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「あ! ただいま、エリカ=鷹ノ宮氏が到着いたしました!」
 遂に訪れたギャラクシカ決勝。
 マスターと私は予定通りの時間に会場に到着した。私はマスターの荷物を持って後をついていきながら、関係者入り口に向かう。こういった雑務もまた、私の大切な仕事だ。
「すみません! 一言お話を!」
「鷹ノ宮さん! 相手はあのシヴァですが勝てそうですか!?」
 その関係者入り口の前には、無数の報道陣が包囲網を築き上げて待ち構えていた。見る間に先を行くマスターは報道陣取り囲まれて見えなくなる。
 ギャラクシカは、のべ世界各国180以上の国が協賛する世界的なイベントだ。参加するに足りる技術力を持った国はかなり限定されているものの、無数の中小スポンサーが宣伝をかねてバックアップにつき、マスコミ各グループは大々的に報道している。それだけ有名なイベントの頂点に立とうと私達はしているのだ。それだけに、この報道陣の待ち伏せも致し方ないだろう。辛うじて住所がほとんどのマスコミには漏れてない事が救いだろうか。
「あー、もう鬱陶しい!」
 と、マスターは苛立だしげに肘を張ってなんとかまとわり付くレポーターを振り解くと、とりあえずどうしたらいいのか思考中の私の手を取った。
「ほらほら、邪魔邪魔! どかないと、うっかりフォトンライフル暴発させるわよ!」
 そのままマスターは私を引っ張りながら、強引に報道陣を振り切って関係者出入り口に雪崩れ込む。
「ったく、大会本部もどうしてああいう報道の自由を履き違えた連中を野放しにしておくのかしらね」
 マスターは乱れた前髪を掻き揚げながら、そう吐き捨てる。普段はバスを利用してここにやって来るのだが、マスターは今日に限り自宅にタクシーを呼んだ。私は時間の節約のためと考えていたが、どうやらそれは移動中に今のように報道陣に囲まれてしまう事を防ぐためだったのだ。
「今の時刻は……あーもう! 十一時五分じゃない! 全部アイツラのせいだ!」
 マスターが予定していた到着時刻は11:00ジャスト。だが、現在時刻はそれを5分オーバーしている。しかし5分程度は、誤差としてあまり大したものではないように思えるのだが。病院などの1分1秒を争う機関ならまだしも、私達は12:00前には到着していれば問題はないのに……。いや、スケジュールに関しては私が意見を挟む必要はないか。それに、5分もあれば様々な作業が出来る。マスターのこの苛立ちも仕方がないだろう。
「以前はこんな事はなかったのですけれどね」
「まあね。予選頃にはウチらはまだ無名の新人だったし。連中もそれほど注目はしてなかったけど、それが予想外の大健闘、挙句の果てには決勝まで勝ち上がっちゃった訳だし。これほどの特ダネはないでしょう」
 かつての私は、マスターの元で働く一介のロボットでしかなかった。この世界で、私の存在を知っている人間は十指に満たないと言っていいだろう。それが、今では大勢の人間にその存在を注目されている。いや、本当に注目されているのはマスターの方なのだけれど、決勝戦でシヴァと対戦するロボットとして、以前とは比べ物にならないほど有名になってしまった事は確かだ。
 マスターに連れられ、このメタルオリンピアが開催されてから何度も使用した、マスターにあてがわれた控え室に向かう。
「さって、準備始めましょうか。ラムダ、私準備してるから、先にコーヒー買って来て」
「はい、マスター」
 これから私は試合に向けて換装を行う訳だが、それはボディを構成するパーツを幾つか交換するという大作業のため、何の下準備もなしにおいそれと出来るものではないのだ。まずは控え室の各設備の電源を入れ、作業補助のためのプログラムをロードしなくてはいけない。他にも多々あるのだが、私はマスターのような専門家ではないため詳細は知らない。
 私はマスターからキャッシュカードを受け取ると、それを大事にシャツの胸ポケットにしまいこみ、すぐさま控え室の出入り口へと向かう。
「ん?」
 不意に訪れる、この控え室への来訪者の出現を告げる電子音が鳴り響く。
 こんな時間に誰だろう? 試合開始にはまだまだ時間はあるし、業者にお弁当を頼んだ憶えもない。宅配ピザの配達間違いだろうか? とりあえず、このままあれこれ考えていても仕方がないので、私はそっとドアロックを外し、少しだけ開く。マスターはマスコミ嫌いだ。訪れたのが関係者である可能性も十分考えられる。入り口を少ししか開けないのは、中に雪崩れ込まれる事を防ぐためである。
 すると、
「失礼しますわ」
 突然、ドアの間からにゅっと足が現れ、部屋の中へ伸びる。ハッ、とそれに気がついた瞬間、またもやドアの間からにゅっと手が伸び、ドアを閉めらないように外側から押さえる。
「マ、マスター!」
 思わず私は慌て、どう対処すれば良いのか、振り返りながら背後のマスターに指示を仰ぐ。
「なに? 誰が来た―――あ!」
 コントロールパネルを操作していたマスターはのんびりと私の方を振り返る。そしてその視線が、丁度ドアの外から伸びていた足に止まる。途端にマスターの表情が険しくなった。作業を投げ出し、すぐさまこちらにづかづかと歩み寄ってくる。
 マスターの急な変貌振りに、私はそっとドアから伸びたその足を見下ろした。その足は、驚くほどバランスを取る事が困難に思えるデザインの真っ赤なハイヒールを履いていた。続いてドアを押さえる手を見ると、ドアを掴む指の一本一本の指先、そこに生える爪がローズピンクのマニキュアによって鮮やかに彩られている。
 確か、こういうファッションをする人間が身近にいたはずだ。えーと、確か……。
「少々、失礼させていただきますわよ」
 だが、私がその人物を履歴から特定する前に、ドアが外側から強引に開けられる。明らかに人間の力ではない。このドアを押さえる手もただ挟み込ませただけで、ドアを開けるこの力とはまた別のものだ。
 大きく開いたドアの間から現れたのは、真っ黒なタイトスカートのスーツを着込んだテレジア女史だった。その背後には、長身の無表情な青年型ロボットの姿も覗く。テレジア女史の愛機、シヴァだ。彼もまたテレジア女史と同じ、真っ黒なスーツを着込んでいる。どうやらまだ換装は行っていないようだ。
 ……あ。
 ふと私は、シヴァの更に後、控え室外の廊下の光景を視覚素子に捉える。
 そこには、見えただけでも五名の報道関係者の姿があった。どうやらテレジア女史はマスコミ報道陣をこの場に連れてきたようである。
 その直後、私は激しく向かって来たドアに押され、思わずよろめきながらドアの傍を離れる。すかさずテレジア女史とシヴァは控え室内に入って来た。入るなりシヴァはドアを素早く閉める。それはまるで、マスターに廊下の報道陣を見せないようにするために思えた。
「ミレンダ! てめ、スパイに来たわね!」
 すぐさまマスターは掴みかからんばかりの勢いでテレジア女史に詰め寄った。しかしテレジアはそんなマスターを前にしても普段の悠然とした態度を崩そうとしない。
「まさか。単なる試合前の挨拶ですわよ。第一、本当にあなたの情報が欲しければ、他にもっとスマートなやり方があるでしょうに」
「うっさい。とにかく外に出なさい。話は外で聞くわ」
「いいでしょう」
 悠然とにっこり微笑むテレジア女史。そしてくるりと踵を返してドアへと向かう。マスターもまたつかつかとテレジア女史に並歩する。
「あ、マス―――」
 私はすぐさまそれを止めにかかった。控え室の外には報道陣が待ち構えているのだ。マスターはマスコミ関係を非常に毛嫌いしている。
 しかし口を開いた寸出の所で、私は後ろから口を塞がれて羽交い絞めにされた。
 サーチ……後方にテレジアグループ製作『シヴァ』を確認。
 マスターは突然現れたテレジア女史に気を取られ、私の事には気がついていない。シヴァのポジショニングもうまく私がマスターの死角に立つようにしている。どうやら事前に示し合わせていたようだ。
 苛立った表情でマスターはドアを開ける。そして、
「―――え?」
 廊下の様子を前にしたマスターは、思わずその場に硬直した。そんなマスターの背中を、テレジア女史は後ろから廊下に押し出した。同時にシヴァが私の拘束を解く。すぐに私はマスターの後を追って廊下に飛び出した。
「ひゃっ!?」
 直後、無数の眩しい光が私を襲った。カメラのシャッターフラッシュである。
「ちょっと、ミレンダ! これ、一体どういうことなの!?」
 私に遅れてシヴァも廊下に出てくる。
 マスターはすぐさまテレジア女史に向かってそう怒鳴った。テレジア女史はマスターに試合前の挨拶をすると言って控え室を訪れたのだ。それが廊下に出た途端、マスターの毛嫌いするマスコミ各社の報道陣に囲まれているのだ。呼び込んだ張本人であるテレジア女史は、当然の事ながらこれだけの記者に囲まれていても平然としている。マスターの怒りの矛先がテレジア女史に向けられるのは当然の事だろう。
「ですから、言いましたでしょう? 挨拶に参りました、と。その様子を世界のギャラクシカファンの皆様に提供するだけです」
 なおも悠然とした笑みを崩さないテレジア女史。その笑みには、どこか挨拶以外の何かが含まれているように思えた。
 マスターも状況を把握して冷静さを取り戻してきたらしく、それ以上テレジア女史に怒鳴る事をやめる。そして腕を胸の下で組んでいるテレジア女史の表情を、冷静ながらも鋭い目つきで見やる。
「試合前に、大勢の目の前で牽制しようって魂胆ね。まあ、いいわ。つきあってあげる」
 溜息混じりに答えつつも、マスターの表情には不敵な笑みがこぼれている。それはどこかこのテレジア女史の挑戦を楽しんでいるかのようにも思えた。
「それは光栄ですわ、エリカ。でも、本日は手加減なく思い切りやらせていただきますわよ」
「おうおう、望む所じゃない。返り討ちにしてあげるわよ。この、」
 と、マスターが私の背中を後ろから叩く。
「ラムダがね」
 マスターが自信に溢れた笑みを浮かべる。途端に報道陣からのフラッシュが激しく浴びせられる。
「気迫だけはよろしいですわね。ですが、それだけで勝てるほどギャラクシカは甘くはありません。それはあなたよりも私よりも、このシヴァが知っていますわ」
 テレジア女史もまた、自信たっぷりにシヴァの顔を見て微笑む。そのままスッとシヴァの首筋に手を這わし、撫ぜる。何やら奇妙な手つきだ。
「シヴァ。あなたは今日の試合、どのように考えていますの?」
 そして、テレジア女史はニッコリと無表情なシヴァに話し掛けた。
「これまでに収集したラムダの機体データから比較し、私の勝率を算出。その結果、私の最低勝率は89.2%。予測誤差+7%」
 シヴァのその言葉に、周囲の報道陣からどよめきが起こった。シヴァはおよそ9割以上の確率で私に勝利出来ると試合前に宣言したのである。それはもはや事実上の勝利宣言に他ならない。同じセリフを私が言ったとしても、まずマスコミは誰も信じはしないだろう。9割の勝率とは、何らかのハプニングでも起こらない限りは必ず勝利出来るという意味だ。その大胆な発言は、これまで無敗を誇ってきたシヴァだからこそ信憑性のある算出結果なのである。完全に無名の新人、過去の実績もない私が言ったとしても失笑買うだけだ。
「それで、ラムダの意気込みのほどは如何なものかしら?」
 報道陣の気持ちを完全に掴んでしまったテレジア女史は、既に勝利を確信したかのような口調で私に問い掛けてくる。
 あれ? 確かこの状況は……そうだ、前にもあった。
「ラムダ」
 ぽん、とマスターが私のお尻を叩いて合図を送る。
 そう。昨夜、私がシヴァの戦闘シミュレーションを負えた時、マスターがこういった状況に遭遇した場合の対応方法を私に教えてくれたのだ。それはより精密さを増すため、急ごしらえではあるがマスターがちゃんとしたプログラムにして私の中にインストールしている。
 データロード……特殊対応コード37564に切り替えます。
 私は一歩前に歩み出た。
 途端、テレジア女史が一瞬、ぎょっと驚いた表情を浮かべる。そう、テレジア女史は前回と同様に、私が今回もまた気の利いた事を言えずに終わると思っていたからだ。
 報道陣が一斉に私に注目する。表皮感覚素子は人間の視線を感じ取りはしないのだが、無数の目に見られているという事がひしひしと伝わってきた。私は構わずモーションデータに従い、足を軽く肩幅ほど広げる。そして右手を握り締め、親指だけを突き出す。そしてその指で、喉をゆっくりと左から右へ掻ききるように描いた。
「ブッ殺すぞ、コノヤロー!」
 そう力の限り、私は叫んだ。これがマスターに教えて貰った、この状況における対応方法だ。動作は完璧だった。一片のミスも無い。
 その瞬間、急に辺りがしんと静まり返った。報道陣も、そしてテレジア女史も唖然としてその場に固まっている。ただシヴァだけが普段通りの無表情で、周囲に注意を巡らせている。
「あ、あの……これで良かったんですよね?」
 急に不安になった私は、思わずマスターの傍に戻ってそう問うた。
「上出来」
 そうマスターは勝ち誇った表情でうなづく。やはり私はデータ通りに行えたようだ。ホッと一安心する。
「もういいわね。んじゃ、忙しいから。ラムダ、コーヒー早くね」
 マスターは唖然としている報道陣を押し退け、さっさと控え室に戻ってドアを閉めた。
「あの……では、失礼します」
 私もまた軽くお辞儀をすると、足早にその場から立ち去った。急いでマスターのためにコーヒーを買ってこなくてはいけないのだから。