BACK
これでよし……っと。
私は洗濯機の中へ洗濯物を入れ洗剤を軽量して投入し、そして蓋を閉める。後はスイッチをいれるだけだ。細かな調整は洗濯機の中に組み込まれたコントロール装置が自動的にしてくれる。かつては洗剤も自動で投入してくれる洗濯機もあったのだが、家電メーカーと洗剤会社の不正な癒着取引が問題に上がったため、法律で製造販売を禁止されたそうだ。それに元々洗剤と衣類の相性が合わなかったためのトラブルも絶えなかったため、洗濯機に手動で洗剤を投入するスタイルは世紀が変わってもそのままなのだそうである。
メタルオリンピアが始まってから、洗濯はほとんど本格的に行っていない。そのため随分な量が溜まっていた。マスターは早々に夕食を終え、今は研究室で明日の準備を行っている。マスターは一度集中し始めると周囲の音がまるで聞こえなくなる。たとえ私が多少物音を立ててもマスターは微動だにしないが、妨害はしないに越した事はない。時刻的にもまだ夜食の準備をするには早く、私も他にする事がないため、こうして溜まった洗濯物を片付けているのである。とはいえ、量もかなりのものだ。うちの洗濯機は大型の機種ではないため、全ての洗濯物は一度で収まりきれない。どうやら二度ほどに分ける必要があるようである。
私は一旦作業を洗濯機に任せ、寝室の方へと向かった。寝室には雑然と衣類を入れるカゴがあるのだが、確かそれが満杯になっていたはずだ。マスターと私の衣類が一緒に突っ込まれている。ロボットも人間と同様に、普段の生活では衣類を着用する。ヒューマンタイプのロボットは人間が全裸になった状態とほぼ変わらないため、人間と同じように着衣をする必要があるのだ。それは人間が肉体の防護と体温維持を目的でするのとは違い、ロボットが人間社会に溶け込むために行うのである。私は無性別型であるため、衣服は主に男性用のものを使用する。それはマスターの指示で行っているのだが、その理由に『女がズボン履くのはアリだけど、男がスカート履くのは犯罪っしょ?』との弁を述べている。私にはそういった感覚がないためによく理解出来ないが、少なくとも男性用の衣服は女性が着用しても違和感がないため、性別が定められていない私が使用するには適しているのだろう。
時刻は19:33。ギャラクシカ決勝戦が行われるのは、明日の15:00ジャスト。マスターの予定会場入り時刻は11:00。マスターに残された時刻は、移動時間も考慮して15時間ほどだ。それがマスターと私に許された準備時間だが、数字的に考えればまだまだ長いように思われるも相手があのシヴァであるならばあまりに短い。シヴァは誕生からこれまでに、たった一度たりとも敗北を経験した事がない。基本性能もさる事ながら、今年度は、一度見た攻撃はたとえどのような状況で繰り出されても作業を強制中止して回避行動に移る事が出来るトラウマシステムを搭載し、より優勝獲得への可能性を確固たるものにしている。私は予選からこの決勝まで、決して組み合わせに救われた訳ではなく、マスターの優れた技術力によって勝利をものにしてきた。だが、明日の試合、私に勝てるのだろうか? ずっとその不安だけがメモリの隅に居座って消えようとしない。
マスターの技術力を信頼していない訳ではない。私がマスターのプログラムを滞りなく処理していけば、必ずやあのシヴァをも撃破出来ると心から信じている。けれど、それはあくまで精神論である。ギャラクシカは極めて実戦に近い一対一の戦闘だ。必要なのは純粋なパワーだけであり、気迫が昂じていても実力が伴わなければ決して勝てないのだ。一瞬の処理ミスが敗北の要因となりうる。そして、その先に待つのはロボットの実質的な死である廃棄処分だ。
マスターのためにも私は何が何でも勝つ覚悟は決めている。しかし、現実的にはどうだろうか。シヴァの性能にかなうだけの性能を、果たして私は持ち合わせているのだろうか? それだけがどうしても気がかりでならない。幾らマスターに尽くす気持ちが強くとも、その実力がなければ実現は不可能なのである。
その時。玄関から来訪者を告げる呼び鈴が鳴り響いた。私は中ほどまで昇りかけていた階段を一気に駆け下り、すぐさま来訪者に応対する。玄関脇に取り付けられたモニターのスイッチをオンすると、画面に視覚素子を向けて来訪者の姿を確認する。
『夜分すみません、メディア・ジパングですが』
モニターに映ったのは、やや大きめなバッグを背中に背負った二人組みの男性だった。こちらがモニターから確認している事を意識してか、油断のない鋭い視線を向けている。
確かメディア・ジパングは……。
警告! メディア・ジパングはマスターによって最重要項目に指定されています!
スーパーバイザー起動……特殊応対3347に切り替えます。
「申し訳ありませんが、取材に応じる口はありません。うるさいし、何よりも鬱陶しいので消えてください」
これはマスターにあらかじめ定められた応対だ。さすがに通常の来客にこういった対応は出来ないが、マスターはマスコミ関連、特に不快感を抱かされたニュースグループに関してはこのような辛い応対を持って早々に追い返そうというのである。
メディア・ジパングは、かつてギャラクシカの特集を組んだ際に私を根拠の薄い低評価、酷評を行い、マスターを極めて不愉快にさせている。そのため、先日もギャラクシカ会場の控え室において、マスターに取材を申し込むものの一方的に追い出されている。
『あの、せめてシヴァについて一言!』
それでも食い下がろうとするメディア・ジパングの記者。しかし私はそれにも構わず、一方的にインターホンを切断した。二回目に同じ行為をした場合には警察を呼ぶように、マスターには命令されている。しばいドアの前で外の様子を窺ってみたが、どうやら諦めて帰ってしまったようで二回目の呼び鈴は鳴らなかった。
シヴァ。明日のギャラクシカ決勝戦で私と相対する、テレジアグループが開発した高性能の青年型ロボット。
シヴァは私と同じく、オメガの設計図から生まれたオメガの後継機である。エモーションシステムを外し、極端に戦闘に特化しているという決定的な違いこそあるものの、私にしてみれば、いわば兄弟機と言える機体だ。
そう。
どうして私達は明日、大衆の前で争わなくてはいけないのだろう?
ふと私のメモリ内に、そんな疑問が浮かび上がった。
シヴァはテレジア女史の命令により、オメガとマスターの父親の名誉と誇りを守るため、これまでギャラクシカで戦い、そして勝ち抜いてきた。ならばそれを妨害する私は、オメガとマスターの父親の名誉を汚そうとしているのだろうか?
否。マスターもまた、オメガと自身の父親を心から深く愛していた。そのような事を、あれだけ心身を削ってまで私にさせる訳がない。
マスターが行おうとしている事、そしてその意思は正しい事だ。
相対するテレジア女史。
けれど女史が行おうとしている事も、そしてその意思も正しい事だ。
マスターとテレジア女史がそれぞれ抱いている意思は、共に正しいものだ。しかし、その二人は明日、私とシヴァを代理としてぶつけ合おうとしている。それはつまり、正しいはずの二つの意見が真っ向から衝突しているのだ。
何のため?
正しいものは一様に保護し、堂々と公示するべきだ。けれど私とシヴァがこれから行おうとしているこの行為は、どちらか一方の正論を完全に消し去ろうというものに他ない。何故このような事が起こる? それは単なる価値観の差の問題だ。世界から戦争を撲滅しきれない理由の一つでもある。マスターもテレジア女史も正論を貫いているのだが、その価値観は全く異なっているのだ。正論とは、文化風習を超越して存在するのである。
マスターが正しいのだろうか?
テレジア女史が正しいのだろうか?
いや、どちらも正しい。
では私は明日、テレジア女史の正論を踏襲しようとしているのだろうか? 同時にテレジア女史も、マスターの正論を踏襲しようとしている?
何故、そんな事をしなくてはいけないのだろう? どうしてこんな事態に陥ったのだろう?
分からない。
ロボットである私には。
私は再び二階の寝室へ向かいながら、メモリを占有するその疑問について何らかの答えを導き出そうとリソースを割いていた。しかし、途中で幾度となく壁に頭を打ちつけた。元々、ロボットには無意識というものが存在しないため、人間のように意識をせず同時に異なる行動を行う事が出来ない。私の脚部はシステムから下される『二階の寝室へ向かって歩く』という命令を元に稼動する。だがリソースが疑問の方へ多く費やされる事により、『二階の寝室へ向かって歩く』が『歩く』に簡略化されてしまい、その結果ルートが設定されていない命令により脚部は単調作業を行わざるを得なくなり、そして私は壁に頭をぶつけてしまうのである。
ロボットである私には人間を理解する事が出来ない。
階段を昇り終えて二階に上がり、寝室のドアに頭をぶつけたその時。ふとメモリ内に一つの答えが浮かんだ。
そう、ロボットの私が幾ら考えても、この疑問を解決する事は出来ないのだ。ならばその答えは人間に求めるしかない。
人間。
この単語でまず頭に思い浮かぶのは、私にとって最も大切な存在であるマスター、エリカ=鷹ノ宮だ。私に自由な考えと体を与えてくれた、宗教の言葉を借りて表現すれば神に匹敵する存在だ。
マスターに問い訊ねてみようか? どうして私は、オメガとマスターの父親の名誉と誇りを守るために戦うシヴァと戦わなくてはいけないのか、と。
出来ない。
マスターは今、明日の決勝戦のために心身を削りながら準備に望んでいる。マスターに許された時間は約15時間。その僅かな時間を、私の極めて私的な用件に割かせる訳にはいかない。それに、この質問は捉えようによってはマスターへ対する反抗にもなりかねない。マスターからの命令に、ロボットである私は一切疑問を抱く必要はないのだから。
しかし、このまま疑問を埋もれさせておく訳にもいかない。もし明日の決勝戦の最中に、突然この疑問が飛び出してリソースを占有してしまったら。私は十中八九、シヴァに敗北してしまうだろう。これは絶対にあってはならない事だ。私の自己管理不行き届きで敗北を喫する訳にはいかないのだ。不慮のリソースの占有を防ぐためにも、この疑問は必ず解決しておく必要がある。
どうやって?
私はロボット。人間特有の疑問は解決する事が出来ない。
マスターは人間だ。けれど、今はこの疑問の解決を求める事は出来ない。
では、どうする?
どうする?
どうする―――
私はループし続ける疑問にメモリとリソースを占有されながら、極めて鈍い動作で寝室のドアを開けて中に入る。
カゴ。放る衣類。雑然と。位置。部屋の右隅。そこ。向かう。私。
警告! リソースが極めて低下しています。一時処理を強制終了しますか?
強制終了。
思考クローズ。
私はリソースを確保するため、占有するその思考を頭の隅へ追いやった。しかし、いつそれが飛び出してメモリとリソースを占有するか分からない。根本的な解決には至っていないのだ。
どうすればいいのだろう?
そう、私は大きな不安に潰されながら、カゴの中から一番上のシャツを手に取った。
「あ」
その時、シャツのポケットから白い紙片がポロッと床にこぼれ落ちた。シャツを一度腕にかけ、その紙片を拾い上げてみる。
「これは……」
履歴検索……ヒット!
「テレジア女史の、プライベートのメールアドレス」
紙片に印されていたのは、アットマークを中心に挟んだ英文字の一文だった。その下には、ANYTIME OKと添えられている。つまり、いつでも気兼ねなく使用しなさい、という意味だ。
次の瞬間、私はその紙片を握り締めたまま、寝室の隅に置かれている端末機の元へ駆けた。以前、マスターに緊急時以外は家の中を走ってはならないと言われたにも関わらずだ。
一秒を争いながらメールエンジンを立ち上げる。そして新規メッセージを作成、メールアドレス欄にはあの紙片に記載されていたアドレスを打ち込む。
テレジア女史へ。
どうして私は、オメガとマスターの父親の名誉と誇りを守るために戦うシヴァと戦わなくてはいけないのでしょうか?
気がつくと、私は既にそのメールを送信していた。そう、”無意識”の内に。いや、夢中だったのかもしれない。この疑問の答えを求める事に。
私はそれから端末機に噛り付いて返信を待った。テレジア女史はいつでもいいと添えていたが、返信が必ずすぐさま来るという保証はない。けど、私は待った。テレジア女史ならば、きっとすぐに返信してくれる。そんな気がしたのだ。
したのだ?
なんて曖昧な言葉だろう。ロボットのくせに。
そして。
端末機からマシンボイスが勢い良く飛び出す。私は思わずディスプレイへ更に顔を近づけた。
届いたメールをすぐさま確認する。TOラムダ。私宛のメールだ。即、開封する。するとそこには、簡潔な文があった。
戦う、とはそういうことなのよ。
あなたは何のために戦うの?
負けたら全て終わりだと知りなさい。
全て……終わり?
その短くとも重い言葉に、私はディスプレイの前で深い戦慄を感じずにはいられなかった。
私はマスターのために生きている。
ギャラクシカで戦うのは、マスターに命令されたから。
違う。
マスターが、オメガの果たせなかった事を代わりに果たそうとしている。私は、マスターのその意思を叶えてやりたいのだ。
自分の意志で。
私が負けた時、それは皆、何もかも全て消え去ってしまう。
全て、無に。
そんなのは嫌だ。
もしもそんな事になったら、マスターは悲しむはずだ。私はマスターを悲しませたくない。
テレジア女史はオメガとマスターの父親の名誉と誇りを守り続けるため、シヴァと共に戦っている。そして明日の決勝戦も、私を全力で倒しに来るだろう。
けど、私は―――。
端末機の電源を落とし、ゆっくりと立ち上がる。
何故、私はシヴァと戦う?
メモリ内にそう疑問を浮かべる。
私がマスターを喜ばせたいから。
すぐさま疑問への解答が浮かんできた。先ほどのようにループを繰り返し、リソースが占有されない。
そう、もう迷う事はない。
戦おう。
マスターのために。
『ラムダ! シミュレートするから、早く来て!』
通信回線からマスターの声が飛び込んできた。それに、私はすぐさま返答を返す。
「はい、ただいま!」