BACK


 サーチエネミー……。
 私は全感覚素子をフル動員し、対戦相手の現在位置の特定にかかる。
 ―――が。
『ラムダ、上! 入射角百十五度!』
 私のメモリ内に突然通信回線から飛び込んでくるマスターの声。
 サーチ中断。
 オートバランサー、一時カット。
 私は機体位置の特定を中断すると、CPUによる直接制御で自らのボディを強引に後方へ飛び退かせる。オートバランサーなしで身体制御を行うとCPUには多大な負荷が生じるが、その反面、オートバランサーの使用中は微処理結果と実際の行動への反映に微妙なレスポンスがある。だからどちらも一概に優れているとは呼べない。
 直後、
 つい0.7秒前に私が立っていたそこへ、遥か上空から鋭く黒い影が降り立つ。いや、それは着地ではなく、丁度目前にあるマーブル模様の人工大理石柱、その20メートル上の天辺から眼下に向かって地面で行うそれのように踏み込み、その反動をそのままに飛び蹴りを放ってきたのである。
 強化コンクリートで作られたリングの床に、クレーター状の大きなくぼみが出来上がる。その中心地にその黒い影―――シヴァは立っていた。鋭角度からの奇襲攻撃。範囲が狭い欠点を持つロボットのセンサーの死角を突いた、実に理に適った攻撃である。
 こういった上方からの攻撃を得意としたロボットと、私は先日試合を行った。だがシヴァはそういった装備を用いず、ただリングに建てられたこの柱だけを利用して数倍の破壊力を持つ攻撃を繰り出してきた。専用にプログラムを組んでいたのなら分かるが、シヴァからはモードシフトの様子は全く感じられなかった。おそらく今の攻撃は、テレジア女史の指示の元、自らの行動プログラムのみを用いてアクションを組み立てて行ったのだろう。恐るべきシステムの処理効率性能、そして着地の衝撃を物ともしないボディフレームの耐久性。
 来る!
 落下とコンクリートとの相対エネルギーがゼロになった瞬間、シヴァはすぐさま私の位置を捕捉して接近戦を挑んできた。その淀みなく一定の動作が次々と連鎖していくさまは、まるで人間のようである。しかし、これは紛れもないリアル。シヴァに撃たれれば、私もまた死ぬ。
 モードシフト。近接プログラミング。
 私はすぐさまプログラムを切り替えると、凄まじい速さで挑んでくるシヴァを迎え撃つ体勢を取った。読み出されるデータが私のボディを制御していく。体は重心がブレぬように低く落とし、左半身を前にした半身の構え、右手と左手をそれぞれ攻撃と防御の型に移行する。
 シヴァは私に向かう加速力を右腕に乗せ、そしてそのまま私へ打ち出してきた。
 予想衝撃、防御レベル超過。
 回避運動開始。
 その一撃は凄まじい運動エネルギーを内在させていた。あれを正面から受けてしまえば、たとえガードしたとしてもその腕が逆に大破させられてしまう。私はデータに従い、回避にかかる。
 物体運動パターン、キャプチャー。
 SABAKI開始。
 私は視覚素子でシヴァの右腕と私との位置関係と衝突時間を正確に読み取ると、私のボディの動力炉を狙ってまっすぐ突っ込んでくるそれに自らの構えて左手を合わせてそっと伸ばす。同時に、溜めの体勢だったシヴァの右腕が大砲のような勢いで伸びた。
 私の伸ばした左手は、繰り出されたその右腕の内側に滑り込んだ。そのまま左手の甲をシヴァの右腕に当て、外側へ押す。すると、あれほど精密かつ荒々しく私へ向かってきていたシヴァの右腕はあっさりと押された側へずれ込み、私の左肩からおよそ17センチの地点を通過する。
 SABAKI成功。
 シヴァのそれは膨大なエネルギーを持ってはいるが、それだけに全てのエネルギーが直線的に流動している。直線的なエネルギーは貫通力に優れるものの、他方からのエネルギーには驚くほど弱い。その特性を利用する事で、最小限の動作により回避、格闘技用語で『捌く』事が出来るのである。
 今度は私の番だ。
 私に向かってそれほどの運動エネルギーを持って接近したシヴァ。だが、その必殺の一撃を流されてしまうと一変して立場が不利になる。私の目の前には秒速12メートルで迫り来るシヴァの無防備な黒い装甲。そこへ私が攻撃を繰り出す事で、無条件に私へ打ち出せずに終わったエネルギーが上乗せされる事になる。そう、カウンターだ。
 通信回線からはマスターの指示は入らない。それは私とシヴァが人間の反応限界を超えたスピードで戦闘を行っているからだ。けれど、私は次の行動は何ら迷いがない。全ての回避動作には、成功時に即座に反撃できるように反撃データがセットで入力されているのである。
 半身に構えたボディの反転運動を開始する。軸足を右足から左足に移行、同時に軸の役目を終えた右足をレッグブーストと共に強く前方へ踏み込む。その運動は左足の軸により直進から弧に、私の体は左方向へ180度旋廻する。
 狙うのは、シヴァの胸部装甲の下部。比較的層の浅い場所だ。
 この運動によって生まれたエネルギーを殺さず、旋廻が90度に達した時点で右手を折り畳むように小さく構え、コンパクトな振りで肘を突き出す。近接戦で最も威力を発揮する肘打ちだ。
 しかし。
 私が攻撃を繰り出すよりも先に、シヴァの装甲より下部から黒い小さな影が閃く。
 シヴァの膝。
 気づいた時には既に、私の胸装甲にヒットしていた。
 激しい衝撃で大きく後方へ撥ね飛ばされる私の体。すぐさま被害状況を調査する。
 胸部装甲が第三層まで亀裂が入っている。丁度それは、3トントラックが時速50kmで衝突したのとほぼ同等の衝撃だ。
『おーっと、クリティカルヒット判定が出た! シヴァ、2ポイント獲得!』
 興奮した実況と共に湧く歓声。
 ギャラクシカにはポイント制が導入されている。人間のようにあまり柔軟な思考が出来ないため、互いが互いの行動を予測するがあまり処理がループし千日手に落ちいってしまった場合の対抗策だ。もし、何らかの理由で勝敗が決せない状態のまま試合の続行が不可能になった場合、その時点でのポイントによって勝者は決定する。たとえノックアウト勝利を狙っているとしても、ポイントを貯めておく事はこういった理由から非常に大切な事だ。同じダメージを負っていても、ポイントに差があればそれだけ精神的優位性も変わってくる。
『大丈夫! ダメージは大した事ないわ!』
 オートバランサーを用いながら体勢を整える私のメモリ内にマスターの声が飛び込んでくる。
 確かにダメージは致命的なものではない。システムにもフレームにも損傷はない。だが問題は、私のダメージとは別にシヴァにポイントが入ったという事だ。相手に先制されてしまった事で、マスターへの心理負荷が更に増大する。幾らマスターが優れた技術を持っていても、この心理負荷が正常な判断力、冷静な分析力を奪っていく。その自分の異常に気づいた時、それは更に増大してしまう。これが心理の悪循環だ。最も陥ってはいけない状態。
 まずい……。
 私もまた、僅かながら焦りを感じていた。シヴァにリードを許してしまった事でマスターの焦りが高まる。それをかき消すには、私がポイントを奪い返して試合を振り出しに戻さなくてはいけない。
 いや。
 リードを取らなければ。
 これは私の失態だ。私の失態によってマスターの心労を増やしてしまった。過ぎた事は今更修正、是正は不可能だ。ならば私が次にするべき事は、自らの失態によって招いてしまった損害の穴埋め。そう、それはマスターが安心して試合状況を見ていられるようにイニシアチブとポイントリードを奪い取る事だ。
 そう判断すると、私は行動に移すのが早かった。0が1になった。それだけの事だから当然だ。
 ターゲット捕捉。
 接近開始。
 ポイントを得る上で最も有効かつ効率的な手段は、やはり接近戦を挑む事だ。直接相手の懐に飛び込んでダメージを負わせることが出来れば、ポイントを加算される有効打になりやすいのである。
『やっぱり、接近戦ではシヴァに分があるわね。ここは一旦、一撃離脱中心の中距離戦でポイントを稼いで―――ッ!? ちょ、ラムダ!?』
 通信回線からマスターが制止を叫ぶ。
 けれど、私はシヴァに向かって一直線に疾駆したまま止まらない。今、一番大事な事は、マスターを安心させる事だ。そのために、まずはイニシアチブを奪う。ペースがこちらに傾けば、マスターの組んだ戦闘プログラムが生きる。そうなれば必然的にポイントを稼ぐ事が出来る。少なくともこちらが攻めている間はシヴァも迂闊には反撃が出来ず、私もまた防御へ回すリソースを減らす事が出来る。そして何よりも、マスターの心理負荷が大幅に減少するのだ。他の何を差し置いても、まずはマスターを安心させなくてはいけない。まずはそこからが―――。
 私に浴びせた飛び膝蹴り後の添え動作中のシヴァ。
 私はレッグブーストを開き、シヴァに向かって猛然と突進した。しかしシヴァはそんな私を目にしても仮面のような無表情を何一つ歪める事無く、ゆっくりと私に相対して迎撃態勢に入る。
 シヴァはトラウマシステムという特殊な防衛システムを搭載している。それは、相手の繰り出した危険な技を記録し、記録後は相手にその攻撃を繰り出されたとしても、たとえ一度実行した攻撃命令でも途中で強制的に中断し、回避動作を取る事が出来るのである。私にとって避けなければいけない事は、シヴァに搭載している武器を記録される事だ。ただでさえ性能の優れたシヴァ、その隙を突く事事態が非常に困難である。私が武器を出せるのは確実にシヴァを倒せる時だ。もしも必殺の機会を逃し、シヴァにダメージを与えられなかっただけでなくその武器さえも記録されてしまったら。私の立場は非常に切迫し、そしてマスターも受ける心理的負荷が一層高まってしまう。
 必ずダメージを、いや、必ず倒せるタイミングでしか武器は使用出来ない。通常の立ち回りでシヴァが隙を見せる確率は皆無に等しい。ならば、こちらからかき回して隙を作るしかない。
「ハァッ!」
 私は加速度をそのまま乗せ、シヴァの側頭部を狙ってハイキックを繰り出した。しかしシヴァは冷静にそれに対処、私の足が届くよりも早く状態を静め、自らの上方に私のハイキックをやりすごす。だが、これもまだ予測範囲の内。続けてハイキックの威力を軸足に残したまま、今度は足を切り替え、一変して地を這うような低い姿勢からシヴァのくるぶしを狙う水面蹴りを放った。
 だが。
 やはりシヴァはそれに対してもあっさり反応してしまう。私の足がシヴァの足を刈る寸前、シヴァのボディは中空へ飛び上がってそれを難なく逃れる。
 かかった!
 けれど私は、そんなシヴァの安易な回避に歓喜すら憶えた。宙に逃げるという行動は、特に接近戦においては迂闊に行ってはいけないほど危険な回避法なのである。この地に足をつけ、地球の重力を受けて生活している存在にとって空中は自らの体の自由が大幅に限られる危険な地帯なのだ。シヴァは私の攻撃に対しても凄まじい反応速度を持って安々と回避してしまったが、果たしてそれは宙に浮かんでいる今はどうだろうか? そう、今のシヴァは防御手段はあれど鳥のような空間制御能力を持たないロボットにとって回避手段は皆無なのである。
 私はシヴァの回避はないものと判断し更に足を切り替えると、前のめりに床へ飛び込むような形に踏み込んで宙に飛ぶ。そのままボディを中空で捻ると、踏み込んだ足を投げ出すように振り上げて、そのままシヴァに目掛けて振り下ろす。マスターが入力してくれた攻撃データの一つ、浴びせ蹴りだ。
 センサーの捉えるシヴァは、依然として中空で無防備な状態だ。攻撃、防御のどちらを取ってもさすがは無敗を誇ってきたロボットだけはある性能のシヴァ。この決定的な隙は私にとって千載一遇のチャンスである。このままシヴァを地面に蹴り落とし、そして一気にたたみかけよう。
 と、その時。
『駄目、ラムダ!』
 通信回線から飛び込んでくる、マスターの攻撃中止命令。しかし、私は一度下した攻撃プログラムは途中では止める事が出来ない。たとえ処理を止めたとしても、ハードウェアであるボディに制止行動を命令する事が出来ないからだ。
 一体何が―――?
 そうメモリ上に疑問が浮かんだ次の瞬間、
「あ」
 私は感覚素子で捉えたシヴァの行動に、思わず攻撃モーションの最中でありながら声を上げた。
 シヴァは中空でバランスを整えると、私の振り下ろす直前の左足へ両腕を掲げるように伸ばした。刹那、振り下ろされる私の左足。だが、十分な加速度が得られず運動エネルギーに乏しい内にその左足はシヴァの両手によってキャッチされてしまった。
 警告! 水平位置ロスト。
 オートバランサー、緊急モードにシフト。
 同じく空中にいた私は、シヴァに攻撃の足を捕られバランスを完全に失う。回復するにはまず、捕られた左足を取り返す必要がある。私はシヴァの腕から逃れるため、中空で更に体を捻ってもがこうとする。だが、
「ッ!?」
 私の体が激しく揺さ振られる。ぐん、と襲い掛かる重圧を体表素子が捉える。視覚素子に映る映像はピントがずれているため、ほとんど解析が出来ない。私はなんとか自分の状態を把握しようと感覚素子に集中するも―――次の瞬間、
 衝撃が背中から胸を通り抜けていく。
 確実に決まると思って放った浴びせ蹴りだったが、シヴァは私の足を直接掴み、そのまま私の体を床へ叩きつけたのだ。まさかそんな強引な反撃を講じてくるなんて……全く予測出来なかった。
『シヴァ、連続ポイント! 1ポイント獲得!』
 耳喧しい実況の声。だが私はすぐさま全感覚素子を状況把握に向ける。
 サーチエネミー……。
 正常に戻った視覚素子は、上空から拳を構えて私の元へ落下してくるシヴァの姿を捉える。
 くっ……!
 私は右手で床を突き飛ばすように力を込め、その反作用で体を横へ転がす。直後聞こえる着地音と共に、私もまた立ち上がってシヴァに構える。
 冷然とした眼差しを向け、同じく私に相対して構えるシヴァ。そこには余裕も優越もなく、あるべきもの一切が欠如している。ただ、王者の風格というもの錯覚させる冷静さ、冷徹さだけがありありと浮かんでいる。戦い、そして勝ち続けるためだけに存在する機体。勝つ事が義務であり、己の存在意義であるシヴァ。私もまた自らの義務と存在意義を強く身に刻み、そして遵守している。私はマスターのために働き、尽くす。それだけのためにこの世に存在するのだ。
 マスターを喜ばせたい。それは今も変わらぬ強い願いだ。
 しかしそれには、シヴァという壁を私は飛び越える必要がある。
 その壁は。
『ラムダ、聞こえる!? 一旦シヴァから離れて!』
 あまりに、高い。