだからなのだろうか? ふと、そんな思考の隅でそう思った。
「マスター、お願いします。顔を上げてください」
 私は出来るだけ優しくマスターに呼びかけた。
「私に出来る事があれば、何でも申し付けて下さい。私はマスターの手足となるために生まれてきた存在です」
 そして、
「それに私は、マスターと一緒に居られたこれまでの生活はとても幸せでした。だからこそ、これからもマスターと一緒に居たいです」
「……ラムダ」
 そっと顔を上げたマスターの目元は、再び僅かに潤んでいた。
「協力だなんて。いつものようにお申し付け下さい。私はマスターに最大限に尽くしますから」
 オメガならばもっと気の利いた人間らしい言葉をかけてあげられたかもしれない。けど、私にはこれが思いつく精一杯の言葉だ。
 この言葉がマスターの気持ちを満たすに足りる自信はない。言葉ではきっと私ではオメガに遥かに劣る。それならば私は、マスターがいつもの笑顔を取り戻せるように精一杯尽くせばいい。言葉では無理でも、行動ならば私には出来る。それが、私がマスターにしてやれる最大限の事だ。
「ありがとう……本当に」
 にっこりと普段の笑みを浮かべるマスター。その瞬間、私は急速的に自分が満たされていくのを感じた。
「よし! じゃあ、やるからには優勝するわよ! 明日、何が何でも勝つからね!」
「はい、マスター」
 普段の元気を取り戻したマスターの様子に、私もまた力強く返事をする。
「ラムダ、今夜はメタルオリンピア最後の徹夜作業するからね。夜食と眠気覚ましのコーヒー……いや、栄養剤の方がいいかな。無水カフェインってのもあったか。とにかくそういうの用意しといて」
「分かりました、マスター。ですが、その―――」
「ああ、分かってるって。大丈夫。メタルオリンピア終わったら、これでもかってぐらい休んでやるわ。一ヶ月ぐらいぶっ続けでね」
 するとマスターは、ぐいっと私の肩に腕を回してきた。私の間近にマスターの顔が迫る。その顔は涙の跡が残ってはいたが、悲しみの色はどこにも見当たらなかった。
「終わったらさ、二人でどっか旅行にでも行こう。休暇旅行」
「はい、マスター」
 感覚素子から伝わってくるマスターの存在感が、私はとても心地良かった。私がこの世に生まれ、マスターのために尽くすのとは別のもう一つの喜びがそこにはあった。
 どんな事があっても、明日は必ず勝とう。相手はあのシヴァだ。決して楽に勝てる相手ではない。だけど、私は必ず勝つ。それは列記とした理由があっての確信ではない。言ってしまえば、ただの心構えだ。それでも私は、どこか自分が明日の試合ではシヴァに勝てそうな気がした。これまでにないパワーが今の私の中にはっきりと鼓動しているのを感じるからだ。