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『これより、場内の皆様へギャラクシカ決勝戦のルールについて御説明いたします―――』
 ざわめく場内。それは、前に一度だけテレビで見た、海という地球上の80%強を占めるものと陸地の間、浜と呼ばれているそこの風景を連想させた。
 そう、海を構成する水分子の数が数え切れないほど膨大であると同じく、今、この決勝の舞台を世界中の人間があらゆるメディアを通じて目にしている。視線という波が、マスターと私にプレッシャーとして襲い掛かっているのだ。私はロボットであるため、心理的なプレッシャーは感じない。けれど、マスターには胸が締め付けられそうなほどの心理負荷がかかっている。それを辛うじて精神力で抑えつけ、今、セコンドゾーンで私の戦術サポートに当たっているのだ。
 この試合、私の戦況が不利になればなるほどマスターにかかるプレッシャーは大きくなる。それを考えれば、私は圧倒的な力差を持ってシヴァを倒したい。だがそれは完全に不可能な事だ。シヴァはメタルオリンピアに登場してから、未だに一度として敗北を経験していない。それどころか、相対したロボットは皆全て圧倒的な性能差によって屠られている。テレジアグループと、その総指揮を務めるテレジア女史の技術力の高さを数年にも渡って世界中に見せつけたのだ。そんなシヴァを安々と倒すなど、それこそ最低でも10年は進歩した技術を持ってしなくては不可能だろう。マスターの技術力は非常に優れたものだ。だが、それはあくまで現代の技術力。マスターとテレジア女史、現代のロボット工学の最先端を走る二人の内、どちらが相手よりも更に一歩先に立っているのか、この試合結果がそれを証明する、という見方をするマスメディアもある。
 所詮はおためごかしでしかなく、マスコミが得意とする煽り文章でしかない。しかし、限りなく真実と虚言の境界線をひた走りながらも、その言葉は真実以上の説得力を持って人心を捕らえて離さない。本質的な証明にはならなくとも、少なくとも世界という名の大衆がそう信じ込み、相対的評価、いわゆるレッテルとして生涯貼られ続ける事となる。
 ならば、証明してみせよう。たとえ相対評価だとしても、世界で一番優れた技術者は私のマスターであると。
 このマスターが心血を注いで整備した私―――、ラムダが。
 決勝戦のために特設されたリングは、120メートル四方の大型正方形をしている。そしてマーブル模様の人工大理石の柱が、まるでリングを床に刺し止めるかのように六本、六角形の形に立っている。その柱の円周は5メートル、高さは20メートルと、さながら数十年の月日を経た巨木のようである。
 場内にはなおも決勝ルールを説明するアナウンスと、そして観客の罵声ともつかない高波のような声が響く。その間も、なおも私はリング内をじっと正視していた。
 マスターには、リングに上がったらまず、リングの周囲を確認しサンプリングするように言われている。私に相対位置指定する場合などの基準点にするためだ。その他にも、シヴァとだけでなくリング自体の自分の場所取りも必要である。試合を始める前の基本行動だ。今現在、私はマスターとの通信回線を切られている。それはシヴァ側も同じだ。リング会場に入ってからは試合が開始するまで、セコンドとの通信は行ってはならないとオフィシャルルールで定められているのである。
 ―――あ。
 と。私から相対位置で96メートル地点。ほぼリングの対岸の位置にシヴァは立っていた。テレジアグループが製作した、事実上世界最高峰の性能を誇る人型ロボット。決勝戦の、私の相手。
 シヴァは鋭い視線をリング周囲に巡らせている。私と同様に、今現在自分が置かれている状況の詳細データを採取しているのだ。
 一体、シヴァはどのようなデータを採取しているのだろう?
 試合前であるせいか、普段はほとんどシヴァに興味など向けなかった私は、そんな些細な事も気になって仕方がない。
 私とシヴァは、かつて稼動していた世界初のエモーションシステムを搭載した人型ロボット『オメガ』の設計図を元にして製作された。そう、いわゆる兄弟機という関係なのである。シヴァは青年型の冷ややかなフォルムを持ち、その性能の大半を戦闘に特化されている。彼はまさにメタルオリンピアに出るために生まれたようなロボットだ。過去の経歴は常勝無敗、それどころか傷一つついた事すらない。王者の風格なのか軍事兵器という単体に昇華しているからなのか、まるで研ぎ澄まされたナイフの刃先のように鋭い視線、エモーションシステムのないそれは私を昂々と震わす。
 私とシヴァは似て非なる存在。
 エモーションシステムがもたらす、機械にはありえない不協和音に日々戸惑い続ける私。
 その私は今、マスターのためにこのリングに降り立っている。
 そして、オメガとマスターの父親が受けた無念と屈辱を払拭し続けるために存在する、シヴァ。
 シヴァは今もまた、普段となんら変わりない作業を処理するかのように無機な稼動を続けている。それは、ロボットとしてのもう一つの理想形。
 人間に近づく事を突き詰めた私と、あくまで作業をこなす事に特化したシヴァ。ロボットという名の、人間の手によってこの世に生み出された生命体、そしてその両極。まるで、あらかじめ何者かによってシナリオが書かれていたかのような展開だ。どうしてこうも違う道を歩んでいた私とシヴァが、今、同じ舞台に降り立っているのだろう? いや、単に私がシヴァの領域に侵入してきただけなのかもしれないけれど。でも、本当に奇妙な巡り合わせだ。
 ロボットには人間と同じように『運命』という名の偶発的必然性は存在するのだろうか?
 私はマスターに自分のボディと自由な意識を与えられ、そしてこの世界でマスターと出逢った。マスターから見れば、私と出逢うのは自らの必然性で、創られた私はマスターと出逢えたのは運命であり。
 本当に、ロボットという我が身は不思議だ。人間にはない偶然性と必然性をどちらも自らに内包している。私とシヴァは、本来交わる事のないはずの道を歩んでいたのだが。そこに偶発的な、それこそ『運命』と呼べる何かが起こったのだろう。
 期せずして私とシヴァは、岐路で対峙した。
 勝者と敗者。
 継続と消滅。
 生と死。
 それはロボット同士の殺し合いで、奪い合いで。
 自らのための戦いで。
 そして、守るという意思の貫き合いだ。
 どうして戦うの?
 マスターはそう私に問うた。
 私は答えた。
 それがマスターのためだから。
 私がマスターに尽くしたいから。
 そう。
 この戦いは、マスターの命令のためだけに戦うのではない。マスターを喜ばせたい、その意思を内包する自分自身の道を切り開くための戦いでもあるのだ。私はロボットであり、そしてラムダという個体名を持った存在だ。この意思は唯一、ラムダという名の私だけが持ち合わせるユニークなもの。個体名ラムダの証明であり、そして存在意義だ。
『大変長らくお待たせしました! これより、ギャラクシカ決勝戦を始めます!』
 場内アナウンスが、私のメモリ内に割り込んでくる。同時に、先ほどまでにも増した割れんばかりの歓声が会場内という会場内を包み込む。
『GET SET!』
 思考クローズ。
 私は戦闘プログラムにリソースを当て、セットポジションについた。
 戦闘システム……セット完了。
 決勝ルール設定ファイル……読み込み完了。
 ハードウェア、システムは共に正常に稼動しています。現在のCPU占有率、15.2%。
 澄み渡った私の意識に、心地良くマスターのプログラムが軽快に流れていく。それは暑苦しい日に、そっと一口飲んだレモンソーダーに似て―――。変だ。ロボットの私がそんな体験をしているはずがないのに。この表現は……そうだ、私がマスターのそんな姿を見て記録したデータだ。
 さあ、いよいよ始まる。私と、マスターの戦いが。意思は一つに固まっている。エモーションシステムも安定した稼動状況だ。こんな大舞台だというのに、私の気持ちは不気味なほど静かに落ち着いている。迷いのない思考が淀みなく処理を行っている事の現れだ。
 歓声。
 歓声。
 歓声。
 それは、私とシヴァのどちらかの健闘を応援するものであり。そして同時に、死を望むものでもある。ロボットには残酷な言葉。エモーションシステムを持つ私には尚更。
 でも、私はそんな言葉には惑わされない。強固な意志は、如何なる苦言も罵詈雑言も凌駕する。
『GO!』
 そして。
 まるでギロチンの刃を支えるロープを切り落としたかのように、人々の狂おしい熱狂の渦の中。ギャラクシカ決勝戦は始まる。
 通信回線オープン。
『ラムダ、まずは様子見よ。シヴァの手の内を軽く見定めるわ』
 心地良い旋律、マスターの声がメモリ内に飛び込んでくる。私を勇気付ける、物理的稼動のそれとはまた違うエネルギー源となって全身に染み渡っていく。
「はい、マスター」